石田三也(二)
(驚いた……)
正直、驚いた。
床机にかけた幸四郎様の下には次から次へと文が届き、乱波や細作らが耳打ちしていく。
それを幸四郎様は地図に書き込んだりして、また指示を出す。ご自身も何枚も文を書き、次々と使者を出されてゆく。
(まるで、殿のようだ)
本当によく似ている。容姿はまったく似ていないと思うのに、やっていることはそっくり一緒だ。
「吉がおらんのがこんなに面倒だとは思わなんだ」
ぶつぶつ言いながら、文を書いている様子までそっくりだ。
「……なんで竹中殿も黒田殿もご一緒ではないのですか? 近習の・・・・・・護衛の意味がありますまい」
身の回りの世話をする小姓────ひいては近習として、あるいは、いざという時の御身代わり、もしくは盾としてそば近くあるのが彼らのお役目であろうとわしは少々憤りすら感じながら問うた。
あるいはそれはただの妬ましさなのかもしれない。わしらは彼らのように幸四郎様の側近くでずっとお仕えすることはかなわない。
幸四郎様はそんなわしの押し殺した苛立ちなど素知らぬ風にあっけらかんと言う。
「吉は堺や。鉄砲と弾薬、兵糧買占めて送らせとる。俺の代理。天王寺屋のごうつくじじいをせっつくんは俺じゃなきゃ吉にしかできん。松は長浜で留守居。蓮姫を安心してまかせられるんは他におらんからな」
「長浜は安土と近すぎます」
「うん。そやから、あっちが安土に入る前に長浜は捨てるよう言うてある。街道筋に見張りもぎょうさん置いてあるしな・・・・・・手配はしてあるんやけど、その前に長浜の備蓄をできる限りこっちに送り出すよう松に言うてあってな。それに、さすがにここに連姫つれてくるわけにはいかんかったし……」
「備蓄……」
「米と鉄砲、武具を重点的に要求してある。どうせ明智がくれば分捕られるんや。それなら、すっからかんにしてええって言ってあってな。……おっとうのことだ、身一つで駆けるやろから、装備は必須や思うてな」
幸四郎様は文を書く手を休めずに淡々と言う。
「長浜からの最初の荷はもう受け取った。それと、吉が送ってきた荷は第二弾まで届いておる。あと、池田殿にもご協力をいただいてな。有岡城の予備を出していただいた。……あ、それからな、上様が使うはずだった物資も道々接収して運んである。……こんだけあれば当面は賄えるやろ。一応、集積地は尼崎にしてある」
ずらずらと並べられた事実に、一瞬、頭が追い付かない。
だが、理解した瞬間に、先ほどまでを上回る驚きと喜びが背筋を貫いた。
まだ勝利したわけではない。ないのだが、わしはこの時にはもう我らの・・・・・・殿の勝ちを確信していた。
(・・・・・・まだだ)
急いては事をし損じるというのは古来からの道理である。
「……佐吉?」
「堺は危険なのでは?」
「どこだって危険なのは変わらん。吉に何かあったらただじゃ済まさへん。それだけや」
じじいにはもう心底身にしみるよう脅しつけてある、と幸四郎様は冷ややかに言う。
「何したんです?」
「前にじじいが鉄砲の不良品掴ませた時に思いっきりシメてやったのにはじまり、いろいろとな……」
事も無げに言うが、あの傲岸不遜を絵に描いたような天王寺屋の老人はさぞかし寿命が縮んだ事だろう。普段は穏やかげなのだが、あの市松や虎之助が涙をみせるほどの罵声をあびせる幸四郎さまである。
「まあ、誠意は金で見せろって常々言ってあるからな。さーて、金子はこれから届くはずじゃが、幾ら送って来るやろか」
にやりと笑う。
「……幸四郎様、それは悪役の笑みです」
「何言うてる。俺は義父の敵討ちをする正義の子ぞ。悪役は日向守じゃ」
「そうですね」
「……日向守め、ようも上さまを手にかけおったわ」
ぜってー、許さん! と呟く。
「幸四郎様は、右府様がお好きだったのですね」
「当たり前や。おもしろい方やったんやぞ。約束だっていっぱいしとったんや。遊ぶ約束も、隠居の約束も、一緒に城を作る約束もじゃ! それを全部反古にしくさって」
全部、あの日向守のせいや!と憎憎しげに言う。
「……俺はまだ泣かぬ。日向を退治したら思いっきり泣くんや」
ぎゅっと唇を噛む。
「幸四郎様……」
幸四郎様は、子供で……そして、大人だった。
わしらよりずっと遠くを見通し、いろんなことをご存知では合ったが、心は傷つきやすく繊細でそれでいて強かった。
大人の狡猾さと子供の素直さを持ち、また、大人の冷酷と子供の無邪気な残酷さを併せ持っていた。だから、わしらは幸四郎様をほおってはおけないのだ。
「佐吉、ほれ、さっさと計算し。これ、明日届くそうやからな」
届いたばかりの書状を渡される。竹中重門と署名された書状は、丁寧な文字で送り出した荷の詳細が書かれている。
さすが幸四郎様が自分の代理というだけある。
竹中重門が堺から送り出した荷の総量はこの戦を賄うに充分な兵糧と弾薬だ。天王寺屋だけでは到底集めきれないほどの量だっただろう。
(……この方は……)
どれだけの人脈を……あるいは金脈をお持ちなのだろう。
まだ成人したばかりの幼さであることを考えると空恐ろしいほどの働きである。
そんなことを考えたら、背筋がぞくりと震えた。
「……あとは、金じゃな」
「はい」
わしはうなづく。
戦の核となるのは自家の兵だという。羽柴にもそれなりの数はいる。
だが、それは父祖代々仕えてきた者というわけではない。
長浜以前からの兵も居るには居るが、中核をなすのはどうしたって長浜からの者たちだし、彼らにとって殿は『新しい御領主様』だ。羽柴の家は新興の家であるからどうしたって兵と家との結びつきは弱い。
それを補っているのが『金』だ。
羽柴の戦は金払いがいいと言われている。
そのうわさからか、臨時で雇う兵の集まりはとても良いし、陣借りの者も数多くやってくる。
だが、今回ばかりはそうとも言えぬ。
この中国征伐の為に長浜の倉はほとんどすっからかんだったことを儂は知っている。幸四郎様個人の財が京・大阪にいくらかあるはずだったが、おそらくは安土を接収し、上様の主たる財を押さえている日向守の方が分がいいはずだった。
「まあ、金がない我が軍に浪人が集まってくるというのは我が軍が勝つであろうと彼らが見ているからだろう……」
商人達もそう思えば金も集まるはずやから心配いらんやろ、と楽観的に笑う。
幸四郎さまがそういうと、本当にそんな気になるから不思議だった。
「佐吉っ、見てくれっ」
頭を掻きむしりながら清正が持ってきた帳面は、字は汚いが答えはあっていたので、そのまま幸四郎様に渡す。
「……合っとります」
幸四郎様はちらりとこちらに視線を向け、それから清正を見て言った。
「なら、あとは帳面どおり、きっちり分け。……不満の出んようにな」
「わかりもうした。なぁにグダグダ言うやつがおったら、わしがちゃんと言い聞かせますんで」
「……ほどほどにな。余りは小一郎叔父に全部渡せ。そうすればうまくやってくれる。……ええか、俺らはおおまかに早う形にする係や。こまいとこは叔父上がやって下さる。時間が勝負やからな」
「「はい」」
わしらがうなづくと、幸四郎様は背後で刀を抱える池田殿にちらりと視線をやった。
「……なあ、照は字ぃは上手いか?」
「幸四郎様ほどではございませんが、それなりに……」
幸四郎様の手蹟は大変見事なもので、堺の商人たちの間で一時話題になったこともある。揮毫を頼まれることも多いらしいが、ほとんどうなづいてもらえないのだとも噂になっていた。
「なら、これとおんなじ文、書いてくれ。花押と署名だけは自分で書くから」
もう手が痛うてかなわん、とごろりと寝転がる。
「……身体が冷えますから、板の上に寝て下さい」
「ん」
寝転がってはいるが、ひっきりなしに報告者はやってくる。
「……照、十枚書いたらメシにし」
「はい」
「佐吉もお虎もな」
おかしな話だが、相手が幸四郎様であれば幼名で呼ばれることも気にはならない。むしろ、特別な感じがして嬉しくも思える。
「はい」
「すぐに準備させますけん」
「俺はええ。……俺は半刻ほど寝る。佐吉、食いながらでええから、報告来た人間の言ってたこと、要点だけ書き留めておけ。時間もな」
「はい」
わしは幸四郎さまの印籠を受け取って、よく見えるように台に乗せた。
印籠には羽柴の沢瀉紋。裏が木瓜なので、これが幸四郎様のものであることはすぐにわかる。
羽柴の家では、己の代理人としたものに己の身近に使うものを渡すことを証となす。これは幸四郎さまがわしを代理人とするほどわしを認めて信頼してくださっているということを意味する。
幸四郎様の太刀が上様からいただいた水切りの太刀ではなく、長船の光忠が小太刀であるのはそれが現在、竹中重門が貸し与えられているからに違いない。
「池田殿、眠っている若君に不用意に近づいたらいかんからな。若君はすぐに目をさます」
即座に刀抜かれるから危ないんや、と言う。
「わかりました。ありがとうございます」
幸四郎君は、備前長船を抱くようにして眠っている。
武人の心得と言うべきなのか、あるいは、戦陣の習いであるからなのか、幸四郎さまはそういった点でも殿とはまったく違う。
誰に教えられたのかは知らぬが、昔からずっとそうだった。
いつだったか……凄まじい抜き打ちで、羽織をかけようと近づいた市松が危うく死ぬところだった。
富田流の印可を受けてもおかしくない腕前だと小太刀の師はおっしゃっていたが、若君はそれを受けなかった。欲しいのは折り紙ではなく生き残る為の腕だと言っていた。
それも幸四郎さまらしい逸話と皆の間では有名である。
◆◆◆◆◆◆◆
幸四郎様は半刻ほどするとむくりと板の上に起き上がり、小さなあくびをなさった。
「佐吉、状況は?」
「どうぞ」
書面を渡すと、ざっと目を通してふむと小さくうなづく。
「おっとうは?」
「もうそろそろ着く頃かと」
「そっか」
「どうぞ」
「ありがと」
池田殿が差し出した握り飯にかぶりつく。
随分と信用なさっているのだとわかった。
「虎、味噌汁」
「はいっ」
「……佐吉、陣割表」
「どうぞ」
頭の中が回転をはじめると幸四郎様は途端に言葉が少なくなる。
ふと幕屋の入り口の方がざわついているのに気づいて顔をあげた。
「……おっとうがついたんやろ」
幸四郎さまは口ではそういうが、視線をあげることがない。
「おややーっ」
入ってきた殿は、幸四郎様の姿を見るとおもいっきりぎゅうっと抱きしめた。
「なんて、凛々しいんや。……おねには見せて来たんか?」
目には涙を浮かべている。落ち着いたら絶対に絵姿を描かせるに違いない。賭けてもいい。
「そんな暇あるかいな。……誰や?」
幸四郎さまが目を止めたのは殿の背後だ。
「おお、紹介せんとな。こちら、宇喜田の八郎殿や。八郎殿、これはわしの息子の幸四郎や。年も近いことやし、仲良うな」
「へえ。……幸四郎や。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
ぺこりと頭を下げたのは先年、父君を亡くされた宇喜田の若君だ。大層可愛らしい顔立ちをしていて、殿がとても大切になさっている方だった。
「……こうしてみるとなんやまるで双子のようじゃのう」
確かに背格好もよく似ている。
「そやな。……八郎殿、腹減ったやろ。メシ食うとええよ。照、おっとうのメシこっちにな」
「おややは食ったんか?」
「うん。……佐吉、お虎、余計な人間近づけなや。市松らが着いたら手伝わせ。紀兄は照を手伝うよう言ってや」
「わかりました」
若君はばさっと殿の前に絵図面を広げる。
遅れてやってきた殿の近習らに会釈をしながら、わしと清正は池田殿を伴って陣を出た。