第5話 踏み出した一歩目、枷となる幼き足
早くも多くの方に読んでいただき感謝しております。明日も3話投稿する予定ですのでお付き合い頂けますと幸いです。
陸奥国 盛岡
秋になった。稲穂が垂れている風景は稲作地帯の風物詩だが、俺が見る限りそんな田んぼは俺と兄平太郎が育てている稲田だけだ。
収穫にテンションを上げる兄を尻目に、盗まれないか心配していた俺だが、流石に家老を輩出した家の田を盗む阿呆はいなかったようだ。一番の泥棒はスズメだが、スズメも兄が工夫した案山子であまり近づかなかった。風車1つ持たせるだけでスズメの警戒度が目に見えて違った。動く物があるかないかはスズメにとって大きな違いなのかもしれない。
夜。収穫の終えたいわてっこを一部脱穀し、少量を炊いて家族全員と協力してもらった農民に食べてもらうことになった。新米を炊くときは水を少なめにするのだが、肥料をしっかりまいたおかげか米粒ははちきれんばかりにふくらみ、水を吸ってツヤツヤと輝いていた。
父直治が一口食べる。父以外はほぼ一口分だけなので、普通の麦飯も用意されている。父だけが茶碗一杯分だ。そして、一口食べた父が、固まった。
「こ、これほど米が美味とは、今まで思ったこともなかった」
母を含め、全員が我先と食べ始める。俺も一口。美味しい。前世で食べていた米そのものだ。むしろここまでの新米を食べたことがないので、このごはんの方が美味しいくらいだ。自然と笑みがこぼれる。周りを見ると、磯子の姉上が「あまーい……」と呟きながら涙ぐんでいた。
「米とは、これほど甘いものでしたか?」
「粘りがあって、舌に吸い付くようで。味が舌に広がるよ」
「あぁ、ずっと食べていたい」
この姉上も目を閉じながら飲みこみたくないといった様子で味わっていた。本来なら行儀が悪いと怒る側の父や母も同じようなことをしているので、誰もが同じ行動をしていた。いや、兄だけが違った。
「もう少し旨味が出せるな。やはり田んぼ自体の水はけをもっと改良できれば」
ぶつぶつと言っているが、現時点では大成功だろう。ちなみに、1反で通常1石のところ、いわてっこは半反に植えて1石6斗とれた。3.2倍の収穫量。収穫された米を全て種籾に使うと、来春作付けできるのは約265反分の土地ということになる。
「我が家の知行には米のみならず稗田や粟田もある。ここを転作させれば、全て作付けできるか」
「水田ならば、必ずこの米は育ちます。今年の他の知行地の米は売れば良いので、皆に種籾として渡しましょう。私も指導を行います故」
「そう、だな。ここでこれだけ確り育つなら、全てこれに変えるか」
既に原の知行地の農家にはこの米の存在が伝わっている。口外した者には種籾は配らないと伝えているので、一旦中途半端に伝わる事は避けられるだろう。
この功績をベースに、藩に対し俺と兄上が戦場に出ずにすむように取り計らってもらうのが理想だ。
♢
冬の寒さは尋常ではない。
家老の家だから何とか防寒具もあるが、寒さで盛岡藩には毎年凍死者がでる。東北一帯は燃料不足が常態化しているらしい。仙台藩クラスの大藩ですら、以前にいぐね(防風林的なものらしい)を燃料にするため違法な伐採をした村が罰されたことがあるらしい。春と夏の間にはやませが、冬には雪がこの地域を襲う。このやませに米はやられる場合が多く、夏になる頃には生き残った稲と死した稲がはっきりとわかってしまう。だからこそ、父は『いわてっこ』のすさまじさに気づいたのだろう。
「兄上、次は何をしゅる?」
「私はとにかく米の世話だな。農家だったことにこれほど感謝したこともない」
「そうでしゅか」
俺は何をしよう。何ができるだろう。手先が器用ではないから、軍オタとして知っている知識が十全に使えるとも限らないし。ある程度のところで兄に頑張ってもらって機械類は造ってもらうから、商売に手を出すのが最善か?でも結局のところ、この体がまだ幼すぎて何もできないのは変わりない。焦る。
「気に病むな。私では江戸の情報をもらっても意味が分からなかったが、お前にはわかっていたじゃないか」
「知識があるだけでしゅ。兄上のように、何かを変えているわけではありませんので」
秋近くになって、ようやっと5月の東禅寺のイギリス人襲撃の情報が入ってきた。人と物の流通はあるものの、外国人の攘夷でさえこれだけ情報が遅れる。9月の城下でおこった火事の方が大騒ぎだったくらいだ。公使の襲撃なんて本来許されないのだが。こういう積み重ねがあって、生麦事件から薩英戦争へ繋がるのだ。普通に歴史を習うだけならわからないが、外国人の襲撃事件は相当数発生している。
ただ、ロシアの対馬占領事件は幕府や蝦夷警固の各藩に大きな衝撃を与えたと思う。細かい内容まで俺も前世で勉強していないが、対馬返還はイギリスの働きかけもあってなんとかなったらしい。薄皮一枚で対馬は奪われなかった。だが、今の幕府では、今の日本ではどうしようもないということが一部の人の認識として生まれつつある。
「確か、今年からアメリカで南北戦争が始まったんだっけ?」
「ええ、そうでしゅ。この結果、開国させたアメリカが、開国後の貿易では全然影響力を発揮してこないんでしゅ」
「なるほどねー」
ロシアも農奴解放令に関わる混乱で今後はあまり身動きができなくなる。日本は幸運な時代に明治維新への道を歩む。だがそれは勝者側から見た視点だ。盛岡藩は奥羽越列藩同盟の一員であり、このままでは敗者なのだ。
俺は家族を守りたいし、兄も守りたい。他に転生者がいるかはわからないが、2人で頑張れば日本の第二次世界大戦敗戦への流れもある程度変えられると思うし、簡単に命を落とさせる危険のある場所に向かわせたくない。何より、子孫が間違いなく第二次世界大戦に巻きこまれる以上、そのために事前に色々やっておきたいわけだ。
「焦っても仕方ないと頭では理解していましゅが、あと6年で大政奉還でしゅから。時間が限られている上、自分の体の小ささを見ていると、焦ってしまいましゅよ」
「まぁ、気持ちは分からんでもないけれどな。焦っても物の怪扱いされたり、気を違えたと思われる」
「はい」
せめてイギリス人かフランス人と接触できれば。語学力だけでも使えれば大きく変わるのだが、筆で英語文とか書くのは大変だしなぁ。
それに下手に外国人と接触すると攘夷派の急進派に襲われかねない。時機を見ながら手持ちの知識を有効活用するしかない。
いわてっこは美味しいですよ!(ダイマ)
実際、気候への対応まで考えるととにかく米に最初はかかりきりになってしまうのは仕方ないですね。施肥量も経験のある人間でないとわかりませんし。
一方で、弟の健次郎はまだ小さいからできることがどうしたって限られてしまうという。