第32話 秒読み
寝落ちしてしまいました。申し訳ありません。
武蔵国 江戸
年が明けた。慶應三(1867)年だ。
年越しを江戸で迎えた。兄は嫁さんと仲良くできているだろうか。本邸に残した母や弟が心配になる。軽いホームシックなのかもしれない。
今年はいよいよ大政奉還の年だ。七侯の1人として重要会議に参加している藩主の南部利剛様や筆頭家老の楢山佐渡様はどうするつもりだろうか。
「この年越しそばは美味しいですね」
「そばを食べれば脚気にならぬ、とも言いますしね」
今回江戸に同行していた八角高遠殿の子・八角宗積殿がそう答える。彼は彼で開成所で医学を学んでいるため、普段の行動は別だ。
「脚気はビタミンB1の欠乏ですが、そばはビタミンB群が豊富ですからね」
「健次郎殿が言うように、真に食事の問題なのか、今開成所では議論が盛んだよ」
「そば食と玄米、豚をニンニクと食べれば改善するというのはいかがでしたか?」
「まだ始めたばかりですからねぇ。ただ、数人が症状が和らいでいる様子でしたよ」
彼の今回の目的は『脚気の治療法について』だ。盛岡では既に脚気対策として食事療法が確立しているのだが、盛岡では脚気患者が多くない。そこで、より多くの患者の治療サンプルをえるため、脚気患者が多い江戸に来て開成所の援けを借りることにしたのだ。ビタミンB1の豊富な食材と、その吸収を援けるニンニクを使えば脚気は治るのだ。
「とはいえ、『いわてっこ』の普及で江戸の庶民は白米をさらに好むようになったとか。何か方策は考えねばなりますまい」
「ふむ。にんにくやビタミンB1の多い食材で保存のきくおかずとか何か作れないものか」
兄に帰ったら相談してみよう。にんにくは八戸藩や田子を含む南部領北部で栽培を始めているし、領内でそういうものを作れば特産品にもなるだろう。
♢
江戸上屋敷のそばには薩摩島津藩邸や山形水野藩邸がある。薩摩藩邸が近いということは島津と南部の話し合いはここで行われるわけで。今日は薩摩藩から江戸に派遣されてきた黒田仲太郎殿と盛岡藩の一条友治郎殿、そしてイギリス外交官のミッドフォード氏が集まって話し合いとなった。ミッドフォード氏は半分日本語で話せるので、俺は正直あまり必要ないのだが。難しい言葉だけ、彼に聞かせるのが俺の役目だ。イギリスはあくまで会談の状況を見守るというスタンスである。
京で特定の藩同士が会談すると目立つ。そのため、表立って京で話し合っているのは将軍と会津、薩摩と宇和島くらいだそうだ。実際は江戸で仙台と会津も話し合っているし、盛岡は仙台・薩摩・越前などと実務者レベルで頻繁に話し合っている。
「新しい公方様はせっかくの七侯会議を蔑ろにしつつある。やはり一度幕府を潰さねば帝の願い通りにはならぬのでは?」
「公方様の真意は図りかねるが、帝の御叡慮は公武合体にあると拝察いたすが」
「だが、公武合体とは申すが、公方様がどれだけそれを目指しておられるか」
そんな話し合いの途中で、京から急報が届いた。
孝明天皇崩御。数え36歳である。
♢
翌日。
孝明天皇の死で混乱する江戸で、仕切り直した会談が行われた。
「次の帝がどうお考えかわからぬ」
「まずは先帝の御遺志を尊重されるでしょう。我が殿もそれを支えるかと」
「しかし、これで神戸開港などの懸案も進むやもしれませぬ」
「そうであれば尚更幕府を潰す必要はないのでは?」
「いや、幕府では異国との交渉を任せられませぬ」
盛岡藩としては、朝廷の、そして帝の考えさえわかればそれに従うという大前提をもっている。そのため、逆に言えば現時点で何かを明言することは避けたいのが本音であり、薩摩藩側は可能な限り盛岡藩から支援を引きだしたかった。
「まぁ、長州藩の支援に瀬川安五郎らから2万両を長州藩に送りましょう。周防大島を失い、内部の統制にも金は必要でしょう」
「ありがたい。我らも米の収入がほぼ無きが如し故」
薩摩藩内では既に稲作では収入にならず、酒造りなどに注力して何とかしているらしい。長崎でオランダ向けの米輸出や、うちとの中継貿易で損失を補填しているとか。オランダもライスプディングを食べるらしい。知らなかった。
長州藩は内部のまとまりが強くなっているらしい。中国・四国地方の周辺諸藩も『いわてっこ』を入手したそうだが、正しい農法までは伝わっていないらしい。魚肥も東日本で大部分を消費してしまう関係で味も収穫量も再現できていないとか。中途半端な『いわてっこ』は既存の米とあまり変わらない価格で取引されてしまい、かえって農家の困窮を招いているそうだ。これに長州藩と薩摩藩が便乗し、兵を派遣しなかった藩の取り込みを進めているそうだ。長州藩は薩摩経由で正しい農法を入手し、亀山社中が蝦夷から魚肥を運ぶ契約を結んだとかで今年からは稲作が安定すると思われている。今年の運用資金がないから貸すことになったわけだが。
長州が史実よりイケイケな感じにならなかったわけだが、これによってどう結果が変わるのだろうか。大政奉還になるかは正直わからない。幕府はどうやら史実より強気らしい。悪い方向に向かわないようにしたいところだが。
♢
盛岡への帰国前日。薩摩藩と亀山社中から、今後のために護衛をつけてはどうかと大島殿や俺に対して話があったそうだ。盛岡藩の屋敷には定期的に仕官を願う人々が現れている。盛岡の治安が安定しているとは言え、異国の技術・文化を許容する姿勢が強いので対策すべきというわけだ。大島殿も気にはしていたようで、そういう人材を探していたらしい。「弘前藩からは恨みを買っているやも知れぬ」と言われれば納得せざるをえない。
「実は淵江の豪農で北辰一刀流を修めた日比谷健次郎という者がいてな。洋学の研究にも理解があり、『いわてっこ』の農法を条件に自身の道場で教えている者で仕官希望者を紹介してくれたのだ。そなたと同じ名ということで親近感も湧くと」
「それは、ありがたいお話で」
そんなわけで、4人ほどの護衛が今後俺と兄につくようになった。江戸でも有名な実力者の弟子が身辺にいるのはありがたいことだ。江戸に来てよかった。
今度来るときは横浜にも行きたいね。
わかりやすいように孝明天皇と表記していますが、まだそう名乗っていないのであくまで主人公の認識です。
私個人としては孝明天皇の暗殺説には色々と疑問符がつくので今作では病死としてストーリーは進みます。諸説あるのでそのあたりは個人の中で判断するようお願いいたします。
以前も指摘ありましたが、護衛といえば江戸の道場からというのもあり、この話まで明言せず進んでいました。盛岡藩内ではそもそも主人公たちは行動する際かならず大人=護衛と一緒なのでその大人が専属化して質が上がる程度と思ってください。




