第43話 雪の壁、心の壁
久しぶりの主人公視点開始です。昨日から投稿時間が遅くて申し訳ありません。
陸奥国 盛岡
年明けを迎えた。雪に閉ざされても情報はやってくる。京周辺での戦闘は旧幕府軍が攻め寄せるも新政府軍が守り切って旧幕府軍が撤退したらしい。このあたりの詳細はさすがに伝わってこないが、史実と違って徳川慶喜はまだ大坂から逃げていないらしい。
雪に閉ざされた東北では、各藩の使者が盛んに各地を飛びかっているらしい。兄さえ知らないのに俺が知るわけもないのだが、少なくとも仙台藩と盛岡藩の間ではかなり頻繁に使者が行き交っているそうだ。仙台藩は今回の戦いで旧幕府軍に味方した。うちの藩は非常に日和見な行動に徹していた。これは仙台藩との関係もある。仙台藩領から盛岡の都市部までは徒歩で半日しかかからない。つまり仙台藩と敵対すると、藩境から半日で攻めこまれる相手という事になるわけだ。
いくら盛岡藩が勢力を拡大したといっても、実高150万石。仙台藩は一昨年表高を100万石で新たに申請し、加賀藩と並ぶ大藩となった。実高は300万石を超えているだろう。経済力で考えても、最も『いわてっこ』の恩恵を受けた藩なのだ。領内で最新式の銃を生産しているうちの方が銃は進んでいるだろうが、その分仙台藩は軍事専門で動員できる兵数も倍以上だ。元の石高を考えれば人口差は3倍。本来であれば対抗出来る相手ではない。
国許でも戦闘が発生した場合、仙台藩は派遣した1500の兵を抜いても最新式の装備をもった兵が10000動員できる。一方、盛岡藩は派遣した400を除けば5000が限界だろう。仙台藩は最新式でなければさらに万以上動員できるだけの数の力もあることを考えれば驚異の一言だ。国許を考えて、曖昧な態度に終始したのも無理はない。盛岡藩の武士は概算1万人。武士身分の数がそもそも違いすぎる。
本邸に試作で用意した石積み暖炉のある部屋で、兄と2人、あるものの出来を確認しながら話す。
「というわけで、恐らく今後盛岡藩は新政府軍に協力すると思われますから我々は盛岡藩兵をサポートする必要があります。春までに」
「一応大砲が40門、うちの藩の船に搭載した物を除けば陸で使える。青銅砲と鉄のものだ」
「怖いのは仙台藩と、人手不足の状態で弘前藩が何か介入してくることですね」
「北は北で防備を固めつつあるが、弘前藩は何をするかわからんからな」
「聞いた話では、早々に幕府を援けるべく援軍も辞さないと準備しているとか」
「そのまま野辺地に攻めてきそうだな」
「そう想定して東中務様が準備しているようですね」
南部監物様が藩主様不在の家中で一番偉いわけだが、実務能力では東中務様が一つ頭が抜けている。そのため楢山様と2人が京に向かうこととなった時に家老に再任され、会議を主導するようになっていた。そんな中務様は仙台藩・弘前藩を全力で警戒しており、仙台藩と敵対すれば確実に弘前藩が攻めてくるとして準備を進めていた。具体的には野辺地の整備が進んでいた砲台周辺に、いつでも稼働させられるよう異国警備を理由として部隊を配置。防衛陣地の構築も進めつつ一部艦船を野辺地の湾内に移動させている。
「とはいえ、仙台方面はこちらが何か動けば逆に刺激しかねん」
「ですね。だからこれの準備をしているわけで」
目の前には積み上げられた叺。平時には俵物などの輸送で使う藁製の袋だ。ここ2年ほど、米の収穫増に合わせてこの叺も大量生産を進めていた。災害時のためもあるが、こういう戦時に利用する目的だ。土嚢の代わりになる。
「既に仙台藩との国境で街道整備後に出た余りの土をいつでも叺に詰めて陣地が造れるようにはなっていますが」
「街道整備の時に色々と仕込んでいたというあれか」
「まぁ、他にも準備はしているみたいですよ」
俺の立場ではわからない部分だが、藩の偉い人たちはそれなりに準備を進めているらしい。いずれにせよ、本格的に動くとなれば春になってからだ。それまでにできることをするしかない。
「ここにあるのは万一藩境の防衛線が破られた時のため。シャベルも街道整備用の小屋に隠してあるそうで」
「軍艦の訓練も進んでいるし、何かあってもある程度は耐えられるはずだが、な」
御国産方である兄はこうした軍需物資の管理を任された。結果的にもし戦闘になっても、そうそう戦場には行かずにすむのが確定したわけだ。とはいえ、安心出来る状況というわけでもない。兄の知り合いには既に戦時に向けて準備を命じられた人もいるし、日新館の学生ながらある程度の年齢の武家であれば今頃新式銃の訓練に参加させられている者もいる。鉄砲方でもある大島高任殿も大忙しだ。
町民たちは豊かな年越しを迎えたようだが、戦火がいつここに及ぶかはわからない。正念場は近い。
♢♢♢
仙台藩の使者は遠藤文七郎允信だった。彼は元々家老職にあったが、尊王論を訴えて時の関白・近衛忠煕と接近した。筆頭家老の但木土佐との勢力争いとなったが、遠藤は敗れて隠棲していた。筆頭家老の南部監物は事情をよく知っていたため、彼が使者であることに驚いた。
「遠藤殿、一体いかがされたか?」
「某はまだ名目上許されておりませぬ」
彼が語ったのは、役職には復帰せず仙台藩筆頭家老但木土佐にも知らせずに動いているという話だった。主導したのは川崎伊達家の当主で一門の伊達主殿。伊達主殿は家中生き残りのため、非公式に伊達のために彼を派遣していた。
「此度の戦、このままなら徳川宗家が敗れましょう」
「そうなのでしょうか」
「ええ。加賀藩が官軍に味方し、尾張徳川も藩内の一部が官軍への降伏を訴えているとか。西国で徳川に味方する者はほぼおりませぬ」
「そう言えば、信濃の松代藩も官軍に味方したとか」
「北越諸藩が佐幕で動く中、松代や高遠、上田ら中信濃諸藩は尾張藩領に攻めこんだと聞いております」
松代真田氏を中心とした中信諸藩は広島藩と加賀藩の動きに合わせて南信濃の尾張藩領(木曽)に侵攻した。
「大坂の決着がつき次第、我ら仙台藩も朝敵として討伐の対象となりましょう。これを何とか防ぎたく」
「ふむ、無論仙台藩との友好は肝要。然れど公式の使者でもない遠藤殿に何かを約束はできませぬ」
何より、冬の終わりまでに状況がどう動くか分からない。信濃諸藩の行動も、雪によって尾張藩がこの地域に援軍を出せないため、少数の兵で木曽の山林を掌握して春になる頃には尾張藩は援軍を送れる状況ではなくなるだろうという読みからだった。もし春までに戦が終わっても、官軍のために『行動した』という事実は残る。しかも冬の間佐幕派の北越諸藩や関東の旧幕府軍は雪で信濃には来られない。そういう周辺事情を考慮しての動きだった。
「但し、仙台藩の正式な使者として貴殿が来られた時はそういうことだと我らも思います。藩中には伝えておきます故」
「忝い。可能ならば、雪解けまでに全てが終わり、誰も戦わずにすむと良いのですが」
雪のおかげで東北一帯は静かだ。しかし、それは嵐の前の静けさにすぎない。
史実でも仙台藩は筆頭家老の但木土佐が遠藤允信を排して佐幕で藩をまとめています。遠藤允信は戦国時代伊達輝宗の頃から台頭した遠藤氏の末裔です。他にも中立派なのが片倉邦憲(政宗の乳兄弟片倉景綱の末裔)と、戦国時代の面影が感じられる大名だったりします。
ちなみに、南部監物が対応して東中務が出てこないのは、東中務が用件をほぼ最初から読んでおり、楢山佐渡不在の藩運営を優先するために面倒な仕事を理由をつけて筆頭家老に押しつけているからだったりします。そういう実務優先なところも彼が藩で孤立しやすい理由です。