第17話 異国の入口に集う者達(中)
遅くなりました。申し訳ありません。
蝦夷地 箱館
『こ、この子どもが、通訳だと?いや、この男は何も話していないのに』
『通訳でもあり、交渉もさせて頂くかもしれません』
驚いた顔のまま、とにかくと椅子に座るアンリ=ヴーヴ。懐から出したハンカチらしき布で額の汗をぬぐう。
『まずはこちらをどうぞ』
内堀殿が手で示したのは、領内で作っている生糸の束3つ。これはお近づきの印ですというやつだ。驚いていたヴーヴも、贈り物と聞いて悪い気はしないようだ。彼らの主な商人としての取り扱いは同国人・アメリカ人向け捕鯨船用の食料品・燃料の斡旋だが、上海との取引仲介も兼ねている。
『で、ムッシュ・ウチボリは何が欲しいのかな?』
『フランスの大砲と銃を。銃は可能なら元込め(後装)式が欲しいです』
『ふむ。私が手に入るのはナポレオン砲とスタールカービン銃というものなのだが、それでも構わないかね?』
『十分です。それと、赤十字への加盟を目指すべく、箱館に赤十字の組織の方を派遣して頂けるとありがたいです』
『ほう。確か最近発足したと本国から聞いているな』
『お願いします。費用はこのような形で』
この件で堀内殿が与えられている予算は1万両。現在の箱館では1ドルが34匁で取引されており、約17500ドルである。スタールカービン銃は後装式で、紙薬莢弾を上に着いたレバーで開けた薬室に入れることができる。ナポレオン砲は12cmの野戦砲だ。
『これなら銃を200丁、大砲を2門手に入れましょう』
『可能なら銃を減らして大砲を増やせませんか?』
『であれば銃は175丁ですな』
銃が25丁で大砲1つ、つまり大砲だけなら最大10門だから、大砲は1000両相当。銃の値段が40両になる。高いが仕方ないか。イギリスと事前交渉した藩の役人いわく、先込め(前装)式のエンフィールド銃が25両、ゲベール銃が8両だったらしい。俺が欲しいのは後装式の銃なのでエンフィールドではダメなのだ。ゲベール銃なんて論外だろう。
『では、それでお願いします。いつまでに仕入れられますか?』
『前金でいただければ、すぐにでも』
『何ヶ月で盛岡藩に、あるいは箱館に届きますか?』
契約関係は細かくなりがちだ。こういう大事な要素は最初に言質をとり、契約書を作らないといけない。契約書についても内堀殿には説明済みだ。
『では銀でいただいた9か月後には本国から取り寄せましょう』
『箱館に届き我々の手に入るのが9か月後ですね?もし間に合わなかった場合は違約金をいただくという事でいいですか?』
『そ、そこまで今決めるのですか?』
『勿論。書面で互いに残します。サインも頂きます』
なあなあで買うと酷いことになる。これは安物買いの銭失いにならないためでもある。ついでに言えば、イギリスはここから薩摩藩に武器を渡し始めるのでうちに武器が届くか不明なのだ。アメリカは南北戦争でうち以上に銃や大砲を必要としているし、買えるわけもない。
ちなみに、前金の文化は箱館でかなり強いらしい。事前に今回の仲介を頼む予定の箱館随一の豪商・福島屋が絶対条件としている。横浜ではそこまで前金文化はないらしい。不思議な話だ。
『フランス副領事殿、ここから200km先にはロシアがいます。我等はロシアの植民地になりたくはない』
『う』
フランスの副領事でもある商人という複雑な立場の彼は、副領事としての思考も一部に求められる。今回の武器売買の目的は『対ロシア外交』という面を強調していくことになっている。実際はそこが主題ではないが。ロシアはこの頃ポーランドの独立運動という内憂を抱え、フランスはポーランド人を支援していた。
『ロシアを蝦夷地に侵入させないために、何卒ご協力を』
『うむむ』
少し苦しそうだが、結局は応じるという返事がもらえた。これで近代装備の整備にさらに一歩前進だ。間に福島屋を仲介させることでもお互いだけの取引にもしないよう取り決めた。
交渉終了後、内堀殿は内容の日本語版を改めて確認すると、俺が片手に持っていた『仏蘭西詞林』 を眺めながら興味深そうに口を開いた。
「いやしかし、その訳書を学べば某も仏蘭西語を使えますかな?」
「厳しいかと。俺は日新館の助力を頂いたから何とかなりましたが」
「ふむ。今後も某がこういう誰にも出来ぬ仕事を任される為にも、時間があればお教え頂きたいですな」
「是非是非。フランスとの交渉ができるのは間違いなく我が藩の為になります故」
フランスを選んだ理由はこの時代にすでに日仏辞典が発行されていたからだ。日新館経由で手に入れたこの『仏蘭西詞林』 で学んだことにすれば違和感がない。一方、英語はまだ辞書が作られていない。ヘボンはまだ来日していないのだろうか。恐らくヘボンによるローマ字表記が確立しないと日英辞典は誕生しないだろう。前述の通り、薩摩藩優先で装備を売るであろうイギリスよりフランスを選んだ理由がここにもある。
「今頃、デント商会でも交渉はされているでしょうが、西洋で最新式の装備が買えるとは思いませぬしね」
「デント商会とやらは、まだ話せるのだったな」
「ええ。同じ福島屋が仲介ですので、多少は仕入れる事も可能かと」
ジャーディン・マセソン商会とデント商会がイギリスから日本に進出している二大商会だ。ジャーディン・マセソン商会は代理人グラバーが有名だろうか。しかしこちらは薩摩と今後深い取引関係になる。だからデント商会に接触するのだ。ジャーディン・マセソン商会は箱館に出店していないしね。
こちらの狙いは船だ。現在幕府に依頼している船とは別に、海外製の船はぜひ欲しいのだ。しかし高い。どうせなら海軍世界一のイギリスに頼もうということなのだが、どの程度の費用になるかは未知数だ。
♢
翌日。陣屋で報告が行われた。デント商会側はあまり乗り気ではないようだ。しかし、箱館で造船業を始めようとしているイギリス人を紹介されたという。
「トムソンとボールトなる者が、(箱館)奉行に借地の申請をして造船所を造ろうとしているそうで」
「造船技術者か。この者等を援助しては?」
偉い人たちの議論には口を挟まないが、恐らく個人商会では求めるような軍船は造れないと思う。
「多少の小型船も、今後の蝦夷地防衛を考えれば必要なのは確か」
「当初の狙いからはずれるが、これも並行して考えるべしと殿にご報告いたそう」
まぁ、同時並行で色々やらなければならないし、これはこれでアリなのかもしれない。
♢
蝦夷地 釧路
箱館奉行・新藤様の激励をもらって、北海道南岸を海岸沿いに東に向かう。釧路では石炭採掘で既に開拓が始まっている。今回はその釧路で、幕府が開山させたのと別の石炭炭鉱の位置を確認しに行った。
「河口、すごいですね」
「鮭が遡上を始めているのでしょう」
目に見えるレベルで鮭が川に殺到している。もう少し上流に行くと、アイヌの人々が網使って大量に捕まえているらしい。帰りに市場で筋子を買いたい。
釧路川沿岸に上陸し、東へ徒歩で移動する。春鳥の湖の北東岸そばに向かう。露頭というほどではないが、それっぽい石を箱館の技術学校の生徒が発見した。
「ここならば、釧路湊も近いので石炭を運べますな」
「石炭の採れる量が増えるのはありがたい。船で橋野に運べば盛岡藩が買ってくれるというならば、どんどん掘ってお売りいたしますよ」
同行した仙台藩の白老陣屋に長年務める氏家秀之進殿や幕府の役人も喜んでいた。彼らからすれば幕府の御領(天領)における石炭収入が増え、運搬事業を一部依頼する仙台藩の蝦夷地での収入が増えるわけだ。仙台藩も陣屋の担当武士の帰路に石炭を積んで帰れば盛岡藩領で売れる。まさに誰もが喜ぶ展開である。
「差し入れの米も実に味が良く。これからもぜひよしなに」
笑顔の幕府役人に見送られ、箱館に戻った。
よし、これで増設してもらう高炉用の石炭も確保だ。鉄の時代を進めるために、一手一手確実にだ。
釧路は当時の振り仮名をつけていますが、くしろ読みで問題ないと思います。
ドル相場は当時の貨幣換算を一応示すために入れただけです。
日英辞典はヘボンの1867年まで存在せず、私塾で習うしか習得方法はありません。主人公2人も普段の日新館ではこの時代の英語を習っています。




