第22話 猫はきまぐれ、藩士も気まぐれ
遅くなりました。申し訳ありません。
陸奥国 盛岡
屋敷の庭園から日新館に移った実験場で、兄は今年から甜菜の栽培を始めた。フランスから輸入した甜菜で『ビルモーラン』という品種らしい。甜菜自体は寒くて乾燥している場所の方が育つらしいが、盛岡藩の領内は適地はあまりないらしい。「蝦夷地開発が始まった時に、真っ先にこれを栽培し始める」と兄は意気ごんでいた。そういうことらしい。
天狗党一党が降伏したことで奥羽諸藩と関東の陸路が完全に復活したものの、天狗党の処刑などの話を聞くに水戸藩内部はいい状況ではなさそうだ。俺自身詳しくはないが、水戸藩が明治新政府で主導的な人材を輩出できなかった理由がこのあたりにあるのではと思う。
では攘夷を目指す人々がいなくなったのかといえばそういうわけでもないようで、治安が良好とは言えない情勢は続いている。奥羽諸藩の羽振りのよさとの対比が凄まじい。
「ところで、日新館にフランス人が来たと聞いたけど」
「フランス公使のロッシュですね。横須賀製鉄所と経済使節団の派遣を幕府が要請したのですが、現状の日本の製鉄を把握したいらしくて」
「で、橋野の高炉を見たのか。私の転炉は見られていないんだよな?」
「そもそも完成していないのなら分からないのでは?」
「まぁ、それもそうか」
明日は兄も俺も日新館に行く。公使は幕府の通訳がいるので俺の出番は当然ない。会えても挨拶して終わりだろう。
「そういう楽観視はフラグっぽいぞ」
「うるさいです」
今一瞬そう思ったんだ。不安にさせないでほしい。
♢
翌日。日新館で物理を教えている兄を恨めしく見る。フラグは本当に回収されるものらしい。
俺の隣にいるのは幕府フランス語通詞・村上英俊様だった。俺がフランス語を話せる理由に利用した人物だ。そして、大島高任殿も所属している開成所の教授手伝である。
「大島殿の申す通り、成程確りと聞き取れているようで。この歳では鬼才と言えましょうな」
「そうでしょう、英俊殿」
「盛岡の秘蔵っ子の名に偽りなしですな。斐三郎殿も感心したと申しておった」
2人の大人の会話を流しつつ、ロッシュ公使に同行しているフランス人の説明に答える俺。何だこれ。
『ここでは化学や物理も教えているのか。シャルル博士を教える学校が既にあるとは、トクガワも中々やるな』
『シャルル博士の法則は物理を習う上で欠かせない学問ですので』
『我が国の偉大な学者から大いに学ぶと良い』
ボイル=シャルルの法則を知らずに物理を教えるのはまぁ無理だ。兄と同年代に関しては年齢的に満13~14歳、数え15歳なので一部中学校理科の内容も教えている。
『しかし、このモリオカはうちから武器を多く買っているのだったな。軍制をどうするか知りたいな』
『最新の軍事教練が受けられるなら殿も喜ぶと思います』
『そうだろうそうだろう。軍とは兵装のみに非ず。私のような元軍人か軍人が正しい扱い方を教えてこそだ』
元軍人だったのか。まぁそういう人は多いのかもしれない。異国の地で活動するなら軍人や元軍人で環境負荷に強そうな人間を派遣するか。
『少年。君のように我が国を模範とする心意気の者が多いなら、我が国はそれに応える誇りある国だ。頼りたまえ』
満足そうな元軍人と裏腹に、強制的にこういう役目を与えられたことに疲れマックスでげっそりとする俺だった。
♢
城に呼ばれた。先日のフランス人の通詞として幕府から感謝の言葉があったとかなかったとか。家老の楢山佐渡様から褒美として金10両をもらった。
「そうそう、姫様だがな、茶を飲んでほうれん草を食べるようになってから朝も少し動けるようになったとの事だ」
「それは何よりにございます。あと、ほうれん草は兄の発案にございますれば」
「殿も姫のことは日頃から案じておられた故な。そなたのように学ぶ姿勢旺盛な者がいると助かる」
まぁだからといって俺の結婚相手に麻子姫は麻子姫の役不足がすぎる。家老だしそんなことは重々承知だろう。
「あと、幕府の方から菓子を頂いている。今持って来させる」
「それは畏れ多いことにございます」
小姓が菓子を運ぶため部屋を出るべく襖を開けて部屋を出ていく。しばらく無言の空間が場を支配する。
3分ほどたつと、小姓が困惑した表情で部屋に入ってきた。
「あの、菓子をお持ちしたのですが、その」
「どうした、何かあったか?」
「菓子を、姫様が運ぶと仰って、その」
「ひ、姫様が?」
動揺する佐渡様。それはそうだ。なぜここに姫様がいるのか。姫様は遍在する。
「私が勝手にやったこと。そなたらに責はいきませぬ」
そう言って盆をもって入ってきたのは先日のあの女の子。あの時の眠った目ではないが、目じりが少し下がり気味で細いので目が開いているのか不安になる。
俺と佐渡様の間に盆を置くと、一瞬だけ俺をじっと見た後小さく「ありがとう」と呟いて部屋を出て行った。
少しの間、静止したように全員が動かない。そして、1分ほどたったか、2分たったかしたところで、佐渡様が重そうに口を開いた。
「何も、なかった。良いな?」
「はっ」
俺と小姓は同時に頷いた。
気まぐれな姫様の部屋を出ていく時の後姿に、俺は猫の尻尾を幻視した。
横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)は史実でも1864年12月にフランス政府へ依頼されています。史実と違ってこれに橋野見学をもちかけたのは大島ら開成所のメンバーです。
金10両は正直大した額ではないですが、大事なのは幕府から下賜されたという事実です。




