第37話 狙う者、狙われる者
少しずつ読んでいただける方が増えているようでありがたい限りです。もうちょっと毎日投稿できる予定です。
陸奥国 八戸
盛岡藩は2年前に近代的な海軍をつくった。その指導や運用で吉村富次郎殿が滞在しているが、彼は一応幕臣だ。ただ、幕府海軍に所属しつつも所属艦がないため、盛岡藩海軍指南役出向という形で昨年から正式に盛岡藩にレンタル移籍みたいな形で所属している。幕府とは蝦夷関連ということで支援が結構ある。今年から幕府はイギリス海軍から軍事顧問団を受けいれたらしく、吉村殿もイギリス海軍には興味をもっていた。
「とは言え、ばく……徳川宗家の海軍も、英吉利顧問を持て余しているようで」
「幕臣だった吉村様も気になりますか。大政奉還で国家海軍の指南を目指して派遣された人々が徳川宗家の海軍を指南して良いのか、という話」
「そうそう。幕府はなくなったから、政府ではなくなった徳川海軍ですからね」
軍事顧問団はあくまで国家海軍の指導を目的としてやってきた。だから徳川宗家が大政奉還を行った以上、国家海軍からの依頼をどう受ければいいか困惑しているらしい。ちなみに、フランス陸軍軍事顧問団は何も気にせず徳川宗家の兵を訓練している。盛岡藩でもそれは同様だ。
「イギリスは一応中立的ですからね。それに、他国の干渉はあまり大きくない方がいい」
「ふむ。攘夷の話はどうなるんでしょうね」
「基本的にはまずこの国が力をつけてから、でしょうね。力がなければ植民地にされますので」
そんな話をしていると、徳川宗家海軍が保有する開陽丸が八戸港に入港してきた。今日はこの開陽丸を出迎えるため、色々な人が総出で八戸に来ていたのだ。この船の艦長は榎本釜次郎武揚。つまりあの榎本武揚である。
「榎本様は某と違って出世頭だからね。昨年まで欧羅巴に派遣されていたし」
「吉村様もかなりの出世をされたと思いますが」
「残念ながら、長州の武家に養子入りしているからね。戻っても出世はさせてもらえないよ」
吉村富次郎の名は長州藩士に養子入りしてもらったらしく、この名がレンタル移籍の決定的な理由となったらしい。出世コースに戻るなら名を戻すしかなかったが、ここで働く分には問題もないということで吉村殿は名を変えなかった。
開陽丸が錨を下ろした。小船に乗り換えた人々が上陸してくる。筆頭家老の南部監物様が出迎えた。
「良くぞ参られました。筆頭家老南部監物にございます」
「筆頭家老様に出迎えていただけるとは、畏れ多いことでございます。徳川家軍艦頭・榎本釜次郎にございます」
軍艦頭というと、イメージだと海軍中将とかそれくらいだろうか。海軍の軍艦を束ねる立場なので、30代前半でこの出世は驚異の一言だ。優秀でなければ無理だろう。
「おお、吉村殿。久しいな」
「お久しゅうございます、榎本様」
「お勤めご苦労様。暫くはこちらで海軍指南を受け持つ故、最新の知識を身につけつつ指南を援けてもらえると助かる」
「微力ながらお手伝いさせていただきまする」
「よろしく頼む」
後ろに隠れていた俺には気づかず、榎本武揚はそのまま最近用意した馬車に乗って八戸城に向かっていった。整備された道を馬車で行けるとは思っていなかったそうで、案内役から後で驚いていたと聞いた。
♢♢
陸奥国 盛岡
島津からの嫁入りがあったことで、実質的に薩摩藩とのパイプ役になった。そのため元幕府海軍の出入りする現在、一応憚って甜菜事業などの進捗状況を書類で確認するなどの作業だけになっている。手伝ってくれる那珂通世とともに藩校に行く時以外は城詰めだ。
「米価は少し落ち着いたか。西国の収穫はやはり不十分だったと。『いわてっこ』で米が足りているとはいえ、銀相場の変動からドルでは減収か」
「で、姫様とはどうなんだ?」
「健なら今日も家にいる」
「流石にもう姫とは呼ばぬか」
「正式な場ではそうもいかぬが、な。そなたしかいないから構わぬだろう」
「そうか。召し物とかは金がかかるのか?」
「全く。薩摩は貧しかった故、一族といえど贅沢は禁じられていたそうだ」
「苦労しているんだな」
「健次郎曰く、『シラス台地』とやらで米が満足に育たぬそうだ」
「健次郎はまこと何でも知っておるな。ご家老衆もかなり期待しているわけだ」
「まだ元服前だ。あまり過度に期待しないであげたいがな」
健は薩摩から連れて来た猫を大事にしている。最近日新館で用意した殺鼠剤の硫酸タリウムが養蚕家に人気があるので、ネズミ取りの猫が一部不要となった。その不要になった猫も一部うちで引き取るくらい猫が好きだ。現在城内屋敷には8匹の猫が生活している。正直この猫が一番金がかかる。猫と遊ぶからと汚れないように服もあまり凝ったものを着ないし、自作した猫じゃらしで一日中猫と遊んでいる。猫といればわがままも一切言わない(どころか楽しそう)ので、気楽なものである。
「猫の鳴き声が良く聞こえているからか、『猫屋敷』と呼ばれているそうだな」
「一応、猫の爪とぎも用意したし、猫用の厠もあるから屋敷内が汚くはないぞ」
「猫は気難しい故、なかなか飼えぬなぁ」
「それで健が喜ぶなら、構わぬ」
あまり積極的に構ってあげられる状況でもないし、知り合いもいないから寂しいだろう。せめて本人が過ごしやすくするのが夫の務めだ。
ある土産をもらった仕事終わりに、屋敷に帰る。敷地の入口前に、2匹の猫がいた。
「ん?うちの猫か?」
護衛と別れ中に入ると、猫はそのままついてきた。人懐っこい。
履物を脱いで中に入ると、猫もそのままついてきた。女中があわてて猫を止め、濡れ雑巾で足を拭う。されるがままにしているので、慣れているからうちの猫なのだろう。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
「少し前に何やらヌケとモトが騒がしく外に出ていきましたが、いかがしましたか?」
「多分私の土産を察したのではないか?」
猫の目を見ると心なしか輝いて見える。完全にわかっている目だ。手持ちの袋を開け、健に中身を見せる。
「これだ。干し鮭の薄切り。我らの食べる物を買った時に、猫のことを知っている店の者が端切れをくれてな」
「まぁ。まぁ。まぁ」
「これを与えれば我らの分も猫にとられぬしな」
「まぁ。まぁ。まぁ」
笑顔でまぁしか言えなくなった健を見ながら、私は苦笑せざるをえなかった。猫たちの目は、獲物を狙う狩人のそれになっていた。
♢♢♢
山城国 京
11月。幕府の京都見廻組は、何者かからの投書を受け取った。ある日に京市中における見廻組の殺害容疑のかかっていた坂本竜馬と見られる人物が滞在する予定の場所だった。これを受け見廻組は彼を討つべく準備を練り始めるのだった。
投書を行った人物たちは、見廻組の動きを確認して笑みを浮かべた。
「西郷も後藤も、桑名の服部も了承済みだ。見廻組も油断はなし」
「あの男等は知りすぎました。しかも中岡は討幕を訴えるなど、駒なのに動きはじめた」
「問題だ。問題しかない。駒が勝手に動いては将棋は指せぬというに」
坂本竜馬、中岡慎太郎と亀山社中は多重スパイとして活動していた。幕府にも、土佐にも、長州にも、薩摩にも、会津にも、盛岡にも、福岡にも情報を授受してきた。彼らの立場はとても動きやすいものだった。しかし、独自の思考で彼らが動きはじめたことを、一部の藩は苦々しく思っていた。
「中途半端に物事を知るのは良くない。大政奉還となったし、そろそろ面倒になった、ということだな」
「これ以上知られると逆に手が下しにくくなります故」
「そういうことだ。奴等は知りすぎた」
もし坂本竜馬と中岡慎太郎がもう少し深い部分で暗躍する立場だったなら、逆に彼らは誰にも手を出されず、むしろ新政府などで要職が与えられただろう。背後に誰もいないからこそ得た地位は、背後に誰もいないからこそ不要と判断されると容易に失われるものだった。
10万字で1つの到達点として大政奉還までを描きました。ここから維新に向けてまた1つの山場に向かいます。
硫酸タリウムの殺鼠剤としての発見はこの時期。養蚕の難敵であるネズミ駆除は大事です。ネズミ駆除のために猫を飼う家もあったとか。
坂本竜馬・中岡慎太郎への私の考え方は作中の通りです。もう少し中枢に近ければ違ったでしょうが、彼らはそこまで中心に近くなかった。だから色々な人にとって邪魔な存在になってしまったのかな、と。ですのでどの藩が、どの勢力が黒幕かはわからないと思っていますし、そもそもただ邪魔だったから排除されただけで黒幕なんていないのかもしれません。ただ、今作ではこのような形にしております。坂本竜馬の死は歴史を動かしたと私は思っていませんので、彼の退場がどこかで描かれることはありません。一言言及することはあるかもしれませんが。




