第33話 密議と密議
もう少しで本来の時間に投稿できるようになる、はずです。
陸奥国 盛岡
仙台藩と盛岡藩の藩主が京に滞在するようになったため、奥羽各藩も幕政や朝廷の動きに敏感になりつつあるらしい。先日から薩摩藩の要請でうちで盛岡藩士向けに刷っていた新聞を20部江戸の薩摩藩邸や京、薩摩にも送るようになったのだが、秋田藩や庄内藩・長岡藩・仙台藩や会津藩からも注文というか要請がくるようになった。これらの藩に販売という形をとることで、結果的に少しずつ採算がとれそうな状況が生まれつつある。特にロシア・イギリス・フランスそしてプロイセンとオーストリアの記事が人気らしい。
「しかしだ健次郎。ここまで色々な情報を渡したら私たちの情報アドバンテージがなくならないか?」
「核心的な情報より、習俗や文化をメインにしていますからね。あと、政治体制。西洋の現在の政治状況なんかはほとんどこの中に含んでいませんので」
「今月はハプスブルク家について、か。世界史じゃないから正直よくわからん」
「まぁ、せっかくなので読んでおいてください」
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。色々な人間が知っていた方が便利だろう。
「そういえば、養蚕はいかがですか?」
「御国産方の援助金で、各農家でかなり大規模に養蚕が始まった。特に新しく開拓された三本木は一昨年から養蚕を始め、桑が大分育って来たので今後は安定しそうだと」
「輸出するならとにかく生糸ですからね。米、生糸と果物栽培で農業を支えつつ、工業を促進しながら第三次産業までを育てるのが基本です」
「大局的な視点は任せるわ。今は旋盤とか使って銃の改良を進めておく」
「今年はとにかく訓練できる状況を確立したいですからね。蒸気機関の試作は秋あたりですかね」
「最初は輸入してバラして構造理解して素材用意して、だな。輸入する予定のボイラーからまずは完全コピーを目指すさ」
「お願いします。こちらはこちらで頑張りますので」
薩長同盟の周辺藩といえる立ち位置をえたのが土佐と盛岡ということになるだろう。京では土佐藩と盛岡藩で会談が何度か行われていると聞いているが、この世界では薩長土肥ならぬ薩長土盛になるのだろうか。でも佐賀藩もかなり薩摩と協力しているようなので、そんなに簡単にはいかないと思うけれど。
♢♢♢
山城国 京
土佐藩邸では4回目となる家老級会談が行われていた。盛岡藩家老楢山佐渡と土佐藩側役の福岡藤次は先帝である孝明天皇の遺志を重視し、公武合体を第一に今後の政局を動かしたいと考えていた。しかし、七侯である山内容堂は複雑な政局を嫌い、会議にはあまり出席していなかった。結果として、土佐藩の真意はこうした個別会合で他藩に伝わり、対応する人間の違いからその方向性は一貫していなかった。
「薩摩藩とは倒幕で一致したと伺いましたが」
「決してそのような事は。我等は朝廷と幕府が共に手を取り合い、国難に対処するのが第一と考えておりますとも」
「新帝の御意向はわからぬが、だからこそ帝の御意向を確認せずに幕府をどうするか論ずるは早計と言えましょう」
「然り。我が藩も何とか一つにまとまっていきたいのですが」
山内容堂は日頃から誰の味方になるという明確な態度を示さない人物だった。それがこの中途半端な土佐藩の状況を生み出していた。
「藤次殿がなんとか容堂公を説き伏せていただくのを期待しております」
「何とかいたしましょう」
♢♢♢
楢山佐渡は土佐藩との会合の夜、仙台藩の但木土佐と会談を行っていた。但木土佐は内外に知られた佐幕派の筆頭であり、藩内の尊王攘夷派を排除したことから仙台藩は『幕府の代弁者』として活動していた。その仙台藩をして、土佐藩は不気味な藩と思われていた。勤皇思想を中心として開明的だが、公武合体を重視するという現状の盛岡藩の方が、方針がわかる分対話できると判断されるほどに。
「佐渡殿、新しい公方様は異国との交渉も数多く行ってきた方。奥羽諸藩が支えれば、幕府は再び甦りましょう」
「土佐様の申す事はわかります。しかし、単純に幕府だけで事に当たるには既に限界があるかと」
「しかし、朝廷には長州を擁護する者も多うございます。幕命に従わぬ者を裁くこともまた国の為には必要かと」
「元をたどれば攘夷の勅に従ったものであるのも事実。但し、七卿を匿ったのは正しかったとは言えませぬな」
「で、あるならば」
「だから征伐が行われ、毛利様は隠居された。それで良しと、公方様もお認めになったはず。信賞必罰なれど罰は何度もしてはならぬかと」
「ぬ、しかし」
但木土佐は反幕府の勢力を認めない。そのため、盛岡藩が幕府炭鉱の拡張や開成所での研究に積極的に関与していなければ不信感を抱いていた。だが、結果的に薩摩藩との取引は米の輸出に関わるものであり、軍備の増強も幕命であり、その動き自体が幕命の外にある行動ではなかった。長州藩への支援金も支払い保証を盛岡藩が行っているだけで、表面上は大名貸しでしかない。
「あまり長州に固執するのも宜しくないかと。幕府のためを思うなら、それこそ幕府の今為さんとする物事に助力することが第一かと」
「しかし、あまり武器を買いすぎると大名貸しから文句が出る故な」
「そこは藩の財政を第一でも宜しいかと。我が藩も財政の立て直しを第一に進めましたので」
仙台藩はその石高の大きさもあって文久年間(1862年ごろ)には40万両近い借金を抱えていたものの、一昨年と昨年の収入によってこれを8割方返済することができていた。ただし、まだ借金が残っていた関係で蒸気船の調達には積極的ではなく、小倉藩の飛龍丸のように一部以外には手を出していなかった。
「あとは幕閣の内部対立をなんとかせねばなりますまい。世代交代で老中方は大分まとまりましたが、江戸と京で対立することは無くなっておりませぬ故」
「然り。朝議でせっかく関白様(二条斉敬)が公方様と従兄弟同士の方なのだ。公武はまとまれるのだから、幕府内がまとまらねばならぬ」
現在の七侯会議は反幕府の島津久光が伊達宗城・松平春嶽を味方にし、山内容堂と南部利剛に接近して過半数をまとめようとしている。これに対抗するのが松平容保・伊達慶邦である。しかし島津久光以外は倒幕という意見はもっておらず、久光はなんとか倒幕に向けて長州以外に味方を欲していた。
桑を一から育てるのは時間がかかる。養蚕は一日にしてならず。
山内容堂は史実だとこの頃には幕府劣勢により幕府擁護に動きはじめますが、この世界だとギリギリ長州征討に成功したのでまだ優柔不断なままです。
また、隣の仙台藩については楢山佐渡が史実だと『借り』があると考えかなり配慮した行動をとるのですが、今作だと仙台藩に対する『借り』を『いわてっこ』の優先販売などで返したおかげで対等な対話ができています。




