43「デベロッパー」
茜は宗方家のパソコンを我が物顔でキーボードを叩く。その横で、真剣な顔でモニターを覗く姿が一人。
「あーや、もうある程度は爽君に任せないと、どうにもならないよ?」
「そのお言葉は茜ちゃんにそのまま返すよ」
表情を崩さず、画面を見やる。数字の羅列が止まることなくスクロールしていく。【デバッガー】が収集した情報を再計算することこそが【デベロッパー】の仕事だ。直接の戦力は皆無。その【デベロッパー】にできることはと言えば【デバッガー】が動きやすい分析を送信すること、ただそれしかない。
「随分熱くなってるじゃない、あーや?」
「……別に。戦況は常に変化する。単一のプランでは、最初から敗戦宣告するのと一緒と、言うどこかの低身長な元研究者の言葉に従ったまでだけど?」
「あーや? 一々心に突き刺さるのはなんでかなぁ?」
「事実に該当するナニカがあるんじゃない?」
「も……もういいです」
茜が項垂れる。クスクスと、それを見てシャーレは笑みを零した。トン、と元研究者とサンプルの前に紅茶を置く。
「彩子ちゃんは爽君のデータを収集するのが仕事だものね。実戦でひなたを支援することに特化した爽君と、実戦能力は一切ないけど、爽君の支援に特化した彩子ちゃんと。さすが、ね」
「そんなんじゃない」
茜は画面を見やりながら呟く。
「爽君もあーやも、醜い私を支えてくれた。ただ、それだけだよ」
「それでもエメラルド・タブレットを諦めるつもりはないんでしょう?」
彩子は画面だけを見やる。茜のキーボードをタイピングする音が響く。かちゃかちゃと、ひなたの母は紅茶をティースプーンで混ぜる。規則ただしく、無機質に。
シャーレは茜を煽っているのだ。彼女の本音を、弱さを。その傷を抉るように。
茜とともに歩んできたからこそ【デベロッパー】は思う。本質の茜は、実験室の研究者と言うにはあまりに、純粋過ぎた。
不完全な天才と言われた実験室・研究者【トレー】
支援型サンプル研究を得意分野とする彼女のもう一つの側面は、特化型サンプルを安定的に排出した――【被験者殺し】の異名を持つ。特化型サンプルの排出数は、その実験の数に他ならない。
「原初の特化型データ、エメラルド・タブレット。遺伝子工学研究の原点とも言えるわね。私達はその写本をもとに研究を続けたに過ぎない。言うなれば、今の実験室はその上澄みの上の上澄みしか、結果を出せてないということでもあるかな」
シャーレは紅茶に口をつける。
小さく喉を鳴らして。茜はキーボードを叩き続けて。
「シャーレ、それは今必要なことなのですか」
と、彩子は画面を見やりながら、言葉を投げ飛ばした。
「戦闘能力が無いとは言ってくれる。仮にも実験室の【トレー】が作った特化型サンプルだけど、私は? あなたを潰す方法も皆無だとでも思ってるの? ひなたの母だからと言って、私が手加減する理由はないんだけど?」
「あーや!」
と、茜が制す。その目は落ち着け、と言っている。クスクスと、シャーレは笑みを零していた。
「子ども達に恵まれてるじゃない、茜ちゃん」
「ボクは、現役高校生でオカンじゃないんだけどね」
と溜息をつく。
「あーや、君の仕事は爽君のデータ分析。シャーレの挑発にのることじゃない。シャーレはああやって、時々遊ぶんだ。ボクはボクの目的で、彼女は彼女の目的で動いている。別に今更、エメラルド・タブレットのことで後悔もしていない。現状の打開、まずはソコだよ」
彩子は茜の顔を見る。迷いは無い、研究者【トレー】の表情で真っ直ぐに見つめていた。
「フラスコから写本を奪う、そこに変更は無いということでいい?」
「もちろん」
茜は小さく頷く。事態がシャーレとスピッツの思惑により加速したことは否めないとしても。結局、爽がひなたに特化した支援型サンプルであり、彩子が爽のバックアップであり、シャーレとスピッツがエリクシールを求め、全てはエメラルド・タブレットに集約していくのだから、どうしようもない。
「それで、茜ちゃんは何を一生懸命に作業してるの?」
「――【廃材】の干渉信号を解析中」
「へ?」
今度は、シャーレが狐につままれたような顔になる。
ひなた達の奇襲、干渉信号の発生までは想定内。だが爽の支援型サンプルの能力は想定を大幅に上回る。無論、計画の中で【トレー】とは常にそれぞれの能力について情報をトレードしてきた。だが実戦の中で、自身のスキルを活用できるかは、サンプルのセンスに関わってくる。例えば、ひなたが強い発火能力をもっていたとしても、相手を傷つけることに躊躇するように。
「干渉信号のデータを爽君がハックしてくれたんだから、それを活用しないといけない手はないよね?」
「従来の支援型サンプルの能力を凌駕してるじゃない」
「だから、あーやがバックアップとしているんだよ。爽君がデータでパンクしないよにね。もっとも、本人の努力もあるかな。実戦で力を磨くタイプかもね、爽君も宗方さんも。二人とも不器用だけどね」
「……そうね」
文字だらけのモニターをシャーレも見やりながら、頷く。
「ひなたが廃材に接触した。心拍数が少し高い。でも他の稼動は安定している」
彩子が淡々と言う。
「データのハックと電気制御室の制圧に成功したから、実験室からの干渉の心配は少ないかな」
「問題ないと思うわ」
「あーや、カメラを回そう。本日最大のハイライトだ」
「もう、やってる」
と、モニターにひなたとみのりが映し出される。
項垂れるように、かろうじて立つ人影に囲まれて。蠢き、よろめき、それでもひなたへ向けてそれぞれが手をのばす。
「これ全員、廃材か。ビーカー、やってくれたね」
茜は息をつく。廃棄処分寸前の実験失敗作。最早、この人影達は生きている、とさえ言えない。
「数、300強を確認。今、状況を精査する」
ひなたの炎が画面で踊るのが見えた。
「想定内であり予想外ね。これ全員、能力最大上限稼動している訳でしょ?」
「間違いなく」
「羽島さんもゆかりちゃんも廃材よね?」
「……」
どう答えていいか分からず茜が思案していると、画面を裂くような黄金色の光が幾重にも奔る。
「電気反応確認! サンプルによる生態電圧接触!」
彩子はログを読み上げる。
ひなたに肉圧する稲光が、縦横無尽に迫る。その光に、ひなたは手をのばす。
「ひなた?」
シャーレが乗り出す。それは子どもを心配する、母の顔だった。