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平民宰相の世界大戦 ~原敬兄弟転生~  作者: 巽未頼
慶應ニ(1866)年
31/109

第31話 冬は上司命令で江戸に派遣されること

遅くなり申し訳ありません。そろそろ盆休みで定時に投稿できる、はず。

 陸奥国 盛岡


 長州は勝利を喧伝しているらしいが、どちらかというと幕府の権威失墜と見る人が多いようだ。諸藩は幕府の動員力が想像以上に高くなく、動員を拒否されたことを注視している。幕府は実際資金不足な面が多々見受けられているし、秋の収穫を目前にして大規模に船舶を盛岡藩や仙台藩、秋田藩に売っている。小倉藩所有の飛龍ひりょう丸が長州に侵攻された結果小倉城を失陥し財政が悪化したらしく、幕府経由で仙台藩に売られた。

 大島殿はほくほく顔だ。米の流通が再開し、米価は『いわてっこ』が1升350文、旧品種が1升150文ほどで落ち着きつつある。


「順動丸が手に入ったのは良かった。蒸気船が三隻は欲しい」

「追加で亜米利加から蒸気船3隻が21万ドルで買えるそうで」

「あぁ。幕府に仲介してもらってね」


 アメリカ南北戦争末期に南軍が所有していた蒸気船2隻を盛岡藩で買ったらしい。幕府は仲介料をもらって損益などの補填を行ったらしい。うちの藩の年間予算が恐らくドル換算で300万ドル(支払い関係抜き)くらいなので、昨年の収益をかなり注ぎこんで購入しているだろう。


「まぁ、蒸気機関については橋野に直記なおき殿が旋盤や中ぐり盤、フライス盤を揃えてくれましたので、部品から色々作りはじめられるだろうね」

「フランスから輸入したものと、今年アメリカから輸入したものが揃ったんですね」

「ああ。新婚だから来春からになるが、色々と始めてくれるそうだね」


 大砲の中ぐり製造は今年から始めたが(というか自藩内で軍事関係はできないと怖い)、来年からはいよいよ銃の改良が始まる。蝦夷の羊飼育はどこまでうまくいくか、甜菜はうまく栽培できるかなども懸案事項である。


「そう言えば、俺に幕府から依頼があったと伺いましたが」

「正確には開成所からだね。実は村上英俊殿が仏蘭西の陸軍の教練書の翻訳を手伝ってほしいそうだ」

「いや、俺は盛岡から離れられませんよ」

「うむ。だから幕府から例の千代田形二番艦の発注、最優先で盛岡藩に納めることを条件に殿がお認めになられた」

「あ、そうですか」


 幕府は今年千代田形と呼ばれる蒸気船を完成させた。次の船を造るかどうかというところで長州征討が始まり、石川島造船所の職人も船の修理を見据えて神戸に移動していた。なので9月の停戦をうけて戻ってきた職人が今月に入って盛岡藩から注文した蒸気船を造り始めたそうだ。仙台藩も蒸気船を求めたらしいが、俺の派遣を条件に盛岡藩優先となったらしい。


「タクチーキなる本らしい。仔細は開成所で聞いてくれ。私も同行するのでね」

「分かりました」


 そんなわけで、冬の間俺は江戸の開成所に出向することになった。


 ♢


 武蔵国 江戸


 江戸・外桜田の盛岡藩上屋敷。その詰人空間と呼ばれる長屋に滞在することになった。10年ほど前まではこの上屋敷に正室や嫡男といった盛岡藩の重要人物が生活していたものの、ペリー来航後の参勤交代緩和で皆国許に戻っている。そのためこの屋敷も江戸の情報収集など一部の機能のために存在するようになり、以前より人が減って静かになっているそうだ。江戸留守居の藩士も減ったため、長屋も空き部屋がいくつか見られた。昔は江戸勤務は名誉の証だったそうだが。


 俺には幕府から護衛をかねた案内人がつくことになっている。明日の朝に会えるそうなので、それまでは大人しくしているつもりだ。



 翌日。

 朝餉を食べて終えて支度をすませた頃に、藩邸を幕府の渡辺忻三(きんぞう)という人物が訪ねてきた。彼と共に数名が護衛と今日の案内人を務めるらしい。大島殿とともに、今日は渡辺殿の勤務先である石川島修船(造船)所の見学に向かう。


「元服前、と伺っておりましたが、真なのですな」

「今年で11歳にございます」

「その歳で英吉利と仏蘭西の言葉が自在に扱えるとは、盛岡の至宝との名声に偽りありませぬな」


 彼は浦賀で造船に関わっているそうだが、千代田形2番艦製造にあたって一時的に石川島に出向しているらしい。


「然り。健次郎殿は今後の盛岡を、そしてこの国を導くだろう才覚の持ち主ですので」

「その様な御仁にお会いできたのですから、隠居後にはきっと酒席で自慢にできましょうな」

「間違いございませぬな」


 勝手なことばかり言っている。俺は無視して街並みを眺める。活気はあるが、いくつかの店はやはり元気がない。途中で船に乗り換えたが、どことなく町全体が沈んでいた。長州征討に失敗した、という事実は、江戸の庶民にも何かよどみのようなものをもたらしたのかもしれない。


「こちらが石川島造船所です。今造っているのが千代田形二番艦、陸中丸です」

「おお、これは大きな」


 ぽっかり穴のあいた地下空間。そこで木造船が造られていた。大量の木材が周囲に整然と置かれ、人々が忙しなく動いている。海側の壁1枚を隔てた先は海だ。


「西洋の造船所を参考に、仏蘭西と英吉利の協力で造られました。陸中丸は五百三十石ほどの船になる予定でございます」


 江戸幕府が大船建造の禁で規制したのが500石だ。この制度がなくなってから、盛岡藩含め様々な藩がこれを超える大きさの船を造っている。盛岡藩は現在500石級は5隻、蒸気船は英吉利から1隻購入到着済み、フランス・アメリカから各2隻が発注済みでフランス製は来春にも到着予定だ。


「盛岡藩と仙台藩が蒸気船を持てば蝦夷地の防衛は固くなりますから、盛岡藩には是非尽力していただきたいと御老中方も仰せでした」

「無論。魯西亜には負けませぬよ」


 海軍強化がここまで許されるのも対ロシアのためだ。各地の沿岸警備などを担う対外国的な立場の藩は次々と船を集めているが、蒸気船を保有している藩は多くない。うちは蒸気船を保有する有数の海軍力をもつ藩となりつつある。


「大砲はそちらで用意するとのことですが」

「橋野の鉄が使えますので」

「成程」


 ボイラー部分含む蒸気機関は現状内部の研究中なので、ひとまず長崎に注文した上でこちらで部品単位の改良を加えていく予定だ。


「来春には釜石の湊に到着すると思いますので、少々お待ち下され」

「いやぁ、楽しみですな」


 実際、石炭も自給に近い状況のうちの藩はかなり海軍で優位に立てる状況だ。米も自力で運んで箱館などで売り捌けるし、イギリスのデント商会とはライスプディング用で定期・定量の包括契約をしている。陸軍の準備も今回の教練書の内容を覚えて活用したいところだ。


 ♢


 翌日。

 開成所に大島殿と向かうと、村上英俊殿・武田斐三郎殿が開成所の入口で待っていた。


「よく来られた健次郎殿。歓迎いたす」

「お久しぶりにございます。お世話になります」

「こちらこそ世話になる。幕府から早急に翻訳をと命じられていてな」


 今日から2か月、デツチルのタクチーキ、すなわち用兵術のフランス版教本を翻訳する作業に入る。主な翻訳自体はオランダ語版を開成所の教授たちが翻訳しているのだが、一部の専門用語が直訳での発音などがわからず翻訳が難しいとのことで俺が招集された。

 作業部屋では複数の人物が辞書を見ながら単語単位で翻訳する人と、翻訳した単語を構文から意訳する人に分かれていた。オランダ語を理解している人が助詞などを正確に文章にしていく。そして、それらの作業中に辞書に載っていない単語で直訳の難しい単語が俺のところに来る。


「この『るうぷぐらあふ』、なのですが」

「えっと、ページはそこなので、Trancheeか。塹壕、ですね。銃と頭だけ出して戦うために穴を掘ることです」

「うーむ、少々分かりにくいですね」

「では絵をつけましょう。こんなかんじで」


 人の絵が下手なのに目をつむれば、様子は理解できる程度の絵を筆で書く。


「ふむふむ。つまり城壁の上から銃を撃ちかけるのを、穴を掘って半地下になる形で平原での戦いでも再現するものですな」

「そうですね。そういう認識でいいかと」

「分かりました。この絵も頂いて宜しいですか?」

「ええ。ただ、そのまま使うのでなく絵の上手な方が描きなおしていただけると」

「まぁ、操典の解説図に加えると流石に目立ちますな、せめて鎧武者で描くよう伝えまする」

「お頼み申します」


 こんなかんじで、1日あたり5~20個くらいの単語を翻訳し、時に元言語のままで発音からカタカナ語にしていく。休憩の時間には村上英俊殿に幕府の外国方に連れて行かれ、何人かの人々との交流もあった。


「彼が盛岡藩英仏通詞の原健次郎殿だ」

「これはこれは。外国方の福澤と申します」

「福澤というと、咸臨丸でアメリカに行かれた、福澤様でございますか?」

「おや、ご存知でしたか。光栄なことで」


 1万円の人と言うと誰にもわかる福澤諭吉にも挨拶した。そういえば前世は渋沢栄一デザインを見る前に死んだな。渋沢栄一は今何をしているのだろうか。


「川勝近江と申します。主に横浜におりますが、奥羽にも仏蘭西語通詞がいると聞き飛んで参りました」

「川勝殿は横浜にある幕府の仏蘭西語伝習所の所長だ。今後も何かあれば頼りにすると良い」

「いやいや、英俊様にはどれほど世話になったか」


 仏蘭西語伝習所はフランス軍人を招聘しょうへいした関係で今かなり活気づいているらしい。所長は当然偉い人なのだが、自学で身につけた(ということになっている)俺と自らの師でもある村上英俊殿にはかなり尊敬していると言われた。ある意味ズルをしている身なので、その日は一日少し申し訳ない気持ちだった。

1866年の横浜でのドル相場が銀39.5匁。米価と収穫から、盛岡藩の収入がかなり大規模になっているのが分かります。米の輸出については1878年の約370万ドルを上限とし計算し輸出可能量は算出しています。この時点で蒸気船は薩摩藩・佐賀藩などごく一部しか持っていませんが、持っていないわけでもありません。


翻訳しているのは『仏蘭西答古知機』です。後の明治新政府の軍制に影響を与えています。


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― 新着の感想 ―
[一言] 塹壕って字両方とも「ほり」という意味しかないんですね。うっかり使ったばかりにこの世界でもw
[良い点] この時代に年間予算で300万ドルもあったら、軍の強化どころか殖産興業にも拍車がかかりますね。 ふと思って「当時の函館-横浜間の航海にかかった日数」を図書館で調べてみましたが、(市立図書館レ…
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] いわてっこのお陰で死に損ないからアスリートに(笑)。 いわてっこが無ければ今頃どうなっていたことか分からない。
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