第94話 パリ① 芸術の都
申し訳ございません。投稿できてないのに今更気づきました。
前話で一度アメリカに戻っているのは大丈夫かという感想がありましたが、時間は大丈夫です。
史実のチェス大会が8月で、この話が11月半ばになります。9月の半ばから一度アメリカに戻り、コロンブス・デーあたりでアメリカ滞在。少ししてまたイギリスに渡り、11月に再入国。そして11月の終わりが現状です。その間、素材の収集やロンドンの科学協会にある最新設備での試作など、主人公にできないことをスワンがしています。
フランス パリ
寒さが厳しいパリで、久しぶりに使節団と再会した。といっても1週間もすれば彼らはオランダに行ってしまうのだけれど。
使節団が行ってしまうその前に、使節団が参加する各国公使を招いたパーティーに参加した。といってもフランスは普仏戦争に負けて混乱が続いているため、あまり多くの国が参加していないのだけれど。
話をできたのは駐仏オーストリア公使と駐仏イギリス大使くらいだった。まぁ挨拶できただけで御の字だ。その後、主宰側であるフランスの要人にも挨拶ができた。オーギュスト・カジミール=ペリエ前内務大臣と岩倉卿たちが挨拶をする中、俺は彼の息子であるジャン・カジミール=ペリエと名刺交換ができた。
軽い挨拶だけだったが、縁ができただけこちらも良しだ。挨拶回りを終えて林董殿の食事をしているテーブルに戻ると、彼はホワイトソースのかかった魚料理を美味しそうに堪能していた。
「敬殿が元気そうで何よりだよ。それで、何をしてきたんだい?」
「未来が明るくなりましたよ」
「相変わらずよくわからない物言いだ」
「もうすぐわかりますよ」
「まぁ、敬殿がそういうならそうなのだろう。作った名刺も役立ち、先月あった外務省との式典でも恥をかかずに済んだ」
「おお、それはそれは」
「食事のマナーもフランス人からは意外だと褒められたし、爵位の説明である程度丁重に扱われたしな」
「つくっておいてよかったですね、華族の爵位制度」
「2年前から貴殿が必要性を新聞で申していた意味がわかったよ。態度がまるで違ったからな」
董殿は幕臣出身だが、岩倉卿だけでなく使節には公家出身者も多い。西園寺公望も留学中だ。彼がフランスで身分を名乗る際に侯爵子息を名乗るよう伝えたそうで、そういう扱いの差が出にくい効果がある。
「フランスでは何をするのだ?オランダにはついてこないのだろう?」
「ちょっと絵を買おうと思いまして」
「絵?」
「ええ」
世界の名画が日本にあれば、芸術の発展にもいいと思うのだ。
♢
2日後。ブリュッセルに向かった使節団を見送った。
そのまま見送りに加わっていた留学生の中江篤介とパリの町中を歩く。
「貴殿の薦めてくれた通り、この『法の精神』は素晴らしい内容だった!」
「それは何よりです。翻訳して国内で販売したいのですよねぇ」
「是非すべきだ。わが国にはこうした新しい教えを紹介できる本が足りない」
「ええ。そして西洋の文学も足りません」
「西洋人の考え方を知るなら文学、だったか。それも間違いない」
「というわけで、まずは文学者です」
篤介に案内してもらい、事前に調べてもらっていたエミール・ゾラの家にやってきた。
個人情報保護法が存在しない世界でないとさすがにわからなかっただろう。
「事前に彼の作品は読んだ。素晴らしい内容だった。会談の許可をとった時もその思いは伝えてある」
「快諾してくれてよかったです」
「では行くとしようか」
手土産にフォシエのビスケットを用意し、エミール・ゾラと対面した。細かいニュアンスは現地でフランス語を使っている中江に通訳をしてもらいながら日本で出版させてほしいと伝えると、かなり嬉しそうに許可してくれた。まぁある程度の文字数なら1作品ごとに50円、250フランの契約をしたのだ。日雇い労働者の半年の収入くらいの金額である。これだけでは食べていけないが、今までに加えてこの収入が入れば暮らしは十分楽になるだろう。
『まずは8作品、2000フランで契約としましょう。こちらが現金になります』
『おお、ここにサインすればいいんだな?』
『はい』
特に問題なくサインしてもらえた。奥さんが収入確保のためにも是非とかなり乗り気だったのも決め手だ。
『今後は新しい作品が出るごとに日本公使館に手紙で連絡をお願いします。手紙を出すのにかかる費用はこちらもちで大丈夫です』
『まさかアジアの国に私の作品を理解できる者がいるとはね。中江君との出会いはとても刺激的だったよ』
『彼は日本にルソーとモンテスキューを広めたいと願う啓蒙者ですから』
『いいね。機会があれば日本にも行ってみたくなったよ』
彼は満面の笑みでそう言った。だが奥さんが何か言ってちょっと肩をすくめていた。
『後、フランスの最先端の絵を買って帰りたいのですが』
『ほう、ならば私の友人が良い絵を描いている。明日一緒に彼のところに行こうじゃないか』
『助かります』
握手をしてその日は奥さんともども一緒にご飯を食べに行った。彼はかなり上機嫌にワインを飲み、チーズを堪能していた。本場のチーズは流石に美味しかった。
後で奥さんに言われていたことを篤介に聞いたら、『まずは毎年1本面白い作品を書いて金を安定して稼げ』みたいなことを言われていたらしい。確かに未来で文豪とされていても、今は貧乏暮らしだ。今回の契約で少しでも暮らしが上向くことを願うしかない。
♢
パリ郊外のポントワーズと呼ばれる集落にエミール・ゾラと中江篤介とともに向かった。ゾラが先に家に入り、その後2人で入った。
そこにいたのはポール・セザンヌ。2人はこちらで用意した土産のビスケットをつまみながら話をしていた。
「どうやら紹介してくれているようです。金払いのいい日本人と」
「まぁ間違ってないですね」
交渉は割とスムーズだった。日本で最先端の芸術として自分の作品が紹介されるなら嬉しいということだろう。セザンヌの絵を2点買うことが出来た。どちらも品評会などに出したものではないそうだが、両手で持つようなサイズの絵だった。1枚150フラン。2枚300フランで60円の出費だ。
『日本と言えば、浮世絵は持っているか?』
『ええ。こちらもう1つのお土産にと』
日本で販売している新聞の一部に絵を描いてもらうことがある歌川芳幾の描いた作品を4つ持ってきていた。渡すと何か熱心にゾラに説明していた。最近日本の浮世絵がパリやロンドンで出回りだしているので、そのあたりの話だろうか。用語が専門的で篤介にもわからないそうだ。
そのままゾラが持ってきたワインを飲みつつその日の昼を過ごした。真昼間から酒を飲むあたり、芸術家だなぁと思ってしまった。
交渉が終わり、12月に入ったところで1度アメリカに戻った。クリスマスを麻子様と過ごすために。年越しを一緒に迎えたら、また戻ってこないといけない。パリにはもう一仕事残っているのだ。岩倉卿ら使節団は年越しをハーグで迎える予定だ。気づけば丸1年以上海外生活。琉球の問題もうまく処理できたし、電信をかなり頻繁に使っている分留守政府と状況理解であまり差が生まれていなければいいのだけれど。
歌川芳幾は本来東京日日新聞の絵を担当するのですが、東京日日新聞設立はなくなっているので、主人公の新聞で手伝っています。
セザンヌは接触するためのルートが割とわかりやすい上に居場所が特定しやすいのがいい人物です。
パリ編は中江兆民と西園寺公望の協力で進みます。




