41「私の友達を馬鹿にしないで」
ひなたは足を止める。その手に仄かに伝わる、みのりの体温を感じながら。
爽の立案した作戦はコワイくらいにスムーズに進行している。爽がとった手段、それは奇襲でしかない。今回の騒動を仕組んだと思われる、実験室の研究者シリンジとビーカー以外は三人プラス一人の存在は知れ渡ってない。そこに、付け入る隙があるはずと踏んだ。
だけどね、と爽は言う。
――みのりちゃんを守りながら戦うのはリスクがある。連れていないという選択肢も勿論、ある。でも羽島さんの安否は保証できないから、その選択肢は選べない。それなら、みんなで守るだけだね?
爽はニッと笑う。
量産型サンプルと言われた人達への奇襲は、ひなたとゆかりが。その間は爽がみのりを守り。
爽がサンプル達のネットワークを断ち切った時にはゆかりが。ゆかりが電力管理室を無力化ささせた時には、ひなたが。その作戦は確かに功を奏した。
でも、それももうお終いだ。
靴をあえて鳴らす音が響く。
量産型サンプル達が、ひなた達を整然と囲んでいた。
廃棄物搬入口と見取り図にはあったが、今や人間の体が所狭しと転がっている。
実験室にとっての廃棄物――つまり、【廃材】の処理場ということなのか。ひなたは唇を噛む。どうしてこの人たちは、心なくこんな事ができるのか?
「……お姉ちゃん、この中にお父さんがいるのかな?」
ひなたは、みのりの手を握る。気休めの言葉が口から出かけては飲み込む。羽島は廃材だ。どのみち、その運命になることは間違いないのだ。
ゆかりが、電力システムを停止した為、非常灯しか明かりがない中、あの男の声は鮮明に響いた。
「惜しいなぁ。実に惜しい。まだ、処理はされていないが、じきに処理される。君のお父さんは 【廃材】だからね」
シリンジは粘るような笑みを浮かべていた。ひなたは迷わない。想定通りに、火炎の弾丸を連続でぶつける。
「陣形を組み、私の盾になれ!」
シリンジの声はなお、ひなたの感情を逆撫でする。盾に? 貴方は何もしないくせに人を盾にするの?
炎は火炎になり、火焔の渦を巻く。
「普通、能力の発動はタイムラグが生じるのだが、君はゼロモーションだ。発火能力との相性はいいんだな。ところが、擬似重力操作では、3秒のタイムラグがある。それでも普通のサンプルに比べたら十分早い」
と、ひなたが擬似重力操作で、量産型サンプルの念力弾からみのりを守ろうした瞬間に、シリンジは雄弁に語る。
「遺伝子研究特化型サンプルの性能は伊達じゃない。だからこそ羨ましい。我々が、これほどにスクラップ・チップスを作ってなお、作り上げられない特化型サンプルという商品が」
ひなたはその言葉を打ち消すように、火炎の弾丸を投げつける。だが、量産型サンプルは命令通りに、シリンジを守り続ける。シリンジはそれがさも当たり前で、何ら感謝を示すでもなく、彼らを踏みにじる。
「だが君は、実験材料に対して感情を揺れ動きすぎる傾向にある。考えてみたまえ。羽島公平も桑島ゆかりも、望んで実験室にその体を提供したのだ。我々が騙したワケじゃない。正しい契約のもとに、彼らは納得してサンプルになることを望んだ。それは遺伝子特化型サンプルである君も、そうだろう?」
「違う!」
頭痛がする。私がサンプルになったのは――私がサンプルになったのは――ワタシがサンプルにナッタのは?
「やれ、【懐刀】」
途端に、目眩が襲う。体のバランスが崩れそうになるのを、ひなたはかろうじて耐えた。炎が炸裂する。より激しく、より鮮烈に、より屍肉を焼きながら。
目と目があう。嘘であって欲しかった。図書室でシリンジと邂逅した時、まさかと思っていた。信じたくなかった。でも爽が一切、そのことには触れなかったから、嘘だったと思い込みたかった。
でもそれは、ひなたに余計な心配をかけまいという配慮で。
最初に知っていたら、手加減して、躊躇ってしまう自分がいるのはよく分かるから。
「ほぅ」
シリンジは感心する。
「そのライダースーツのせいか。【懐刀】の能力を軽減させる、とは。なかなかどうして、悪足掻きをする」
シリンジはニンマリと笑む。ひなたは、全力でシリンジに目掛けて、火焔を叩きつけようとした。
「出力をあげろ【懐刀】金木涼太」
視線を合わせまいと、でもその手が能力を確かに行使しているのを感じさせる。ひなたの膝が折れる。頭がガンガンする。量産型サンプルが、手の平をひなたとみのりに向けるのが見えた。
守らないと。
みのりを、念力弾から。見えない力で潰されようとするのに必死で耐えるが、頭痛の酷さに耐えられない。吐き気まで込み上げてきた。
「させないって!」
青白く光る電流。
ゆかりが、全力疾走で駆け込んでくる。途端に、体が軽くなった。
「出力をあげろ」
シリンジは命令を出す。
「む、無理だ……もう最大を……」
「出力をあげろ。余剰があるのは実験済みだ。金木、お前はそれぐらいしかサンプルとして役にたたない。役に立つのは、今しかない」
「シリンジ?」
涼太は信じられないという目でシリンジを見る。
「出力を上げるんだ。役立たずは役立たずらしく、道具になれ。お前は私の言う通りに動けばいい。他は考えるな。お前は道具になるしか、人間としても最初から可能性はないんだ」
「な、何を勝手なことを──」
とゆかりが、衝動て怒鳴り散らすよりも、少しだけひなたが早かった。
言葉なく、手を振りかざす。まるで野球ボールを投げるように。それだけで、シリンジの体が発火する。
「私の友達を馬鹿にしないで」
「み、水、水、あ、あつ、熱い!貴様ら、水だ、量産型サンプル、水を、水を!」
だが水などあるはずもない。ピクリとも動かない廃材とともに、シリンジの体は燃える。と、ひなたは指を鳴らす。火は突然消えた。
「は? きさま、どういう――」
言葉は続かなかった。間髪入れず擬似重力が、シリンジを弾き飛ばした。
「あ、が、バカな――」
シリンジは呼吸するのもやっとだ。擬似重力が肺を容赦なく圧迫する。
「金木君に謝れ。道具だなんて言うな。役立たずなんかじゃない。金木君は、転校して間もない私を励ましてくれたんだ。本当に心強かったんだ。ゆかりちゃんがいてくれて、私、笑っていいって思ったんだ。爽君が相棒だって言ってくれたから、何の力もない私だけど、みのりちゃんを助けたいって素直に思ったんだ。あなた達実験室はいつも、そう。悩んでいる人に甘い言葉で囁く癖に、すぐに使い捨てる。自分は何もしないくせに、偉そうに命令ばかり。楽しい? そんなに実験するの楽しい?」
と、ひなたはのたうち回るシリンジを軽く蹴り上げる。筋力局所強化でシリンジは隔壁に衝突した。
「ひ、ひな先輩、おちついて!」
これはオーバードライブなのだろうか? もしそうなら、ひなたが壊れてしまう。止めなければ、とゆかりは思う。壊れるのは、命が消えるのは自分だけで十分だ。だって、それは廃材としての自分の運命なのだ、もうそれで納得しているから。
「ひな先輩!」
と、ひなたに手を伸ばしかけた瞬間だった。
きぃぃぃんんんんん。
鼓膜を突き刺す不快な音が響く。
シリンジは苦痛も忘れて歓喜の表情を浮かべる。
「実験の開始だ! 後悔するんだな、特化型サンプル! 実験室に逆らったことを! 己の無知さを! 無力を痛感して、実験室のサンプルに舞い戻れ!」
乏しい灯りの中、シリンジの振る舞いはシェイクスピア劇の俳優のようですらあった。
ひなたはかろうじて顔を起こす。
以前、保育園で鳴らされた音に似ている。似ているが、それよりもなお強烈でひなたの耳にも突き刺さる。
ひなたはゆかりを見る。その音に耐え切れず、耳を塞いでいた。シリンジの哄笑が入り混じる。
「さぁ、【廃材】たちのオーバードライブ実験の開始だ!」
シリンジの狂った笑みに呼応するように、横たわっていた廃材が静かに体を起こし始めたのだった。