第67話 公認の関係
東京府 東京
盛岡藩の下屋敷にやってきた。知藩事の南部利剛様からの呼び出しだ。まぁ用件はほぼ見えている。
「何用かはわかるか?」
「麻子様のことでしょうか?」
「左様。健次郎との縁が欲しくてな。それに、そなたとなら麻子も幸せになれる」
それはどうだろうか。
「武家の幸せとは程遠くなりそうですが、宜しいのでしょうか」
「どうせ幕府の時代には戻るまい。武士はもう武士ではなくなるのだ」
利剛様は自分の脇に控えた小姓がもつ脇差を人差し指でトントンと軽くたたいた。それだけで俺は理解した。利剛様は廃刀令について、既に新政府から聞いているのだろう。森有礼殿がかなり強硬に主張したという話は俺も聞いている。廃刀令への道筋はもう新政府内部で共有されているのだろう。
「大名も大名ではもうない。武士のみが武士のままとはならぬ。ならば、これから生き残るのはただ才覚と、求められる知を持つ者のみ」
日本は長く東洋独自の学問を探求してきた。それ自体は悪いことでもないし、今後に大いに生かさなければならない。
しかし、それとは別に、西洋の制度・学問・言語・文化の理解は必須だ。それを利剛様は言いたいのだろう。
「華族というだけでもこの先厳しくなるだろう。士族の家禄払いは新政府にとって小さくない。これもいつまで続くか」
「殿には章典禄もございますし」
「他の藩主や華族となった者が皆豊かになるとは思えぬ。だからこそ、ここで何かをなせる者が身内に欲しいということだ」
史実での盛岡藩は、戊辰戦争に敗れた後一足先に廃藩を申し出ていた。札幌に入植したり、屯田兵になったりして多くの士族が故郷を去ったと聞いている。
「当然、今のように新政府で活躍もしてほしい。だが、我が藩の士族が困らぬようにもしてもらいたい」
盛岡や後の青森一帯、そして北海道で警察業務を行っているのが盛岡藩士で、他にも結構盛岡藩士は新政府の業務についている。しかし、全員ではない。特に高知衆などの高禄の家臣ほど業務が少ない傾向にある。新政府で働ける人材を増やそうと、今年から銀座木挽町で福地桜痴がやっていた英学塾の跡地を借りて日新堂の生徒をこちらに呼ぶ予定(その一行と一緒に数人の女性がこちらに来る予定だ)なのも聞いている。
「殿の想い、必ずやお応えいたします」
「春からは新渡戸の息子らもこちらに来る。うまく橋渡しをしてやってくれ」
「はっ」
まだ会ったことがないが新渡戸稲造のことだろう。新渡戸氏は盛岡藩では高知衆の名門だが、当主と家老だった先代当主が体調不良のため出仕できていないらしい。このあたりの事情はうちと近いのだが、うちは父が死んだ時に兄が出仕できた。だから大きな問題はおきなかったわけで。一歩間違えば一家が困窮した可能性はあったはずだ。
「それと、健次郎の元服は盛岡で行いたい。時節を考えねばならぬが、最悪アメリカから帰ってきてからでもいい」
「それなのですが、戸籍の整備状況次第で、身分が平民になる可能性があるのですが」
俺は今新政府が整備中の戸籍法の話をした。俺個人はむしろ平民になった方が都合がいい。しかし麻子様がそうなるのはどうなのだろう。華族から士族ならまだしも、華族から平民はどう思われるか。
「それは麻子にも事情を伝えて決めたいが、華族にこだわる必要はない。ただ、士族でなければ士族の信を得られるかは考えねばなるまい」
「士族の皆様とは兄が話しますので、そこは何とか。むしろ、新政府は平民からも優秀な者を登用するという実績を欲していますので」
少なくとも、軍は今平民の徴兵制度について話し合っているわけで。学校の整備が進み一定の学力を身につけた成人が増えれば、士族平民関係なく採用は行われていくだろう。それまでは地主や豪商の一族だけにはなるだろうけれど、平民の採用は多少なりと行われるはずだ。
「今の新政府は能のある者を求めている。まして元士族なら問題はない、か」
「そうなるかと。今後の新政府は元士族に何をさせようとするかは考えねばなりませぬ。そのために必要な人材であれば、身分は問わぬでしょう」
ちなみに、兄や大島殿を中心に日新堂の名前で盛岡藩には意見書を届けている。英語を学んだ人材を増やし、藩校で「勉学を教えられる藩士」を増やすことを提案したものだ。武芸を磨いた藩士は現在でも旧津軽藩・北海道で警備を担当しており、そのまま警察組織への就職が濃厚だ。だが新政府による役人の登用が現状のままとは限らないし、元江戸留守居の一部や盛岡の藩主付き世話係の一部などの実質無役の藩士も増えている。家老格ならば禄も多いが、下士出身では生活が苦しくなりかねない。彼らを広範に仕事に就かせるためには、今後進む全国の教師として働けるようにすることだ。そうすることで盛岡藩士が生活に困窮することがなくなる。
「麻子には聞いておく。それと、先日の攘夷派の襲撃の件、新政府から下手人が捕まったと連絡があった」
「おお、それは何よりでございます」
「久留米藩の田島清太郎なる者と仲間だった。大村(益次郎)を襲った神代某と同門とか」
「攘夷派の中でも随一の過激派でございましたか」
「うむ。それ故彼奴らの通っていた塾にも調べが入った。出頭を命じられた塾頭の大楽という男は逃亡したそうだ」
「間違いなく久留米に逃げたでしょうね」
「うむ。それで熊本藩の御親兵が久留米に派遣されることになったそうだ。東京にいる知藩事の有馬殿は藩邸没収の上広島藩に預かりとなった」
確か史実では大村益次郎暗殺は犯人が逃亡したはずだが、今回は護衛についていた児玉源太郎や寺内正毅が面識があったこともあってすぐに捕まっている。そこから久留米藩と長州藩の大楽源太郎の塾が捜査の対象となり、その過程で俺を襲おうとした(俺の名前を叫びながら別の駕籠を襲ったそうだ)面々の書状が見つかったそうだ。
「久留米は攘夷派が、それも外国を文字通り攘夷せんとする者が多いようだな。気をつけよ」
「はっ」
現在の攘夷論は大攘夷派(富国強兵による外国の植民地化阻止)と小攘夷派(とにかく目先の外国人を排除・鎖国)にまとまっている。新政府は大攘夷が前提だし、急進的な攘夷論者は小攘夷派だ。幕末から新政府を見てきたが、攘夷を考えていない人は基本いない。諸外国の実力を知らないか、理想を追い求めているか、現実を見ているかの違いでしかないのだ。
「あと、日新堂から提言のあった桑の栽培量を増やす話。三本木などは前年から養蚕が順調だが、今年から藩の生産品をまとめて横浜のアメリカ商人に渡すことになった」
「あ、それは」
「わかっておる。大島とそなたの兄が申す通りにしたと伝えただけだ」
盛岡藩の生産する生糸に関しては全て呉服を扱っている盛岡の商人・村井弥兵衛が担当することになったと兄に聞いていた。村井のところで商品の検品をさせ、不良品はアメリカ向けに販売しないことにしたのだ。アメリカはヨーロッパ向けと違う糸の太い生糸が好まれている。上野や信濃の生糸はヨーロッパの生糸不足から細糸が主流になっているそうだが、第一次大戦まで考えれば太糸を生産してアメリカとの販売ルートを太くしておきたいところだ。その分細糸よりも単価は安くなるが、安定した販売ルートをつくって信用を稼ぐのも大事だ。
専売の形にしているのも品質の安定化のためだ。農家で繭まで育てさせて、盛岡郊外に集積して煮だしからの工程を進めている。きちんとした工場というには機械と規模が足りないが、品質を一定にした販売はもうできるということだろう。
「明日は麻子が英語を習う日か。先にこちらで身分の話も麻子にしておく」
「お手を煩わせてしまい申し訳なく」
「良い。それよりも、麻子に土産を用意するなら、余の分も持ってこい」
「はぁ」
「麻子がたまに余に自慢する。洋食屋に行く時間を(楢山)佐渡がくれぬ故、余も味わってみたいのだ」
親子そろって甘い物好きかい。
「よ・い・な?」
「ははっ」
これは逆らわない方がよさそうだ。
♢
翌日。麻子様が待つ下屋敷に向かう。
今日は横浜で仕入れたソーセージとハムを持参した。上海で製造されたものらしく、試食したがお腹は壊していないので大丈夫だろう。
屋敷に到着すると、女中からかなり丁重に出迎えられる。今までも盛岡藩の家老の孫だし麻子様との関係もほぼ見えていたので扱いは下にも置かないものだった。それがより目に見える形になったといえる。品川の宿でも完全個室(襖で仕切られているのでなく隣の部屋が空室になった)になったし、何とも言えない。
部屋に通されると、今まで控えていた女中が数人減っていた。
「御付きが減りましたね」
「婚儀が終わっても私についてくる者のみになっただけです」
ここにいる人以外は南部の家に仕えている人、ということか。
改めてというかんじで女中に頭を下げられる。なんとなく軽く会釈をして返す。すると麻子様が、
「そういえば、今後はどうお呼びしますか?」
「どう呼ぶ、とは」
「旦那様?」
「だ、だ!?」
思いもよらなかった言葉に慌てる。自分でも耳のあたりが熱くなっている気がした。女性に慣れていない自覚はあったが、かなりわかりやすく動揺してしまった。
当然だが、麻子様にもその醜態は見られた。
「あら」
「え、えっと」
「では旦那様で」
口元を袖で隠してはいるが、口角が上がっているのが丸わかりだ。俺が狼狽しているのを見て楽しんでいるようだ。意外とSっ気が強いのか。
「まぁ、お好きにお呼びください」
「旦那様がそうおっしゃるなら、好きに呼びます」
色々な意味で頭が上がらなそうな関係になりそう。
史実で原敬と最初に結婚した薩摩藩士の娘は不貞により離婚。首相時の妻とも晩婚だったため子がいなかったので、養子を迎えています。
麻子も史実では実子がいなかったですが、これは夫が婚姻後すぐに亡くなったのが原因(結婚生活は2年未満)だったので、史実では若い頃に夫婦関係がなかった2人ともいえます。




