第83話 ミシガン 後世に説明できない種まき
色々の調整ミスとワールドカップの見過ぎで投稿遅くなりました。申し訳ございません。
アメリカ シカゴ
蒸気機関車でロッキー山脈を越えた。開通してまだ2年もたっていない大陸横断鉄道に乗り、長時間の鉄道旅を経て五大湖のそば、シカゴにたどり着いた。景色が流れていく様子をなんとなくで眺める俺と違い、麻子様は馬に乗るよりはるかに速く移動する様子を見て目を丸くしていた。
窓際を譲って正解だったなと思いつつ、わずかに香ばしさが鼻をくすぐる。石炭が吐きだす黒煙が後方に見える。石炭採掘か。そういえば北海道の鉱山開発は全然できていない。資金が足りないし会社をつくって元盛岡藩士や元津軽藩士をうまく取りこんで出資してもらい、周辺開発とセットで進めないといけないか。現状は筑豊炭田と釜石で使う釧路の石炭で手一杯だ。桜の樹の下から手に入れた(ということにしてある)地図でももう1か所石炭鉱山を伝えてあるので、そこは開発が進んでいるはずだ。
日本の金本位制通貨発行を支援することも考えるなら、金山開発も重要か。覚えている鉱山の開発を始めた方がいいだろう。盛岡藩出身者の北海道移住はあまり進んでいないので、津軽藩士の支援も兼ねて帰国後に手を出すか。そのためには鉱山で利用する機械類もここで買っておきたいところだ。
そしてシカゴに到着。五大湖の大きさは海のごとし、だ。水平線が見える湖というスケールは琵琶湖では難しい。日本ではなかなかお目にかかれないものだ。湖沿岸を使節一行で見学することになって、俺は麻子様に目の前のミシガン湖について話す。
「麻子、これが湖なんですよ」
「海にしか見えません」
「ここから北に、5つの巨大な湖があります。これをアメリカ人は五大湖と呼んでいるのです」
話を近くで聞いていた森有礼殿が、小さくうなづいているのが見えた。夫婦の会話だからと割りこんでこない様子だが、周囲でも数人が聞き耳を立てているのを感じる。
「そして、この五大湖周辺にはアメリカ躍進の原動力たる鉱山があります。メサビの鉄鉱、アパラチアの石炭。それらがこの一帯を工業地帯にしているのです」
そこに、森殿が頭にはてなマークを浮かべたような表情でつぶやく。
「はて、メサビ山に鉄……?」
え、もしかしてまだ見つかってない?さすがにアメリカの鉱山の歴史なんて知らないぞ。
「まぁ、とにかくこの一帯は水運も使って工業化が進んでいます。そんな工業化を我々も見習わなければなりません」
「旦那様が常々仰っている、殖産興業ですね」
「ええ。今の日本は服飾産業と製鉄業にまず手をつけています。私が製紙業・印刷業・化学産業を進め、建設業なども成長して来れば……」
「くれば?」
「少しだけ、この国に近づけます」
「近づけるだけですか」
「この国を舐めてはいけません。英米独露仏の五国は今の我々では本来話し相手にならない程国力が違うのです」
まぁ、国家のコアとなる人口という面では日本もかなりのものだ。人と水と米と木材と石炭はたんまりある。うまく生かせば史実より早く列強に肩を並べられるはずだ。
「あぁ、そうだ。明日は少し使節の皆様と別の場所に行きますからね」
「別の場所?」
「ええ」
さぁ、俺にしかできないアドヴァンテージの使いどころだ。麻子様の耳元で、彼女以外に聞かれないようにささやく。
「未来の王様に会いに行くんですよ」
麻子様は少し顔を赤くしながら、何言ってるの?と言いたげな目でこちらを見てきた。
いるんだ、ここから汽車で行ける、五大湖のほとりに。
未来の自動車王が。
♢♢
アメリカ ディアボーン グリーンフィールド
アメリカ商人のウイリアムと護衛代わりに雇った数人を引き連れて、麻子様と一緒にグリーンフィールドに降り立った。馬車で商店や建物が並ぶミシガンアベニューをひたすら西に行き、グリーンフィールドロードとの交差点にやってくる。ここまで来ると農場が広がり、一見すると本当にのどかな風景が広がっている。
「旦那様、ここに何があるんです?」
『タカシ、ここに何があるんだい?』
麻子様とウイリアムに同時に聞かれる。確か博物館は移設された場所だから、もう少しのはず。
ルージュ川を越えたあたりで、1人の道行く人に尋ねてみる。
『失礼、フォードさんの家はどちらですか?』
『誰だい、あんた』
『こちらフォードさんと取引しているウイリアムさんです。お子さんが生まれたと聞きましてお祝いしようと来たのですが、自宅に行くのは初めてでして』
『あぁ、確かに2カ月前に生まれたって聞いたよ。なるほどね。ならもう少し先の煙突が2つある家だ』
『ありがとうございます』
そう言って馬車に指示を出す。
『フォードって人が何か持っているので?』
『いいえ、今は何も』
まぁ意味不明なことをしている自覚はある。俺と兄以外にはこの行動の意味はわからないはずだ。
「でも、これがいつか日本のためになりますよ」
そのまま彼の家の敷地内まで入る。自分の記憶では、フォードはまだ未就学児のはず。
ウイリアムと麻子様も一緒に敷地に入る。すると、農場から戻ってきたらしい親子が喧嘩しているのが聞こえてきた。
『ヘンリー!いずれはこの畑はお前のものになるんだ、何故手伝ってくれない?』
『いやだね。弟にあげればいいじゃないか』
『ジェーンはまだ3歳だし、ジュニアは生まれたばかりだ。それに、長男のお前が継がなくてどうする?』
『グリーンフィールドのタウンシップで働くさ!』
会話している2人がヘンリー・フォードと父親のようだ。そして、ジュニアが生まれたばかりの弟だろう。
『ん?誰だ、私の家に来たのは?子ども?』
『こんにちは、ミスターフォード。私は日本の外交官原敬です。そしてこちらが日本によく来る貿易商のウイリアム氏です』
『ほう、ウィリアム!私もウィリアムだ!』
おお、いい偶然だ。
『仕事で近くを通ったのですが、同じウィリアムさんの家にお子さんが生まれたと聞きまして。少しばかりお祝いの品を贈ろうかと』
『なんてことだ。まさか自分の名前で得する日が来るとはね。最高だ』
『こちらを』
渡したのはシカゴで買ったお菓子の箱詰め。
『あと、そこの少年にはこれを』
俺は懐中時計をヘンリー・フォードに渡す。そこまで精密ではない、この時代からすれば少し値段が下がってきた大衆品だ。でも、ヘンリー少年は目を輝かせた。
『これを、僕に?』
『ええ。あと、何か困ったことがあればここに連絡をください。この名刺を持って』
名刺も渡しておく。もっとも、連絡先は在米日本公使館だけれど。
『ありがとう!これは好きにしていいんだね?』
『ええ。壊してもバラバラにしてもかまわないですよ』
ウイリアムは簡単に商談をしていた。まぁせっかくだし、といったかんじではあったが。日本用に仕入れている農具を1つフォード氏が欲しがっていた程度だった。
その後はあまり長居せずにさっさと戻った。シカゴに戻る最中、麻子様はずっとこちらを見てきたが、まぁ話すことはないだろう。
こればかりは理解できる行動でもないしね。
♢
アメリカ シカゴ
シカゴにあるウォーター・タワーの見学とシカゴ大火の被害状況・復興状況を視察してきた岩倉卿たち使節団と合流した。
アメリカは定期的に乾燥による山火事が起こる。その中でも今までで一番大きな被害だったそうだが、使節団は大きな知見をえたそうだ。
森有礼殿が合流後の夕食時に話してくれた。
「東京は幕府の時代、火事が多発していました。しかし、煉瓦の建物は燃えません。今後は煉瓦の建物を増やすべきでしょう」
シカゴの火災では、煉瓦の建物は大きな被害を受けなかったそうだ。そのため、使節団では煉瓦の建造物を増やそうという話になっているそうだ。
「日本はアメリカと違い、地震も多いですよ」
「地震か。確かに、火事も怖いが地震も怖い」
ペリー来航後、江戸では安政地震という地震が発生した。これもあって江戸幕府の開国は批判されたわけだけれど、その分現政府のメンバーの記憶にも地震の脅威は刻まれている人が多い。
「地震にも火事にも強いのがコンクリートの建物。それも鉄筋を入れたコンクリートです」
「鉄も使うのか。少々建物に金をかけすぎではないかね?」
「政府の主要な建物ならば、壊れないことを優先しても良いのでは?」
「確かに。アメリカにいる間に、コンクリートの建物も調べておきますか」
メサビの話みたいに、鉄筋コンクリートが存在しないなんてことがないように、俺の方でも調べておかないといけない。最悪日本で自力で特許をとることになるかもしれない。
「あと、視察した中で興味深かったのはポンプ馬車ですね。あれは日本にも取り入れたい。敬殿はご存じで?」
どうやらニューヨークにも導入されたポンプ車と常設の消防局も見学したようだ。日本には町火消がいるが、それをより近代的に組織化するイメージになるだろう。
「水を消火に使うためのものですか?」
「左様左様。実はニューヨーク市では消火用の水道整備計画が大火を受けて進んでいるらしく」
「なるほど。その水を利用して消火すると」
「流石理解が早いですなぁ。ですが、規模が大きいとなるとまず東京に上水道を整備する必要があるらしく」
「でも、やらねばならないですね。コレラなどの病を防ぐ意味でも」
「ですな。アメリカの進んだ技術は目に見えぬところにもあるようで」
江戸の町は今も井戸を利用している。湧き水の存在は悪いことではないが、工業化して水を大量に利用するとなるとそれでは足りない。地下に水源がある場合、地盤沈下の可能性だって生まれる。だから、現状工場は川沿いのみにしているんだ。
「しかし、敬殿は随分遠くまで行ったそうですね」
「ええ。少し種まきに」
「うーむ、まぁ、どのような深謀遠慮かわかりませぬが、敬殿が無意味なことはしないでしょう」
そこまで信頼されても困るんだけれど、まぁいいか。
後日、森殿から連絡があった。1811年に発生したニューマドリッド地震の調査データを見たことのある地質学者がちょうどワシントンにいるとのことで、使節日程の合間に会ってみるとのことだ。どの程度アメリカの地震に関する科学的研究がされているかはわからないが、ここでそうしたデータが手に入るならありがたい。
メサビ鉄山発見は約15年後。主人公の知識は私のプロット制作前に調べたことのある知識までなので、私の勘違いをそのまま反映させています。いや、さすがにそこまで知りませんでしたよ。
逆にフォードは色々あって人生についてかなり詳細に調べたことがあったので事前知識を使っています。
アメリカに消火栓が整備されたのは1874年。シカゴで使節団訪問前に大規模火災があったのも影響して急速に整備が進んでいます。実際、銀座の煉瓦建物誕生には視察で耐火性について知った政府首脳陣の意向もあったようです。ただ、それだと関東大震災に耐えられないため、敬は耐震性にも言及している感じです。




