第2話 原兄弟の家庭の事情
♢は原敬視点、♢♢は原恭視点、♢♢♢がそれ以外です。基本は2人の視点になっております。
陸奥国 盛岡
話した結果、兄に転生したのは宮城の農家生まれで工業系の高専出身、町工場に婿入りした経歴の持ち主だった。危険な化学薬品も取り扱っていたそうで、根っからの理系畑らしい。町工場を継ぐ前に一時理系大学の通信に通っていたそうだが、お嫁さんが早くに亡くなり失意のうちに深酒で死んだ気がする、とのこと。
俺は大学の政経学部で簿記と会計士の資格をとった後、医薬品の流通関係で働いていた。死因は思いだせない。トラックで轢かれたのか、神様の手違いで死んだのか。どうでもいい話だ。
「とにかく、今はまじゅこの米をうまく使いましょう」
「幸い、いわてっこの苗作りなら気候的に今の時期が丁度いい。俺が準備するから、世話を頼む」
「わかりましちゃ」
ひとまず、遠出しての勉強もある兄に代わって苗を育てることになった。米粒は大体3合分くらいらしい。多少密集しても木箱の中で苗をつくる。木箱は日なたなど可能な限り暖かい場所に置き、水も川の冷水をそのまま使わずに与えている。ビニールハウスが欲しいと兄は嘆いていた。
「健次郎、何をしておるのです?」
「磯子の姉上。兄上に頼まれて稲を植えておりましゅ」
「苗作り?まだ寒いのに」
「この米なら出来るそうでしゅよ」
「私は詳しくないから知らないけれど、まぁいいか」
次姉の磯子姉は土に触りたがらない。根っからの虫嫌いだかららしい。数えで6つ上なので12歳だ。既に浪岡氏への嫁入りが決まっている。浪岡氏は南部家臣でも高知衆に次ぐ名家の1つとして有名で、戦国時代には浪岡北畠氏と呼ばれ御所様と呼ばれていた一族の末裔らしい。うちより石高の多い家だが、朝廷や幕府とのパイプ役がメインで家老職などにはあまり縁がない。付き合いの関係で出費も多いらしく、御爺様の妹が嫁いだのも重臣同士の縁かつ支度金目当てだったらしい。姉自身は名門に嫁ぐためしょっちゅう俺に自慢してくる。
「早く確り話せるようになりなさいね。お姉さまが嫁ぐ時、恥をかかないように」
「この姉上に御縁があったらまじゅいでしゅね。頑張りましゅ」
「この姉さん、ね。まぁ、あの人も大変なんでしょうね」
「姉さんは姉さんでしゅ」
「従姉だからねぇ。呼び方は難しいわね」
うちは今7人兄弟だ。最年長がこの姉さん。亡くなった伯父の娘であり、年齢なら22歳上だ。そして長女で俺と一緒の部屋で過ごしている8歳上の琴子姉と次女の磯子姉。4つ上の兄平太郎。俺。弟は2歳下の橘五郎と産まれて1年経っていない六四郎だ。母はこの六四郎の世話にかかりきりで、住み込みの女性たちは橘五郎の世話と母のサポートにかかりきり。結果、俺はこの姉さんに一番世話になっている。
「御爺様も亡くなったし、最近は御父様も忙しそうよね。迷惑かけないようにしましょう」
「そうでしゅね」
祖父・直記は昨年亡くなった。家老にまで出世したのは原氏では祖父が初めてだった。原氏は高知衆の下である高家の家だ。高家は基本藩主様の側用人や寺社奉行、勘定方の元締めなどを担当する。本来家老は高知衆か御一門が務めるが、祖父は異例だったといえる。
で、そんな優秀な祖父は70歳を超えるまで引退を許されなかった。それだけ藩主様に気に入られていたということだ。だがその分、家督を継げなかった伯父は祖父より先に死んだ。父はそれまで学者肌で軍学の研究とか藩校での指南役をしていたそうだが、伯父の死で次期当主になったそうだ。世間で言うような「平民」の家では決してないのがわかる。
「正午を過ぎたら豆腐屋が今日の豆腐を届けに来るから、屋敷の中で遊びましょう」
「かしこまりましちゃ」
作業も終わったので屋敷に入る。屋敷には俺でも入ってはいけない部屋がいくつもある。祖父が家老時代に、藩主様が屋敷へ来られることがあったために造られた藩主様専用の応接室(御成座敷)とか、当主である父の部屋とかも軽々には入れない。
「浪岡様のお屋敷で気に入られるには何が出来るといいかしら?」
「おんにゃのこの遊びは知らないでしゅ」
「和歌は難しいし、江戸や京の流行り物が知りたいわ。亡くなった御爺様も父上も江戸の御仕事があまりないから、江戸の流行りが分からないのよ」
「江戸は今大変でしゅからねぇ」
「南蛮人の黒船ってどんな大きさなのかしら。江戸の瓦版を新渡戸様の御家からお土産に貰ったけれど、よく分からなかったわ」
「黒船のしゅごいところは、装甲艦なのに動くことでしゅから」
実際はフリゲート艦と蒸気船の混合だったらしいが、こんな時代に生まれたならせめて生で見たかった。いや、今後見られるかもしれないな。
「よくわからないわ。でも、江戸の公方様が大騒ぎだったーって聞いたわ。公方様って御殿様より偉いの?」
「えらいでしゅね。幕府で一番えらいでしゅ」
「ちっちゃいのにちゃんと勉強しているのね。私も御父様からそろそろ字を習えって言われているし、大変ね」
「難しいでしゅよ、文字は」
「太田代様の私塾でしょう。結構厳しい先生だって聞いているから、嫌だなぁ」
少なくとも、これからの激動の時代よりは姉上の立ち位置は安全だと思いますけれどね。
♢
3週間後、父に2人揃って呼びだされた。
「何故呼んだかわかるか?」
「いえ、何も」
兄が答える。実際、やるべきことはやっているし何か問題行動はしていないつもりだ。
「庭の苗、あれは何だ?」
「稲の苗、ですが」
「違う。何故この時期にあそこまで育っている稲の苗があるのだ?」
4月に入ったがまだ寒い日も多い。体感でも朝はまだ5度くらいに感じるくらいだ。昼間はそれなりに暖かいが、桜も本来ならやっと咲くか咲かないかのはずだ。うちの桜はなぜか咲いたので武家の間で話題になっているようだが。
「近くの我が家の領地では、やっと百姓等が苗を作ろうとし始めたばかりだ。水も冷たい今の時期に如何やった?」
「そういう稲を使いました。これは寒さに強い稲なのです」
「そうかもしれぬ。そうでないかもしれぬ。確実とは限らぬ」
父は祖父同様この時代には珍しく迷信などをあまり気にしない人だ。実証と検証を重視し、曖昧な物事を信じない。
「故に、試せ。そなたも十になった。己で田を一つ、責任を持つのも良かろう」
「では」
「だが、育ちが悪ければその分の責もそなたが負え。失敗の責をとるのが武士であり、責ある者だ」
「はっ。確と」
「それと健次郎」
「あ、はい」
俺は手伝いしていただけだけれど。
「そろそろ文字の読み書き以外を習うか?磯子が自分より聡いと褒めておったぞ」
「是非」
「では、先ずは小山田先生の塾で漢学だな。精進致せ」
できることが増える。太田代先生は文字通り読み書きを個別に習っているだけだが、小山田先生のところには年上の武家の子がいると聞いている。楽しみだ。
『いわてっこ』は岩手県北部までで栽培されております。とにかく岩手の気候に強い品種です。序盤のヒロインといっていいくらい大切に扱われます。
今作では前作と違い、最初から持ちこみ品ありです。それくらいしないと正直この時代は個人の力で変えられないので。