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夢のまた夢  作者: 雛/汐邑雛
第一部
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第三章 父(1)

「……おっとう」


 ちょこちょこと駆け寄ってくる小さな影。その後ろを小姓達が慌てて追いかけている。

 一事はこの手の中から失われたお弥々の元気な姿に胸がつまった。あれから一年が経つというのに、未だにその姿を見るたびに涙がこみあげそうな気がする。


「おお、お弥々か」


 飛びついてくる小さな身体……同じ年齢の子供に比べれば小さいかもしれないが、わしもそれほど大きくはないので仕方がないだろう。

 剣術に興味があるようだったので、半年ほど前に小太刀の名人だという者を師につけてやったら、筋良いと褒められた。

 城主の息子だから世辞半分にせよ、褒められるのは悪くない気分だ。自分が褒められるよりも息子を褒められたほうが何倍も嬉しい。


 ちょこちょことお弥々に一緒についてきてぺこりと頭を下げるのは半兵衛の息子の吉助だ。半兵衛とわしの間でいまさら人質でもないやろ言うたら、弥勒丸様の傍においてご薫陶いただきたいと言うので、年齢も近いから遊び相手として引き取った。

 互いに何か通じるものがあったらしく仲良うしている。二人つれだってちょこちょこと走り回っている姿は何とも愛らしいものだった。


(お弥々はわしの宝じゃて……)


 目にしているだけで頬が緩む。

 結婚して3年くらいの間におねは二度ほど妊ったが、貧しい生活の中での無理がたたって流れてしまった。

 手をつけた女達も二人ほど子供を産んだ者がおるが、どの子も三年とたたずに死んだ。

 側室になおした南の産んだ石丸が五歳まで育っていたが、病弱な子でこれも育たぬだろうと密かに諦めていたところ、30になろうかという高齢で懐妊したおねが生んだのが弥々丸だった。

 おねが子ができたのは己の守り本尊にしている弥勒菩薩のおかげだと言うので『弥勒丸』と名づけたのだが、わしの子に仰々しい名はいかにも似合わなかった。

 その為、わしは『弥々』とか『弥々丸』とかと呼び、いつしか皆もそれに習うようになった。


「どうしたのだ?何かあったか?」

「おっとうに昼飯をとどけにきたのだ」


 小さな胸をはる様子も何ともかわいく、わしの頬は自然と緩む。

 この子はこれまでの子と違い、健やかな子だった。子供らしくすぐに熱を出したりするものの、三日もすればいつもケロっと治っていた。

 今までのほかの子らも可愛いは可愛いと思ったが、お弥々を見るともっと他の……言葉にはできない感情がこみ上げた。どういうわけか、これは石丸には感じた事の無い気持ちだった。


(そのお弥々が……)


 神隠しにあったのは、もう2年も前のことになる。

 神隠しと称してはいるものの実際は何というべきなのかわからない。ただ、わしらの前から一度奪われ、そしてまた戻ってきた。

 戻ってきたお弥々を見つけたのは、失われて十月を数えても諦められなかったおねで、小一郎は義姉上の愛情がお弥々を取り戻したのだと言った。

 見つけたときは酷い高熱で、そこからまるまる一月は寝込み、このまま目覚めぬやもと誰もが危惧を抱いていたが、お弥々は無事に目覚めた。

 今ではあの時のことが嘘のようにすっかり元気に飛び回っている。


 見た目が愛らしいのも勿論だが、お弥々は賢い。これは単なる親ばかではない。

 まだ幼いはずなのに、時としてわしらはそれを忘れる。口ぶりもとてもしっかりしていて、話をしているだけで楽しかった。


「お弥々は、昼メシはもう食うたのか?」

「食った。おっかあの作ったこんぶの佃煮とごまのむすび飯や。うまかったぞ。……これ、おっとうと小一郎おじの分だ」


 抱えている風呂敷包みをわしに差し出す。

 お弥々はかなりのいたずら坊主で、少し目を離せばどこにいったかわからないほどに、あちらこちらを元気に飛び回っている。

 交代で守りをしているわしの小姓たちの苦労は絶えないようだ。とはいえ、小姓らはお弥々に振り回されるのを楽しんでいる風もある。

 本当に神経をすりつぶしているのは神経質な佐吉だけだろう。その佐吉ですら、お弥々ににこりと笑顔を向けられて「ごめんな」と一言言われれば何も言えない。

 わしや小一郎の子供の頃を考えても、似ているところはあまりない。


(……ああ、そうじゃ……お弥々は上様に似ておるかもしれぬな)


 上様 ── 我が主たる信長様は、常人では考えつかぬような着想でいろいろなことをなさる。

 顔や見た目ではない。その、普通とは違うその閃きの部分がよく似ているように思う。

 お弥々は、サルだのはげネズミなどと言われるわしとはあまり似ていない。どちらかというとおねよく似ていて、目元や鼻筋がそっくりだった。

 わしと共通しているのはその目の色だ。目玉というのはよく見ると茶色い円の中に黒い丸い中心部分があるものだが、わしと小一郎はその茶色の部分が青みがかった灰色だった。

 これはかなり珍しいらしい。最初にこの目の色に気付いたのは上様のご側室である吉乃さまで、何かの拍子に上様に知れ、それをおもしろがった上様が見たいとおおせになって召し出されたのが草履取りにしていただくきっかけとなった。

 これは姉のともと弟の小一郎とは同じだが、父親の違う妹であるさとは違う。上様曰く、これはわしらの父親の血に出る特徴なのだろうということだった。

 子ができた時、上さまはいつもその目かどうかをお聞きになった。


(そういえば、お弥々が元服したら自分の娘を嫁にくれてやるなどとおっしゃっておった……)


 上様のことだからもう忘れているかもしれないが。


 わしの小姓らがお弥々に対する様子はそのまんま、上さまに対するわしのようだ。


(わしも、上様に褒めてもらいとうて……)


 それだけでここまで来たようなものだった。

 思えば随分と遠くに来たものだと思う。

 百姓の子が、今や北近江十三万三千石の城主様だ。

 

「……殿?どこかお加減でも?」


 茶を入れた竹筒をさしだした佐吉が怪訝そうに呼ぶ。


「あ、ああ、いや何ともない……うん、うまいな」


 わしは結び飯にかぶりついた。

 今日のお弥々の当番は市松と佐吉だ。

 この当番の組み合わせを決めたのはお弥々で、その人選の妙にわしも小一郎も感心した。お弥々は智謀を誇る近江出身の小姓らと武勇を誇る尾張出身の小姓らから一人ずつを選んで当番を組み合わせるようにしたのだ。

 あまり仲良うないそれぞれの小姓らだったが、お弥々は様子を見ながらそれを適度にひっかきまわし、互いに助け合わねばならぬような事態をたびたび作りだしている。

 そして、ことあるごとに角付き合っていた者らにそのたびに言葉を尽くして諭したり、教えたりしながら双方の理解を深めていった。そのせいだろう、昨今はだいぶ衝突も少なくなってきたようだった。

 そもそも、大概のいさかいというのは理解不足が原因だ。互いによく知り合えば、もめ事はだいぶ少なくなる。


 わしはお弥々に目をやった。

 吉助と何やらひそひそ話している様子を見ると、またぞろ何やらしでかすつもりらしい。市松と佐吉もちらちらと気にしている。この二人は仲が悪いので、してやられることが一番多いのだ。

 お弥々は、この年齢の子供とは思えぬ判断力と思慮深さを見せる。智謀自慢の近江の小姓らも、武勇自慢の尾張の小姓らも、皆、お弥々の前では素直になる。神隠しにあっていた時の夢の中では30を数える大人の男だったと言うのだから、それも道理だった。


(何せ、あの半兵衛がほんに感心しとったしな……)


 羽柴の家の知恵袋、最高の軍師たる竹中半兵衛が、このお弥々の判断力に一目も二目もおく。半兵衛は、常々、羽柴の家が世継にお弥々を得たことは幸運じゃと申しているとも漏れ聞く。

 確かにお弥々のような跡継ぎを得たわしは最高の幸せ者じゃと思う。

 だが、それは何もお弥々が賢い子だからというわけではない。うまくは言えないが、お弥々がどんな子供であってもわしはお弥々がお弥々である限り、愛しく思うのだろうと思える。


(お弥々の心は大人のそれだ)


 それでいながら、子供の部分も切り離しきれない。お弥々はそれとうまく折り合いをつけている。子供扱いされても、大人扱いされてもたいして気にした風もなく、当人はいたって普通だ。

 そして、知識を誇るでもなく、殊更おかしなところがあるわけでもない。

 それでも時々は辛くなることがあるのだろう。ひどく甘えてくることがある。

 わしはそういう時に甘やかしてやることのできる父親でありたいと願い、努めていた。

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