影で動く者 II
皆さまお久しぶりです。
またも前回から期間が空いてしまいましたが、なんとか次のお話を書くことが出来ましたので投稿しました。
今回のお話にはアリスの戦闘や黒蝕の死神の正体など様々な要素が詰め込まれています。
次回からは遂にこの境界での戦いが終盤戦を迎えます、少しでも楽しんで頂けるように精一杯お話を書いて行きますのでどうかよろしくお願いします。
それではいつもながら、拙い作品ですが少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
少女の予測外の勘の良さに彼女は嬉しさを隠せなかった。
「まさか私がわざと黒血石を置いていった事に気がつくなんて……ふふっ…私の相手には物足りないって思ってたけど…なかなか見所あるじゃない♪」
彼女は自らが落としておいた黒血石を拾い、コートのポケットに片付けると赤い服の少女が進んだ先を見つめた。
「さてさて…『人形姫』と『泣き虫少女』ね…どっちからどうやって殺せば貴女は悲しみに歪んだ表情を見せてくれるのかな……白死神のアリオンちゃん…」
彼女は死神…ただ自らの欲望のために命を刈り取る黒蝕の死神…
† † †
「……全く…変な人です…」
私は首につけたソウルガーメントの裏に貼り付けられた一枚のメモに気がつき、それを机の上に広げていました。
あれからとりあえず資料室の奥にあった扉には簡単には近づけないように机で扉を抑えるようにして置いた…隠してしまうとまた気になって開けてしまってはおしまいなので今度は見えるようにして置いた……とは言えあの異常な空気感を放つ扉を開けようなどとは多分しないと思いますが…
それから廊下を進む途中に見つけた美術室の鍵を拾いました。
そして私は職員室を物色している時に奥に異界を繋げて生み出された空間があることに気がつきその部屋の確認をして、今に至る…
意図的に誰かが空間を繋げたようで最初はどんな恐ろしいモノが待っているのかと警戒していたのですが、綺麗に整理された医務室のような場所だったので安心して休憩を取ることにした…美術室の鍵はここに置いておきましょう。
テーブルの上に置かれたランプと紅茶の入ったヤカン…そして私宛に書かれた置き手紙を見て私はここが白さんが私のために用意してくれた隔離空間だと知りました。
手紙の内容はこの空間のことと白さんが応援をしてくれる人を呼んだこと…そして私とは今は会えないということでした。
「……さて…こちらの変わった人からのメモには何が書いてあるのでしょうか…」
テーブルに広げたそれはロゼルト・ラインハイト…私に魔導器を埋め込み、兵器としての力を私に与えた張本人のメモでした。
サッと目を通した限りでは私に備わった兵器としての能力や私の身体能力が書いてあるようでした…
「……私の説明書…と言った所でしょうか…」
私はこれはフランゼルド隊長に宛てて書かれたものだと思い直ぐにメモを捨ててしまおうと思いました…しかしよく見るとメモの裏側の隅に小さく何かが書かれていることに気がつきました。
『君は君の母にそっくりだ…君はとても素晴らしい! 君がこれを見ている時、きっと君は迷っているだろう…是非とも迷いたまえ、君の力でその問いに答えを見出した時、きっと世界を愛せるようになるだろう。 ロゼルト・ラインハイト』
それは紛れもなく私に宛てたメッセージでした。
私はもう一度メモの内容を今度はしっかりと確認した。
そこには一つ一つ丁寧に能力の良さと悪さが書かれていた。
『魔力を見る目』はその場に残った魔力を可視化して見ることができる能力。
魔力の他に残留思念などを可視化することも可能だが、能力の使用は視神経に大きな負担をかけるため使い慣れないうちは利用時間を20分までに抑えることを推奨する…能力を使い過ぎた時は頭痛や目眩が症状として出るので十分な休息を取るように。
『簡易身体強化』は状況や行動にあった身体強化を自動で施す能力。
意識を集中させて行動をとると自動で自身の持つ魔力を利用して身体能力を強化することができる…意識を集中させることで強化を施すが、基本的には自身の身体能力を強化するだけのものなので個人の身体能力が大きく影響する。
強化に制限はないが効果時間と効果の強さに比例して身体への負担は大きくなる…症状としては強化を施した場所によって様々だが、主に身体機能および神経系の一時的な機能低下や疲労感などがあり、最悪の場合は身体機能および神経系が機能停止や吐血、全身からの出血などによって死に至る場合もある。
「……便利なものには必ず対価があるというわけですね…」
まだいくつかの能力が書いてありましたが、ここまでに書かれているものだけでも十分に常人離れした能力であると言えます…しかし強力な力にはそれ相応の対価があるようです。
とりあえずまだ周囲に不審な気配はないためこのまま続きを読むことにしました。
『広範囲魔力探知』は周囲に存在する様々な魔力を探知する能力。
一度記憶した魔力の場合はその魔力を追跡することも可能である。
この能力は飽くまでも魔力を探知する能力であり魔力を持たないものは反応しないため過信は禁物である。
また魔力探知を阻害する魔法障壁などで対策可能なので注意する事。
『神経乖離』は一時的または永続的に神経を自身から切り離す能力。
神経を切り離すことで痛みや不必要な快楽などを感じなくなるが、身体へのダメージを防ぐ能力はない。
基本的には使わない方が良いが、一応記入しておく。
『高い記憶能力』…これは君が元々持っているものだね。
君の記憶能力は通常の人間とは比べ物にならない位に正確かつ鮮明に記憶できるものである。
記憶力の高さは冒険や戦闘、そして生活をする上で役に立つだろう……しかし良くも悪くも正確かつ鮮明に記憶するため君は自らの過ちを忘れることはなく、その記憶は君を蝕み、縛り付けるだろう…でもその記憶を糧にいつか君は誰よりも優しくなれると信じているよ。
「……ロゼルトさんは変な人ですが悪い人には思えませんね…」
私の能力の最後に私の持つ記憶力について書いてありました。
最初は何のためにこんなことを書いたのかと思いましたが、どうやらこれは彼からのメッセージのようです。
『誰よりも優しくなれると信じているよ』
私とロゼルトさんはまだ少ししか関わりがありません…そんな私にこのような言葉を嘘だとしても掛けるものなのでしょうか?
私はとても温かい気持ちに包まれた気がしました…たとえ嘘であっても、今の私にはこの言葉がとても温かい言葉に思えるものでした。
「……優しくですか…本当になれるのでしょうか…」
私はランプ独特の揺れる明かりに照らされたメモを畳んで再びソウルガーメントの裏に貼り付けるとランプを手にとり、扉の方が照らせるようにランプの明かりを向けると扉の向こうからこちらの様子を疑っている何者かに声を掛けた。
「………そこに居るのはわかっています…中に入りませんか…?」
私の気配を感じて中の様子を伺って居るのは間違いなく明さんです…息を殺していても魔力探知ですぐに誰が居るのかわかりました。
内心では少し明さんの警戒心が以前より強まったことにホッとしていました。
どうやら明さんも私だとわかった様子で扉を静かに開けて姿を見せた。
「………早かったですね…」
光を得て行動しやすくなったとは言っても、まさかここまでの行動力があるとは流石に予想を上回っていました。
「アリスさん、何だかよく出会いますね…」
明さんも流石にこれだけよく出会うと不思議に思ったのでしょう…私も同じ気持ちです。
「……そうですね…」
私はとりあえず返事を返してランプを机に戻し、先程まで座っていた椅子に再び座った。
「あの…今は何をしているのですか?」
明さんは私が休憩をしている事に疑問を抱いたのか突然そう尋ねてきました。
「……休憩です…探索には適度に休憩を取ることが大切だと私は母から教わっています…」
私の母は考古学者だった父の遺跡探索の手伝いによく未踏の遺跡に出かけていました。
それ以前に母はアルスフィリア帝国騎士団に所属していました…なので私によく遺跡探索や戦場での話をしてくれました。
母から私は探検には食事と休憩を怠らない事が何よりも大切だと教わっています。
とりあえずせっかくなので白さんの淹れてくれた美味しい紅茶を明さんにも分けてあげることにしました。
私は棚の中にいくつか置いてあったマグカップから比較的綺麗なものを2つ選んでポットから紅茶を注ぎ入れた。
「……よろしければご一緒しませんか?」
私は明さんの分の紅茶を私のすぐそばにあった椅子の前にセットして休憩のお誘いをしてみました。
「あっ…はい…ありがとうございます」
反応は少し不信感を持った様な物でしたが一応は一緒に休憩を取る様でした。
「あの…ここって危険な場所ですよね?」
しかし直ぐに席に座る訳ではなく明さんは1つの質問を私に投げかけた。
この様な状況ですので当然といえば当然の反応でした…正直に言いますと私にもここが本当に安全なのかはわかりません、ですが少なくとも他の場所よりは安全な場所である事は間違いないでしょう。
「……この場所は一見すれば学校の一部ですが実際には別の空間がくっついたものです…なのでこの部屋だけなら危険ではありませんよ…」
私は今わかることだけを明さんに伝えて身振りで部屋の物や壁など様々な物を見てみる様に促した。
「うーん…妙に綺麗ですね…」
明さんは部屋の様子が外の荒れ果てた様子とは大きく異なることに気がついてくれました。
そんな様子を見ていると私は明さんがとてもフラフラとしている事に気がつきました…ここに来てきっとまともに休憩を取っていないのでしょう、疲労が見て取れました。
私は一息ついてから明さんに忠告をしておくことにしました。
「……それから…危険だからと言って休憩を取らないというのはあまりオススメはしませんよ?」
全て私の母の受け売りではありますが、今の明さんには必要な言葉でもあるでしょう…私はそう言って小さくため息をついた。
「はい…気をつけます…」
明さんはそう返事を返すと私が用意した席の方へゆっくりと来ると静かに席に着いた。
その一連の動作のぎこちなさを見ているとまだ何かに緊張している事がよくわかりました。
私に対しての緊張なのか他のことに対しての物なのかは判別できませんが、このまま休憩をしても気持ちの疲れは取れないでしょう…何かお話でもして緊張をほぐしてあげられれば良いのですが、お話をする話題なんて私には思い当たりません。
「……明さんはもう資料室には行きましたか?」
……これは緊張をほぐすための話題とはお世辞にも言えたものではないでしょう。
私は何も思いつかないあまりついつい気になっていたことをそのまま口にしてしまいました…大失態です。
「ううん…今から行く予定です」
マグカップを手にとったばかりの明さんの表情からはやはり気持ちの疲れが滲み出ていました…
私の問いに返事を返すと明さんは紅茶を一口だけ飲むと私の言葉を待つ様にじっとこちらを見つめていました。
「……それは良かったです…資料室の奥にある小部屋には何があっても入らない様にしてくださいね…」
私は明さんにそう伝えると周囲に不審な魔力がないかを探って見ました…休憩中とはいえ周囲にはどんな危険が潜んでいるか分かったものではありません。
ですが、この自らの行為に後悔をすることになりました。
魔力なんてものを通り越した形容し難い何かがこの周囲を徘徊していました…
そしてそれは私が魔力探知によって位置を特定したと同時にこちらに急接近して来ました…このままでは間違いなくこの場所に来てしまうでしょう。
「……仕方ありませんね…」
明さんには聞こえない様に小さな声で私は呟いて席を立ち、私はその足で扉の方へと進み出した。
「あの…アリスさん!」
背後から私を呼び止める明さんの声はどうしてかとても温かく、その声に私は歩みを止めた。
この温かい声を失いたくない…
今、彼女を守る事が出来るのはきっと私だけです。
「……私はもう行きます…すべき事があるので…」
私は覚悟を決めました…きっと…きっとあの日、戦いに出て行った私のお母さんも私が今感じている複雑な感情を感じていたのかもしれません…
『戻りたくて仕方がないのに…前に進まなければ大切なものを守れない…』
お母さんがあの日の戦い向かう前に言っていた言葉です。
いつも通りの声と笑顔で私に妹のベアトリーチェの面倒を見るように言って出て行きました…そして二度と戻ることはありませんでした。
あれからすぐに私と妹のベアトリーチェは住んでいた村の村長に引き取られ……私は何者かに攫われて、今ここに居ます…
「あの! 危ないことはしないで下さいね?」
背後から聞こえる明さんの優しい声が私をその場に引き止めてしまいそうでした。
「……それはお互い様です…」
私は静かにそう言ってそのまま部屋を出た…振り向けばきっと前に進むことをやめてしまう。
私は魔剣を具現化させてしっかりと握りしめて駆け出しました。
† † †
四階の廊下にそれは居ました…
ここでは告死者と呼ばれている死の妖精デュラハンのような人にとって悪い行いをする妖精を『祝福されない妖精』と呼んでいます。
相手がそんな妖精ならまだ勝率はあったのかもしれません。
しかし私の目の前にいるのは幾千もの幽鬼の集団『ワイルドハント』の首領となる霊でした。
『ワイルドハント』についての伝承は各地にあり、その場所によって様々な形をとりますがどの伝承においても必ず『人間や善良なか弱き妖精達』を狩る悪しき者であるとされています。
そしてその首領となる者は自らに続く幽鬼達に狩猟の合図を出すための角笛を持つとされています。
私の目の前にいる者は雄鹿の頭骨で作られた兜に巨大な剣、そして立派な角笛を腰に吊るした男でした。
「……私はこれと戦わなければならないのですね…」
ワイルドハントは私の手に負える敵ではありません…ましてや相手はその中でも最も強い首領となる怪物です。
全身に返り血を浴びた痕跡があり、その異様な風貌は見る者全てに恐怖を植え付けるのでしょう…
一刻も早く逃げてしまいたい所ですが、残念なことに既に私はその怪物の攻撃対象になっているようです。
《自ら我が剣の錆になりに来るとは…愚かな娘よ…》
巨大な剣を今にも壊れそうな鞘からぬいて私に向けてワイルドハントの首領は恐怖心を煽るようなおぞましい声で言う。
「……判断を誤りましたね…」
私はここまで来て最も大きな過ちを犯してしまった…反応の強さから考えても初めから私がどうにかできる相手ではない事ぐらいわかったはずです。
《言っておくが命乞いは聞かん…ここで貴様の命は終わる…》
その言葉と共に振りかざされた巨大な剣が私に向けて振り下ろされる。
「……ここで死ぬわけにはいきません…」
私の覚悟は決まっていた…ここで戦わなければ大切なものをきっと失ってしまいます。
全身に力を込めて振り下ろされた巨大な剣を避けると同時に男の巨体に向けて駆け出した。
身体強化のお陰か私の動きは人間離れした素早さで、瞬く間にワイルドハントの首領の巨体に攻撃が届く範囲に入り込んだ。
《貴様…ただの人間ではないな…》
男は私の予想外の動きに戸惑っていた様子でした。
「……うぁぁっ!」
そんな言葉も今の私の耳に届くはずもなく、一瞬の隙をついて魔剣を構え、即座に突きを繰り出して左目を抉った。
《ぬうっ!》
左目を潰されても男はひるむことなく巨大な剣をすぐに持ち上げ、目にも留まらぬ速さで水平に振り抜く。
守りの体勢に入る間も無く私は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「うぐっ……あっ…」
全身を駆け巡る激痛に思わず声を上げましたが休む暇など与えてくれるはずもなく、巨大な剣を振り上げて突進して来る男が痛みに揺らぐ視界の中に映りました。
「……ふぅ…」
呼吸を整えて激痛に痺れた身体に力を込めて立ちあがり、魔剣の切っ先を男に向ける、しかしこのまま戦っても勝ち目はない、何か他の方法を考えなければ次に一撃を貰えばその時が私の死ぬ瞬間になるでしょう…
《死して悔やむが良い愚か者よ…》
突進と同時に振り下ろされた巨大な剣が私のすぐ真横を通って床を破砕する…片目しか見えていないため狙いが狂ったのでしょう。
「あっ……えっ…」
もしあの一撃がまだしっかりと動けない私に当たっていたならば…恐ろしくて考えたくはないけれど、目の前で振り下ろされた巨大な剣を見ると嫌でもそんなことを考えてしまい恐怖の声を漏らす。
《運だけは良いか…》
その声と同時に振り下ろされた剣を即座に引き上げて剣を振り抜き、剣の腹で私を再び吹き飛ばした。
「ごばっ……あっ…」
体勢を整える間も無く床に叩きつけられた私はそのまま床に横たわる。
立たなければこのまま殺されてしまう…そうわかっていても身体が言うことを聞いてくれない。
よく知る血の味と息が詰まりそうな苦しさ、激しい衝撃で身体は痺れるような感覚に包まれ、視界が歪む…とても動けるような状態ではないはずですが私はまだ残っている死にたくないという強い意志で身体を無理やり動かした。
《まだ立つか…今ので死んでいてもおかしくはないはずだが…》
男は潰された左目など気にもしていない様子で再び巨大な剣を構える。
ワイルドハントの伝承には『ベルセルク』と呼ばれる痛みを感じず、ただ己の衝動に任せて眼に映るものを破壊する戦士の伝承と似た部分があるとされています…そもそもワイルドハントの大元はその『ベルセルク』にあるのではないかと言う説もあります。
もしこの男がそう言った『ベルセルク』に近い何かなのだとすれば、私の今の力では太刀打ち出来ないことは明確です。
「……ぶぁっ……はぁ…ふぅ…」
口の中に残っていた血を吐き出してなんとか空気を吸い込む。
とにかく今は生きてこの男から逃げるべきです…しかしあの巨体らしい怪力だけでなく信じられないほどの速さを持つ文字通りの化け物からこの体で逃げるには無理があります…
《無様な姿だな娘よ…最初はなかなかの太刀筋だと期待をしたが所詮はこの程度か…》
男は巨大な剣を振り上げ、再び猛獣のような突撃を繰り出す。
「……うっ……あっ…」
視界に映った男の姿がぐにゃりと歪んで見えてどこに避ければ良いのかわかりません…
《貰ったな…》
男の声が耳に届いた時、私は空中に跳ねあげられていた。
左肩に今までの痛みとは比べ物にならないほどの激痛が走り、鮮血を巻き上げて壁や天井を濡らしている。
床に叩きつけられた痛みなんて全く感じないくらいに左肩が痛くてたまらない。
「うっあぁぁっ…かっ…ああっ…」
痛みに耐えきれず絶叫を上げて肩を抑えてその場でのたうち回った。
悲鳴も掠れ、鮮血が池のように床に溜まって行くにつれて体が冷えて行くような感覚に襲われて私は体を小刻みに震えさせながら速く浅い呼吸を繰り返していた。
「あぁ…ぎっ……あ…ああっ…」
身体を動かそうにも出血が多すぎました。
全身から力が抜けてどんどん体温が低下して行くのがわかりました。
《脆弱…実に脆弱だ…》
男は巨大な剣を床に突き刺して、私を見下ろしてそう言いました。
「あ…あぁっ……あっ…」
意識も薄れ、男の声は私の耳には届きません…視界は霞んで、救いを求めて伸ばした自分の腕すら見えなかった。
もう助からない…
これだけの傷をどう押さえても失血死は避けられない…傷を完全に塞ぐ方法など……
「あっ…ああ…」
その時、私は閃きました。
たった1つだけ出血を抑える方法があります…これも確率の低い博打ですが、助かる確率はまだゼロではない。
私は残る力を振り絞って私の最大の能力を使った。
「…ソウルガーメント起動…軍神の魂!」
それは私が旅の途中で出会った軍神アルランドさんの魂、そして彼の神器は…
「……氷槌メルトラス!」
その声と同時に私の右手に凍てつく魔力を宿した片手槌が握られた。
「……ううっ…」
激痛を伴うことは覚悟の上…私は握られた氷槌を傷口に当てた。
「あがぁぁっ!」
予想通りのとんでもない痛みが私を襲いましたが、私の傷口は氷によってしっかりと塞がれました。
《なんだ…その力は…》
男は私の突然の行動に驚き、巨大な剣に手を伸ばす。
「……お願いです…力を貸して下さい!」
私は足元に向けて再び氷槌を振り下ろし、巨大な氷の壁を生み出した。
《小癪な真似を!》
分厚い氷に遮られ、男が高速で振り下ろした巨大な剣は私には届かずに氷の壁に飲み込まれて抜けなくなりました。
この壁だってあの男相手では長くは持たない…逃げるなら今しかない。
「……お願い…です……もう少しだけ耐えて下さい」
激痛に耐えながら、自分の体に言い聞かせるようにそう言って廊下の奥へ向かって歩き出しました。
《必ず殺してやる…逃がしたりはせん!》
男の憎悪に満ちた声が私の背後から大きな声で放たれましたが、私はそれに構わず1つの部屋に隠れることにしました。
「……この部屋なら…」
もちろんただ隠れるためだけではありません…私が勝つためにたった1つだけ思いついた作戦に賭けてみようと考えたのです。
小さめの部屋を選び、部屋を閉め切ってからその部屋の真ん中で軍神の魂から魔導師の魂にソウルガーメントを変更しました。
これも旅の途中で出会った魔法使いセノンさんの魂です…そして彼の武器は炎を操る炎杖フレグゼェール。
私は自身の周囲を保護する結界魔法をセノンさんの力を借りて発動し、炎杖で強力な火の球を作り出した。
この境界と呼ばれる場所では床や壁は傷つくことはありますが、破壊することはできません…そして扉や窓を全て閉めてしまうと完全な密閉空間になります。
「……条件は揃っているはずです…」
私は炎の球をさらに大きなものに変えて部屋中の『ある物』を焼きました。
廊下を歩く男の足音がゆっくりとこの部屋へと近づいてくる。
「……ぐうっ…」
結界魔法は強力なものですが完全に熱を防ぐわけではありません。
私の傷口を塞いだ氷は熱によって少しづつ溶け出し、それと同時に出血もゆっくりと再開されて行きました。
この様子ですと持ってあと数分と言ったところでしょうか…
「……間に合って…下さい…」
もう意識を保っているだけでも限界でしたがここで諦めるわけにはいきません。
炎の勢いを確認しながら願うようにそう言いました。
そして、ついにその時はやって来ました。
それまで激しく燃えていた炎の球は急にその勢いを弱め、やがて消えてしまいました。
これこそが部屋中の『ある物』が焼けた事を表す現象です。
「……さぁ…賭けをしましょうか…」
私は炎杖に込める魔力をさらに増やして男がこの場にやってくる時を待った。
《見つけたぞ小娘、もう逃がさんぞ…》
ようやく男は私を発見したようです…部屋の外からでもその声はよく聞こえました。
もしこの男が私の狙いを見抜いて扉を開けなかったら私は確実に死んでしまいます…しかし怒号と共に男は怒りに任せて扉を思い切り押し開けた…
《ぶち殺してやる小娘!》
その言葉とともに扉を開けた男をしっかりと見つめて私は言葉を放った。
「……今回は私の方が上手だったようですね…」
扉が開かれると同時に強烈な衝撃と共に部屋を爆炎が包み込んだ。
普通ならば大爆発による爆風で部屋が吹き飛び、巨体がぶつかった廊下の壁も砕けてしまうでしょう…しかしこの場所は境界、絶対に壊れないため衝撃も爆炎も全て男に直撃しました。
ほんの一瞬でした…しかし男は炎に包まれ、強烈な衝撃を正面から受けたため身体中に致命的な裂傷を負いました。
《あがぁぁぁっ! ぐぎっ…がっ…!》
最早立っているのがやっとでしょう。
右腕は衝撃によって切断され、全身からの大量出血…皮膚の90%以上が焼かれ、今なお火が消えてはいません。
「……上手くいきましたね…」
密閉された空間で物を燃やす時、酸素がある間はただ普通に燃えている炎ですが、いずれ酸素が不足し不完全燃焼を起こし、炎は鎮火したかのように勢いを弱めます…この時まだ火種は残っており、部屋には不完全燃焼によって生じた可燃性の一酸化炭素ガスが溜まった状態になっています。
そこに扉や窓を開けるなどして急速に酸素が取り込まれた時、熱された一酸化炭素に酸素が結びつき二酸化炭素になる化学反応が急激に進むことで部屋の外部に向けて強い気流を伴った爆発が発生します。
これは『バックドラフト』と呼ばれている現象で、火災現場などでも起こる爆発現象です…私がこの部屋で燃やしていた『ある物』とはこの部屋中の『酸素』です。
私はこの現象を昔に父から教わりました…随分と前の話なので記憶は曖昧でしたが、多分遺跡の中には侵入者を排除する罠が沢山あるという話の中で教わったと思います。
男は悶え苦しみながらついに絶命し、周囲に焦げた肉の嫌な臭いを放っていました。
私はそのむせ返る臭いに吐き気を催しながらもどこか休める場所を探すために少しづつ歩き出しました…しかし程なくして私は力なく倒れてしまいました。
今まで気力だけで立っていたのですがどうやら限界のようです。
傷口を塞いでいた氷は溶けて私の血と混ざり真っ赤な雫を落とす。
すぐ間近に迫る死への恐怖からなのか大量出血による体温低下の影響なのかは分かりませんが体の震えが止まりません。
「……白…さん…」
私は傷口を押さえてこれ以上の出血を防ごうと試みましたが止まる様子は全くありませんでした。
血溜まりの中で必死に傷ついた腕を伸ばし、私は掠れた声で救いを求めました。
そして私は二度と覚めることのないであろう深い眠りへと落ちて行った。
† † †
私は荒れた地に立っていました…
幾千…幾万…数え切れないほどの亡骸で埋め尽くされた荒野は真紅に染め上げられ、空も真っ赤に染まっています。
その亡骸の山の上で一人、血に染まった白銀の刃を骸に突き刺して立っていました…
死臭と焦げた肉の臭いが混ざり合って独特の臭いを充満させ、地に響く轟音と流れ星のように真っ赤な空を彩る砲撃がこの場所が戦場であると理解させます。
私は剣を手放して自らの手を見ました。
その手は血でどす黒く汚れていて、染み付いた汚れはほんのりと熱を帯びているように感じました。
足元に転がる屍の眼は私に向けられ、怨嗟を私に吐くように開かれています。
数多の屍から向けられた憎悪の眼差しが私へ対する呪詛を表すものであることは考えるまでもないでしょう。
なぜならこの亡骸の山は全て私が葬った者たちなのですから。
私はそのことを理解すると急に寒気を感じ、その場にいることが恐ろしくなりました。
逃げようと走り出しましたが、すぐに右足を何かに捕まってしまい前のめりに倒れてしまいました。
私の足を掴んでいたのは屍となった男でした…その目からは真っ赤な涙が流れ、悲しみと恨みを私に向けていました。
「ひぅっ……」
その恐ろしさに私は悲鳴を漏らしながらも抵抗するために体を捻って仰向けになってその手をまだ自由な左足で蹴りつけました。
しかし私に恨みを持つのは彼だけではありません、突如数多の屍は私の体の至る所を生気のない手で捕まえました。
身動きの取れなくなった私の体をよじ登るように幾多もの屍が這いずって私を押しつぶしました。
憎悪を宿して見開かれた眼からは血の涙を流し、私の目の前まで迫ったその生気のない顔は私に何度も呪詛の言葉を投げかけていました。
《死ね…死ね…死ね…》
屍の斉唱が私に降りかかり、耳を塞ごうにも腕を沢山の屍に掴まれているため嫌でもその声が耳へ入ってくる。
「……やめて…下さい…」
無数の声に私の声は潰されて消えてしまう…
《人形…狂人…人殺し…お前に生きる権利などない…》
目が眩むほどの否応無しに頭の中に流れ込んでくる声。
「……もう…やめて下さい…」
私は懇願するように言いました、されど声は止むことはなくさらに多くの声を集めて斉唱は規模を増して行きました。
《冥府の淵で己の罪を悔やむがいい…死ね…死ね…死ね!》
恨み、憎しみ、悲しみ、憤り…押し寄せる屍達の斉唱に私の心は蝕まれて行きました。
「……私が悪い…私は人殺し…私は……」
私は脳裏に焼き付いた憎悪の言葉に感化されて行きました。
気がつけば私は錆びた剣を自らの首に突き立てていました…
「私は……死ぬべき存在です…」
錆びた剣が喉に突き刺さって真っ赤な花を咲かせました。
声帯が潰れてしまって声は出ない…代わりに喉から血が吹き出して飛沫となって真っ赤な大地と空に消えて行きました。
冷たくなった体を屍の上に横たえ、絶命する寸前に真っ赤な雨を受けながら血に染まった手を空に伸ばし、耐え難い痛みに喉を震わせて潰れて声にならない声で許しを求めました。
「……ぁがっ…ぁぁっ…」
† † †
「あぁぁっ!」
汗で濡れた服が肌にくっつく気持ちの悪い感覚と首に残る痛みに似た違和感に悲鳴をあげて私は何かから転げ落ちました。
「あぐっ…!?」
冷たい床にぶつかった衝撃でようやく私は夢を見ていたのだと理解しました。
「はぁ…はぁ……」
呼吸のできない苦しみから解放されてたっぷりと空気を吸い込んでは吐き出して心と体を落ち着かせました。
「……あう?」
落ち着いて状況を確認するために周囲を見回しました…そこは白い壁と天井そして綺麗なベッドが置かれた小さな部屋でした。
どうやら私はベッドから転げ落ちたみたいです。
そもそも私は瀕死の状態で廃校の廊下で倒れていたはずです…しかしここは廃校とは大きく異なった綺麗な小部屋ですし、私の傷の痛みも出血の痕跡もありませんでした。
私は理解不能な状況に困惑して思わず首を傾げて小さく声を漏らしました。
「……誰かが助けてくれたのでしょうか…」
私は改めて身体の至る所を確認してみました。
まず全身のかすり傷や出血はありません、そして左肩の大きな傷も見事に無くなっていました。
「……魔力を確認すれば…」
私は魔法を使用した痕跡を確認するために魔力を見る目の力を発動しました、しかし発動した途端に目眩が私を襲いました。
「くぅっ……あっ…」
私はその場で寝転がって目を閉じました…歪んだ視界はとても気持ち悪いので今はこうして回復するのを待った方が良さそうです。
ロゼルトさんのメモにあった使い過ぎと言うものでしょう。
落ち着くまでの間だけ休むつもりでしたが、どうやら私はそのまま眠ってしまったようです。
私は誰かの驚く声で目を覚ましました。
「アリス!?」
ベッドの上で眠っていたはずの人間が、気がつけば床で眠っていたのですから驚くのが自然な反応でしょう…私が直面した場合も多分驚くか困惑すると思います。
「……あぅ…?」
私は目をこすりながら声の方を見ました、そこに居たのは間違いなく白さんでした。
「アリス、大丈夫?」
白さんは私の前で屈んで手を差し出してくれました。
「白さん…どうしてここに…」
私は白さんにそう尋ねた…先ほどの手紙には今は会えないと書いてあったためすごく驚きました。
「アリスの命の炎が消えかかっていたから助けに来たのよ……いったい何があったの?」
白さんはそう言って私を見つめた。
「……死神の使いに追われている生存者がいます…その方を助けたくて無理をしてしまいました…」
私は白さんの問いに素直に答えました。
「……そう…黄月 明ちゃんの事よね?」
白さんはまるで知っていたかのように明さんの名前を出して来ました…何処かで出会っていたのでしょうか…
「もうご存知でしたか…はい、明さんは私が出会った唯一の生存者です……少しだけ魔力を持っていますが、私たちとは異なる世界から来たみたいで魔法は使えそうにないです…」
私は白さんに明さんの事を一応伝えた。
「そうね…あの子には光の加護をかけておいたから簡単には死神に見つかることはないとは思うけれど…」
白さんは何故か少しだけ不安そうな表情でそう言いました。
「……白さん、どうかしましたか?」
私は何か含みのある白さんの言葉に対してそう尋ねて探りを入れて見ました。
「……私の勘違いならいいのだけれど…あの子、既に死神に接触しているような気がするわ…」
白さんはそう言うと突然不思議な魔法を展開しました…いったい何の魔法なのかはわかりませんが、とても変わった魔法なのは確かです。
「……やっぱり…あの子はもう黒死神と接触している…」
黒死神…黒蝕の死神のことでしょう、つまり私の聞く限りでは明さんはすでにその黒蝕の死神と出会っていると言うことで間違いなさそうです。
「…白さん…白さんが追いかけていたのはその黒蝕の死神ですか?」
私は単刀直入に白さんに尋ねた。
「……ええ…」
白さんは静かにそう肯定した。
「……その黒蝕の死神はどんな相手ですか?」
私はもっと切り込んで白さんに尋ねました、すると白さんは予測外の答えを返しました。
「彼女は私の中で生まれた命あるものへ対する殺意が形をとったもの、もう一人の私…黒死神アリオン…それが私たちを追いかける死神の正体よ…」
それは私の知る白さん…白死神アリオンさんが最も無縁と思っていた『命あるものへ対する殺意』という負の感情を持っていた事への驚きもそうですが、それよりもそんな負の感情が形をとって感情の持ち主…つまりは自分自身を襲うことが最も私が驚いた事でした。
「アリスも狙われているみたいだから、これからは固まって動いた方が安全ね…」
白さんは私の頭を撫でてそう言う。
「……あの、白さん…明さんもご一緒しても問題ないですか?」
私は白さんに唯一の生存者である明さんも一緒に行動してもらえるように提案してみました。
「…そうね……それならすぐにでも助けに行きましょう…あの子、一人で死神の手先と戦うつもりみたいよ…」
白さんの言葉を聞いて魔力探知の力を使って明さんの現在の状況を確認しました…そして白さんの言った言葉の意味を知りました。
明さんの反応はまさに今、デュラハンに立ち向かおうとしているかのように巨大な黒い魔力に向かって行っていました。
「……はい、行きましょう白さん!」
私は白さんに声をかけてすぐに明さんの反応に向かって駆け出しました。
(どうか……間に合って下さい…)
心の中でそう祈りながら私はただ暗い廊下を駆け抜けていった。




