57「プログラムを開始しました」
※
思考リンクを切断された時に、考えを巡らすべきだった。
非常事態であり【弁護なき裁判団】が多数稼働している事からも、回線の切断は想定できた。だが再検証、システム稼働の確認をしなかった、それが川藤の失策だと思う。
(勝手なことを――)
舌打ちをする。再度アクセスしても【非常事態モードの為、管理権がありません】と通知が来るのみだ。
情報漏えいを防ぐ為、施設そのものを破棄する事は計画の内だった。これで廃棄体4号を処分できればなおのこと。
だが、それも遺伝子研究特化型サンプル【限りなく水色に近い緋色】の安全を確保してでのことだ。フラスコは彼女のサンプルとしての拿捕を望んだ。捕らえてしまえば、改編はいくらでもできる。それがフラスコの命令だったはずだ。
しかし――。
「これも含めて、全て実験と言うつもりですかね、室長は?」
爆風に煽られながら、川藤は【弁護なき裁判団】のシステムにアクセスに踏み込む。管理権がなくアクセスができないのであれば、管理権のないアクセスを試みる、それだけの事だ。世間はそれを不正アクセスと言うが。
「ねぇ、No.C?」
と銃口を彼に突きつけて、ニンマリと笑む。彼は口をパクパクさせるのみだ。
安心しなさい、と川藤は囁いた。あなた方がどうこう足掻いたトコロで、事態は何ら変わらない。
思考がリンクする。No.Cが思考を巡らすのが手に取るように分かった。川藤がエラーになっていないか検証しているのだ。
何がエラーで何が正規なのかも分からないが、言えることが一つある。
「同志、私のエラーを検証する前に【限りなく水色に近い緋色】を処分してごらんなさい、可能ならばね」
No.Cは目を剥く。リンクする思考。不正アクセスしたから当然だが、彼の思考が手に取るように分かり、可笑しかった。
彼は思う。命令を拒否しようというのか?
彼は思う。No.Kはエラーをおこしている。
彼は思う。No.Kのセキュリティーホールに至急、アップデートパッチが必要だ。
彼は思う。命令に優先すべき選択はNo.Kか、特化型サンプルか?
彼は思う。命令もないままに管理権を剥奪された彼が、管理権を要求するのは当然のプロセスではないか?
彼は思う。ナゼ、ソンナ、コト、ヲ、オモウ?
川藤は背を向ける。悪魔的に微笑んで。
パン。乾いた音が響くのを川藤は聞いた。
銃の引き鉄は一切、力をいれていない。
だが――言葉の引き鉄はひいた。
(茜ちゃんの真似事でしかないですけどね)
No.Cのプログラムは機能不全で完全に沈黙をした。ほんの少し、思考ルーチンを混乱させただけで、だ。
もっとも水原茜――研究者【トレー】に比べたら、我ながらなんて残虐なのだと思う。川藤は強制リンクでアクセスし、脳内の混乱を招くキーワードを放り投げたのだ。
結果、No.Cのプログラムは強制終了。再起動すら不能になった。
(と、悠長に分析してる場合でも無いですね)
宗方ひなたに対しては、さして心配はしていない。能力を最大限に活かせていないにしても特化型サンプルだ。そこは生き残ることに何ら心配はない。
ただ彼女の甘さを除けば、だ。彼女達がどんなミラクルを起こせるか。川藤の興味はそこに尽きる。
炙られような熱風を感じながら、川藤は歩みを進めた。
※
破壊し尽くす炎の恐怖を感じながらも、シリンジは哄笑をあげた。
施設の制御が自己発電に切り替わることまでは特化型サンプル【デバッガー】は思いもしなかったようだ。
所詮はただのサンプルが、研究者に抗うことこそが傲慢なのだ。
弁護なき裁判団は、施設の破棄に向けて稼働開始したようだ。これだけの騒ぎになれば、愚かなマスメディアも色めき立つのは間違いない。
――だが甘い。
この施設には実験用ウランがある。核分裂による高レベル放射能で、サンプルの負荷を試すのだ。
それを局所的に使用し、特化型サンプルを塵も残さない。シリンジの受けた屈辱に比べればまだ甘いと、歯ぎしりをしながら思う。
シリンジは、キーボードに指を滑らせプログラムを起動する。言語がディスプレイに流れるように現れては消え、最後にただ一文【プログラムを開始しました】という淡白な表示に満足の笑みを――。
圧力を受け、呼吸が止まる。その喉を鷲掴みにする手に抵抗しながら、シリンジは酸素を求める。生命の危機を感じた。
体裁を無視し、蛇に姿を変える。が、その手は何ら動じず、握力をこめてきた。
「研究者が遺伝子配列変容実験の被検体か。何のジョークだ?」
何一つ交わりの色を拒否する、黒曜石を思わせる双眸が覗き込む。
「…は……はいきた……四……」
蛇はのたうち回るが、その拘束から逃げ出すことはでいない。はじめて、廃棄体四号は、笑みを浮かべた。何より歓喜を、何より快楽をと言わんばかりに楽しそうに。
シリンジの意識はそこで途切れた。
※
フラスコは無表情に、モニターから映し出される状況を見やる。概ねは予想通り推移していた。
注目すべきサンプル――【限りなき水色に近い緋色】も【デバッガー】も、流石は特化型サンプルと言うべきか。量産型サンプルや廃材が相手では役不足なのも仕方がない。廃棄体四号を野放しにするのも計画通りに進んだ。
だがそれ以上に面白い。まさかココにきて【弁護なき裁判団】がエラーを起こした。否――エラー警告がシステム上出てないのだから、エラーとは言えない。システムを修正しないといけないタイミングではあるが、フラスコの思う通りに動いていないこの現状。それがまた笑いがこみ上げるほどにおかしかった。
「楽しそうだな、フラスコ?」
ボイスチャットの向こう側で、心底楽しそうにスピッツは笑う。気まぐれのハイエナがこうしてまたコンタクトを取ろうとしている。良心の呵責に耐えられず実験室を脱退するなど、なんて白々しい言い訳をこねくり回したものか。スピッツがそんな感性を持ち合わせていないことは、フラスコが一番理解していた。
「上機嫌なスピッツが言うか、それを」
フラスコは表情を変えずに言う。権力でも金でも研究者としての知識欲でも無い、その外側で生きている男だ。懐柔できるモノなど何一つない。彼は孤独なハイエナだと、フラスコはよく理解していた。
「うちの子がどんな化学反応を見せてくれるか、楽しみだろ?」
笑む声がなんて感情がこもらず、残酷なことか。彼はそのただ一つの目的のためなら、どんな犠牲も厭わない。スピッツはそんな男なのだ。
だが――。
さすがの特化型サンプルも足手まといにしかならない廃材を前に、救出劇を望めるはずもない。
「父としては、ひなたのさらなるミラクルを期待してるんだけどね」
どの口がそれを言うか。半ば呆れながらも、フラスコはディスプレイの情報に注視する――その目が点になる。
「な、んだと――」
「これは、これは……」
スピッツも唸るのが聞こえた。フラスコは声を上げて笑う。これを笑わずにいるなと言う方が無理難題だ。サンプルの能力の問題ではない。サンプル性能でも戦略でもなく、まして駆け引きですらない。
ことごとく、フラスコの思惑を裏切ってくれる。それがあまりにも愉快だった。
「――したい研究があるんだ、フラスコ」
このタイミングで、スピッツが切りだしてきた。
「は?」
「実験室が再び私を雇う気はあるか?」
フラスコは無言で、ノイズに混じるスピッツの呼吸を読み取ろうとする。だが、それがムダなことなのをフラスコが一番よく理解していた。そんなことはお構いなしに、スピッツは囁くのだ。
「今の私なら、あるいはエメラルド・タブレットを起動することに協力もできると思うけどね」
「……」
「まぁ、考えておいてくれ。私は別にどんな選択でも構わない」
スピッツはそう言い残して、一方的にボイスチャットを切った。浅はかな、と思う。彼が実験室を離れた本当の理由をフラスコが知らないと思っているのだろうか。
(まぁ、いい)
彼が戻ってくるのも、また想定内だ。
今は――。見失った、サンプル達の行方の方が重要だ。フラスコはさらなる指示を、弁護なき裁判団達に送信した。