第72話 第四の権力
完結済みの自作『斎藤義龍~』の漫画版、来月単行本発売&本誌センターカラーの予定です。
こちらも宜しければお手に取っていただけると助かります。
宮谷県 銚子
初雪が盛岡に積もっているという話を聞いた11月。アメリカ商人ウイリアム・ドイルが横浜に戻ってきた。そのまま横浜の新聞社が入っている建物に印刷機・製本用の糸がかり機を運びこむ。それ以外の機械は八戸や銚子に運びこむことになった。
銚子に運ぶのは紙の裁断機。八戸で作ったケミカルパルプを銚子で成型することにした。成型した紙を利根川と鉄道を利用して都心部に運ぶ計画だ。
当然だが鉄道敷設が後になるものの、日露戦争前には敷設されていた路線だ。採算性は高いし、何より千葉で手をつけたい産業の輸送ルートとも重なる。状況次第で盛岡藩の藩士から出資を募って作ればいい。
盛岡藩士には現在、国立銀行条例の公布が近いことを伝えてある。史実だと再来年だったはずが、どうやら来年春頃には設立が出来そうなのだ。これは戊辰戦争が長引かなかったことと、昨年今年で輸入米が不要になったことが原因と思っている。国内で流通している兌換可能な貨幣が史実より多い結果、そこまで国内経済が悪化していないのだ。農村部が収入を安定させている分綿布の輸入などが増えているが、渋沢栄一殿らがそのスピード感に合わせるように富岡製糸場・愛知紡績所の整備を開始している。
「印刷所と紙の管理工場を一緒にすると建物に必要な土地が大きくなりすぎますからね」
「『天下無税の地あるべからず』という新政府の意向を考えれば、妥当な判断かと」
一緒に銚子まで来たのは元幕臣の栗本鋤雲殿だ。新聞社の主筆として雇うことになっている。彼は新聞に小説を書いてもらう予定の仮名垣魯文と交友があったそうで、魯文から紹介されてうちで働くことになった。幕府の製鉄御用掛も務めていたので、そのうち釜石製鉄所が民営化したら経営に加わってもらうことも考えている。
「で、次回の日本人向けの新聞に、フランスで登った山の話を書けと?」
「そういう生の声が大事なので」
「健次郎社長は不思議なことをしますな」
「大事なのは、欧米人も同じ人間だし、欧米も同じ地球上だと理解できることですから」
文化・習慣・宗教の違いは当然あるが、本質的な部分は同じ人間だ。追いつけるし追いつけることを実感しないといけない。そして、外国人を純粋に敵として見ることがないようにもしないといけないのだ。
「この銚子の土地はどうやって手に入れたので?」
「高崎藩から新政府が没収した土地なんだけれど、これまでに新政府で協力した分川岸の土地が安く買えたんです」
銚子周辺は上州高崎藩の飛び地だったのだが、戊辰戦争で新政府に反抗した藩として飛び地の没収が行われていた。飛び地は新政府の所有となり、水田は新政府の財源となっている。しかし水田以外は現状用途がないので、割とスムーズに買取ができたのだ。
ついでに史実の総武線のルートになる水田以外の土地を購入してある。総武線は俺が主体となって敷設するつもりだ。この路線は様々な物流を支える路線にできる。
「幕府に奉公した身としては、あまり喜ばしくないですな」
「まぁ、そう思うのは無理ないですね」
旧幕臣の優秀な人間は多い。とはいえ軽々に新政府に協力するのは武士の道として難しい。だからこういう優秀な人が在野にまだいるのだ。俺はそういう人材をうまく抱えこんでいきたい。今後国会開設となるのが約20年後。その頃には国会議員となれる人材も確保しつつ、政府とのコネクションも手に入れていきたいのだ。
政権に近すぎれば福地源一郎の二の舞だから慎重さは必要だ。どうせ初期内閣は超然主義なのだから。
建設の終わった少しだけ高台に用意した工場。建材は兄と自分の知識で八戸にある石灰を利用してセメントを準備。関東大震災で銚子はそこまで大きな被害がなかったはずなのでこれで十分だ。むしろ利根川の氾濫に警戒して、入口に段差をつけることや裁断機は2階に置くことで対応した。
「ここと横浜を電信で結び、前日までに必要な紙の大きさと枚数を連絡します。在庫は基本ここで管理し、横浜は印刷作業と、記者が記事を作成する場所とする形ですね」
「新聞はそれでいいとして、本の場合はどうされるので?」
「本は印刷をした上で本屋に即運び、在庫分は国府台付近で倉庫を建てる予定です」
本は一度に同じ版で印刷した方が効率がいい。だから在庫が生じるのは想定済みだ。限りなく在庫を生じさせないトヨタのジャストインシステムなんて流通システムが発展しないと無理なのだ。技術に応じたシステム、文化レベル・教育レベルに合わせた国家体制が必要になる。そういう意味では、史実の原敬が普通選挙制度を採用しなかったのも理由があったといえる。学制の発布から小学校の設置が1872年開始。男女の就学率が3分の2を超えたのが1897年だ。この年に男子就学率が80%、女子50%になっている。原敬が総理大臣となった1920年の段階では、義務教育を受けた成人男性が25歳以上の8割に達していなかったはずだ。そうなると時期尚早と判断したのも間違いとは言えない。制度に個人がついてこれなければ、制度は破綻する。無理をすれば待っているのはソ連崩壊や1848年のフランス革命だ。
「すでに紙自体は運びこんであります。裁断機を設置して、一気に稼働させましょう」
ウイリアムも建物を見て驚いた様子だ。
『まさかここまでの建物をもう自力で造るとは。やはり健次郎君はこの国の上に立つであろう人間ですね』
『そこまでは。でも、何が必要かを考えてこの国に必要なものを進めることはします』
『それを期待していますよ。来年はしばらくアメリカに戻りますから、何かあればご連絡を』
蒸気式の動力を使う機械は取り扱いを学べるように3カ月間職人が常駐してくれる。社内で翻訳しながら扱いを学ぶ予定だ。
「まずは新聞の印刷と福澤殿に任されている書物の印刷からです。素早く大量に全国で配布できる状況を作るのが目標です」
今は南関東で最大手となる新聞社となるべく動いている。外国人向けのシェアは80%ほど確保しているが、国内向けはそろそろ他の新聞社も動き始めている状況だ。新政府関係者向けはかなり強みがあるものの、これからはうちのシェアを伸ばしていかないといけない。ここで一発、大きく出るべきだろう。
とりあえず船便契約と馬車の手配もできた。早速、仕掛ける時だ。
♢
東京府 東京
12月。俺はある情報が手に入ったことで、一気に勝負に出た。
「フランスのオルレアンが陥落。これを号外で報道する」
「号外、ですか」
栗本鋤雲殿が驚く。
「そう。無料で配る」
「無料で!?」
「手に入った印刷機で、東京・横浜に50000部を配る」
「ご、五万!」
「明日の昼を目指す。頼む」
東京の人口は約100万。江戸城周辺部の人口なんて詳細にはわからないが、これだけ配れば話題になるはずだ。
既存の顧客1200部に加えて、これで一気に知名度・認知度も上げる。
ケミカルパルプも十分用意できた。ここで勝負に出る。
「今年中に、うちが日本最大の新聞社としての地位を確立するための一手だ」
第四の権力、俺たちが握らせてもらう。
日本最初の号外の配布は1876年。印刷機含む機械の導入で一気にマスコミを掌握しにいっています。
鉄道事業も含め、出版業界との相乗効果で知名度を上げることを狙います。ケミカルパルプの技術研究を優先したのもこのためです。
明治5年の東京府人口が112万人。世帯数はおよそ15万世帯くらいでしょうか。東京中心部と横浜周辺ならかなりの数になりますので、そこに一気に資本を投入して先行者利益を確保しに行く計画です。




