第54話 東京へ
活動報告に書いておりましたが、転職・転居などが重なり投稿できておりませんでした。
少しずつ投稿を再開し、不定期投稿をへて3月頃には定期的な投稿に戻れる予定です。
今暫くお待ちいただけると幸いです。
陸奥国 盛岡
論功行賞に入れたのは年末になってからだった。兄が御国産方頭取輔に就任し、原の家で新たに50石を拝領することとなった。兄は忙しい事務の合間に論功をいただいたが、連日の平館などでの任務であまり盛岡に居続けられないでいる。山階宮晃親王様の帰還も決まり、その準備に追われていた。同年代の藩士見習いたちも元服の儀を年初まで延期する人が多い。
そして、師走の名に恥じぬ忙しい日々を過ごしていると、藩主様から呼ばれた。
「来たか。健次郎よ、頼みがある」
「はっ」
「実は新政府に大島が請われて手伝っている事があるのだが、人手が足りぬらしくてな。そなたなら出来るであろうということで、行ってもらいたいのだ」
仕事は幕府とイギリスの間で交わされた契約書の内容和訳などだった。
「畏まりました」
「うむ。また江戸に向かう故、苦労をかけることになるが頼んだぞ」
一応屋敷の一部は新政府に提供せず残っているので、ごく少数の藩士が関東にいる新政府との連絡などを担当している藩士が滞在している。そこに俺は向かう予定だ。
「戻り次第、元服と分家を含め諸々を進める故、こちらでも支度を整えておこう」
「ありがたきことにございますが、今も藩士の皆様は御勤めで手一杯でございますし」
俺だけ優遇されるのは無駄な反感や妬みを買うのでやめてほしいと暗に伝えてみる。が、藩主様はあまり気にしなくていいという様子だった。
「もしかすると向こうで他にも頼まれるやもしれぬ。あまり長居されても困るが、少々ならば新政府にも助力してくれると助かる」
つまり、藩主様は1年くらい東京で仕事をしてこいという思惑で命じているのだろうか。1年ならば移封に関わる諸業務で兄も拘束されるだろう。その後であれば反発も少ないだろうか。さらに言えば、そこで実績を積むことで新政府で活躍できるように、という部分もあるのかもしれない。現在の新政府で主導的な立場に盛岡藩の人間はいない。多少なりともそのあたりを意識しているのかもしれない。
♢
藩主様の命をうけた後、江戸から菓子が贈られたとかで褒美として奥に近い部屋でいただくことになった。
こういう展開だと姫様―麻子様が部屋に最初からいることがあるので警戒して部屋に入ったが、部屋には誰もいなかった。安心して部屋に入り、女中さんに入れてもらった茶を飲みながら久しぶりの甘味を味わう。黒いあんの美味しさに、前世で好きだったアンドーナツを思いだす。東京でも銀行などは展開する予定だが、女性向けのスイーツは売れるだろうか。そんなことを考えてしまう。
少しボーっとしていたら、お茶を飲みほしていた。女中さんは1人になれるようにと部屋を出ていたので、このまま片付けもせずに帰るのもあれだと思い、台所の入口までお盆を返しに行った。
部屋の前に行くと、そこには先程の女中さんと話す麻子様の姿があった。柱の陰になる位置で気づいて足が止まったため、2人は俺に気づいた様子がない。
「ええ、姫様が先日作ったお御守りを首からかけていらっしゃいました」
「そう。なら良かった」
「戦も終わりましたし、もう少し一緒に過ごせる日が増えると良いですね」
「お仕事の邪魔は良くないです」
「あのお歳で殿も頼りにされる御方ですし、姫様も良い縁を頂けそうで何よりにございますね」
「別に、まだ決まってはいませんから」
麻子様は背中を向けているので表情などはわからない。ただ、大名家の娘となれば色々な柵で相手が決まるものだ。そういう意味では大変だと思う。今後の廃藩置県にいたる頃には南部一族はどうなるのか、もう歴史は変わっているし、個別の大名の事情はほとんど知らない。華族として生涯を終えるのだろうが、となればますます住む世界が違うという話になるかもしれない。来た道を戻って部屋にまとめたお盆を戻し、俺はそのまま帰宅することにした。
♢
年が明けて1日だけ兄が帰宅した翌日に俺は東京に出発した。兄とともに途中まで行き、俺は八戸から東京へ。兄は野辺地へ向かう。
「こちらのことは任せておけ。何かあれば例の手紙を出す」
「お願いします。ローマ字を使うだけで暗号文にできるのは今だけですからね」
ヘボン式表記の辞書はまだほとんど流通していない。手紙文の外枠に記号と混ぜて左から右にアルファベットを読めば重要な情報を2人で共有できる。ただし、これもある程度普及してしまえば使えなくなる。今だけの連絡手段だ。横文字の読み方も左から右に読むという形に慣れている人間はほとんどいない。
「それと、新政府から版籍奉還に関する連絡がうちの藩にも届いたそうだ。近く正式に発表されるらしい」
「箱館戦争がなかった分、政府の動きは早いですね」
「軍事的に弱いから徴兵制に向けて早くなると健次郎が言っていた通りになりそうだな」
「ええ。おそらく戸籍法から壬申戸籍までも早くなるでしょう」
そうなると壬申ではなくなるか。辛未戸籍か、庚午戸籍か。そういう名前になるだろうか。
♢
東京府 東京
つい3か月前に誕生したばかりの東京府。その藩屋敷に着いたのは、年が明けた1月8日のことだった。東京に着くと、元幕府の開成所である開成学校に向かった。ここで大島殿とともに多くの元江戸幕府の学者たちが明治新政府にそのままスライドして仕事を任されている。
俺が護衛を兼ねた案内の役人と開成学校に到着すると、中は大騒ぎになっていた。前回来た時に知り合っていた下働きをしていた人物を見つけ、話を聞く。
「何事でしょうか」
「これは原様!お久しゅうございます!実は今京で大事件がおこったとの知らせが来まして!」
「大事件?」
「横井小楠様が賊徒に襲われたと」
「横井小楠と言えば、熊本藩の」
「左様で。下手人や容態は分からぬのですが」
横井小楠は熊本藩の改革派を主導した人物だ。主要6藩の1つをまとめた人物であり、現在は新政府の参与を務めていたそうだ。格で言えば西郷隆盛や木戸孝允らとあまり変わらない扱いを受けていたらしい。彼が襲撃されたのが1月5日。情報が今日の朝届いたため、護衛の役人は自宅から直で迎えに来た関係上知らなかったわけだ。
そこに大島殿が通りかかった。彼はこの開成学校が政府機関として正式な命令を受けるまでの準備を担当していると聞いていたが、事件でそれどころではないのかもしれない。
「おお、健次郎殿。すまぬが本日はお帰りいただけるか。御足労頂いたのに申し訳ないが、恐らく今日明日は仕事の説明と引き継ぎをする余裕がないのだ」
「いえ、今事情はお伺いしました。少しの間は大変でしょうから、旅の疲れをとる機会と思って声がかかるまで屋敷におりますよ」
「助かります。新政府も大分混乱しそうですので」
まだまだ安定化にはほど遠そうだ。となれば、東京で自分たちのための事業準備などにもとりかかっていいかもしれない。
横井小楠は史実より新政府に近い立場だったので、熊本藩的には痛い出来事になっております。
この世界では維新三傑の称号は残るか微妙なのですが、立ち位置的には三傑並に重要な人物でした。




