第69話 普仏戦争とマスコミ
腹痛でトイレにいた時間分投稿遅くなりました。申し訳ございません。
東京府 東京
徳島藩の蜂須賀家臣がまた暴走したらしい。無抵抗による新政府の救済を狙う稲田家臣は淡路島の洲本を脱出し、大阪に逃げこんだそうだ。脱出の殿を担当した稲田氏家老格の三田昂馬ら40名が徳島藩士によって討たれたらしく、春の騒動と合わせてあまりに多数の犠牲者を出した。
新政府もさすがにこれは看過できないとして大阪鎮台の兵を派遣し、淡路島の治安維持を開始した。それにともない投獄された稲田家臣を解放したそうだ。藩主の蜂須賀茂韶様は東京にいるため、そのまま本人と周辺の家臣が東京の佐賀藩邸に軟禁されることになった。正直、ここまでいくと藩士の暴走状態なので、どうしようもないといえる。
いつものごとく主のいなくなった森有礼殿の部屋で仕事をしつつ、山口尚芳殿の話では広島藩と宇和島藩も急きょ広島鎮台を仮整備して動員されるという話が聞けた。
「どうやらこれに呼応して奇兵隊の一部が解散に異議を唱えたようで、広島藩の兵は主に長州方面の備えになりそうですが」
「奇兵隊は確か昨年一部が解散したんでしたっけ?」
「ええ。退役にともない退職手当を払って解散となったのですが、決して多い額ではなかったもので」
それで不満がたまったらしい。退職手当自体は三井商店でも行っていた慣習だったので理解はされやすかった。北海道開拓に参加している元奇兵隊以外で400名ほどが長州藩内で長州藩士と武力衝突したそうだ。辛うじて勝利した長州藩兵だったが、元奇兵隊は散り散りになって逃げたらしい。現在長州藩士が逃げた元奇兵隊を捜索中とのことだ。
「北海道は人手不足なので、来てくれる方がいればどんどん受け入れているんですが」
「今更農民に戻りたくない、という者が反乱に加わっているようで」
別に奇兵隊が農民出身だけではないが、富農の子供でも長男なら奇兵隊にはほぼ参加していない。だから農家に戻っても大した農地は自分に戻ってこない。北海道開拓に参加する者は農家として新天地を求めていくかんじだが、『いわてっこ』を栽培できない=米が育たないという意識から躊躇する人も多いようだ。大豆や小麦など栽培できる物は多い。開拓が進めばあれほど農業に適した場所もないのだけれど。
「それに加え、健次郎殿を襲った久留米藩でも強硬な攘夷派が騒いでいるらしい」
「なんと」
「それもあって、佐賀藩と熊本藩で鎮台を設置しようという話になっています。大阪は治療が落ち着いた大村様が陣頭指揮をとっていますが」
「九州は誰がとるのでしょうか」
「おそらく米田(虎雄)様かと」
熊本藩の大参事となった元家老の人物だ。新政府でも東京で宮中関連の業務を担当している。三条実美様などの公家との関係が深いためだ。山口殿は佐賀藩では数少ない外務省に入った1人だ。九州の事情には明るい。
「各地の鎮台を整備せねば次に向かうのは厳しいですかね」
「士族がこうも揉め事を起こすとなると、やりたいことがなかなか進みません」
佐賀藩は北海道開拓にかなりの人員を派遣している。軍事に関わる部署にはあまり多くの藩士が参加していないため、熊本藩に主導権を渡している状況だ。北海道に一部の士族を入植させており、鎮台に派遣する人員が不足している。
「とにかく今はフランスとプロイセンの戦争に関する情報を日本語に訳し、政府に届けることですかね」
「そうですね。ベルリンに留学している青木(周蔵)君たちも心配ですし」
そう。普仏戦争が始まった。大量に派遣されていた長州藩などの元藩士が早速観戦武官としてフランス・プロイセン双方で近代戦を学んでいるらしい。薩摩・長州・広島・熊本・秋田などから士官候補が参加しているわけだ。
一方で、長州藩出身の山県有朋が帰国したらしい。長州で元奇兵隊との戦闘を指揮している前原一誠はこのまま士族による軍隊の整備を既成事実化させようとしているが、大村益次郎は東北・北陸方面の鎮台を平民で構成するつもりのようだ。日本の軍隊の構成は士族1:平民1くらいになりそうだ。そこからどれだけ平民も士族も関係なくするかが重要だろう。士官学校はどうしたって士族出身者が多くなるだろうけれど。
「しかし、新しい戦というのは恐ろしいですね」
「銃の性能が大きく違うようですが、それ以上にプロイセンの状況把握が画期的なようで」
参謀本部を初めて整備したのがドイツ(プロイセン)だ。今回の戦争では参謀本部が大きく注目されることになる。これは日本の軍事制度にも影響を与えることになる。フランスやベルリンから来ている情報によれば、フランスの方が銃の性能はいいらしい。小銃の射程が優秀なフランス軍に対し、この参謀本部による連動した軍の展開によって勝利したのがドイツだった。現時点で日本まで来ている情報だけでも、8月4日のヴィサンブールでの戦いでフランス軍が敗れたことがわかっている。そして、その後のフランス軍が防衛目標を過剰に設定して戦力を分散させて敗れたことも。
フランス軍は情報将校もいなければ情報の真贋も見極めなければならない。そのためフランス軍が敵戦力を把握する前に大規模な攻勢で敗れる事態も発生しているらしい。
「フランスに従軍している秋田藩士の高瀬権平からの情報を見ると、フランス側の混乱が見えてきますよ」
「フランス語方で翻訳された新聞の記事はかなり威勢が宜しいようですが」
「上海に送られてきた電信の内容を聞く限り、フランスは民衆の熱狂に任せて戦争に入ったようだよ」
フランスは動員準備も兵站整備もせずに戦闘状態に突入したらしい。新聞の日付が7月末のものしかないので、これの日本語訳を読むとフランス側が圧倒的に優勢にしか見えない。
「健次郎殿、民衆向けの新聞を作るつもりだと聞いているが、こうした扇動者になってはならないよ」
「そうですね」
「国民は近代化の原動力だ。しかし同時に、民衆の暴走が国を亡ぼす。それを起こせるだけの力が、新聞にはある」
「ええ。だからこそ、ある程度健全な民衆の誘導が必要だと思います」
「本当に君が元服前なのが恐ろしくもあり、頼もしくもあるよ」
小さく笑う山口殿だが、150年未来ではマスコミが『第四の権力』なんて呼ばれているのを俺は知っているだけだ。自力でマスコミの危険性を理解し、その結論に達している時点でこの人たちは俺より優秀だ。
これからナポレオン3世は壊滅的な敗北を喫していく。いや、時期的にもう負けているかもしれない。情報伝達速度は同じく重要だ。電信・郵便については政府も交渉を進めていると聞いているが、全国紙の販売に向けて独自の流通網の構築は考えていかないといけないだろう。
鉄道会社の設立に向けては兄の製鉄事業が軌道に乗る必要がある。転炉の整備は進んでいると聞いたが、自前で鉄道を全て造れるわけではない。見本を手に入れるためにも、製紙業で協力してもらっているウイリアム・ドイルに探してもらっている。しかしアメリカも鉄道の整備が盛況で、技術者を派遣するほどの余裕はないらしい。やはり岩倉使節団のタイミングが重要だ。岩倉使節団が史実より早めに出発となっても、帰国時期はこちらで調整できるようにはなっているものの、あまりにも長期に及ぶ渡米は国内でやりたいことへの支障が出かねない。
「健次郎殿はどちらが勝つと?」
「フランスとプロイセンですか?」
「ええ」
長期的視野と短期的視野をどちらももつのは難しい。でも、俺には歴史知識という補助がある。
「プロイセンでしょう。銃の性能以前に戦争全体がフランスは下手です」
「ほうほう」
「戦争は今や戦場にどれだけ兵と鉄と火薬を送りこめるかで決まります。ロジスティクスこそ兵の要であり、それを支えるのが国力です」
「なるほど」
兵站をそろえて、勝つべくして勝てる国に、日本はならないといけないのだ。
俺の言葉を聞いた山口殿は、別の省との話し合いがあるとその場を後にした。俺の作業はその後2時間ほどかかり、帰る頃には夕日が東京の街並みを赤く染めるのだった。
奇兵隊の脱退騒動自体は史実でもありましたが、一部退職金の支払いもあって史実より参加人数が減っています。
その代わり、徳島藩の内部騒動は過激化して大阪から大村益次郎率いる鎮台兵の投入にいたっています。
このあたりは新政府における薩長の政治力バランスや『いわてっこ』による財政の余裕具合などが絡んでのものです。
また普仏戦争も開始しました。こちらは史実より多くの藩士が欧州に派遣されていたため、観戦武官は大山巌だけでなく10名ほどがフランス・プロイセン双方にいる状態です。




