第73話 一歩先へ
時間すぎてしまい申し訳ございません。
東京府 東京
東京・横浜各地で100人ほどの日雇いと10人の記者で一気に配り歩いた。
対象は商家の立ち並ぶ地域と元幕臣含め士族が居住する地域。飯田橋周辺の旗本屋敷が並んでいた地域は無人となりつつあるので除外した。今後一定の所得を確保するであろう層と、民権運動家になる士族の層。ここをしっかりと客層としていく。
配り終わって帰ってきた記者たちは、各地域の状況も報告してくれた。
「配る場所次第ですが、こちらで配った物の大半は浅草紙と同じように尻拭きに使われましょう」
「瓦版の無料のものと思う者も多いかと」
「武家屋敷の周辺では紙面を確と読む者が多うございました」
「商家の者はすぐに紙を受け取っていきましたな。かなり早めに配り終えました」
商人の方がこうした情報に敏感なようだ。そして、役人として新政府で働く士族も情報には敏感なようだ。
「何人か、これはどこで買えるかと聞かれました」
「名前と住んでいる場所は聞いてきたか?」
「ええ。人数が集まり次第配達とやらを進めましょう」
栗本鋤雲主筆が名簿を確認する。そして、それを俺にも見せてくれる。
「向島の山野辺主水って、水戸藩の?」
「ええ。ほぼ間違いなく水戸藩家老の主水様かと」
「家老様が10部も欲しがるということは……」
「十中八九、家中で読むのでしょうね」
他にも、10部単位で欲しがる藩邸が複数あった。元々俺の新聞を知っている薩摩や長州出身者と一部商人だけ定期購読してくれていた状況から、およそ21の藩が5~10部の定期購読を求めてきたのだ。そして、同時に並ぶ商家からの申し込み。今回だけで日本語の定期購読は900部以上増えた。大倉喜八郎、吉左衛門友忠といった名前も見つけた。大倉に住友だ。
「しかし、これだけ広い範囲となると配達が難しくなりそうですな」
「そうなると思って、兄上に頼んであるものがある」
俺は兄が釜石で改良した自転車を見せる。横浜で購入した前輪と後輪が同じサイズの自転車に、両輪のギアとペダル、そしてゴムタイヤをつけてブレーキも加えたものだ。これらはパテントとして3件に分けて申請してある。
「これを訓練して、乗れるようになってください。前の駕籠に新聞を載せて、各地域の配達員に渡します」
自転車で各地を回れるほど道が完全に整備されているわけではない。街道を利用して各地で雇う個別の配達員に新聞を渡し、配ってもらう形だ。
新聞を配り終わったら新聞を配達員に渡し終わった自転車に乗る社員が報酬を渡す。こうすれば横浜の印刷所で印刷した新聞をその日の朝のうちに各地へ配ることが出来る。
手本となるように乗って見せる。
「これがベロシペードですか」
「まぁ、日本語なら自転車ですね」
どうやらこの時代はベロシペードというらしく、最初にウイリアムに依頼する時に苦労した。横浜でたまたま乗っている人がいたので、そこで説明したらバイシクルなんて呼ばれていなかったのだ。まぁ4台手に入れてうち3台はこちらに置いてある。業務用に2台使いつつ、壊れたら1台を使う予定だ。ブレーキングなども説明していく。チェーンのつくりはまだ甘いと兄が言っていたので、外れた時の対処方法も一緒に教えた。工業用の油の入手がネックである。
「地域ごとの配達員には噂話や商家との広告相談を頼みましょう。ひとまず本の広告は慶應義塾から頼まれていますから」
新聞の収益モデルは購読料をおさえつつ広告を掲載して広告料で稼ぐものだ。広告料で稼ぐには大量の顧客がいないと成り立たない。広告の効果を高めることで広告料の収入を増やしていく。
あとは新規の契約や契約の更新時に提供する試供品も広告同様に展開する。前世で洗剤や米をもらったのをよく覚えている。
気をつけないといけないのは、広告を提供してくれる企業に忖度する状況をつくらないことだ。収益の担保が偏るのはよくない。特定の企業に依存すれば、その企業の御用新聞になってしまう。
「理想は広告掲載を頼まれる側。それは首都圏最大手の新聞になることがまず第一。そして大阪・名古屋・博多などを順番におさえていく。全国広告と地方広告に分けられる状況まで持っていけば、誰にも左右されない新聞がつくれる」
そして、政府に規制されないこと。ただし、政府のイエスマンになりたいわけでもない。このあたりのバランスのとり方は難しくなりそうだ。
「主筆は政府に批判的な記事も書いてください。肯定的な記事は別の者に書かせます」
「書いてよいなら書きますがね。何せ元徳川家臣ですので」
「構いません。最終的に両論併記しますので」
記事の大半は国際記事だ。海外の動き、海外の文化、海外の制度。海外に行った人間の探訪記。これに国内の一部の動きを加えて報道する。ここ最近は稲田騒動や北海道開拓の状況をよく記事にしている。
「とにかく、今の製紙業側の生産量的には最大8000部まではいけるので、営業は積極的にいきましょう」
「今回の号外はかなり話題になっておりますからね。一気に情報に敏感な者が集まりました」
「今後は南関東の名主にも手を広げましょう。多少なりとも新聞を求める層です」
「都市部のみでは本当の意味での全国紙とはならん、でしたな」
最初の投票権が国税3円以上。このラインを満たすのは地主と商人が多数だ。だからそこに対しても訴求できるようにしたい。
選挙権をもつ人間を強く囲い込むのが重要なのだから。
「神奈川県令の井関殿も健次郎殿の新聞を推してくださっていますから、神奈川全域にまずは広げたいですな」
「それ以外の地域もうまく広げねばなりませんから」
神奈川県令になった井関殿は、宇和島藩出身で世界を視野に持っている。だからこそ、横浜を抱える神奈川県令に任じられた。彼は俺の計画を途中で知って協力してくれた。神奈川県の役場で10部ほど購入もしてくれている。
「まずは魯文殿の物語を読みたい人だけでもいい。漢字が苦手な人でもいい。知識を得る手段として新聞を、うちを選ぶのが『普通』にするんだ」
俺の言いたいことがわかったのか、鋤雲殿が少し口元をひくひくさせた。
「それは、ある意味人の考えを誘導しかねませんな」
「そう。そういう恐ろしさがあるから他の新聞にこの権力を握らせたくないんですよ」
自由民権運動を完全にコントロールするのは無理がある。だが、多少なりとも方向性を操作できる力は欲しい。そのためにも、今が大事なのだ。
横浜毎日新聞の創設に先がけて動いたので、史実で横浜毎日新聞創刊に協力した政財界の人間を味方につけています。
ここから読売新聞や東京日日新聞などが発行される前に、シェアを一気に拡大しようとしています。
自転車についてはタイヤの改良やブレーキの設置が史実より早いです。バイシクルの名称も1870年に普及し始めている最中なので、健次郎が最初にかみ合わなかったのは仕方ないです。




