25「遠藤警部補と川藤巡査部長」
トンと、目の前に置かれた【モノ】に、ひなたも爽もゆかりも目を丸くするしかなかった。
「事情聴取とは言え、あくまで形式的なものだ。まぁこれでも食べて、くつろいでから、さっさと終わらせようじゃないか」
とむしろどうでもいいとでも言いた気な空気を醸し出しながら、県警捜査一課所属の遠藤遼警部補はニンマリと、ひなた達に笑顔を送る。
「これって……」
「カツ丼だ」
遠藤はニンマリと笑う。遠藤以外のため息だけが、取調室に響いた。
「なぜ、 川藤君までため息を付く?」
と部下である巡査部長にまで呆れられているあたり、彼の奔放さを物語っているが、爽は自身のペースを見失わないよう冷静になるように努めた。
色々と思う所もあるが、今は波風がたたないようそれだけを考える。実験室と日本政府は少なからず繋がっている。県警とは言え、公的機関にひなたの存在が認知されるのは芳しくない。少なくとも調書にひなたの名前が載る。爽はどうしてもそれを意識してしまう。
「事情聴取と言えばカツ丼はセオリーだろ……」
遠藤はまだ言っている。川藤はもう一つため息をつくと、調書を広げ始めた。
「氏名と住所から確認しますね、君が水原君だったね。ちょっとそれぞれ名前から書いてくれない? 漢字間違ってもいけないので」
「ちょ、川藤君、なに始めちゃってるの?!」
「警部補がふざけすぎるからです」
「いや緊張させちゃったらかわいそうじゃん? 形式的とは言え、怖い想いをしたのは彼女達なんだしさ」
「論外です。警察官の任務で形式だけなんてありえません。警部補の発言は職務怠慢意外の何ものでもありません」
「だけどねぇ、当の誘拐犯が国民国防委員会と思われる集団に回収され、誘拐は未遂で終わった。そもそも事件は発生していないんだよ? あ、棒付きキャンディい――」
「いりません。業務中の菓子並びに飲食は控えてください。僕らが公僕である事を警部補はもう少し意識をして頂きたいです」
「特務3係に公僕を意識するような仕事はこないよ、川藤君」
「それは警部補次第だと僕は思っていますが?」
「そのプレッシャーきついし、重いよ」
「未然に事件は収束したとは言え、第二の事件に発展する要素は十分です。羽島みのりちゃんの保護は急務です」
と川藤巡査部長は羽島の娘を見やり言う。
「事件になっていないのに?」
「それを判断する為の事情聴取だと思いますが?」
「いちいち君は真面目でつまらないよ」
「お褒めに預かり光栄ですよ、警部補。ご許可を頂いたとみなし、聴取後、捜査一課の協力を打診すべきだと思います」
息があっているのかあっていないのか、ひなたはそのやり取りのクスリと笑みを零した。ゆかりは呆れ半分、苦笑半分だ。一応、爽も微苦笑で応じてみせるが、警戒は解けない。時々、遠藤警部補が送る剣呑な視線を感じずにはいられないのだ。遠藤と川藤、二人の関係は噛み合っていないようでいて、絶妙に歯車が噛み合っている。その一挙一動で、相手をいかに翻弄させるか。全てはそこに尽きる気がする。
「まぁ前口上はこのくらいにして、事情聴取を開始させてもらおうか」
と調書にそれぞれの名前を書き進める。
「他の二人はいいとして、ひなたちゃんの携帯電話の番号を――」
「警部補?」
目を細めて遠藤を見やる。
「い、いいじゃないか、川藤君! ひなちゃんは、僕の好みにどストライクなんだよ! 女子高生にときめく男を時として 漢と言う!」
「言ってもいいですが、変質者リスト入り確定ですから、ゆめゆめお気をつけください。それと、そこの水原君を敵にしてしまったようですが、僕は知りませんからね」
爽は冷静に努めていたが、川藤に察せられるぐらいには、ひなたが絡むと冷静を失うらしい。反省する反面、いかにして遠藤警部補を爽のもてる能力を駆使して機能不全にしてやろうかと普通に考えているあたり、自分も物騒だな、と思う。
「保育園での誘拐犯の立て篭もりに偶然遭遇した経緯を聞かせてくれ。あ、形式上だからね」
と遠藤は気怠そうに――目を光らせて聞く。
「本当にただの通りすがりですよ。大きな声が聞こえたので」
ここからは爽の番だ。
「その声はなんて言ってたかな?」
「悲鳴、だったかな。今となっては、よく覚えてません」
爽は思案する素振りで言う。いきなり畳み掛けて揺さぶるか。遠藤警部補は全くの遠慮は無いとみれられる。
「すぐに警察に通報するという選択肢があっても良かったはずだ。どうして高校生が突入なんて危険な事をしたんだ?」
「急がなきゃ、と思いました。どんな事態なのか、知るよしもなかったので」
「同時刻、正体不明の――言ってみれば逆探知不可な高技術ハッカーが、県警ネットワークに接続をし、情報閲覧をしてきた。結果被害はゼロだったが、心当たりは?」
爽は内心、感心して口笛を吹く。遠藤警部補はとんだ食わせ者だ。サイバーテロの捜査にまで精通している。この短時間での情報収集に、羽島への追跡を含めて、何かしらの【噛み】があるのは間違いない。
だが、それを顔に出す訳にはいかない。爽はきょとんとした顔で。
「はぁ……?」
と首を傾げる。遠藤は、無言で爽の表情を読み取ろうとしており、川藤は調書にひたすら記載をしていた。
「ところで桑島さん」
いきなり遠藤はゆかりの方を見て言う。
「保育園の施設を包み込むように電気反応があったんだが、あなたは何か知ってますか」
ゆかりは固まった。マズイ────と爽は思う。そして、やはりとも思う。この刑事たちは何もかも情報を収集した上で揺さぶっている。一見、遠藤はオチャラケて、ひなたに惚れたという尻軽さを見せる。その上で、まるで無関心を装っていた、ゆかりに向けて核心をつく。公的機関と実験室が繋がっているのは、非公式な事実だ。むしろ日本政府は、実験室のテクノロジーに頼りきっている面もある、と【あの人】は言う。情報収集のスピードの速さも頷ける。
だからこそストレートな質問を、情報戦を性格的に不得意とするゆかりに対して、露骨にぶつけてきたのだ。
ゆかりが固めた拳から青白く発する光が抑えきれず――
と、トントンとノックする音で、視線がゆかりの手に行く事はなかった。爽は静かにゆかりの手を握り、能力のブレーキをかけた。
それを見ていたひなたが不安に耐え切れなくなったのか、火花を両手から散らせるのが見えた。爽は迷わずひなたの手も握る。
(ダブルでブレーキか、勘弁してくれ)
爽は内心のみで愚痴をこぼす。表情は変えない、絶対にだ。だが、とも思う。能力が未知数にしてコントロールに苦慮していたひなたは、爽の能力によるコントロールがあったとは言え、転校して来てから寧ろ安定しすぎていたのだ。その反動は充分考えられただけに、自分の見通しが甘いとも言える。
だが当の刑事二人はそれ所ではなかった。一人の女子高生が彼らの許可を待つこと無く、慣れた様子で入ってくる。ひなたと同じ制服で、リボンタイの色が違う事から、同じ学校の一学年上というのはひなたでも分かったが――爽は言葉を失う。冷静さはとっくに欠けてしまっていた。
「爽君?」
ひなたが首を傾げる。ゆかりはやや好奇心と好戦的な目で来訪者を見ていたが、当の来訪者である彼女はお構いなく、刑事達に目を向ける。
「うちの爽君がお世話になったね、遠藤さん。川藤さん」
小さく笑んで、彼女が言うのと
「……姉さん」
と爽が呟くのは同時だった。ひなたとゆかりは目を点にするしかない。
「――トレー」
と遠藤と川藤が同時に、音が何一つぶれる事なく、まるで機械的に発せられたのを、確かに爽は聞いた。
「水原茜で呼べって言ってるのに、毎度頭が悪い。僕は少し機嫌が悪いんだけど、 解体してもいい?」
その言葉だけで戦慄させるのに充分で。川藤は無表情に調書をしまう。遠藤は露骨に不機嫌な表情で天井を睨んでいた。
「遠藤さんと川藤さんなら事情聴取の必要もなく、情報分析が済んでいるでしょ? それ以上の揺さぶりは、単なる恐喝でしか無いと僕は思うけどね。選挙権を持たない非力な高校生だけど、僕と爽君なら君達の情報を白日のもとに晒す自信があるよ。お互い、無傷でいられないという選択もいいかもね、遠藤さん?」
水原茜はにっこり笑っていった。それから、と付け加える。
「羽島みのり嬢に関しても、こちらで保護させてもらうね」
「それはあまりの身勝手過ぎないか?」
遠藤が呻いた。
「監視システムを使えばいい。今の僕の拠点は把握済みでしょ? 問題は無い。何かあれば随時コチラからメールでレポートを送るし、遠藤さんと川藤さんの協力も期待したいしね。日本の警察官の中でも、遠藤さんと川藤さんが優秀なのは知ってるから、期待してるよ」
そう水原茜は言い捨てて、笑顔で部屋を出ていこうとする。爽は脇目も振らず姉と名乗る少女を追いかける。ゆかりが、みのりの手を引きながら慌てて続き、そしてひなたも――出る前に振り返る。刑事二人の目は、電池が切れたように空虚に見えたのは、ひなたの気のせいだったのだろうか?
ひなたは慌てて、爽達の後を追いかけた。
【システムをレベル2に上げ、ターゲットを監視します】
【トレー介入をフラスコへ報告。あわせて回収した廃材の状態チェックを急げ】
【現在、第3研究所にてシリンジが調整中です。フラスコより第二次計画書がシステムに送信されてます。多重暗号化の為、現行ネットワークでは解凍できません。】
【メインシステムに再送。戻り次第、検討に入る。それまではトレー・宗方ひなた・水原爽・桑島ゆかりの監視に注力とともに、トレー以外の戸籍データ、生活歴を検索】
【了解しました】
【実行せよ】
【Enter】
接続が切れるのを確認し、遺伝子実験監視システム【弁護なき裁判団】は、舐めていたキャンディを噛み砕く。同じように遠藤が、川藤が、同様にキャンディを噛み砕く。
がりがりがりがり。
キャンディのように砕いてやる。
そう呟いたのは誰だったのか。
無機質な音が響き、三人とも目の焦点を失いながらも同じ動作、同じ行動を繰り返し――その動きは唐突に止まったのだった。