20「任せて、水原先輩」
桑島ゆかりはニンマリと笑んだ。些細な幸せを噛み締めながら。
廃工場の前で、拳を固める。その度に無意識に青白く放電された。
保育園とはまるで別物のように、力がみなぎる。これはブーストではなく調整だと言う。爽が外皮から遺伝子情報に接触、遺伝子レベルで調整をするのだ。実験室の実験体には少なからず、研究者の調整を必要とする。そして廃材であるという理由で、ゆかりは放置され過ぎたのだ。爽の計算でいけば、廃材・羽島への電気ショックは、筋力局所強化があったとしても活動停止に追い込む事ができたはずだ。それができなかったのは、未調整により能力稼働の効率が悪かったに他ならない。
だが、ゆかりとしては、爽に手を握ってもらった、それだけで勇気を貰った気がする。これなら行ける! 躍動する心を抑えるのに必死で。
「俺はあくまで支援型サンプルだから、完全な調整はできない。方が付いたら、本格的な調整を手配するから。ちょっと気になる事もあったし。ひなたもね」
「うん!」
「……うん」
快活に頷くゆかりと、複雑そうな表情で頷くひなたと。ひなたは爽の服の裾を微かに引っ張る。爽はさり気なく、一瞬だったが、ひなたの手を握る。
ゆかりはそれを見ない振りに徹した。
爽は多分、自分の欠陥について知ったのだ。ゆかりが 廃材として抱える爆弾について。実験室の研究者達が自分を廃材として放棄した日から、覚悟はしていた。
自分はその代償の代わりに、報酬を得たのだ。もう悔いは無い。そう思っていた。けれども、せめて水原爽にほんの少しだけ手を伸ばせたら――それが今日、些細かもしれないけど叶った。だから本当に悔いは無いと思う自分がいて。
その反面、多分ひなたは自覚していないが、その心に宿したのは無自覚なヤキモチで。幼い嫉妬未満なのは間違いなくて。ひなたは自分のライバルだ。本当なら蹴落としてでも、爽の隣に行きたいはずなのに、ひなたを傷つけてまで奪うという事を考えられない自分は、なんて甘いんだろうと思う。
ひなたの考え方が伝染したのかもしれない。
ひなたは甘い。手を伸ばして、目にとまる人を助けたいと言う。
それは危害を加えたゆかりであり、そして今回は廃材・羽島であり。
ひなたは実験室という組織を知らなすぎる。その中核で、ハーザード級極秘プロジェクトとして研究された、特化型サンプルであるはずなのに。戦意というものがまるで欠けていながら、意志が強い。
それがゆかりに手を伸ばしてくれた、ひなたという存在だからこそ。
実験室の【廃材】として残された時間が少ないからこそ――ひなたに生きる術を教えたい、そして爽の力になりたい。それはゆかりの偽らざる本心で。
「桑島」
爽の声は合図で。無造作に指を鳴らす。ひなたとゆかりにブーストをかけて。
「不具合は?」
「今のところ、無いかな?」
ぐっと拳を握る。電流が青白く奔る様からも、自分のアドレナリン分泌量の増加を実感する。
「ひなたは?」
「大丈夫、だと思う」
ゆかりを真似て拳を握る。その手から真紅の炎が渦巻く。ひなた本来の能力、【限りなく水色に近い緋色】の 発火能力。揺るぎない朱色の焰が美しいと思う。だがこの炎が爽を焼き、実験室を一時的に壊滅させた現実があるが、爽はまるで気にしてないようで――寧ろ、その炎を愛おしいように見やっていた。
「爽君?」
「水原先輩?」
ひなたとゆかりに視線を向けられ、ほんの微かに笑みを零す。
「ひなたは心配をしない事。自分の力を信じて。羽島を救うんでしょ?」
コクリと頷く。
「桑島は無理するなよ? ひなたと俺を頼っていいから。その上で、ひなたを助けてあげてくれ」
ゆかりは、きょとんとした顔で爽を見る。水原先輩は、憧れの人だった。距離が遠くて彼のことを何も知らないし、今だって水原爽という男の子の事を少しも分からない。でも彼にとってひなたがどれだけ大切な存在か分かる。それが痛いと思う時もある。でも、自分の中でもひなたを大切に想う自分がいて。
自分はなんでこの場所にいるんだろうか?
――実験室に抗う為?
――水原先輩を助けたいから?
――ひな先輩の力になりたいから?
――せめてこの命、最後は綺麗に輝かせたいから?
――同じ廃材として、羽島を助けたいと思ったから?
――手を伸ばしたいから?
思索しても答えは出てこない。ただ満たされる自分がいる。そして羽島の娘の泣き顔が瞼にちらつく。そうか、と思う。自分の体を売ってまで守りたかったモノと似ているのかもしれない。
(お父さん)
もう居ない人の事を思う。結局は守れなかった。自分の体は廃棄されるだけ。それでも爽は、自分の体を気にかけてくれた。今はそれで良い。
だから、ゆかりは明るく笑った。
「任せて、水原先輩」
水原先輩もひな先輩も私が守る。せめて一回ぐらい、誰かを守らせて。泣いていた女の子、あなたの事もお父さんの事も守るから――。
ひなたの火花と、ゆかりの電流が一緒に弾ける。
それが決行の合図だった。