それでもイベントは起こる。
空回りするタイヤ、口から漏れた悲鳴。
その酷く耳障りな音で思い出した。
ここは乙女ゲームの世界だと。
あぁ、だとしたら何故? 彼はもうここにはいない。
※
幼なじみの彼は、水野 純。この乙女ゲームで最も落としやすい攻略対象だ。
天然でドジなヒロインの幼なじみでヒロインを助ける、お人好しで優しい青年。
そんな、存在だったのに。
どうして? 彼は死んでしまった。
ヒロインを庇って。
おかしいじゃないか。そんなの。
だって、少しの間別れて高校で階段から落ちるヒロインを助けて劇的な再会を果たす設定で。これから先あることから守ってくれる設定のはず。
なのに。どうして。彼が死ぬの?
壊れた歯車は戻らない。この世界はゲームだ。イベントは絶対起こる。
血のにじむような努力をして、元来のドジさは消した。それでも、イベントは起こる。突然身体が動かなくなって転ぶし、仲良くなったはずの子は急に石をなげる。
全部シナリオの強制力。ゲームを盛り上げるためのイベント。
イベントから助けてくれる彼なんて、もういないのに。
私は彼が好きだった。優しい笑顔。私に差し伸べてくれる温かい手。近寄ると香る日だまりの匂い。順調に行けば私は彼のルートに入った。彼と幸せな日々を送ったはず。
強制力というのなら、どうして? 純は死なないはずでしょう?
なのに何故、何故、何故っ!?
気が狂いそうな程頭を占める疑問。くすぶる感情を感じながら私は決して望みなどしなかった学校の門をくぐった。
※
せめて、ルート選択を出来る自由が合って良かった。
私は彼、純のルートを選ぶ。
彼のルートのイベントはたくさんある。調理実習のイベント、不良に絡まれるイベント、修学旅行のイベント……。一番鮮明に覚えて、一番起こること願っているのは、始めの再会のイベント。
階段の上から足を滑らせたドジなヒロインを支えるというもの。
彼はもういない。
けれどそれでもイベントは起こる。
イベントの強制力で私は階段から落ちるだろう。そして彼のいない私はそのまま背中を、下手したら頭を。強く、打ちつけて―――……どう、なるのだろうか。
死んでしまえたら、良い。
純のイベントで私は死にたい。
だって、どうしろというのだ。転んだ時、差し伸べてくれる手も、失敗したとき慰めてくれる言葉も、悪意から守ってくれる背中もないのに。どうして、生きていけというのだ。彼のいない世界はこんなにも息苦しいのに。
二人の再会の為、用意された舞台。昼休みだというのに不自然な人通りのなさ。
あぁ、あぁ。ここだ。ここで私は死ぬ。やっと望んでいた彼の元へ行ける。
階段の最後の段にしっかりとつけたはずの足は空を切って。
落ちる、身体。
遠のく、光。
感じる、浮遊感。
近づく、幸福。
―――けれど。
望んでいた衝撃はいつまで立ってもやって来なかった。
誰もいないはずなのに、身体は誰かに受け止められたように優しく落ちた。香る、大好きな彼の日溜まりの匂い。
あぁ。助けて、くれたの。
純、純、純。
ねぇ、純。
私に生きていけというの? ヒーローのいないこんなにも残酷な世界で。
高慢な願いだよ。だって、貴方はいなくてもイベントは起こるのに。調理実習のイベントは良い。修学旅行のイベントだって平気。けれど、ねぇ。不良のイベントは? 嫌がらせのイベントは? どうしても回避出来ないのに。貴方はいないのに。それでも、イベントは起こるのに。
ああ。それでも。温かい手が頭にふれた気がした。
「生きて」
と。純の声が。
ぼろぼろと涙がこぼれていく。
……そうか。それが貴方の願い。
苦しくて仕方無くても、それでも、「生きて」と。そう言うのなら。
叶えましょう。
私は生きていく、貴方への秘めた恋心とともに。
涙に濡れた顔のまま、私は引きずるように中庭の桜の木の下まで歩いた。
ここで三月に行われる、告白イベント。
中庭の大木の下で口づけを交わした男女は永久に結ばれるという乙女ゲームではありがちな設定だ。
純との最後のスチルが鮮明に浮かんだ。背伸びをして想像した彼の唇あたりにそっと自分の唇を重ねる。
柔らかいものが触れた気がしたのを、現実だと思っていいだろうか。
待っていて。私は強制力に贖ってみせる。
貴方のいないまま、貴方のルートを攻略する。
待っていて。貴方がいなくても、きっとハッピーエンドで私の人生を終わらせてみせる。
決して自ら死を選んだりしないから。きっと少し時間がかかる。それでも頑張るから。
どうか、そこで待っていて。
お読み下さり、ありがとうございました