第86話 ニューヨーク① 親愛なる未来の偉人たち
校正手間取って少し時間過ぎてしまいました。申し訳ございません。
アメリカ ワシントン
年が明けた。明治5(1872)年だ。本来の岩倉使節団はこの時期に太平洋を越えていたのだから、新年らしいお祝いはできなかったんだろうなどとどうでもいいことを思いついた。クリスマスのパーティーだけでなく、新年も麻子様とフォスター氏の家で迎えることになった。使節団の主要メンバーは滞在先のホテルで一緒に迎えていたようだ。天皇陛下万歳を三唱したそうだが、こちらではアメリカ人に日本の文化を教える意味で用意してきたミニ門松を飾った。さらに初日の出を見て、日本から持ちこんだ書道用具で書初めを行った。エディスとエレノアも挑戦した。麻子様は『勉学』、2人はひらがなで『え』『じ』と書いていた。エディスは学校で絵がうまく描けるようになりたいからで、エレノアは文字を書く練習を始めているからだそうだ。
その後、麻子様によるサプライズおせちがふるまわれた。食材が用意できる物だけなので、醤油と味醂は一瓶しかないからあまり色々作れなかったそうだ。
「作れる物だけ、水木と一緒に用意したんです」
「おー、伊達巻になますに、はまぐり?」
「似た貝が獲れるということで、それを代わりに」
「あー、ということは、ホンビノス貝かな」
ハードクラムと呼ばれる大西洋側のアメリカ海岸で手に入る貝だ。中身を取りだせばハマグリとよく似ている。日本酒がなかったので、白ワインで蒸したそうだ。結果的に西洋料理っぽくなっているのは面白い。ジョン・ワトソン・フォスター氏も美味しそうに食べていた。クリと黒豆も手に入ったそうで、栗きんとんと黒豆も美味しかった。
「これは恐らくタイなのですが」
「ほう」
「食べられるし、味付けもうまくいったのですが、縁起物になるかは」
「わからないか」
「名前が鯛とは限りませんし……」
「聞いてみるか」
フォスター氏に聞いたら、『金色の鯛』だと言われたのでまぁ鯛で大丈夫だろう。ということで不思議なおせちを楽しんで、麻子様とゆっくり過ごしたのだった。
♢
アメリカ ニューヨーク
年明けすぐ、ニューヨークで印刷局に使節団と一緒に訪問した。印刷局は政府系の印刷物の発行を管理している。今で言えばパスポートの発行や紙幣のデザイン決定などに関わる場所だ。日本の紙幣発行を進めるために、岩倉卿は見学に来ていた。一方、森殿や外交官はパスポートの確認や書式を学ぶために来ている。そのため全体視察をする岩倉卿たちは色々な場所をぐるっと回る感じだったが、森殿と一緒にこちらはパスポートの発行と管理などを学ぶためその部署だけで長時間説明を受けた。
そのまま岩倉卿たちは紙幣製造所を見学。紙幣を発行するのに使う機械も見学していくそうだ。一方、こちらはそのまま国務長官の部下の外交官と日本人の出入国についての話し合いとなった。どうやら、史実より日本人の移住者は少ないらしい。
『2年前の調査で24名の日本人がアメリカに移住しています。外交官を除けば長期滞在の日本人はアメリカにほとんどいません』
『不法入国者が少ないのは良いことです』
『逆に、長崎や横浜を経由する清国人を減らしたい』
移民が原因の移民排斥が起こるのは対米戦へのきっかけの1つになったことだ。現在は中国系移民である苦力が1600人ほどいて、あまり評判がよくない。その要因についてもアメリカ人側から州政府などに届けられた意見を教えてもらえた。最大の要因は、やはり『アメリカ化』しないことが理由のようだ。
『彼らは自分たちのコミュニティで生活し、髪型も統一され、他の移民と違って我々になじみません』
『教会のコミュニティには所属した方がいいですかね?』
『教会は常に開かれています。教会では神の下平等です』
宗教・文化・生活範囲の全てが既存のアメリカ人と違う中国系移民は、今までアメリカに来ていたどの国の民族よりも『アメリカ化』していないということだろう。日本人でも留学生でキリスト教徒になる人はそれなりにいる。しかし中国系移民のキリスト教への入信はあまりない。まぁ苦力自体が半奴隷的要素を持っているために現地になじもうとしないという部分はあるのだろうけれど。
『もし日本からアメリカに働きに出る者がいる場合、早急になじめるようこちらでも早めに手を尽くしましょう』
『我が国は常に誠実で理性ある人々を歓迎いたしますよ』
とりあえず、移住者用の法整備と既存の旅券からフォーマット固定のものへの変更、移住者向けのガイドブック配付あたりが現実的だろうか。郷に入っては郷に従え。そういう文化を大事にしたい。
理想は移民がでないくらい国内で雇用ができることだ。一方で移民の国アメリカでは、移民による文化理解の促進や商業的な理由、選挙へ影響を与えるという方法も必要になる。1924年の排日移民法には日本人と競合したイタリア系・アイルランド系移民によるロビー活動の影響があった。彼らは資金面や票数で議会に影響を与えられる。これだけなら移民がいなければ問題は解決するが、その分日本への文化理解が進みにくくなったり現地法人の設立などで面倒なことがおきたりする。バランスをとるのが難しいけれど、どうしたって出てくる問題ならばその芽は事前に摘み取らないといけないだろう。
1日中視察だった岩倉卿たちは「有意義だった」みたいなことを話していたが、随行員は連日協議(というよりはレクチャーを受けている感じだが)が続いている。俺は結構自由なポジションだが、各省庁の2等書記あたりは苦労しているようだ。
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岩倉卿ら使節団がワシントンで国務長官に演劇の鑑賞へ招待されたある日。俺はニューヨークに残ってハーバー新聞協会を訪問していた。ハーバー新聞協会はニューヨークの新聞5紙と提携して記事を提供している。今回は来月の岩倉卿ら正使の訪問前の調整のためだった。協会で応対してくれたのはローレンス・オーガスト・ゴブライト氏。大統領時代のリンカーンと親交があり、リンカーン暗殺時に劇場に駆けつけて速報を新聞各社に電信で伝えた人物だった。
『日本はまだ電信も民間で使えないし、新聞社は1つみたいなものと聞きましたよ』
『そうですね』
その新聞社が俺のつくった会社ですよとは特に言わないでおく。
『ただ、我が国では新聞各社が各地に社員を抱えて情報を集めるのは資金的に厳しいです』
『アメリカは広いですからね』
『その通り。全地域で売る新聞を作るには紙面を変える必要があり、手間も多い。だから各地の新聞社が記事を我々に提供し、各地の新聞社はそれを自由に記事にしてよくしたのです。そして、我々がそれをまとめる役目を負うのです』
前世の日本でもこういう新聞社があった。大手新聞社は独自に記事を集めるが、それができない地方新聞が大きいニュース記事を手に入れるために加盟するのだ。もっとも、このあたりは電信技術があって初めて成り立つものでもある。
『電信がまだ不完全ではこの仕組みは難しいでしょう。先に必要なのは電信の整備でしょうね』
『そうですね』
まぁ、電信の先の技術がもう少しで世間に出るんだけれど。
その後は普通に岩倉卿に見せる電信の活用法や日本人が知っているもの・知らないものなどを相互に確認した。存在しないものは説明が難しく、これまでも何度かそうした文化的・技術的な違いが視察の障害となっていることがあった。そうした障害を予め減らすことが俺の役目である。事前にうちで作った辞書を配付したり専門用語の説明を受けて日本語訳を創ったり。早めにコネクションをつくれることと、護衛を除けばほぼ単独行動ができるのでこの仕事はありがたい。
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翌日はアメリカで聖書の出版事業を請け負う聖書会社との折衝の後、空いた時間でニューヨーク・トリビューンという日刊紙の新聞社を訪問した。明日岩倉卿が訪問する会社との話し合いは聖書会社で終わっていたので、ここからは自由時間だ。
この新聞社、貿易商のウイリアムに調べてもらったところ、副編集長がある重要人物だった。ジョン・ヘイ。前世の歴史では日露戦争時の国務長官だった人物だ。中国に対する三原則を求めた対外積極派の人物だ。編集長のホワイトロー・リードとともにアポをとると会ってくれた。
ただ、会った最初は警戒感丸出しだった。
『君の奥さんがあのフォスターの家で学んでいると聞いているよ』
『はぁ』
『君は知らないだろうが、もうすぐ行われる大統領選、我々はグラント現大統領を支持するつもりはない』
『トリビューンは共和党系の新聞社だと伺いましたが』
『まぁ外国人の、それも君の年齢ではわからないだろうがね』
どうやら結婚している、ということでそれなりの年齢と思われていたらしい。公的な役職にも就いているし、ユリシーズ・グラント大統領から何か頼まれているのではと警戒していたようだ。ジョン・ヘイも口を開く。
『我々はユリシーズと対立している。彼の政策は何がしたいのかわからない』
『そうなんですか?』
『彼は最高の将軍だった。しかし、彼は南部派を糾弾しなかったし、だからといって融和をうまく進めてもいない』
グラント大統領が大統領になった理由は、南北戦争での活躍による。南北戦争で彼がつくりあげた戦略は兵站を整え、物量で敵を圧し潰すというものだ。一回の戦闘で敗れても、すぐに同じ物量でもう一度、もう一度と戦う。そして相手は勝利しても勝利しても苦しくなり、どこかで戦線が破綻する。第二次世界大戦で日本相手にとった戦略そのものだ。あれをつくりあげたのがグラント大統領といっていい。
しかし、彼は大統領の器ではないらしい。優れた将軍が優れた大統領とは限らない。まぁそういうことだろう。
『まぁ、君の訪問は特に大統領の意向がないのはわかった。うちで使っている印刷機やカメラのことは教えましょう』
『ありがとうございます』
名刺交換もして、ジョン・ヘイの名刺をゲットできた。調べた甲斐があった。この縁は間違いなく今後に生かせるだろう。
♢
翌日。この日俺は休みだった。朝食だけ麻子様と一緒に食べて、彼女を学校まで見送った。送迎の馬車でそのままマンハッタンに行き、ウイリアムと合流した。
『この前のフォード家の件といい、よくわからないことが好きですねぇ』
『まぁまぁ。古着の価格は知りたかったんですよ』
『日本で服を作っても、運送費で古着より安く売れませんよ』
『日本人の移民がアメリカで服を買う時の参考にするんです』
『だからといって、わざわざ屋台引きを1人探しますか?しかもユダヤ教徒とは』
調査費は払っているんだからいいじゃないか。
『話はタカシさんだけでするんでしたっけ?』
『ええ。その方が相手も警戒しないでしょうから』
俺がそう言うと、少し呆れた様子のウイリアムは馬車に乗りこむ。
『ならここで待っていますよ。私の護衛を連れて行ってください』
『ありがとう』
『目の前の通りを進んで2つ目を右です。今日はそこにいます』
ウイリアムはぶっちゃけ俺のおかげで相当儲けているから色々手伝ってくれているが、今後もしっかり利益を渡していかないといけないだろう。
教えてもらった通りの場所に、屋台で古着を売る男がいた。25歳くらいのまだ若い男性だ。
『おや、髪を結っていない清国人は珍しいな』
『日本人ですよ』
『日本人?知らないな。しかも英語が話せるのか。これは失礼した』
『いえいえ。日本は太平洋の向こう側の国です』
『そうか。で、その身なりなら古着が目的ではなさそうだな』
まぁ、スーツではないとはいえ新品の服を着て護衛がいる人間の来る店ではない。
『いやぁ、我が国の学生がそのうち頼るかと思いまして。価格を知りたいなと』
『金があるなら屋台より他の店の方がいいかもしれないぞ』
『金のない学生向けですよ』
『まぁ、客になるなら誰でも歓迎だ。キリスト教徒でも、ユダヤ教徒でもな』
『そうですか。ところで、お名前を伺っても?』
男は鼻の下に生えた髭を右手で少し撫でると、左手でこちらにポケットから取り出した名刺を見せながら答えた。
『シフ。ヤーコプ・シフとだけ覚えてくれればいいさ、日本人』
金色の鯛=ヘダイです。
清国人=苦力ですが、1877年までに2000人以上がアメリカに渡っています。彼らは主に西海岸と大陸横断鉄道の建設現場にいる状況です。場所が限定される分、自分たちだけのコミュニティを作れてしまう部分もあります。このあたりはキリスト教文化圏とそれ以外の文化圏という大きな括りでの違いも影響しているとは思います。
ハーバー新聞協会は現在のAP通信です。トリビューンは実質的に共和党のプロパガンダ新聞です。そのため、所属している人々には後に政界に進出していく人物も複数所属しています。ジョン・ヘイもその1人ということになります。
ジェイコブ・シフはこの当時ドイツからニューヨークにやってきたばかり。今はまだ何者でもありません。




