花の街
「旅人さん、妖精さん、花の街、ルビーナへようこそ!」
今日も晴れで、太陽が高く昇っている。
草花で作られた門から入ると、ピンク髪のお姉さんが明るい笑顔で出迎えてくれた。
ここには名前とかあるんだね。
前までは石の街、なんて簡単な名前だけだったのに。
今日は地面に立っているチィは、一応神様なんだけど。妖精じゃなくて。
「旅人さん、なにか質問はありますか?」
親切だね。石の街みたいに物騒なところじゃなきゃいいけど。
「この街で、お風呂付きで一番安い宿屋をお願いします」
なるべく、ゴールドを節約しないと。
「じゃあ5Gで入れる宿屋があります。後で案内しますね」
「今案内してくださるとありがたいんですけど……」
安いだけでも助かるけど、なぜ後で?
足から這い上がってくるチィと同じくらいに気になる。
「これから、街の集会があるんです。有無は言わせません。今すぐ、おねがいします」
笑顔が真剣なものに変わる。僕が行ったところで何もできないと言うよりも前に、手を掴まれる。
ピンクの髪が一瞬輝き、すぐ別の場所。
どこかの小屋で、テーブルと椅子以外は存在しない、粗末な場所だった。
窓から光が差し込んでいるため、結構明るい。
「娘さんよ。よく来てくださった」
「いえ、強引に……」
「あー、おじいちゃん。お茶入れてくるね」
口調が柔らかくなったおねえさんが、部屋から出ていく。
机に座っていたのは、年老いた男性。この街の長かな。
というか集会って言ってた割に一人しかいないな。
声を被せるように言われたから黙っておくけど、事実だけ言っておこう。
「僕、男ですよ?」
『ええ!』
女性二人の声が被る。お茶を入れてきたおねえさん。早いね、元々用意してあったのかな。
で、もう一人は……
「おりゃ」
「きゃ」
僕のお腹に掴まっていたチィ。頭をポカリと叩くと、地面に落ちた。
「チィ。僕は過去三回くらい言ったんだよ? 聞いてたの?」
小さな耳を両手指先で摘み、顔の高さまで持ち上げる。
「ますたー、なにするのー」
「うーんっと、説教?」
両手を頭の上で固定し、机の上に落とす。
「いたた。ますたー、らんぼうだよ?」
「気にしないの。それから、僕の性別分かった?」
「ますたーはびじょだよね!」
「いい加減、話を聞いてね」
今度は頬を摘み、ニューンと引っ張る。よく伸びるねー。
「まひゅたー、ひょんにゃことじゃ、チィはこりにゃいよー」
ますたー、こんなことじゃ、チィはこりないよー、か。
「懲りなさい」
一回チィの好物を使って説教しよう。チィの好物ってなんだろう?
「声も容姿も女性のものじゃがのう。そもそもお主、人間なのか?」
「え?」
僕のチィのやり取りをぼんやりと眺めていた老人が言う。いきなりのことで頬を離してしまった。勢いよく頬が元の形に戻る。
ゴムが当たったような音が鳴り、チィが痛そうに頬を撫でる。
力はそれほど強くなかったんだけどなぁ。
「ますたー、ひどいよー」
「赤くなってないんだから酷くないよ」
チィが普段僕に言ってることのほうが酷いんだ。僕は美女なんて言われたくない。
「そこの娘さんよ、名は?」
「ハゼノです。それから、女で、人間ですからね?」
もう、みんな間違えるんだから。
大体この容姿には深いわけがあるんだ。それこそファンタジーな話なわけで
「やっぱり、ますたーはびじょ、なんだね!」
「女じゃなくて、男ですからね?」
なんか男と女が混じってる。
「あ、お茶」
「すまぬな」
「ありがとうございます」
しばらく呆然としていたおねえさんが、ティーカップに淹れたお茶を持ってきて、みんなの前に置いてくれる。
ティーカップに緑茶って、なかなか斬新だね。
それ以前に緑茶あるんだね、この世界にも。食文化は案外日本と変わらないのかもしれない。
「あなたはこれね」
「ありがとー」
チィだけは普通のコップに入ったオレンジ色の液体。多分オレンジジュースだと思う。
「それでは、ハゼノよ。お主は勇者か?」
「違います。チィ、零さないようにね」
両手で飲みづらそうに飲むチィ。
コップが身体と同じくらいだから、当然か。
「では、お主の中に宿っている剣はなんじゃ?」
「剣?」
「ナチュラルソードとも言う。選ばれた者のみが、扱える剣じゃ。勇者ではないかもしれぬが、相当な腕の持ち主でないと、使うことはできぬ」
ナチュラルソード、ね。あの緑の刀のことかな。
僕は緑茶を口に含み、飲み下した後に言葉を返す。
「知りません。どうやったらこの刀使えますか?」
そもそも消えたと思っていたわけだし、僕が知っているわけがない。
おじいさんも緑茶を一口飲み、僕の顔、細かく言うと目を見る。
なんだか、少し落胆したように見えた。
「勇者ではないようじゃな。わしの勘違いじゃ、すまん。自分の中の物を出すイメージをしてみよ」
自分の中の物を出す? とりあえずやってみるか。
胸に手を置いて、見えない力を引っ張り出すイメージ。
「ハッ!」
気合と共に手を素早く引くと、禍々しいオーラを纏った赤い刀が出てきた。あ、間違えたな。
刀を胸に押し付け、自分の中へ戻す。案外簡単に出てくるんだね。
「ちょっと待て! 今の剣は何!?」
「うーん、剣ですね」
「それは分かってる!」
横のおねえさんが僕の集中を妨げる。もう、分かっているなら訊かないでよ。
「ハッ!」
もう一度気合を入れ、素早く手を動かす。神々しい光を纏った、金色の剣。
「むぅ」
もう一度胸に押し付け、再度引き抜く。今度は普通の刀が握られていた。
薄い黒と濃い緑を混ぜたような刀。
鞘はなく、刀身が露になっている。消えたと思ってたけど、ちゃんと存在してたんだ。
「ふぅ」
なんだか疲れた。
「最後、適当にやったわね」
「ほっといてください」
だって、過去の異物が出てきたんだから、しょうがないでしょ。
「勇者以上の力を持っているな。これでは向こうの世界でも、普通の暮らしをしていたわけではなかろう」
「え?」
向こうの、世界?
「おじいさんは、あっちの世界のことも分かるんですか?」
「ああ、分かるとも。お前さんにとっては、現実世界じゃな」
へぇ、いたんだ。こっちにも、
あっちのことがわかる人が。
「で、どうなんじゃ? あっちの世界で、平和に暮らしておったのか?」
「それは」
「わぁ!」
僕の声と、チィの叫び声が被る。
「ビチョビチョだね。すみません、タオルお願いします」
「あ、うん。わかった」
「ご、ごめんなさい」
横を見ると、チィが飲むためにコップを傾け過ぎて、全身にジュースを浴びていた。コップは地面に落ちたが、割れてはいない。
反省しているのか、しょんぼりと頭をうなだれるチィ。
「いいよ、次から気を付けてね」
おねえさんからタオルを受け取り、チィのジュースを拭き取っていく。
「すみません、この子、お風呂に入れてあげてください」
服の上からタオルを巻き付けた後、チィをおねえさんに渡す。
両手もグルグル巻きにしたから動くことはできない。
おねえさんにチィを手渡す。お風呂が嫌だというような、抵抗はなかった。
「いいわよ。服はどうする?」
「何か適当なものをお願いします」
どうせ、僕は服を持ってないんだし。
洗濯しなくても、チィが綺麗に清めの光って魔法を使ってくれるからね。
でも、お風呂は入りたいよ。
「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ」
僕の後ろにあったドアから、二人は出ていく。そこにドアあったんだ。
軋むドアが閉まり、僕とおじいさんだけが部屋に残る。
あまり長くはないだろうけど、妙に長く感じる沈黙の時。
開いた窓から入る、春の暖かさを孕んだ風が、心地良く頬を撫でる。
僅かに甘い香りと、小鳥の鳴き声が部屋を満たす。香りは、きっと花のせいだ。
ここまで香りが来るんだから、街は花で溢れているんだろう。
さっきは中に入ることすらできなかったからね、後で見に行こう。
「どうして、この世界に呼ばれたか、分かるか?」
春の空気を味わった後に、おじいさんから会話が再開される。
「人間の心が乱れているから、ですか」
少し緊張気味で、答える。
「そうじゃ。その乱れを止めるために、特別な力を持つ人間が召喚された。魔物も人が生み出し、自分達を殺めておる。他種族はそんな人間を恐れ、交流も少なくなってしまった。獣人には影響がないからの」
声には一切の感情が含まれていない。
まるで人間のことに興味がないかのようだ。いや、人間だけではなく、すべての生き物に。
「人の精神が砕け始めた原因は一つ、人を守護する聖護石が光が弱まっているからじゃ。お前さんの生きる世界の人間に、愚かな者が増えすぎてしまったせいで、の。原因はそれだけではないかも知れぬが……」
聖護石、そんなものがあるんだ。
「その聖護石に、供物となる人間を捧げればよい。そうすれば、この世界は再び光に満たされるじゃろう」
生贄が必要なのか。
トクン、と僕の鼓動が早くなる。
「それは、生き物じゃないとダメなんですか?」
「さあの。他にもあるかもしれぬが、それはお前さんが探してくれ。わしが伝えられるのは、これだけじゃ」
なかなか難しい話になってきたもんだ。
始めは、「魔王倒してハッピーエンド」みたいな展開を予想していたのに。
一つため息を吐き、身体の中の不安を、少しでも追い出そうとする。
効果はない。
「それで、聖護石はどこにあるんですか?」
「聖域じゃよ。どこから行くのかは分からん」
「タイムリミットは?」
「天が紅く怒る時、聖護石は闇に染まる。そう聞いたことがある。聖護石が闇に染まれば、人間の心もほぼすべて、闇に染まるじゃろう」
具体的なタイムリミットはないのか。
「後、勇者が召喚されたという噂も流れておるの。一度目の召喚は失敗したらしいが」
あ、一回目の召喚って僕のことだね。あれは意味が分からなかった。
「勇者って、そんないっぱいいるんですか?」
「いるんじゃよ。可能性のある者なら、何人でもの。それが心清き者であろうが、悪しき者であろうが、関係ない」
ふーん、じゃあその人達に任せておけばいい気もするね。
「それじゃ、僕達は気ままに旅を続けます。そうするしか、ないでしょうしね」
魔王なんかどうでもよかったけど、すべての世界が闇に包まれるのなら別だ。
僕がいた世界も、滅びることになるだろうから。
「そうじゃな……わしからの話は以上じゃ。今日は、ここでゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
ただ食料品とか買いに行きたいし、ゴールドも稼いでおきたいし、あまり休めないんだろうな。
ちょっと滞在して、旅の資金を稼ぐか。ここの人間は、闇に染まっていないと思うし。あのおじいさんが証拠。
「さて」
椅子から立ち上がろうとした時、慌ただしくドアが開く。
ドアに目をやると、そこには半裸のおねえさんの姿があった。
「な、なんて格好してるんですか!」
目のやり場に困り、俯く。うわ、顔が暑い……
大事なところはタオルで隠しているけど、今にも落ちそうなくらい巻きが緩い。
「ハゼノくん、ちょっと来て」
「え? は、はい。それじゃ、失礼します」
「うむ」
おじいさんは動揺した様子もなく、僕の言葉に頷いた。
日常茶飯事なの……かな?
*
「チィ、おふろやだー!」
頭に泡を付けて、家の中を逃げ回るチィ。お風呂に入っていたため、服は一切着ていない。
「頭洗ってあげたら、いきなり逃げ出しちゃって」
「分かりました」
もう大体理解できるから、会話を途中で切る。
ただでさえ小さいのに、どうしようか。
「虫取り網、あったら貸して下さい」
こうなったら、強引にいっちゃおう。異世界でも、虫を取る時くらいあるはず。
「そこにあるわよ」
おねえさんが指差す先に、虫取り網があった。
「あの子、『ストップ』も『スリップ』も効かないのに、虫取り網で捕まえられるの?」
魔法使ったんだ、子供相手に……
「多分大丈夫ですよ」
僕は虫取り網を手に取り、机の下で隠れているチィに駆け出す。
慌てて逃げようとするチィだが、少し遅い。
「やー!」
チィの叫び声と同時に、網にチィが入った。そのまま網をおねえさんに渡す。
目に涙を溜めているチィを見ると、罪悪感に苛まれるが、しょうがない。
「チィ。後でなんでも言うこと聞いてあげるから、大人しくしててね」
「ほんと?」
網で丸くなったチィが顔だけこちらに向ける。
「本当だよ。僕に叶えられる範囲なら、なんでも聞いてあげるよ」
安心させるため、軽く笑ってみせる。
「約束だよ?」
「うん、約束」
こうでもしないと、チィはまた暴れるだろう。チィなら、危険なお願いなんてしないだろうし。
「じゃあ、お願いします」
「わかったわ。今度は、しっかりと捕まえて洗ってあげるからね」
網にチィを入れたまま、おねえさんは部屋から出ていった。
もう逃げないと思うけどね。
「ふぅ」
今日は疲れるよ。
人一人だけになった部屋は、僕のため息だけを聞いていた。