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平民宰相の世界大戦 ~原敬兄弟転生~  作者: 巽未頼
慶應ニ(1866)年
29/109

第29話 悔やむ慶喜、安堵する久光、揺れる容堂

三連休なので追加1話です。最初から途中まで3人称です。

 山城国 京


 長州征討は石見戦線が越後諸藩によって幕府軍が攻勢に転じ、周防大島でも上陸作戦が再度はかられるなど、8月に入った頃には幕府軍優勢の情勢となっていた。しかし将軍家茂の死と征討への影響を考慮した秘匿によって権力の空白が生じており、新将軍徳川慶喜は自ら広島入りしてこの停滞した状況を打破しようと画策していた。

 会津藩兵の一部は広島入りしたものの、安芸国諸藩は松平容保が京から動けない以上動かないとして兵を動かさないため決定打が打てずにいた。長門国内の宇田川を利用しつつ散兵戦術で遅滞をはかる大村益次郎に思うように押しこめない幕府軍は周防大島に再上陸をはかったり、日本海側から海軍による支援を狙ったりした。しかし、長州側はギリギリでこれらの攻勢から耐えきった。9月初めに周防大島を失ったものの、小倉を奪ってさらに攻勢に出る姿勢を見せて幕府側にまだまだ戦えるという戦意の高さを見せつけた。


 一方、薩摩藩は朝議にて長州征討の中止と新しい政治体制を求める建議を行い、徳川慶喜は戦争継続を訴えていた。両者の対立は決定的であり、慶喜は長州を完全に叩くことで朝廷の空気も自分よりにもっていきたいと考えていた。

 一方薩摩藩は長州藩に余力がないことを理解しており、今の段階なら長州藩も負けではないと考えていた。早期講和で戦争を終結させ、幕府による討伐が失敗したと世間に見られたい薩摩藩は、徳川家茂の死を攘夷派浪士や薩摩藩士を利用して市中に噂として流しはじめた。また、薩摩藩は秋前の最も米が市場に少ない時期を狙って薩摩藩による工作で大坂周辺での打ちこわしが頻発。『いわてっこ』の値下げが若干進むとともに、大坂の混乱収束に慶喜が対処せざるをえない状況をつくりだした。


 これにより、徳川慶喜は「前将軍の葬儀も行わないのか」とか「大坂の米価を何とかすべき」と民衆から批判が行われるようになった。徳川慶喜は関白二条斉敬の進言を受け入れ、長州と停戦交渉にはいるのだった。


 ♢♢♢


 停戦交渉の開始時、徳川慶喜は京で不在がちな土佐藩主・山内容堂に久しぶりに会った。土佐藩は今回長州征討の出兵要請を拒否していた。これにより幕府は、土佐藩が雄藩としての地位を確立していながら、藩主・山内容堂という人物への不信感を増幅させていた。藩士の攘夷傾向の強さも幕府には知れ渡っており、土佐藩の使者が派兵の拒否を伝えると家茂も無理には呼ばなかった。実際、土佐藩を脱藩した白石正一郎や石田英吉のように、奇兵隊に参加して長州側として戦う土佐出身者もそれなりにいた。

 幕府からすれば、イギリスのオリエンタル・バンクから600万ドルを借りて戦争を継続していた状況に協力しない薩摩藩・土佐藩への感情がいいものであるはずもなかった。


「容堂殿、久しいな」

「これは公方様。お久しゅうございます」

「息災かな?最近はあまり参内しない故心配していたぞ」


 実際は山内容堂の『八方美人』な性格を危惧した家臣が参預会議で不用意に約束などをさせないために参加させなかった。本人もこうした重大事に関わりたがる性格ではなかった。これ幸いと彼は土佐か京の屋敷に籠っていた。山内容堂は平時の大名だった。


「なかなかこの歳になると思うように体が動きませぬ故」

「そうか。そう言えば、最近脱藩する者が増えているとか」

「不満の多い藩士が多い様で辟易へきえきしております」


 実際、土佐藩内には長州に援軍を派兵すべしと主張する者もいた。戦争の長期化で土佐藩の親長州反幕府の各藩志士はさながら義勇軍のように長州入りし、亀山社中の船で長州入りして戦線を支えていた。彼の様子に慶喜は聞こえないようポツリとつぶやく。


「道化め」


 実際、外から見る山内容堂は時に幕府の重臣であり、時に朝廷に忠実であり、時に攘夷を唱え、時に開港を支援する。中身の見えない怪物である。実際は周囲に流され、主体的に物事を決定せず、直前に聞いた家臣の言葉に決定を左右されているだけなのだが。逆に言えば、家臣からすれば自分たちにとって都合の良い人物ともいえた。


「容堂、小倉を奪い返すために兵を出せぬか?」

「細川様(熊本藩)含め、九州の名だたる藩が団結して戦えば、必ずや長州にも勝てましょう」

「そう言いながら、先日は薩摩の停戦提案に賛同する書状を朝廷に送っていたな」

「寛大な処分となるように願ったのみにございまして」

「結果はご覧の通りだ。帝は内輪揉めしている場合ではないと仰せだが、此度の戦で我が国を引き締めたかったのだがな」


 山内容堂は何も答えず、ただ頭を下げていた。その様子に、慶喜も警戒感を失うことなく、しかし冷めた表情でその場を離れた。


 ♢


 陸奥国 盛岡


 秋も間近となり、人々は収穫に向けて動いている。将軍徳川家茂が亡くなり、新しい将軍に徳川慶喜が選ばれた。これは京で徳川家茂の死が噂として出回り、その真偽を求める声や落書による幕府糾弾の声が高まった。その結果幕府が将軍死去を公開せざるをえなくなったのだ。うちの藩から京に向かっていた楢山佐渡様と江戸幽閉中で藩主代理として京に派遣された南部利義様は、二条城で徳川家新当主のお披露目という形で徳川慶喜の挨拶に出席したそうだ。この挨拶に呼ばれたのは長州征討に参加していない藩を主体に畿内中部一帯の藩と大藩の一部であり、奥羽では盛岡藩・仙台藩・会津藩のみだった。


「まぁ、東北一帯では村松藩の事件の方が大きいニュースでしたけれどね」

「健次郎、村松藩ってどこだ?」

「越後のそこまで大きくない大名ですね。で、その藩で7月に攘夷派が攘夷運動を過激化させようとしたのですが、佐幕派に処刑されたのですよ」


 村松藩3万石は財政悪化の影響でここ数年尊王攘夷派が台頭していた。しかし『いわてっこ』の普及で藩財政が改善し、攘夷運動に力を入れる過激派が弱体化していた。それでも攘夷派の岡村定之丞という人物を中心に正義党という組織が先鋭化していたため、正義党に関わる岡村定之丞・下野勘平・近藤安五郎ら10名が処刑され、稲垣覚之丞らが切腹した。正義党は解散命令が下されたそうだ。


「最近は尊王攘夷を掲げる奥羽諸藩の過激派が追放されたり処罰を受けることが増えていますね」

「奥羽にいると幕府体制は盤石に見えるな」

「実際は長州征討が幕府の思う通りにはいっていないので、停戦して交渉に入ったようですが」

「奥羽の過激派は長州征討にかなり加わっていたんだってな」

「行き場がなくなって、亀山社中は彼らを回収して長州に送っていたみたいですよ」

「そういう狙いもあったんだな」

「坂本竜馬、というか亀山社中自体がなかなか強かですよ。大河ドラマのように綺麗なことだけでここまで歴史に名前は残らない、というのがよくわかります」


 結局、坂本竜馬は盛岡藩への出入りを利用して長州藩の戦力を増強すべく動いていたということなのだろう。このあたりは流石歴史に名を残す人物、ただの金不足できたわけではなかったというわけだ。


「しかし、こうなると佐幕派の影響が奥羽で強くならないか?」

「そうなんですよね。奥羽越列藩同盟が相当強化されると見ていいです」


 今のうちに色々と動かないと手遅れになりかねない。盛岡藩を守るためにどうすべきか、俺たち自身の考えを誰か上層部の人に伝えねばならないだろう。

史実より攻めこまれている長州藩。小倉だけはなんとか奪っていますが、石見方面・周防大島には攻めこまれています。

薩摩藩はこれを後方支援すべく扇動・工作で停戦交渉に進みました。とはいえ長州はボロボロなのでそこまで好条件では終わりませんが。


史実では村松七士事件と呼ばれる事件を象徴として今回取り上げています。奥羽の過激派尊王攘夷勢力は沈静化し、穏健佐幕が主流となっています。

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― 新着の感想 ―
[一言] >奥羽越列藩同盟が相当強化 バラバラな兵器購入ではなくて一定の共同歩調を取ったかつ、「適切な」兵器の購入及び配備が促進される環境にあるので、薩長勢力が牙を向いても容易には倒されない程度の軍事…
[一言] 改変結果としては越後諸藩が実戦経験を積むことによる戦力としての向上とガチに長州と戦ったことによる藩ごとの結束力向上と長州への敵意が高まることによる徹底抗戦の粘り強さが向上することでしょうかね…
[気になる点] 長州はこの段階で実質、身分制度が半分崩壊しているところかな? 確か、ビラをまきまくって、庶民に至るまで長州内部が一致団結していた頃。 歴史上、長州民が庶民まで完全一致団結していた、唯一…
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