3. 梅干し(2)
(1)より長くなってしまいました。
美優はいつにもまして大きくため息をついた。
なぜ私は好きでもない男を待っているのだろう。デートなんかしなくてはいけないのだろう。
原因でもあるあの女友達の声が頭によぎる。甲高い女らしい声。
女友達というのは時にすごく厄介である。おせっかいというか、人の恋とかプライベートにいやでも侵入してこようとする。
それが親密になるステップだと信じているのだ、おめでたいことに。そう思って自分の淡白さに嫌気がさした。
美優は自分の無頓着さは世間を生きていくために必要だと思っているが、冷たい人間にはなりたくないと思っていた。
「あーあ。」
声に出してみる。そんな大きな声をだしたつもりはないが、横を通り過ぎて行ったサラリーマンがちらっと振り向いた。
肩にかけたトートバックが重い。荷物はいつも多いが、今日はお弁当と水筒をいれているからさらに重い。
というのも、あのせっかちなメールで指定された場所が公園なのだ。
美優は一度行ったことがあり、(しかしそれは幼い頃の記憶だからあてにはならないが)わりと大きくて、綺麗な公園だったような気がする。
なぜお弁当なんか作ってきてしまったんだろうと後悔したが、公園に行くのにコンビニでお弁当を買うことだけは絶対に嫌だった。
美優はコンビニのお弁当の安全性を疑っている。というより、昔から母親にコンビニで食べ物を買うなときつく言われてきたからで、
実際のところ疑ってはいないし、おにぎりくらいなら買うのだが、お弁当は今でも買う気にはならないのだ。
周りにレストランやファミレスなんかもないようだったので、作ってきて正解だとは思ったが、やはり初めてのデートでお弁当というのはやりすぎな気もするし
はりきっていると勘違いされても困るなと思った。
そうやって美優がもんもんとしている間に気づけば約束の時間から20分たっていた。
すっぽかされたのか、何かあったのか。
もしすっぽかしてくれたならどんなにいいだろう。そうすれば、私は一人でのんびりとお弁当を食べくつろぐことができるのに。
30分きっかり待ったところで、電話をかけてみた。でませんように、と念じながら。
呼び出し音が繰り返される。トゥルルル、トゥルルル・・・・
「もしもし」
美優はがっかりした。でないでほしかった。
「あの、今どこにいますか?」
「バック重そうだから持とうか?」
そう言うのと同時に肩をたたかれ、振り返るとやけに背の高い男が一人立っていた。
なぜか猫を片手に持って。
「あの・・この猫は?」
バックを男に渡して、猫は今、美優に抱かれている。にゃぁ、と鳴きながら甘えているのがわかる。人懐っこい猫だ。
「拾ったんだ。さっきそこでね。」
笑いながら言うが、待ち合わせに遅刻して、謝りもせず猫を渡してくる男なんて聞いたこともない。
でも、と思う。でも、なぜか怒る気にはならない。
並んで歩きながら、観察してみる。
黒髪であるところ、横顔がきれいなところがいいなと思った。
逆に、二重で大きすぎると思った。美優は薄い顔が好みだった。
「このバック、温かいねー。ほっかいろでも入ってるの?」
「あ、お弁当が入っているから。そのせいだと思います。」
「それって、おにぎりもついてたりする?」
「はい。焼きたらこと、梅干しですが。」
おにぎりがそんなに重要なのだろうかと思いながら答える。普通、から揚げとか卵焼きとかそういうものの方がメインなのではないか。
「うそ!梅干し好きだから嬉しい!」
そういう隆司の声は本当に嬉しそうにきこえた。
しかも、はやくお弁当を食べよう、と広場のほうに駆けて行ってしまったから、美優は笑ってしまった。あんなに大きな体をしているのにまるで子供みたいな人だ。
男の後姿を見ながら、追いかけようと思ったが、走ったりすると猫が揺れてしまって可哀そうだと思ったので、美優はいつものようにマイペースに歩いた。
広場にでると、休日であるせいかいやに人が多かった。親子連れが特に多い。
あちらこちらにシートが広げてあり、お弁当を食べたり、寝転んだり、バトミントンなんかをしている人たちがいる。
「ここでいい?」
男はシートを広げながらきく。
美優はうなずいて、猫を広げられたシートの上におろす。
逃げるかと思いきや、猫は美優から離れなかった。足元をぐるぐるしている。
「その猫、懐いちゃったみたいだね。」
「可愛いけど、家に犬がいるから連れては帰れないなぁ。」
レオは猫が嫌いだった。散歩中、猫を見かけると吠えまくるのである。
それを考えるととてもじゃないけど家では飼えない。
「それなら、俺が連れて帰るわ。」
そう言って、猫を抱く。名前考えなきゃー、と猫をくしゃくしゃになでている。
「動物好きなの?」
「うん。だから、この猫に会いに家に遊びに来てよ。」
どういうつもりで言ってるのか、美優にはわからなかった。猫を理由に私がほいほい男の家に遊びに行くとでも思っているのだろうか。
そういえば、もう少し美優が気楽に生きていた頃、大学の先輩から
「美優ちゃんはなんかあとくされなく気楽に付き合えそう。」なんて言われたことがあったような気もする。
私はそんなに軽い女に見えるのか。それはそれでいい。この男にどう思われようと私の知ったことではない。
今日会って、一緒にお弁当を食べてそれで終わりなのだから。それっきりだ。だから関係ない。
曖昧に笑った後、バックからお弁当を出した。
やんわりとお弁当特有の匂いがする。運動会のお昼休憩の匂い。
「こっちがおにぎりです。」
といってアルミホイルにくるまれたおにぎりを渡した。
「さんかくが焼きたらこで、丸いのが梅干しです。」
おぉ、と目を輝かせながらアルミホイルをあけている。おにぎりは男の手の中では小さく見えた。
もしかしたら、一口で食べてしまえるんじゃないかというくらいに。
「うまいっ!!!」
やっぱり一口だった。
「ちゃんと味わって言ってるんですか?」
嫌味でもなんでもなく素直にそう聞いてみた。
「ほんと、ほんと!この梅干しどこで買ったの?」
「それは、家のおばあちゃんが漬けてるものなんです。だからどこにも売ってませんよ。」
「そっかー。これって、美優ちゃんの家にあったりするのかな?」
美優はこの時、初めて男が自分の名前を呼んだことに気がついた。
そして、ちゃんと隆司という名前を思い出した(忘れていたわけではないがただの男としか認識していなかった)。
「もちろん。梅干しは定期的に送ってもらってるんで。」
隆司はふーっと一息つくと、美優の手からまたおにぎりをとって言った。
「このおにぎりを毎日食べさせてください!!!」
いい大人が言う冗談ではない。
「何かドラマでそんな台詞ありましたっけ?私、最近テレビ見てないからわからなくて。」
と笑いながら、できるだけ流した。本気じゃないでしょうね、と思いながら。
「いや、真面目になんですけど。」
隆司は嘘をついているようでも、ふざけているようでもなかった。だからこそ、美優は明らかに不機嫌な顔を、すごく迷惑です、という顔をしてみせた。
なんなら、立ち上がって帰ってやると言わんばかりの雰囲気で。
すると、隆司はおにぎりを美優の手に返して笑った。
「あーあ、一世一代の告白だったのになぁ。」
苦笑しながら、だめかぁ、とつぶやく。
「一目ぼれというか、何も美優ちゃんのこと知らないけど、でも好きになっちゃたんだよね、いつの間にか。梅干しみたいに。」
私は梅干しと同じ価値か、と思いながら本当に困ってしまった。
結局、お弁当を食べた後、すぐに家に帰った。どうしようもない気持ちを受け取って、そのやり場にどうしようもなくて困りながら。
家に帰ってお弁当箱をゆすぎながら、種だけになった梅干しを見た。
実をはがされた可哀想な種。
私も実は全部食べられてしまった。あの人に。
置いていかれて、捨てられるのを待つだけの種。
なーんだ、と思った。同じではないか、この梅干しと。
ギシギシと音をたてながらアルミホイルに種をくるんで捨てた。
そしてどうしてか、また会いたいと思った。
あの猫にも、背の高い隆司にも。
たとえ、私は梅干しと同じだとしても。