30「重大なエラー発生」
「宗方さん、そうきたか」
茜は小さく呟いて、モニターを見やる。【限りなく水色に近い緋色】の不安定稼動は想定内であり、その為に支援型サンプル【デバッガー】は存在する。彼女に限らず、心理因子の欠落による不安定稼動は珍しくない。【実験室】は研究者有りきの組織であり、能力者開発の成果主義に傾倒している。言ってみれば、遺伝子研究の少ない成功例に依存しているのだ。
それは能力が無い者は【廃材】と切り捨てる、実験室の傲慢と言ってもいい。室長フラスコは選ばれた人間だけが得られると豪語するが、彼もまたエメラルド・タブレッドを解析できていない。結局はフラスコもエメラルド・タブレットに選ばれていないという事に他ならない。
茜がひなたに投げかけた言葉は、励ましではなく煽りだ。ある意味では功を奏したと言うべきだし、ある意味で宗方ひなたは危うい、と思う。そこを爽がどうケアしていくか、という意味では興味深いが――嫉妬もする。爽というサンプルに感情移入をし過ぎなのかもしれないが、現状、想定したプログラムから逸脱した行動を二人は取る。
爽がひなたのことを思い出している事は、バグの範疇として捉えてもいい。だがひなたの記憶が彼に対して鮮明なのは、バグでは済まされない。エラーの領域と言ってもいい。彼女は爽の事を鮮明に憶えている、それが重大なエラーなのだ。
そもそも今回は第一次接触実験でしかなかったはずだ。実験室の関与は想定内。桑島ゆかりというサンプルは予想外だったが、特化型サンプルとしての二人の相性診断としての初期試験は滞り無く終了するはずが――今回の実戦投入だ。
『そろそろ、二人にも素敵な青春を送らせてあげたいじゃない? お姉ちゃんは冷や冷やモノだろうけど』
シャーレの人を呑むような笑顔。
問題はパスコードをシャーレとスピッツが意図的に解除したのか。ひなた自身がプロテクトを解いたのか、だが。そこは考えていても仕方が無い。どちらにせよ、【実験室】は邪魔だからいつか潰さないといけないし、計画が早まっただけ。そう思うしか無い。
――いいんじゃない? どっちにせよ実験室をぶっ潰さないと、ひなたちゃんには未来は無いし。
そう言ったのは茜だ。その茜自身が躊躇しているのもまたオカシナ話だ。選択肢は無い。そして時間も――と、情報処理室のドアが開く。入室できるのは感覚撹乱プログラムの遺伝子解除キーを設定した対象者のみ。故に茜はデイスプレイから目を逸らさず、来訪者を迎え入れる。
「ようこそ、遠藤さん」
「……トレー、貴方という人は」
不快感を隠さず、遠藤警部補が茜を睨む視線を感じたが、茜はあえて目すら向けない。遠藤の監視システムをハッキングした以上、彼が茜を探さない理由は無い。まして今回の図書室への亂入は【弁護なき裁判団】主導なのだ。シリンジまで出てきた事は意外だったが、好奇心旺盛な彼の事だ。興味を示す事は容易に想像できる。
だが、遠藤から発せられた言葉の方が全くの予想外で、茜は思わず呆けて遠藤の顔を見てしまった。
「ひなちゃんを煽ったな」
その目の真剣さと、さらにハッキング中の【弁護なき裁判団】の監視システムがエラーログを叩き出す事に驚いて、声にならなかった。
【システム『弁護なき裁判団』に重大なエラー発生】
【自動修復します】
【修復できませんでした】
【退避システム始動。『No.E』のリンクを一時的に切断します】
【Enter】
「遠藤……さん?」
茜は目をパチクリさせる。何が起きているのだろうか? 遺伝子実験監視型サンプル【弁護なき裁判団】の番号有り、【No.E】である彼に起きた重要なエラー。それは明らかに、宗方ひなた絡みである事は間違いなく――――。
(弁護なき裁判団がオーバードライブとか勘弁してよ?)
自身が組み上げたかつての遺伝子特化型サンプルを思いながら、茜は小さく息をついた。