第6話 麻疹の脅威
陸奥国 盛岡
年が明けた。文久2年である。
きのこのおろし合えをすすりながら、炊いたばかりの麦飯を頬張る。みんなで寒さを凌ぎながら、じっと耐えるのが冬の作法だ。綿の普及は進んでいるみたいだが、やはり羊が欲しいな。羊毛ほど寒さに強い素材はこの時代手に入らない。
冬はあまり動かない。動きようがないともいえる。盛岡城下はさすがに除雪がある程度されているが、農村部に近づくほど雪が放置されている。物流も停滞気味になるので、保存食主体の食事は水っ気が少なくなりやすい。そこで大根おろしは大事な水分源にもなるわけだ。
「健次郎、これを」
「これは、『海国兵談』。どうやって」
「偶々八角殿が御持ちだった。後で礼の文を書いておくように」
「畏まりました。心して読みます」
この時代の最先端の理論の1つだ。用事もないし、一日かけて読むとしよう。
♢
「崩し字は読みにくいでしゅね」
「私はこの体が崩し字に慣れていたから読めるが、そうか、一から習得するのか」
兄は思いだす前からこれを読んでいたので感覚的に読める部分もあるそうだが、この体になってから崩し字を読みはじめた俺には辛い。とはいえ、これに慣れておかないといけない部分もあるのが現実だ。生きるための勉強と思い、少しずつ教わりながら読む。
「やはり、内容が理路整然としていましゅね。こうだから、こうなる。そうしゅると今はこれが足りじゅに対処できないから、こうしゅるべきだ、という」
「私にはわからない部分もあるが、確かに原因と結果が確りと結びついている。原因の情報が間違っていなければ、あるいは情報が十分なら、納得できる話が多い」
実際、海防の必要性を説いた林子平の考えはロシア・アメリカによって証明されてしまった。今の日本は綱渡りだ。
「ロシアの南下政策は分かりやしゅい。暫く大人しくなるとは言え、警戒は緩めるわけにいきません」
「不凍港が欲しい、だったか。確かに、北海道ですら流氷で港が一年中使えないなんてことがあるんだからなぁ」
「ウラジオストクは彼らの生命線でしゅ。そして、可能なら彼らは黄海まで出て来たいと思っている」
「対馬に乗りこんだのは必然という訳か。この頃既に香港はイギリスの植民地なのか?」
「ええ。アヘン戦争で勝利したイギリスは、現在香港を統治下に置いていましゅね」
「で、マカオがポルトガルか」
「マカオは一応未だだったはじゅ?ちょっとうろ覚えでしゅね」
少しでも間違った認識だと今後の読みを外しかねないか。少し情報を集めたいな。普通に考えればアヘン戦争もアロー戦争もポルトガルは関与していない。不平等条約は結んでいるだろうけれど、マカオを完全に奪われるまでは進んでいないかもしれない。
「で、今年は何があるんだ?」
「記憶の範囲では、坂下門外の変でしゅね」
「ああ、井伊直弼」
「それは桜田門外の変。坂下門外の変は公武合体を進めようとした老中・安藤信正が襲われる事件でしゅ」
「おおう。難しいな」
「まぁ、興味がないと覚えていませんよね」
そして、新選組の募集が始まるのもこの年だったはず。意外とここからの時間は短く、そして濃い。
「とにかく、今年は田植え、田植え。それと、耐火煉瓦をどう使うかだな」
「出来る事からコツコツと。頑張りましゅか」
♢
春。苗の作業は農民を呼び、兄が指導する形で進んだ。少し面倒そうな農民も、俺がせっせと手を動かしているのを見ると負けじと手を動かしてくれた。
苗は順調に育ち、しかし気温は低い日が続いた。
「朝起きると水の表面が凍っていることがあるでしゅ」
「流石に厳しいな。春先でこれだと……平成の米騒動を思いだすな。あの時はやませからの冷夏で酷いことになったが」
「平成の米騒動?」
「あまり知らないか。東南アジアで噴火?かなんかで夏の温度が上がらなくてな。それでも、『ひとめぼれ』は頑張ってくれたおかげでうちや近くの米農家は酷い不作にならずにすんだ。『あきたこまち』を育てていた農家は、酷い作柄だったよ」
「それに匹敵しかねない冷害だと?」
「恐らくな。だからこそ、『いわてっこ』がより輝くはずだ」
♢
雨が止んだ。梅雨明けに見に行った田んぼは少し増水していたが、稲はぴんぴんしていた。排水があまりよくないために泥のたまった場所もあったが、無事にその後も育ってくれた。
一方、他の田は見てわかる程度に酷かった。稗田は無事な分、畝が崩れたり泥が溜まっている田んぼは辛い。正方形のきれいな田んぼなんて幻想だ。そんなものこの時代にはまず見当たらない。
「良かっだぁ!良かっだ『いわてっこ』は強い子だぁ!」
「兄上、皆さんが引いてましゅ」
「うん、うん、すまぬな健次郎」
「はいはい。さ、皆さん、頑張りましゅよ」
今日の作業はもう全員わかっている。涙でグシャグシャの兄にチラチラと視線を送りながら、全員が真面目に作業をしていた。
作業中、農民の1人から恐ろしい話を聞いた。
「赤瘡が流行っているでしゅか?」
「へぇ。ここら一帯は平気ですが、長雨で疫病が流行りだすのは良くある事ですから」
「いや、よくある事って」
「病も怖いですが、不作も怖い。あっしらはこの米の御蔭で平気ですが、場所によっては両手より多いくらいだそうで」
「そうか」
前世で何と呼ばれている病気だろうか。残念ながら医者ではないのでそこまで詳しくない。実物を見れば多少は判断できるが、感染リスクが高すぎる。この年齢で感染症は洒落にならない。
「皆、身を綺麗にしゅるよう心がけよ」
「へい」
怖いな。こんなことで命の危機になんてさらされたくない。
♢
はしかだった。
盛岡城下でも流行りはじめた結果、俺もその症状を伝え聞くことになった。
はしかだ。ほぼ間違いない。しかも江戸を含めかなり広範囲らしい。江戸で春に流行したのが、時期が遅れて東北まで広がったのだ。
「はしか、か」
「前世のワクチンが効いてくれたりしましゅかね?」
「無理だろうな、と思っている癖に聞かないでくれ」
ワクチン接種が常識化した前世では何も怖くなかった病気なんだが、対処法がないと恐ろしくてたまらない。そういえばこの後ペストとスペイン風邪もくるのか。リスクが多すぎるな。
「運を天に任せるしかあるまいよ。治療薬も知らないし」
「解熱剤とかはうちの会社で扱ってましたけど、ワクチンが唯一絶対でしゅね」
「ちなみに、私は以前の流行で罹ったことがあるそうだ。頑張れ健次郎」
「裏切ったな!裏切ったな!」
悠然と塾に向かう兄を見送りつつ、それでも休めない農作業に俺も向かうのだった。
はしかは普通にはしかとも呼んでいる時期ですが、認知度の問題ではしかと呼んでいないかんじです。史実でもこの年江戸で24万人がはしかに罹っています。盛岡での流行は記録上は7月です。
マカオのポルトガル統治下への移行はまさにこの時期に進んでいます。
次話は12時に投稿予定です。