第28話 夏、全てが変わる季節
最初3人称です。
山城国 京
安芸国広島新田藩藩主・浅野長訓は幕府・長州の交渉が物別れに終わると、即座に長州征討の延期を申し出た。各藩が征討の長期化をにらんで『いわてっこ』以外の米を買い占めており、西日本の米価は高額な『いわてっこ』と品不足で値上がりに転じた旧来の米という状況が生まれていた。この状況は市場に米はあるのに誰も買えないという状況であり、幕府は江戸から緊急の救い米を盛岡藩・仙台藩から調達して何とかギリギリのところで秩序を保っていた。
しかし、この状況は各藩の都市部の米不足にまでは対応していなかった。長州征討軍が滞在しているため表面上は何も起きていないものの、町民の中には不満をもつものが多かった。そのため、浅野長訓は征討の延期を求めたのだった。
この延期要請には備前国岡山藩の池田茂政(養子・徳川慶喜弟)や備後国福山藩の阿部正方も加わっており、とくに西日本海運の封鎖で影響を受けている藩が多かった。
一方、陸路輸送による価格高騰の影響が小さい京にいた徳川慶喜らはほぼ同時期に薩摩藩が征討軍参加を拒否した事実を知らされた。半ば無理矢理とはいえ、幕府は勅命で追討することになった長州への攻撃を公然と拒否されると考えていなかった。このため、徳川慶喜は薩摩への対応について協議すべきと江戸の幕臣に求めた。しかし、現時点で長岡藩などの追加支援をえた江戸の幕臣は40を超える藩からの10万以上の軍勢に「長州へ攻めこめば長州はすぐに降伏してくる」という単純な足し算引き算によって征討開始を将軍・家茂に命じさせるのだった。
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周防国 石州口
6月。周防大島で始まった合戦は防州・芸州国境でも開始された。ここには主力と言える幕府陸軍や大垣・紀州藩の兵が参加しており、征討軍の約半数を占めていた。主力の一部と考えられていた広島藩や広島新田藩は抗議のため参加せず、岩国藩兵や長州藩の兵と幕府陸軍の戦いが主となった。膠着しつつもやや幕府側優勢で進んだこの戦線は一か月以上の間落ち着いていくことになる。
同様に戦線が膠着したのが長門・石見国境だった。長岡藩などの越後諸藩が劣勢となっていた浜田藩を救援した結果、長州藩の大村益次郎は長門まで兵を退き、その後双方睨み合いの状況が続くことになった。長岡藩はミニエー銃などを派遣部隊が完全に装備していたものの、食料の現地調達に失敗したこともあって攻勢には出られなかった。
大村益次郎は石見銀山を確保して追加の武器調達を狙っていたが、この狙いを阻止されたことで長岡藩含む越後諸藩に対し報復をはかるようになるのだった。
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豊前国 小倉口
小倉口では高杉晋作が主導して関門海峡を越えるべく長州藩が攻勢に出ていた。長州藩としては基本的に防戦一方ではいつか自分たちがジリ貧になるという共通認識があったため、石見方面と小倉口方面は攻め手に回るため計画を練っていた。しかし石見方面が長岡藩などの越後の藩が援軍として到着した影響で攻勢に出られなくなった今、小倉口は何が何でも攻勢に出る必要があった。そのため、大村益次郎も急遽自分の担当する石見方面から銃器の一部を小倉に回し、こちらの突破を目指す動きに戦力の集中を図るようになった。
既に労咳を患い、作戦会議さえ高杉晋作の寝床の近くで行われるほどに病に侵されている彼は、それでもなお自分がいないであろう長州の未来のために命を削っていた。
「老中(小笠原長行)は戦う気がないから引き籠っちょる。小倉藩や熊本藩を個別に叩ければ勝てる」
ついには自身も渡河部隊に加わる気迫を見せた高杉晋作に感化され、長州藩は多大な犠牲を出しながら8月末には小倉を落とす成果を上げることになる。
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山城国 京
将軍・徳川家茂死す。
大坂城で体調を崩した家茂はそのまま体調が回復せず、数え21、満20歳で病没した。皇女和宮を室とし公武合体の象徴だった将軍の死によって、公武合体は崩壊へと向かっていくことになる。
「次の将軍に、私を?」
「後見職にあった大納言様以外に跡を継ぐ者はおりませぬ」
「少し、考えさせてほしい」
徳川慶喜は次期将軍として後を託され、長州征伐の継続を目指すことになった、とされている。
「宜しかったのですか、和宮様の申す通りにして」
「亀之助様では幕府内部も纏まらぬ。今は徳川宗家の長が決断できる方でなくばならぬのだ」
老中・板倉勝静は徳川慶喜の将軍就任を誰にも先んじて願う立場を見せることで自身の立場を固めつつ、幕府の立て直しをはかるのだった。
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陸奥国 盛岡
兄の屋敷の準備が終わった頃、亀山社中を経由して長州藩が小倉を占領したという報が届いた。しかし、石見方面は越後諸藩の活躍で銀山を幕府が維持しているようだ。世直し一揆も発生していないので、幕府は悪い状況ではないのかもしれない。とはいえもう将軍家茂は亡くなっている頃だろう。次の将軍になる徳川慶喜がどういう判断をするかだが、明らかに戦況は史実より幕府有利だ。とはいえこれは前世知識があるから言えることだ。客観的に見れば幕府は長州藩1つ相手に攻めあぐね、小倉に上陸された状況だ。会津藩が一部追加で派兵されたらしいが、どうなるかは不明だ。
どちらかというと問題なのは6月に締結された改税約書だ。輸入品にかかる関税が下がったのはいいのだが、外国の製品に国内物価に見合った関税がかけられなくなった。特に綿製品は今まで以上に一気に流れこんでくるだろう。輸出が輸入を上回っていたここまでと違い、今後は輸出が厳しくなるだろう。教科書レベルではさらっと流すことが多いが、不平等条約として習う関税自主権の喪失が本当の意味で大きな『不平等』になるのはここからだ。
大島高任殿もその意味は理解していた。
「今のうちに国産を進めないといけませんね」
「健次郎殿くらい皆の理解が早ければ危機意識で動けますが、そうもいかぬのが世の常でして」
「養蚕は拡大を始めたばかり。器械製糸の準備を急ぎたいですね」
俺の記憶通りならば既に昨年の段階で輸出の8割は生糸だ。実際は『いわてっこ』が良質な米としてライスプディング用やカレーライス用にと欧米に売れている(イギリス人曰く『ジャパニーズライス』は既にイギリスではライスプディングの最高の素材としてブランド化したとのこと)ので、こちらの輸出額が増えてその分盛岡藩が色々なものを輸入しているわけだが。
「蒸気機関もですが、電信に郵便など西洋の制度・技術は我々の三歩先にあります」
「間違いないですね。幕府には働きかけていますが、開成所の資金も有限ですし」
大島殿もやりたいことが色々あるそうだが、手が足りていない。兄だってもっと色々やりたいだろうが、今は我慢して一次産業の育成を優先している。二次産業も三次産業も、まだまだこれからだ。可能ならば東北一帯の銀行業とメディア関連はスタートダッシュで確保しておきたいので、藩からもらった褒賞金や米の売却益を可能な範囲で貯めているわけだが。人脈も維持して株式会社設立の時に出資してもらえるようにしたいな。
「そう言えば、(楢山)佐渡様が京に派遣されたそうですよ」
「そうですか。最新の京や幕府のことは知りたいですからね」
佐渡様が向かったということは、将軍が徳川慶喜公になるのが決まったのかな。全国の大名を京に集めるわけにもいかない(さりとて京を離れるわけにも今はいかないだろう)から、各大名家の家老を集める感じかな。
長州征討は史実より長く続きます。今話は石州口が7月末時点までしか描写していないので、今後幕府側の攻勢などが描かれる予定です。
徳川家茂、死す。
このあたりが史実から変わることはありません。変わったのは幕府側が攻勢に出ている戦線が多いところと、越後兵がいて強力なことです。




