第87話 ニューヨーク② 異国の宗教とハリマン一族
文章チェックで少し時間がすぎることが多くて申し訳ございません。
感想でいただいた陸海軍の件ですが、そもそも大村益次郎が生き残っている関係で組織上分かれても軍制の統括は大村が今はしています。山県有朋は彼の生存で史実程表には出てこられません。逆に、大村がいるので主人公が少々提言しても採用されないという面もあります。
アメリカ ニューヨーク
シフと別れた後、そのままウイリアムとマンハッタンにあるスタインウェイ・ホールという楽器店に向かった。ここのグランドピアノを4台購入し、盛岡・東京に2台ずつ送る。盛岡の1台は日新堂に、もう1台は南部の盛岡屋敷に置かれる予定だ。東京のものは1台がうちに、もう1台は森殿の依頼で延遼館に運ばれる予定だ。日新堂のものは西洋音楽の普及・教育を目指すために利用される予定だ。
『ウイリアムはピアノを弾いたことありますか?』
『ありませんね』
『ピアノが弾ける人を雇わないといけませんよねぇ』
『そういう伝手はないですからね』
そういう技術をもった人材は教会を利用するか大金を積むしかないだろうか。教会はある意味人材の宝庫だ。宗教的使命感もあって布教とセットなら日本にも来てくれる。この時代のキリスト教は宗教改革を乗り越えて大分マイルドになっている(といっても前世の時代ほどではないが)し、実際日本にもプロテスタント系の牧師やカトリックの司祭が入国してきている。ちなみに、五榜の掲示では普通のキリスト教の禁止が掲げられなかった。これをすると外国の印象がかなり悪くなることを大政奉還前から外国の紹介の中で訴え続けておいたからだ。俺が変えた直接的な歴史の変化で現状最大のものかもしれない。
『そういえば、フォスターさんが貴方の奥さんを神学校の見学に行かせると言っていましたよ』
『麻子を?』
『ええ。オーバンの神学校は1回見学する価値がありますからね。イエスについて、貴方以外の日本人は知らなすぎる』
『まぁ、聖書の存在すら知らないのが日本人なので。でもそれは、幕府が貿易を制限する前に外国語聖書を認めなかったからでもありますよ』
『確かに、当時のローマ教皇はラテン語聖書にこだわる愚か者でしたからね』
プロテスタントであるウイリアムはローマ教皇とカトリックに対して辛辣だ。
『日本がポルトガルやイギリスと交易をしていた時代に日本語の聖書があれば、印象は少し変わったんでしょうけれどね』
『まぁ、イエスの教えを広めるかどうかは教会が考えることです』
宗教的情熱ではなく金儲けのために日本まで行くウイリアムだから、布教とかは興味なさそうだ。
『せっかくなのでタカシさんも行ってみては?日曜日と言っていましたよ』
『そうですね。次の日曜は仕事もないし』
麻子様も1人で新しい場所に行くより俺がいた方が安心できるだろうし。
『とりあえずマンハッタンの用事は終わったし、税関に行きましょうか』
『少し遠いですが、大丈夫ですか?』
『先に昼食をとってからにしますか。用事はさくっと終わりますし』
大量に持ち込んだ辞書について、外交用の贈り物とする分以外をどうするか少し問題になった。カリフォルニアの税関は判断ができず、ニューヨーク税関に対応を一任した。その結果が最近出たらしく、今日はその話を聞きに行くことにしていた。
『あと、例の作家も今日は税関で働いているそうだよ』
『話が終わったらウイリアムが食事に誘ってくれますか?』
『わかった。日本での出版権を確保すればいいんだね?』
『ええ。食事代はこちらで出します。家族も一緒にどうぞ』
嬉しそうなウイリアム。自分に利益があればある程度面倒な仕事でもしてくれるのは助かるかぎりだ。そしてこれでアメリカ三大文豪の1人であるハーマン・メルヴィルの作品について出版権を確保できる。『白鯨』や『代書人バートルビー』を日本語訳で出せれば確実に売れる。
♢
日曜日。麻子様と一緒にフォスター家の案内でオーバン神学校に向かった。午前中に礼拝に参加し、その雰囲気を味わう。学校で学ぶ若い牧師の熱意はあるが早口な話に麻子様は終始聞き取れず困惑していた。俺でさえところどころ聞き取れなかったのだから、このあたりは現地で生活でもしていないと厳しいだろう。
フォスター夫人も少し申し訳なさそうにしていた。まぁ教会とは厳密には違うし、若手の育成場所でもあるのだから仕方ない。その分、彼らの宗教的情熱の高さは見られた。そういう意味では来た意味があった。麻子様も西欧文化の1つに触れたことで、貴重な経験になっただろう。
「しかし、この図書館という場所はすごいですね」
「日本にはまだないですからね。とりあえずは国有図書館からかな」
「国有図書館?」
「ええ。日本中の古文書を保管したり、出版された新聞や本を全て保管する場所です。日本の知が全て集結する場所ですね」
「それはすごいでしょうね」
「本の管理技術や修復技術の研究もそこで行っていく感じです。徳川将軍家や南部家の文書なども、写しを保管して後世に残していくのが理想ですね」
まぁ、国会図書館を早い段階で整備するのはしたいところだ。どうしたって費用がかかるものの、後々のためにはどこかのタイミングで進めていきたいところだ。
オルガンらしき調べがまだ教会から聞こえた。おそらく練習している神学校の生徒がいるのだろう。ふとフォスター家の面々を見てみると、神学校の生徒と話をしていた。
『どうかしましたか?』
『タカシ殿。いや、彼が荷物を落としたので拾うのを手伝っていたんだ』
どうやら紙束を地面に落としたらしい。長女のエディスが紙束を学生に渡していた。学生の年齢は俺とあまり変わらないくらいだが、笑顔のエディスに照れくさそうにしながらお礼を言っていた。
『私、エディス。名前は何ていうんですか?』
『アレンです。アレン・メイシー・ダレスと言います』
エディスが土のついたアレンの袖を手で払っているのをフォスター夫妻が笑顔見ていた。エディスは割と熱心にさっきの日曜礼拝にも参加している。学校の勉強はそこまで好きではないようだが、色々な教会に行ったり礼拝に参加したりするのは好きなようだ。
「しかし、礼拝の最中も女性が色々手伝っていましたね」
「まぁ、アメリカは日本より女性の社会進出が進んでいますからね」
それでも参政権はないわけだが、第一次世界大戦あたりで女性参政権の運動も活発化するんじゃなかったかな。このあたりは流石に知らない。
「そういえばサンフランシスコで会った大学理事の奥さんが女性の政治運動家って名乗ってましたね」
「メアリー・ウッド・スウィフトさんですね。旦那様は名刺をいただいたのでは?」
「確かに、女性で唯一名刺を持っていた方でしたね」
まぁ、女性の参政権運動をしている人の意見が聞きたくなったらメアリー女史に相談すればいいということだろう。俺の生きている間にそこまで準備ができるのかと言われると難しい気はするが。
「まずは女性の教育体制の整備ですね。最初は華族主体にはなるでしょうが、女性教育の場を国が主導して整備していかないと」
「頑張ってくださいね」
「いや、まぁ、はい」
やることが多いから手が回るかわからないけれど。少なくとも、麻子様が学んだことを生かせる場を用意するくらいは頑張らないといけないだろう。
♢
冬の終わり。北海道から兄が試作して届いた物を手に乾物商ロウ・ハリマン・カンパニーに向かった。ウイリアムを通じて用件は伝えてあったため、店舗の責任者が応対してくれた。同席をお願いした医師のジェームス・ケイレブ・ジャクソン氏には事前に味見などもお願いし、その保証をしてもらっていた。
『こちらが日本の米を使ったフレークですか』
『はい。玄米フレークと名付けてあります』
フレークが流行りだしたタイミングなのをウイリアムの調査で知った俺は、昨年から兄に試作品を作ってもらっていた。玄米を加熱・圧縮・乾燥などして製造している。玄米だけでなく、国内で栽培されている甲州ブドウを乾燥させたものや津軽地方で自生しているくるみを小さく砕いたもの、つなぎとなる白米も使っている。フレークを健康食としてジャクソン医師がここ数年に提唱し始めているのを、米の輸出拡大のために利用する形だ。昨年の収穫高は備蓄米の入れ替えなどで利用されたらしいが、今年は確実に国内で消費しきれない。イギリス向けの輸出額は昨年と一昨年でほぼ同額で、おそらく頭打ちになっている。米価の暴落を防ぐ意味でも、新しい輸出方法を考えていたのだ。
『瓶詰のフレークですか。価格を聞いた限り、庶民向けにはなりませんねぇ』
『確かに少し値段は高くなりますが、その分味と栄養は素晴らしいものになっています』
『レーズンとくるみですか。これに牛乳をかける、と』
実食してもらう。深めの皿にフレークを入れて牛乳を入れると、フレークに練りこんだ水あめとぶどうの甘みが少しだけ牛乳に移る。一方、フレークは牛乳を吸って少し柔らかくなる。責任者は味を確かめると、悪くないといった様子でうなづいた。他の人にも味見をさせようと小間使いに人を呼ばせる。
『私が食べたことのあるフレークは牛乳と合わせて食べやすいものの、味はそこまでといったものだった。これは美味しいですね』
富裕層向けで出せるかもしれない、と言う責任者。ジャクソン医師も『ただのフレークよりこちらの方が健康にいい』と補足してくれている。
少しして部屋に入ってきたのは意外な人物だった。この会社の社長であるオリバー・ハリマンだ。
『私も食べてみよう』
『いや、しかし社長』
『日本人とは言え商人の紹介で、しかも外交官でもある人物が詐欺のような商品は持ってこないだろう。それに、ジャクソン医師もこれを食べた経験があるはず』
彼はそう言って開けてある瓶の中身を新しい皿に入れ、牛乳をかけて食べ始める。
『ふむ。レーズンだ。レーズンがいい味を出している。それに、ナッツが食感を単調でなくしている』
そのまま皿に出した分を全てたいらげたオリバー氏は、こちらとジャクソン医師を見て歯をむき出しにして笑った。
『価格はこちらの紙か。悪くない。ひとまず200瓶ほど買ってみたい』
『ありがとうございます』
『しかし、フレークってやつはそこまで味がない代わりに気軽に食べられる物、というかんじだったが、こういう発想もあるのだな』
まぁ、レーズンやナッツを入れたのは完全に未来の発想だ。こういうアドバンテージは全力で生かすに限る。
『良い商品と思っていただけたなら何よりです』
『外交官ということは日本の使節団の一員だと思うが、若いのにこれだけ英語も話せるとは素晴らしい人材もいることだ。私の息子と1歳しか違わないじゃないか』
オリバー氏は最初の責任者に渡した名刺を見ながらそう言った。彼の息子は俺の1つ年下らしい。今はまだ学校で勉強中だそうだ。
『いえいえ、まだまだです。明日も視察で証券取引所に行って勉強させていただく予定で』
『ほう、ニューヨークのかね?』
『はい』
『証券取引所では私の甥が働いている。せっかくだから会って話をしてくるといい。私の名刺を見せれば、無視はしてこないだろう』
『それはありがたいです。働いている人の声を聞けるのは貴重です。ちなみに、甥ごさんのお名前は?』
『エドワード。エドワード・ヘンリー・ハリマンさ』
フィーッシュ。その甥と会いたかったからこんな日程にしたんだ。最高の出会いにつながるチケットを手に入れたぞ。
フレーク(シリアル)が発明されたのが1863年。それを知った主人公たちが米の輸出目的で玄米・白米を使ったフレークの輸出を目論んでいます。ただ、主人公的にはこれが成功しなくてもハリマン一族とコネがつくれればそれで良しとも考えています。水飴含む加工品でもある程度はなんとかなる上、インドへの輸出も視野に入れているので。
ハーマン・メルヴィルは完全に私の趣味。『白鯨』は面白い。
アレンは名前覚えなくても大丈夫です。将来のエディスの結婚相手というだけなので。




