第7話 盛岡藩主 南部利剛(上)
♢が原敬(健次郎)、♢♢が原恭(平太郎)視点です。
陸奥国 盛岡
麻疹に罹った。誰からかはわからないが、100%うつされたのだろう。俺は6日間寝こんだ。4日間安静に過ごし、3週間を自宅待機させられることになった。結果的に『海国兵談』を読み終えたものの、夏の大事な時期に田んぼの管理が疎かになってしまった。
しかし、田んぼに行くと農民たちに田んぼに入らないでほしいと言われてしまった。
「原様の御子息御二方とも、わしらより田んぼを大事にして下さった」
「平太郎様は雨の後に真っ先に飛んできて、わしらの稲が無事なのを見て泣いて喜んで下さった」
「大変な時期でも健次郎様は小さい体でわしらを手伝って下さった」
「わしらがやらんで誰がやりますか!」
「病み上がりに無理せんで下さい。わしら確り教わった通りやりますで!」
やる気があるのはいいことだ、と思い、そう言ってくれるならと畝で彼らの様子を見つつ貸本を読むことにした。
『解体新書』。杉田玄白による翻訳書だ。医学の未熟を痛切に感じたので、多少なりとこの時代レベルでも学んでおこうというかんじだ。
「ううん。こんなことになるならもっと仕事用以外の医学知識を身につけておくべきだったかも」
読みにくい文を必死に読みながら欧米の医療レベルも確認していく。正直、細かい作業のやり方は兄が教えているから俺は技術面で教えられることもない。
面倒くさくかんじるであろう草取りも真剣にやっている様子を見ると、山本五十六の言葉が思い浮かぶ。やってみせ~で始まるあの言葉だが、兄は自らの姿勢で彼らのやる気をひきだしたということだろう。
「みなさん、お疲れ様でしゅ。きっと山ほどの米がとれましゅよ」
「いやぁ、全部御二方のおかげでございます」
「稲穂がこの時期にこんなに垂れているのは初めてです!」
ならば俺は、ほめて、任せて、見守ることで実らせよう。
それが多分、今の俺の役目だ。
♢
父が呼びだされた。収穫間際で、周囲の話題になった。黄金の田んぼなど、ここにしかないからだ。
すぐに兄も呼びだされた。まぁ、そんなものだろう。これで兄が目立てば、戦に連れていかれることもなくなるはず。でもそうすると俺が代わりに戦場に出ることもありえるのか?それだと無意味になるな。もう1つ何か欲しいかも。
♢♢
父に城に呼ばれた。どうやらお殿様である南部利剛様が、原の領地の稲の生育状況を知って呼んだらしい。伯父の御下がりという子ども用の裃を着させられ、野田丹後様の案内で謁見した。
「面を上げよ」
まだまだ習いたての作法を守りながら顔を上げる。私が話せるのは聞かれた時だけだ。左右に並んだお偉い方々らしき武士の視線を一身にあびて、少し肩に力が入る。
「先程直治から聞いた。どこでその稲を手に入れた?」
「はっ。殿より祖父・直記に戴いた桜の樹の下にある日御座いまして」
「ほう。桜か」
これは予め弟と相談して決めた出所だ。うちでは戴き桜と呼んで大事にしている桜で、祖父直記の偉業を称えるために利剛様が下さった桜を接ぎ木したものである。
「そう言えば、昨年あの桜が一際早く咲いたと申しておったな、直治」
「はっ」
「ふむ。城下の桜から分けたものだが、何かしらの加護かもしれぬな」
利剛様は40手前ながら少し年齢が高めに見える方だった。ほうれい線が深いというか、濃い。やや白髪交じりなのも理由だろう。眉間もしわの癖がある。相当苦労されていると聞くから、ストレスだろうか。
「で、今年の収穫はどれ程になる?」
「平太郎」
「はっ。恐らく反収3石程になるかと思われまする」
私の言葉に、室内が一斉にざわついた。
「ばかな」
「しかしあの稲穂、重さで垂れておったぞ」
「何故我が家に米が来なかったのだ」
一般的な田んぼだと反収1石3~5斗くらいが今の普通で、盛岡藩は稲作の北限地だから反収1石いかない場所もある。だから、この地で反収3石というのは尋常な数字ではない。私が実家を手伝っていた頃でさえ、『ひとめぼれ』が反収2石5斗くらいになるレベルで厳しい立地だ。肥料をあげれば必ずしもでる数字ではない。
「静まれ。そうか、で、それを使ってどれ程来年米を植えることができる?」
「弟と計算した限り、13万反程に作付けできるかと。無論、正しい育て方をせねばなりませぬが」
「そうか、領内の半分か」
声は出さないものの、左右に並んだ家臣の方々がざわつく。自分の家にも欲しい、うちの田を全てその米に。声なき声が聞こえてくるようだ。
「直治、そなた家老に上がれ。父と同じだ」
「はっ、いや、しかし」
「少し自信を持て。そなたは優秀な男だ」
「はっ」
「で、平太郎」
「はっ」
こちらに話が飛んでくる。
「その米を皆が正しく育てられるよう、指導をせよ。何人か人を遣わす故、文字でもそれが分かるようにせよ」
「畏まりました」
「それと、そなた『海国兵談』に興味を示したと八角から聞いたぞ」
「え?」
「違うのか?」
「それは弟にございまする」
「はっ?」
周囲が一斉にざわついた。一番驚いた声をあげたのは、利剛様の後方に控えていた医師風の男性だった。
「弟?確か七歳では?」
「はい、7つにございます」
中身は約40年生きていますがね、とは言えない。
「す、すぐに城に呼んで参れ!」
利剛様の慌てた声に、慌てた小姓らしき人が1人部屋を出たが、廊下できれいに一回転して転がるのが見えた。
♢♢
突然俺まで呼ばれた。理由を聞いても「とにかく来い」の一点張りだ。残念ながら裃がないので、5歳の時袴着をした(いわゆる七五三)ものくらいしかなかったため、明らかに体より小さいがそれを着させられた。
ちんちくりんな俺の様子を見て、兄は少し口元が緩んでいた。後で見てろよ。
「この子どもが」
「直治殿の戯言ではあるまいか」
漏れ聞こえてくるのはこんな声だ。さもありなん。俺が当事者じゃなければ絶対そう思う。
「健次郎、だったか」
「はっ。原直治が次男、原健次郎にございましゅ」
必死にゆっくり喋ったが、それでもやっぱり「す」の音がきれいに発音できない。家族や私塾ならまだしも、ここでは赤っ恥である。なんとなく磯子姉上の顔が思い浮かんだ。バカにされそうなので絶対知られたくない。ここにいる全員、このことは墓まで持って行けよ。
「魯西亜をどう思う?」
「対馬の件を鑑みるに、ロシアが狙うのは常に不凍港でしゅ。クリミア戦争でも往時の勢いを失したオシュマン帝国から地中海への橋頭堡をえるべく、戦争を仕掛けました。対馬や蝦夷地を狙うのもこれが原因でしゅ」
焦るなとは言われたが、焦らないと変わらないのも事実だ。俺のもつ知識を、惜しまず使わないとうまくいくべくもない。
「成程。やはり魯西亜は我が藩の脅威と言いたいわけだな」
「はっ」
「で、魯西亜に対抗するには他国に学ぶべき、と申したのか」
「はっ」
それだけ聞くと、藩主の利剛様は席を立った。
「まずは、米だ。収穫した米の具合を報告せよ、直治」
「はっ」
「ではまたな、麒麟児等」
そう言って部屋を出て行った。
これは成功したのか、外国の事情にそこまで興味がないのか。ちょっと判断しにくいかもしれない。
江戸時代の様々な技術改良があってこの頃の反収は上昇傾向ですが、盛岡藩はその立地上当時の稲作北限地帯です。ですので反収は他の地域より低くなります。