第19話 盛岡藩大改革の始まり
最初は長男視点です。
陸奥国 盛岡
年が明けた。元治2(1865)年だ。
御国産方の一員として、大島高任様の部下として盛岡城に随行した。今年は東北諸藩と越後で1400万石の収穫になった。表高の3倍といえる数字だ。結果として、国内の米は必要十分量が供給されるようになった。諸外国が食料として買っても十分な米が供給され、米価は安定すると思っていた。
しかし、実際は『いわてっこ』と既存の米で価格差が発生していた。江戸での価格は『いわてっこ』は1石3両5分に上昇し、それ以外の米は2両5分程度で微増程度に収まった。結果として、奥羽越各藩は莫大な資金を手にし(うちの藩も他藩から安い米を買って食料は主に安い米だ)他藩との経済的な格差が大きく開くことになった。盛岡藩は今回で借金にあたる証文などを3万両まで減らし(あえて借金を残すことで商人との繋がりを残すらしい)、最終黒字は現時点で使う予定の予算に加えて50万両。うち御国産方に配分される予算は15万両と決まった。大金だ。数年前の盛岡藩の全予算とほぼ同額だ。
家老の楢山佐渡様に今年の予定を伝えると、予算の増額として15万両を伝えられる。当然だが、この会話に私が入ることはない。
「武器は追加で買いつつ御国産方のみでこの額だ。英吉利と仏蘭西から船を追加で買いつつ、幕府にも昨年末届いた箱館型を追加で四隻注文した」
「それは相当な数ですな」
「盛岡藩は蝦夷の事がある故な。船を多く持つのが推奨されている」
「そうですな。そちらに最も資金を投じるのが良いでしょう」
「他にも、街道の整備に資金を投じようと思ってな」
米の運搬に時間かかっているという問題がここにきて表面化している。沿岸部や街道沿いの米が江戸へ運ばれるが、遠隔地の米は領内消費となる。現状では大きな問題になっていないが、秋いっぱい輸送だけでかかってしまっていた。食味が他の『いわてっこ』より良いと評判だからこそ、江戸に多く運びたいところがある。まぁ盛岡藩が栽培適地だから当然か。
「登り街道と脇街道だけでなく、幕府に許可をえて奥州街道も一部整備を進める」
奥州街道(といっても本来の街道の延長部分だが)を含む五街道は幕府が管理している。だが、東北の集落自体が難所にあるため街道も本来の五街道ほど広くない。今回、盛岡藩の領内を広げようという話である。
「先ずは各村落と村落を結ぶ街道を整備する。それだけでもう少し円滑に運べるようになるだろう」
「では、それも踏まえてこちらで何を育てるか再度具申致します」
「そうして欲しい」
「はっ」
日新館に戻りつつ、その額の大きさに興奮する大島様を眺める。
「まずは大規模な日新館の整備から。女学館を造れる。寺子屋を開いている女史を招いて、舎密などは我等で教えればいい」
「西洋医師の育成は必須ですね」
「あぁ、直治殿ほどの優秀な人物を病で隠居させる事がないように、ね」
八角様から大島様にすでに病状は伝わっている。弟は抗生物質を早いところ見つけるべきだったと後悔していた。抗生物質さえあれば結核は治せるからと。本人もアバウトにしか薬の発見法を知らないため、もっと早く何かできたのではないかと。はっきり言えば、そこまでなんでもできると思うのはエゴだと思う。時間は有限だ。今私がやり続けている近代数学や理科の教員役も、今後の自分のためになるからやっているのだ。今後に向けて自分以外の誰かにやってもらえることを増やすためにも、今やっていることは必要なのだ。
♢
屋敷の敷地内でほうれん草の栽培を兄が始めた。俺が姫様の貧血の話をしたら「なら鉄分だな」ということで、昨年から栽培を開始していた。
「ほうれん草なら適地も多いんだがな。ひとまず、栄養価が高くなるように育てよう」
「しかし、俺が知っているほうれん草と少し違いますね。葉っぱが丸くないというか」
「これは日本に元からあるほうれん草だからな。健次郎の知っているほうれん草は西洋種か東洋種との混合種だ。そちらの方が一般的だったからな」
「へぇ」
「日本古来のほうれん草の方があくが少なくて食べやすいんだが、病には西洋種の方が強い。難しいところだ」
昨年末に収穫を終えたほうれん草を、隠居前の父に献上してもらってある。ほうれん草の栽培にはとにかく土壌の酸性・アルカリ性の違いが重要だそうで、石灰を大量に仕入れて土に撒いていた。
「しかし、善意でやってはいるが、これお前の結婚相手が決まるだけなのではないか?」
「いや、そうは言われても」
体のこととかは何とかしたくなるものだ。父のこともあって結構ショックを受けたので、自分の身の周りだけでなく周囲の人物の体調にも敏感になってしまったのだ。
「まぁ、気持ちはわかる。貧血は成長すると酷くなる人も多いからな」
「それに、別家となって武士としては大分低い立場になったから、そういう話もなくなるかと思ってね」
「そううまくいくものかね」
「俺はそう信じている」
50石とりの武士に藩主の娘が嫁ぐわけもない。安心して体調を気遣えるというものだ。酢を使ったリンスも必要に応じて使うように伝えてある。石鹸で髪を洗う習慣はぜひ欲しいところだ。
「鎌倉の一件は聞きましたか?」
「あぁ、イギリスの士官もお構いなしで襲う攘夷派は目に余る」
「犯人が捕まったのも珍しいですが、定期的に外国人が襲われるのは困りますね」
「幕府をイギリスが見限るという話も、仕方ないのかもな」
そろそろパークスが日本に来るころか。イギリスは薩摩とこれからドンドン懇ろになっていく。そこを止めるのは難しい。俺も兄も盛岡を出ることは基本ないし。だが、盛岡藩は今年の年貢収入もあって買い物はできる。フランスから各種の武器や製鉄含む設備投資面でも買える物を買い、近代化で先んじていく必要があるのだ。
理想的には薩長と同調なのだが、立地がそれに向いていない。仙台藩との関係もあり、簡単にはいかないのだ。そもそも、奥羽越列藩同盟全てを敵に回しても守れないならば先に領内をボロボロにされて終わりなのだ。
「殿は西洋式の軍隊を揃えるべくフランスの士官を招いているそうだ。少しずつだが、色々と対策できるといいな」
「御国産方に入ったおかげで、ひとまず兄上のことは心配が減りましたしね」
俺たちの最大の懸案事項は徐々に解決に向かっている。このまま戦場からは遠い立場を目指すのは最優先事項だ。次は藩論を中立にすること。可能な限り新政府と対立しない方向にならないといけないだろう。
米価については史実での米価とほぼ同じやや高めなのが『いわてっこ』で、前年の米価と同じで低いのが既存の米になります。この頃は諸外国から来る商人たちが一部料理用の食料として米を買うので(1878年の米の輸出額は茶の輸出額を超えています)、味が良いほど売れる傾向があるのです。
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