青の魔法使い Ⅰ
青い魔導師の服がトレードマークの彼は危険な地下道の奥深くに一人で潜入していた。
「この先にいるのか…」
彼がこの地下道に来たのは【妖花】と呼ばれる魔物を倒すためだった。
周囲を覆う無数の蔦がまるで脈打つように不気味に動いていた、しかし彼は迷うことなく奥へと足を踏み入れた。
「さぁ来いっ! 【妖花】!」
彼は目の前にある巨大な植物にそう勢いよく叫ぶと炎を生み出す杖を構えた。
すると巨大な植物はゆっくりと大きな蕾を開き太い蔦を地面から引き抜くと戦闘態勢に入った。
「くらえ! ブレイズレイン!」
彼は開かれた無数の花の中心にある巨大な花に向けて炎の雨を降らせる魔法で先制攻撃をかけた。
【妖花】は太い蔦を鞭のようにしならせて彼に向けて強力な連撃をはなった。
地面に跡を残すほどの蔦の攻撃は当たれば無事では済まないことはすぐにわかった。
「これならどうだ! フィルランス!」
今度は炎の魔力を濃縮して槍のような形を作り巨大花に向けて放った。
しかし【妖花】は鞭のような蔦でその炎の槍を払うと魔法の詠唱でスキができた彼に刃のついた蔦で反撃を繰り出した。
「この距離なら大丈夫…」
彼はその蔦に向けて炎を放とうとした…
しかし…
「うぐぅっ…」
蔦は思っていた以上に早く彼の身に達した。
刃のような蔦は彼の腹部を貫き、真っ赤に染まっていた。
「そんな…まだ…遠かったのに…」
予測を遥かに凌ぐほどの速さであったとは少し考えにくい…
ならどうして蔦はここまで早く自分を貫いたのか…その答えは【妖花】の小さな花にあった。
「そっか……あの花粉のせいか…」
腹部を貫かれ、そのまま持ち上げられた彼の目に無数の花から噴出される細かな花粉が目に映った。
その花粉の効果で蔦が早かったのでなく、彼の視覚がおかしくなってしまっていたのだった。
「……もうだめみたいだね。」
無数の刃がついた蔦が彼に向かって鞭のように振られるのが距離感の掴めない彼の目にもはっきりと映った。
彼が目を閉じた刹那、彼の身体を無数の刃が切り裂いた。
†
地下道は暗く、とてもジメジメした気持ちの悪い場所でした。
水が水路を通っていて地下道というよりかは地下水路と言ったイメージです。
白さんと私は暗い道を足を踏み外さないように少しづつ進んでいきました。
「アリス気をつけてね。」
白さんは私に注意を促しますが、ここに入ってから何度目でしょうか…
「ひゃぁっ!」
白さんは私に注意を促した瞬間に何かに驚いて飛び上がりました。
「……なんだ水滴が降ってきたのね。」
どうやら白さんは先ほどからポタポタと降ってきていた水滴に驚いたようです。
「……あの、大丈夫ですか?」
私は首を傾げて白さんにそう尋ねます。
「えっ…うん大丈夫よ、ありがとう。」
白さんはすごく恥ずかしそうにそう言うと少し急ぎ足で歩き出しました。
「あの、白さん…あまり急ぐと…」
「きゃぁっ!」
私は白さんを引きとめようと声をかけましたが、どうやら手遅れだったようです。
白さんは見事に水路の段差に躓いてバタッと倒れてしまいました。
「うぅぅ…」
まさか白さんがこんなに暗所が苦手だなんて思いませんでした。
最初は全然そんな気配もなく、白さんはどんどん先に行ってしまいました。
しかしでした…白さんが「こんなところ早く出たいからっ!」と私に急ぐ理由を教えてくれた時にわかったのです。
「私がしっかりしないと…」
それから私は白さんが水路に落っこちそうになった時も、絶対に壊れるようなひび割れた橋を渡ろうとした時も、上から石のつららが降ってきた時もなんとか危険を防いでいました。
「…それにしても入り口はあんなにしっかりと守っていたのに中には見張りはいないのですね。」
私は立ち上がってすごく恥ずかしそうにしていた白さんにそう話題を変えようと声をかけました。
「そこは私も気になっていたの。 ゴブリンは知能の高い亜人種だから地下道の方も巡回していると予想していたのだけれど…」
どうやら白さんも同じことを考えていたようです。
「…初めからここに入られることを想像していなかったのでしょうか?」
私は白さんに尋ねてみましたが、すでにそんなことはないと心の中では答えを出していました。
「多分それはないと思うわ…あれだけ地下道に守りを固めていたゴブリン達が地下道に入られることを考えてないなんてことは少し考えにくいわ。」
白さんの答えはやはり、予測の上でここには見張りを置いていないと言う考えでした。
「では、どうして見張りがいないのでしょうか…?」
私は白さんに尋ねましたが、この時には既に嫌な予感がしていました。
「そうね…1つはここが初めから砦につながっていない場合、この場合ならゴブリン達は最初から演技をしていたことにあるけれど…ゴブリンは知能は高いけれどそこまで出来るのかは少し疑わしいわね。」
白さんはまず1つの可能性を挙げましたが、どうやらこれは違うようでした。
「では他に何か理由があるのですか?」
私は白さんに再び尋ねました。
「ええ…もう1つはゴブリン達でも手に負えない何かが潜んでいる場合、この場合は集団戦でもゴブリン達が勝てないような強敵がこの地下道の何処かにいる事になるから、私たちも遭遇しないように注意して進んでいかないとダメね…」
白さんはそう言うと再び歩き出しました。
「強敵…ですか…」
私はなんとなくそんな気がしていました。
先ほどからゴブリンはおろか小型の生き物ですら全くいなかったのです。
地下道ですので、もっとネズミやコウモリくらいはいても良いはずなのですが、まるで生き物の気配がありません。
「…白さん、私は後者の方ではないかと思っています。」
私が白さんにそう自分の予想を伝えるとすぐに白さんは
「大丈夫よ…私もそう考えてるから。」
と答えました。
その時、私の腕に何か粘つくものが触れました。
そして、それと同時に激痛が私の腕に走りました。
「うあっ……!」
私が腕をぎゅっと抑えるのを見て白さんが私の方に駆け寄りってきてくれました。
「アリスっ! 大丈夫!?」
私の焼けたような傷口を見てただ事ではないと白さんも感じたらしくとても驚いていました。
「白さん…ダメです! 離れてください!」
私は真上の天井にその原因となった魔物がいることに気がつきました。
粘り気のある強酸を生み出す液状の魔物スライムです。
スライムは魔導生命体と呼ばれていて魔力が異常値になると生成されてしまいます。
人為的に作ることの方が多いですが、不安定な魔力場などで勝手に生成されることも多くあります。
「アリス?」
白さんはまだ気がついていません、ですがスライムは私に向けてその粘液状の体で飛んできていました。
「ごめんなさい白さん!」
私は白さんを体当たりで押し飛ばすと間一髪でスライムの捕食を回避しました。
「スライム!? いつの間に!?」
とても白さんは驚いていました。
「どうやら私たちはスライムの待ち伏せに気づかずに縄張りに入ってしまったようです。」
私は周囲にも何体ものスライムが天井から伸びてきているのを確認すると白さんに伝えました。
「だから魔物が全くいなかったのね…」
白さんは大鎌を構えて魔法を唱えました
「はぁっ!」
私は剣でスライムと応戦しますが全く効果がありません。
スライムには剣などの物理的な攻撃では太刀打ちできないようです。
「アリスっ! ダメっ!」
白さんが私に呼びかけましたが剣を振り抜いたスキに無数のスライムに捕らわれてしまいました。
「うぅっ…」
体中を粘液状のものが這いずるようにゆっくりと全身を包み込んでいく感覚があまりに気持ち悪く、声を漏らしてしまいました。
私の体のほとんどを粘液が包み込んでしまったため身動きが全く取れず、拘束を振り払うこともできませんでした。
「あぁっ…うぁっ…」
口元にも粘液が触れて、私の口の中にドロッとしたスライムが入り込んできました。
スライムは捕獲した生物の体内に侵入して外側と内側の両方から溶かして液体状にしてから吸収します。
私はその捕獲された獲物です。
口の中にドロドロの液体を注ぎ入れられて、体をネバネバの粘液に覆われて、ゆっくりと溶かされてしまうのです。
「セイクリッドライト!」
私がスライムに捕縛されている間に白さんは強力な閃光の魔法を唱え終えていました。
収縮された光の魔力が極限まで圧縮されて周囲の時空を歪めていき、そして耐えきれなくなった光の魔力は一気に炸裂して拡散するレーザーとなって私の体にまとわりついたスライムを焼き払いました。
「うくぅぅ…」
私はその場で膝をついて倒れ込みました。
口の中に残るなんとも言えない気持ち悪さと体中のネットリした感覚がとても不快で、吐き気を催すほどの生臭い香りが染み付いていました。
「アリスっ! どうしてそんな無茶なことをしたの!」
光の魔法を放ちながら白さんは私を叱りました。
「……白さんばかりに辛い仕事を押し付けたくないんです。」
私は剣を再び持つと目眩をこらえてスライムの群れに突撃しました。
「アリスっ!」
白さんの驚きに満ちた声が暗い地下道を何度も反響しながら響き渡ります。
「…っ!」
スライムが粘液状の体で飛びついてくるのを体をひねって回避すると剣を高速で振り抜いてスライムを真っ二つに切り裂きました。
しかしスライムは分裂するだけでダメージには全くなりませんでした。
「アリス! 私に任せて!」
白さんは私にそう言って光の魔法を唱えました。
「輝きの結晶よ、刹那の煌めきとなりて敵を討て…スプレッドライト!」
私の周囲に小さな光の玉が幾つか出現したかと思うと瞬時に炸裂してたくさんの光の粒となって敵を貫きました。
スライムたちは抗う術もなく焼き払われました。
「………ごめんなさい。」
私が謝ると白さんは一息ついてから私の頭を撫でて
「アリス? 無茶して貴女が死んでしまえば私はとっても悲しいの…貴女のその優しさだけで私は十分だからね。」
と怒ることもなく私を諭すように言ってくれました。
「……うぅ。」
私は少しだけ胸が苦しくなりました。
いままで失敗すればきつく叱られ、罰を受けて来た私です…こんな優しい言葉をかけられると私はどうしていいかわかりません…
「それじゃあ…行きましょうか…」
白さんは私にそう言うと大鎌を虚空へと還してまた暗い地下道を進み始めた。
「………私はどうすれば…」
そんな言葉を口に出すことはなく私は飲み込んで、白さんの後を追いかけた。
†
地下道は相変わらず静かで生き物の気配も少なかった、しかしちらほらと現れるネズミやイタチがまだ周囲に命があることを感じさせてくれる分、先ほどよりは幾分か安心できるものではありました。
「……先ほどとはまた違った気配を感じます。」
私は周囲から漂うなんとも言い難い気配を感じていました。
「うーん…周囲にそれと言って魔物の姿はないんだけれど…」
白さんは私がずっと感じている気配を探っては首をかしげていました。
確かにいままで通りの地下道が長く続いているだけなのですが…何故か周囲がとても気になってしまいました。
まるで壁の奥で何かが脈打っているようにかすかに壁の中から鼓動のような物を感じました。
「……私もよくわからないのですが、まるでここが生き物の中のような感じがします。」
私は不気味な鼓動をそう表現してみました。
「地下水脈でもあるのかな…?」
白さんは不思議な魔法を使って周囲の状況を探りました。
「……何かわかりますか?」
私が白さんにそう尋ねると
「うーん…やっぱり魔物の気配は何もないわね…でもこの付近を水と魔力が周期的に流れているのはわかったの…」
と答えては再び周囲のを探りました、すると白さんは突然
「……あれ? なんだか人の気配があるような気がする。」
と言って地下道を奥に進んでいきました。
「…人の気配?」
私はにわかに信じ難い言葉に首を傾げながらも奥へと進む白さんを追いかけました。
こんな地下道の奥に人の気配を感じるなんてことがあるのでしょうか…
私たちのようにゴブリン達の掃討に来ているならわかりますが、帝国騎士や軍の人間はこの掃討作戦には参加していません。
ならば…いったい誰がどんな目的でこんな地下道の奥にいるのでしょうか?
その時、私は1つの言葉を思い出しました。
《人為的な異常発生》
もしその犯人がここにいるのなら私は一刻も早くその犯人を捕えなければなりません。
私は星屑の光を纏う剣を召喚して急ぎ足で白さんを追いかけました。
「はわっ!」
………白さんはこんなタイミングで足をつまずかせていました。
私はすぐに白さんのコートを引っ張って転けないように支えるとすぐに白さんに伝えました。
「もしかするとその人の気配は魔物の異常発生の犯人かもしれません!」
すると白さんは
「ええ…私もそうかもしれないって思ったのよ。」
と答えて再び走り出しました。
しかし壁の中から聞こえていた鼓動が早くなったかと思った瞬間、壁の中を何かが蠢く音とともに突然壁を突き破って太い鞭のようなものが私たちの目の前に勢いよく現れました。
「っ!?」
「なにっ…これ…?」
私たちは驚いて即座にその太い鞭状の何かから距離を置くと武器を構えて戦闘態勢をとった。
不気味にうねうねと動く巨大な何かはまるで私たちの居場所がわかるかのように鞭のように素早く打ち付けてきました。
「来るわっ!」
白さんがそう叫ぶと同時に背後に飛んで回避すると鞭のような何かは地面を深々と抉りました。
「これに当たったらただではすみそうにないわね…」
白さんの言う通り、硬いレンガで覆われた床を容易く抉るほどの威力なのですから…私たちが当たれば骨折はもちろん、場合によっては即死もあり得るでしょう
「……白さん…こいつがずっと感じていた気配の正体だと思います。」
確かに感じる脈打つような鼓動…間違いなく先ほどから壁の中で感じていたものと同じです。
鞭状の何かは再びその身をしならせて力強く私に叩きつけてきた。
私は剣を振るいながら後ろに飛び退きその何かに一撃を入れた。
この鞭状の何か自体はそこまで硬いことはなくあっさりと傷をつけることができたのだが…生き物のようにうねうねと動いてはいるものの血を流すこともなくわずかに液体が染み出る程度であった。
「……どうやら植物系の魔物の一部分のようです。」
私は過去に長い蔦をもつ食人植物の魔物と戦ったことがありました…この長い鞭状の何かはその時に食人植物が使っていた触手代わりの蔦と似ていました。
「…通りで私の動体探知の魔法で発見できなかったのね。」
白さんはそう答えると大鎌て薙ぐように太い鞭状の蔦らしき物を切り裂いた。
引き裂かれた蔦らしき物はしばらくうねうねとのたうち回り萎れるように細くなると動きを止めました。
「……なんとかなりましたね。」
私はもう動かない蔦らしき物を見て少し安堵した。
「…でもこれでここにゴブリン達がいないのが危険な魔物のせいだって確定しちゃったわね。」
白さんは大鎌を構え直すとゆっくりと歩き出した。
私も魔剣をしっかりと握ると再び周囲の魔力の流れに気を配りながら白さんに着いて行った。
しばらく歩いていったのですが、いつしか地下道はたくさんの植物の蔦が地下道の壁などから伸びた不気味な場所へと姿を変えていた。
「これだけの範囲に蔦を伸ばせるなんて…とても一体の魔物とは思えないわ。」
白さんはそう言いながらも薄々とその強大な魔物の気配を感じているのだと思いました。
「……とても大きな魔力の流れを感じます…全て一点に集中するように流れています。」
私は白さんにそう伝えます。
一点に集中するように流れているということは…つまり強大な魔物が一体でこの地下道を覆い尽くすほどの力を持つことを意味していました。
「私も大きな魔力は1つしか感じないの…やっぱりかなり強力な魔物が奥に潜んでいたのね。」
白さんはそう言って立ち止まると周囲の状況を探るために探査魔法を使いました、しかしすぐに白さんは驚いたように魔法を打ち切って
「すぐ近くに人の気配があるわ!」
白さんは急いでその気配の方へ走り出しました。
「白さんっ!」
私もすぐに追いかけましたが…
「そうだったのね…ここに居たのは生者ではなかったのね…」
と白さんは何もない部屋だった場所を見て言いました。
ですが私も確かに誰かの気配を感じていました。
「……あなたは誰なの?」
白さんは手を部屋にかざすとそう静かに尋ねました。
気配の持ち主はまだ私たちの様子を見ているようで、何も変化は起こりませんでした。
「私はアリオン…迷える魂を向かうべき場所に導く役目があるの…だから出てきて欲しいの。」
白さんは部屋にいる何かにそう言う。
すると部屋のちょうど真ん中あたりにふわりと不思議な炎が浮かび上がりました。
「……これは?」
私はその美しく儚い光を放つ炎に不思議な鼓動を感じました。
「…これは死者の魂よ、この地に縛られていたり彷徨っていたりしていて、普段は見えないのだけれど…今は私の力で可視化しているのよ。」
白さんはその揺らめく炎にゆっくりと近づくと再び手を伸ばしました。
「彷徨える魂に現世の姿を与え給え…」
白さんがそう静かに唱えると炎は少しづつ強くなってみるみるうちに人の姿に変化しました。
そして炎が静かに消えるとそこには青い服を着た男の人が立っていた。
「驚いたよ…まさかこんな所で生きている人間に出会えるなんてね…」
男の人はそう言って少し微笑むと
「初めまして…僕はセノン…見ての通り魔法使いさ。」
と名乗って軽くお辞儀をした。
私もお辞儀を返して男の人…セノンさんの様子を伺いました。
セノンさんはそんな私を見て微笑むと
「礼儀の正しいお嬢さんだね。」
と私に言いました。
「……」
私は無言でセノンさんを見ていました。
「…あなたはここで何をしていたの?」
白さんはセノンさんにそう尋ねました。
するとセノンさんは先ほどまでの優しい顔つきから急に険しい眼差しをして静かに告げました。
「…この奥に住む【妖花】という魔物を倒しに来たんだよ。」
私たちはその言葉を聞いて彼がどうしてこのようになってしまったのかを理解しました。
「じゃあ…あなたはその【妖花】という魔物に敗れてしまったのね。」
白さんはとても悲しそうにそう言いました。
「……」
私は無言で剣を握りしめました。
「アリス? どうしたの?」
白さんは私を見てそう尋ねました。
私は力強く答えました。
「……私がその【妖花】を倒します。」