第四章 池田照政(2)
幸四郎殿は、蓮姫に会いに月に一度はやってくる。
その幸四郎殿を上様の為に捕獲するのが、最も側近くお仕えする小姓のお乱殿の仕事だった。と、いうのも、幸四郎殿は上様よりも蓮姫と一緒にいたいらしく蓮姫を連れて逃げ出すのである。
そうすると、捜索の役目は正式に蓮姫の護衛となった儂にも回ってくる。幸四郎殿は連姫は連れて行くものの、護衛は撒いてしまうからだ。
それは、この安土の城全部を使っての追いかけっこ……あるいは、かくれ鬼をしているようなものだった。時として上様まで参加なさるというこれは今のところ、幸四郎殿の六戦四勝一敗一分けというところだ。
不思議なことに蓮姫という足枷付で敵地とまで言わないものの自領にいるわけでもない幸四郎殿の方が分がいい。
このかくれ鬼は、しかと定めたわけではなかったが時間制限がある。
幸四郎殿と蓮姫は、だいたい昼餉からおやつの時間くらいになると天守にいらっしゃってお二人で上様をお待ちしているらしい。……待ちくたびれてお二人で寝こけていたこともあるという。
まあ、お二人の年齢を考えれば無理からぬことだ。
激怒するかと思いきや、上様は幸四郎殿のなさりようにはとてもお甘い。我が子にはほとんど関心がないようなのに、幸四郎殿は本当に特別なようだった。寝こけたお二人を無理にはおこさずにおき、今度は目覚めた幸四郎殿をあちらこちらへと……時には城下にも連れまわすのだ。
「本日は、土産をお持ちしました」
「何?土産とな」
「はい。南蛮渡りの美しいびいどろを手に入れましたので。……中に詰めてあるのは長浜の飴です」
桐箱の中、黒絹で包まれた中、蓋つきのびいどろの壺が入っている。
「……何と、これは木瓜ではないか」
飴の模様は織田の木瓜紋。白地に黒の紋が美しい。
「上様は珍しい菓子をたくさんご存知なので、せめて一工夫させてみました」
「ほう。なかなかの趣向じゃ」
「飴作りから箱詰めにいたるまですべて私共で管理しましたので、他に出回る心配はございません。ご安心を」
いつも必ず影のように控えている竹中重門がそう言上して平伏する。
「よき心がけじゃな」
上様はこの小僧めやりおるという表情で飴をつまんで口に入れる。
「とと、れんにも」
「なんだ、婿殿は蓮にはくれなんだか?ケチじゃのう」
伸ばされた蓮姫の手に一つ転がしてやる。
「そんなケチじゃありません。上様に献上の後、さしあげるつもりでご用意してあります」
反論する幸四郎殿の様子に上様は笑う。
そういったどこか生真面目なところもお好みらしい。
「蓮姫の分ですよ」
「れんの?」
「はい」
柔らかく笑みを浮かべる。
小さなびいどろの器に盛られた飴の模様は蓮姫の御名にちなんだ蓮の花だ。
「ふむ。長浜には良き職人がおるようじゃの」
「はい。だんだん腕もあがってきまして」
この分なら長浜の名物になる日も近いと思います、と笑う。
「商人にでもなるつもりか?」
「いいえ。まったく。……ただ城下に人を集める工夫は必要ですから」
「人を集めて何とする」
「人が集まる場所には情報も物も集まります」
にっこりと幸四郎殿は笑う。
上様もにやりと笑った。
上様と幸四郎殿のやりとりは余人にはよくわからない。もしかしたら、お乱殿や竹中殿はわかっているのかもしれないが、俺にはわからない。
だが、見ていて不思議と安心できる。上様は誰といるよりも幸四郎殿といる時、和んでおられるように見受けられた。
「……幸四郎、おまえ、安土に来い。さすればいつでも話が出来る。おまえも蓮と一緒にいられる」
「とても魅力的なお誘いなのですが、残念ながらそれはできかねまする。羽柴の世継ぎといたしましては、遠征軍の補給を整え、父と叔父、家臣らの苦労を少しでも軽くしてやらねばなりませぬゆえ」
その為の長浜三十万石です、と笑う。
「まったく、つまらんのう。おまえ、なぜわしの息子に生まれなんだ」
幸四郎殿の端然とした様に比べ、上様は拗ねた子供のようだった。
「こればかりは……。天下が上様の元に平らかになりましたら、お付き合いいたしますので」
「その時は、しばらく付き合うてもらうからの」
「……いっそ、上様が私の居城に隠居なさればよろしいかと」
その答えに、上様は目を見開き、そして大笑した。そんなことを言う人間はおそらく幸四郎殿以外にはいないだろう。
「……おかしいですか?」
「おかしいも何も、城の者がさぞかし難儀しようぞ」
腹を抱えて笑う。
「そうですか?蓮姫の父上であれば、私にも義父……まあ、こう申し上げてよければ家族でございますから」
「それも良いかも知れぬ、のう、蓮」
「とと、いっしょ?」
「そうじゃ。まあ、まだ先の話ではあるがの」
上様は蓮姫さまを抱上げる。
子供という生き物が眼中にない上様ではあるが、蓮姫さまは例外だ。幸四郎殿に対する最大の切り札であるからして、こうしてよく質にとられる。
不思議と蓮姫さまも上様に懐いている。
こうしてみると蓮姫さまは殿によく似ているようだった。
「とと、しゅごろく」
「なんだ、双六がしたいのか?」
「ん」
「……よしよし、これ、お乱、双六をもて」
「先ほどまで遊んでいたので、信忠様の部屋に一揃いございます」
「は?信忠?」
「はい。信忠様のお部屋におりましたので」
涼しい顔で幸四郎殿は言う。
「……信忠とも知り合いか?」
意外だという顔をなさる。そりゃあ意外だろう。はっきり言って、昨日までは知り合いでも何でもない。
「それなりに」
にこやかな笑顔の幸四郎殿であるが、儂は知っている。
今朝、初めて幸四郎殿と信忠様は出会ったのである。そして、上様大好きな信忠様は、上様のお気に入りの幸四郎殿に喧嘩をふっかけて返り討ちにあった。そりゃあもう物の見事にこてんぱんに。ゆえに、頭があがらない。
その信忠様を、幸四郎殿は上様から隠れる為に利用したのだ。
一見したところ穏やかで爽やかな優男に成長するように見える幸四郎殿は、ただそれだけの若君ではないのである。
「ほう、そうか。では、信忠も交えて双六をするかの」
「四、五人いたほうが楽しいですね。僕は蓮姫と組みますから」
おいで、と手を伸ばすと蓮姫はとことことその腕の中に飛び込む。いつの間にかあっさりと人質を取り返されている。
「わし、おまえたち、信忠……お乱もやれ、それから……」
「てるも」
「てる?」
「池田殿です。お願いしますね、池田殿」
「……はっ」
長浜で小姓たちと考えて作ったという幸四郎殿の双六は、単に賽の目で進むというだけではなく、札を引いて、引いた札で市を開いて金を溜めたり、あるいは領土を拡張したりする複合的なものだった。
一見、複雑なように思えても、根本のところはとても単純で、一度規則を呑み込んでしまうとさほど難しくはない。
だが、これはもうたかが双六とはいえない。
でも、それを上様はたいそうお気に召したらしい。決まりごとを説明しただけで目を輝かせ、その細則を知るたびに良くできていると唸った。
「これは、おもしろい」
「よろしければ、遊び終わったらどうぞお持ちください」
「うむ」
この双六に慣れている竹中殿や黒田殿が計算係と審判役として参加している。同じく慣れている幸四郎殿は蓮姫にほとんど任せきりで、時折、鋭い判断力で要点を押さえる。
確かにこれはなかなかにおもしろいものだった。
単に進めばいいというものではなく、同時に金子を貯めたり、あるいはその金子を投資したりしなければならない。なかなか性格のあらわれる双六だ。
最終的には京の都を誰かが支配できた時点で終わるのだが、京の都を支配してもその人物が一等ではない。
終わった時点で支配地の石高が一番多いものが殿様と呼ばれ一等となり、一番多く金子を所持しているものが豪商と呼ばれ二等となる。
「……信忠、意外にやるのう」
「ありがとうございます」
信忠殿は珍しく褒められて嬉しそうだ。
結局、双六は抜群のひきをみせた蓮姫の勝利で終わった。
「……れん、いちばん」
「ええ。一番ですよ。殿さまです、蓮姫はすごいですねぇ」
「ごほーびは?」
「何が欲しいですか?」
「…………やや」
蓮姫は考えた末に幸四郎殿の小袖の袖をひく。
「んー、私はもう姫のものですよ。私たちは夫婦ですから」
「やや、れんの?」
「はい」
「れんは、ややの?」
「そうです」
「……じゃあ、だっこ」
「はい」
手を広げると、蓮姫はその腕の中に抱きついた。
「おまえたちは睦まじい夫婦になるのぅ」
「当然です」
「……おまえに妹がおれば信忠の嫁にしたものを」
信忠殿もこくこくとうなづく。
上様と半日遊び、更には褒められたことで幸四郎殿への悪感情は霧散したらしい。
「残念ながら……父には私しか子がおりませぬゆえ」
「ほんに、惜しや」
猿はあんなにも女子が好きなのにのう、と上様が笑う。
「ええ。ほんとうに」
幸四郎殿の心底からのうなづきに皆がどっと笑った。