第51話 最北の決着
最初は3人称です。お待たせして申し訳ありません。
陸奥国 平舘
弘前藩はこの一戦に藩の存亡をかけていた。戦闘における不利は理解していた。戦略的に不利なことも理解していた。だからこそ、仙台藩が積極性を一部失い会津藩が藩内を守る以外の行動をしない現状、待っていても勝てないと弘前藩は考えていた。孤立した弘前藩では盛岡藩も秋田藩も敵に回して勝てるわけがない。しかし、だからこそ、長期戦闘ではなく短期に、局地戦で勝利した後その戦線を維持することで戦後の立ち位置で新政府と交渉する余地をつくろうとしていた。盛岡藩との決定的な対立がある以上、自分たちが新政府で優遇される可能性がないという藩主の判断が強く反映された行動だった。
だからこそ、平館・奥州街道での敗北は弘前藩にとって大きな痛手となった。しかも技術的・戦訓的な優位を完全に喪失していることが形となった敗北である。弘前藩内では秋田藩を通じて降伏を訴える勢力も現れ、内部は紛糾した。起死回生を図る強硬派による最後の一手が、この平館奪還戦だった。
平館奪還戦の総指揮を担当するのは家老・喜多村久盛。彼は万一の際、全ての責をおって切腹することも辞さない忠義の人物だった。だからこそ、今回の作戦の全指揮を担っていた。
「勝たねばならぬ。勝てぬとも、弘前のためになる戦でなければならぬ」
弘前藩は兵を集団で運用せずにいわゆる散兵戦術をとった。集団で行軍すれば大砲の的になると考え、先の戦闘でうけた被害から10人以上の集団を可能な限りつくらずに平館を目指した。当然だが中規模の部隊単位での集合さえできない兵もいれば突出して盛岡藩兵に発見され討たれた兵もいた。しかし、結果として戦場に辿りついた兵の割合は前の奥州街道の合戦より多く、西南北の三方攻めが可能となった。砲撃によって兵の損失は最小限となった弘前藩兵は各方面から戦闘を開始し、そして射撃精度と射撃の火力差、防衛陣地の有無によって弘前藩側が大損害を出した。
弘前藩は陸上で死傷者1400、海上で撃沈3隻、中破2隻などの大損害を出して大敗した。一部藩兵が平館陣地に辿りついたものの、陣地で守られた盛岡藩兵に組織的な攻勢にでることはできなかった。結果として盛岡藩は死傷者37名、小破2隻で大勝をおさめた。
♢♢
陸奥国 平館
平館からの報告で勝利したことが確認できた。大規模に火力をぶつけたので弾薬の追加が必要となり、人員不足から直接平館に運びこむまでを手伝いつつ現地の物資状況を確認することとなった。弘前藩の部隊が撤退した後も一部戦場に残された敵負傷兵などもいて、兵站の消耗を確認できるほど現場に余裕がないのだ。
船で平館沖までやってきた時、蝦夷方面に平館周辺を守るのとは別の船が見えた。旧幕府海軍だ。緊張感が一気に増す船内。
「平館の船はもうあちらの船を警戒しているが、怖いな」
船長にあたる藩士が望遠鏡で幕府の船を覗きつつ呟く。この船は重要物資や重要な人物の輸送船として使ってきた船なので、戦場に出た経験のない船員しかいない。距離的に大砲などが撃ちこまれても届かないとは思うが、敵と思われる勢力が近くにいるだけでも十分警戒は必要だ。
「幕府の船は西に舵を切っているか」
「西というと、こちらには来ない?」
「恐らくだが、庄内まで移動するのだろう。弘前が敗れると、箱館に海軍が孤立することになるからだろう」
弘前藩を援助するというより、自分たちが孤立するのを避ける動きだろうと藩士は推測したのだろう。青森の湾内から野辺地方面へ妨害に出航してきた船含め、青森湾内の船は抵抗する力を失ったことが報告されている。そのため、平館周辺の哨戒を担当していた船以外盛岡藩の軍艦は弾薬の補給もそこそこに青森湾に出撃した。海上からの砲撃で弘前藩の戦意を喪失させようという作戦だ。それらの船を箱館の軍艦が攻めてくれば呼び戻す手筈になっていたが、この様子だと必要ないだろう。
「連絡用の花火を用意させます」
「忝い。我ら船員では積み荷のどこにあるかわかりませぬ故」
敵が来た場合の緊急花火は各船に積載しているものの、こちらに接近はしていないことを伝える色違いの花火までは通常載せていない。平館の拠点配備用に追加配備する予定だった花火を積み荷から取りださせ、こちらも発射することにした。轟音とともに上空で広がる花火。前世では真下から花火を見上げるなんて経験はなかった。打ち上げ花火、下から見たぞ横から見ずに。前世映画館で予告を観た映画のタイトルを思いだす。
「次の便にもこの花火は載っていますかな?」
「いえ、計画ではこの船だけだったかと」
「敵襲用の花火のみでなく、他の花火も必要やもしれぬと報告せねばな」
次の戦争では可能なら無線通信ができるようにしたいが、そのために必要なものをどこまで作れるかは未知数だ。自分だけの力で何もかも作れるほど全ての知識があるというわけではない。欧米諸国の技術レベル次第で組み合わせれば何とかなるとは思うが、欧米に行ったことがないので現在の技術レベルを詳細に把握しているわけではないのだ。
「さて、湊に入るとしよう」
船長にあたる藩士の号令で船が湊に近づく。海側からでも南の海岸線に遺体が見えた。射撃戦で討死した敵兵だろう。まだそこまで手が回っていないのだと気づく。弾薬の残存状況の確認さえできないというのも納得だ。
船が入港し停泊できる状況になったところで、事前に連絡のあった重傷者の様子が見えた。布製の担架に乗せられた骨折などの患者たちが簡単な手当を受けているものの、本格的な治療を行うために前線から離れた八戸に運ばれる予定だ。先行していた医療船に乗っていた医者と未元服の藩士が担架ごと負傷者を運びこんでいる。負傷者の中には弘前藩兵もいる。負傷者はどちらも関係なく治療するという赤十字の方針を加盟前だが反映したものだ。
「あの船は間もなく戻るか。ならば出航しやすいように海路は空けるべきだな」
若干南に位置を修正し停泊する。ここからが補給担当の仕事だ。平館に運ばれた補給物資の台帳控えを手に、十余名で陸地に降り立った。
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陸奥国 盛岡
新政府軍はあまり早く展開せず、とにかく圧力をかけつつ海上封鎖で流通を止めながら北越と庄内などの支援する藩の体力切れを狙うようだ。これは会津藩が敵に回る最悪の想定が回避されたことが大きいらしい。会津藩が依然保有する兵力は敵に回せば脅威だった。藩内には北越諸藩とともに戦うことを求めた者もいたらしいが、長州藩の世良修蔵死後は逆にその咎を責められないためか恭順の姿勢を強くしている。強硬派は既に藩を出て北越諸藩に合流しており、仙台藩ほど内部も強硬ではないそうだ。
山階宮晃親王様がいる上、その話し合いで警護に加わっているおかげで戦況がしっかり知れるのはありがたい限りだ。ただし、ごくまれにだが翌日に東中務様の警護役となると意見を聞かれることがあるという問題もあった。
「健次郎殿はどう見る?」
「はっ、浅学の身でございますが、夏すぎまでは今のままの方が戦の方針は徹底できるかと」
今回は徹底して北越諸藩を干上がらせる戦略に出ている。実際、その影響か北越地域は今年まともに作付けできていない。戦場になったこと、それを想定して早い段階で農村の男手が失われていたことが大きく影響している。ならば北越が一番苦しくなるのは夏の終わり頃だ。資金的に最も苦しくなり、かつ秋の収穫見通しが誰の目にも明らかになるタイミング。
「続けなさい」
「昨年までより不作になるのが目に見えて明らかとなれば、民心も離れましょう。兵も恭順派の藩士が不和を起こすかと」
「どの藩であっても様々な考えの者がいる。いずれは内部から不満が出ような」
「は。それを見計らって夏の終わりに攻めるのが敵を崩す上策かと」
「概ね薩摩の狙いと同じか。薩摩は既に新政府として種々の動きを見せつつ、鳥羽で失った藩兵を補うべく動いている」
東中務様の言葉の通りなら、恐らく秋目前には薩摩藩の留守居を担当した兵が投入されるだろう。他の諸藩も同様と見ていい。鳥羽と伏見の合戦に参加した主要六藩は損害の大きさから若手の藩士に人員不足が生じ、民兵の募集をして藩内の治安維持に利用しているんだとか。
「それと、先だっての掲示だが、やはり西洋諸国は批判してきたそうだ」
「我が藩の立場が弱いとはいえ、耶蘇(キリスト)教の禁止は避けたかったのですが」
「殿を通じて(楢山)佐渡様にもお伝えしていたが、薩摩は話は聞いてくれるが、という状況だ」
五榜の掲示が俺の知る史実通りに掲示されたのだが、掲示内容について盛岡藩としてキリスト教禁教の継続は英米仏の反発を招くと提言をしていた。しかし、盛岡藩は開戦当初中立を示した関係で政体書の中では要職を何一つえることがなかった。参与に辛うじて筆頭家老で在京の楢山佐渡様がいるだけで、議定の藩主・南部利剛様は奥羽平定の陣頭指揮を名目に京から盛岡に戻っている。実際の話し合いには参加できない状況だった。秋田藩は議定の藩主代行を京に置いているが、うちは置いていない。仙台藩との合戦に備え、指揮官となる家老格や一門を京に送りこむ余裕がないからだ。秋田藩の方がその点は余裕がある。実質対峙しているのが庄内藩だけだからだ。
「佐渡様はこのままだと新政府で盛岡藩が重用されることはないだろうと伝えてきた。但し、異国の言葉を使える者は別だろう。その意味では、そなたが憂慮することはない」
「藩の立地上仕方なきこととはいえ、もう少し最初から新政府寄りに動ければ良かったのですが」
「奥州において、仙台藩と考えを異にすることの難しさは我らにしか分からぬ。但木土佐様の頑なな佐幕姿勢を見ていれば仙台藩が敵に回らぬよう、敵に回っても味方が多くなるよう立ち回らねばならぬ。そして新政府優位が決まった今、佐幕派は仙台藩でさえ動きにくくなっておる」
仙台藩がある限り、盛岡藩はその動きに左右される厳しい立場だ。藩の存続だけを考えれば藩の上層部が決定した今回の動きは仕方ないものだが、とはいえ新政府に盛岡藩が強い発言力をもつことはもう厳しいだろう。新政府は薩摩ら六藩と秋田藩を中心に運営されていくことになると考えていい。
「健次郎殿。仙台藩が大きく動かぬならば、国境の兵を動かせる。だがまだ油断できぬ。青森確保に動きたかったが、秋田藩を通じて弘前藩が降伏を申し出た今、我らは今の征服地を維持するのが肝要。そちらが夏中に落着となれば我らも総攻撃に加われるだろうが、そこは秋田藩次第だ。次を見据えて、我らは動かねばならぬ」
「とすれば、戦後に帝の宮中警護に当藩の兵が加わることをまず考えるべきかと」
京での戦闘時に御所警備をしたうちの藩兵は、現在半数が十津川藩兵とともに御所周辺の警備を継続している。そのまま御親兵に継続して残れれば影響力が残る。そして海軍については大坂湾での海戦で敗れた薩摩藩は蒸気船も一部失った関係で、幕府海軍の残存艦隊を主力にせざるをえないだろう。しかし旧幕府海軍が主体となった組織にするわけにはいかないと考えれば、うちの藩の海軍も必要となってそれなりの要職にはつけるはずだ。軍に影響力が残れば改造型村田銃を正式装備にすることも可能だし、釜石の製鉄所をベースに東北地方に工業化拠点を多数置くことも可能になるはずだ。
「薩摩は八省の再編を進めているとの連絡もあった。官位の新設もあるやもしれぬが」
「むしろ官職は整理されるかと。異国でここまで細分化された官位はありませぬ故」
「そうか。そこは佐渡様が内情を伝えて下さるか」
「西洋諸国に近い国づくりとなれば、西洋を相手とする省ができましょう。日新堂を擁する我が藩はそこに藩士を送れれば」
「西洋、か」
政体書の体制にはすでに『外国官』と呼ばれる外務省の前身組織がつくられている。伊達宗城様が神戸湊での対応の素晴らしさから外国官のトップである知事となっているが、現時点で所属できる外国語を扱える人材が不足していると南部利剛様に報告が届いていた。
「健次郎殿。英吉利や仏蘭西は我らを亜細亜と呼ぶのだったな?」
「はっ」
「清が戦に敗れ、朝鮮は異国を拒み、露西亜が接近している。英吉利は清の町を自らのものとした。これから我ら日ノ本が一つにまとまるとして、我らだけで西洋と対抗はできるのか?」
「それは」
「厳しかろう。我らは清に起きた一連の出来事に無関心すぎた。あの時から清とともに露西亜や英吉利と手を取り合わねばならなかったとは思わぬか?」
「しかし、西洋諸国の新しい技術はそれでは手に入りませぬ」
「何も共に戦うのではない。英吉利は仏蘭西とともに戦や条約の話し合いを進めた。幕府との条約も、亜米利加と露西亜や仏蘭西が同じものを求めた。清と英仏の話し合い、せめてその席に我らもいられれば変わったものもあろう、と思ってな」
確かに、アヘン戦争・アロー戦争の段階でもう少し外国へ目を向けたり、講和条約に関与できていれば変わったものもあったかもしれない。しかし、現在の東アジアの国々と協力しても、えるものは少ない。ただ、近隣国家と協力するより、西洋に協力国家をつくった方がいい。
「すまぬ。今は不要な話。今なすべきは、北越諸藩への総攻撃に我らがどう助力するかだ」
「はっ」
「いい見識を聞けた。また何かあれば話を聞くやもしれぬ」
楢山佐渡様と違い、東中務様はとにかく熟慮と考察を好む。色々な立場の人間を大切にするから時に藩政に真っ向から対立する。今回はその立場を生かし、藩内の佐幕派の一部藩士を炙りだして後方任務に回すなどもしていた。藩内では色々と批判も多いが、今も南部利剛様に佐渡様不在の藩政を主導するよう任されている。
部屋を退出する時、「もう御家の次は安泰か」と小さく呟く東中務様の声が聞こえた。そこまで期待されても困るわけだが。それに、もう『藩』に次はないのだし。
来週は2話投稿できる予定です。少しずつ投稿再開できる環境になりつつあるので、もう少しお待ちいただけると幸いです。