第二章 乱丸
上様が、日向守さまと共に出てゆく。
「お乱、子供達に舞台を案内してやれ」
「かしこまりました」
上様の姿が見えなくなると、子供達はほっと声にならぬ吐息を漏らしへたりこんだ。無理も無い。そうとは見えなくとも緊張していたのだろう。
「……すいません、森さま」
「いや。……やはり、緊張していたのか」
随分と堂々とした態度で上様と話をしていたので、緊張しない性質なのかと思っていた。
「当然です。……何しろ、初めてのお目見えでしたので」
苦笑気味に笑ってみせる少年は、とても数え9歳とは思えない。その年齢の我が身を引き比べて考えれば尚更だ。
(だが、それ以上に……)
それ以上に、あの羽柴殿の子供だというのが信じられない。
「そうか……初のお目見えがあれか」
私が知りうる範囲では、最上の出来の部類に入るだろう。
こう申して差し支えなければ、羽柴さまは上様の寵臣である。
上さまが、その有能さを愛でられ、羽柴さまは百姓の出でありながらも今日のような出世をとげた。羽柴殿の与えられた地位、権力は織田家中でも五本の指に入るものだ。だが、その出自が軽きことが常に妬まれ、蔑まれ、これまでさまざまなご苦労をされてきている。正当に評価されてこなかったといってもいい。
だが……。
(だが、これで変わるだろう……)
いや、変わらざるを得ない。
嫡子であるこの弥勒丸殿が、上さまのご息女を娶ることが決定した。つまり、羽柴の家は織田家御一門に連なることとなるのだ。
(運の良い御子だ……)
上様のご息女を妻にするこの少年は、羽柴殿のようにその出自によって蔑まれることは無いだろう。そうなってみれば、羽柴家は織田家中の中でも五指に入るといってもいい家である。
「……よろしかったのですか?弥々さま」
「うん。彼女だから……」
「本当ですか?」
「うん。……だから、吉も松も、蓮姫を大切にしてくれ」
「勿論です」
「はい。……でも、羽柴の殿はさぞ驚かれるでしょうねぇ」
「……そうだな。おっとうのことだから、しばらくは嬉しくて舞い上がりっぱなしだろうよ。何しろ、上様すきすきだからな」
「そうですねぇ。弥々さまと蓮姫さまが婚姻すればご親族ですもんね」
気心がしれているのだろう。小姓たちと随分と軽い口を叩く。
「そういえば、上様は弥々さまに元服しろとおおせでしたけれど、いつになるんですかね」
「俺が元服するなら、吉と松も準備しないといけんもんな」
「そうです」
「え、ええー、でも、わしはまだそんな……」
「忘れんなよ、松、俺らの中で一番おまえが年上なんだぞ」
「いやー、わしはまだまだで……」
この松寿丸殿はかつて上様に父親の反逆を疑われて処刑されそうになった子供だ。今は亡き羽柴殿の軍師、竹中半兵衛殿がこっそり隠していたという。
(でも、この様子では、半兵衛殿の一存というわけではないな……)
半兵衛殿の一存で図ったのならば、今ごろ、こんな風に彼といるはずがない。
上様は何もおっしゃらなかったが、松寿丸殿がこうして在ることをお心のうちでは安堵しているに違いない。
「森さま、森さまはどう思います?」
「え?何がだ?」
「上さまのお側近くに常におられる森さまならば、ご存知じゃないでしょうか?上さまはいつくらいに私に元服を命じるでしょうか?」
「……わからぬ。だが、三月以内だと思う」
「みつき!」
「早すぎますよ、それ」
「上様は即断即決を旨となさるゆえに」
「……衣装とか烏帽子とか……」
「でも、それくらい早く蓮姫を長浜にお迎えできたら嬉しいな」
「ああ、そうですよね」
「奥方さまもお喜びになられるでしょう」
「そうだな。おっかあも舞い上がりそうだな。我が家は女っけがないからな」
あはははは、と弥勒丸は笑う。
好色と言われる羽柴様なのに家中には女っけがないという矛盾が何だか少しおかしくって笑みがもれた。
「でも、女の子が城にいたら華やかになるでしょうね、きっと」
「そりゃあ、そうだろうなぁ。ああ、今井に言って、蓮姫に似合いそうな反物何本か持ってくるように言おう」
「女の子ですもんね」
「蓮姫は桜の花がお好きだから、桜を刺繍させたものとかいいな」
「お可愛らしいでしょうね」
「……女の子って何喜ぶのかなぁ」
(いや、末姫さまは女の子というよりはまだ赤子だから……)
三人の会話を聞いていると思わず吹き出しそうになる。
可愛らしくも微笑ましい。
「甘いものとかお好きだと思いますよ」
「ああ、雪も豪もそうだもんな」
末姫さまはきっと羽柴の家で大切に大切にされるだろう。それが確信できた。
この少年ならば間違いはあるまいと思える。
「森さまは、甘いものお好きですか?」
「え、あ、ああ」
「じゃあ、ちょっと味見していただけませんか?」
「へ?」
「今、長浜で作らせている菓子があるんです。上さまのお傍近くにおられる森さまならいろいろな菓子をご存知でしょう?感想をお聞きしたいんです」
「それはかまわないが……」
半刻ほどして戻ってきた松寿殿が持ってきたのは、黒漆の器だ。それを開けると中には薄紅と白と濃緋の小さな菓子が入っている。
「……飴、か?」
「はい」
「よくできている」
金太郎飴の要領なのだろう。飴の中に美しい梅が咲いていた。
「花が、好きなのか?」
さっきの歌留多も花だったように思う。
「いえ、そういうわけではないんですが、従姉妹達や母への贈り物にすることが多いので……最初、家紋とかできないかって言ったら、うちのは無理だって。長岡殿の二引とか、真田の六紋銭とかはできるそうなんですけどね」
「真田……元、武田の家臣だな」
「はい」
「家紋に詳しいのか?」
「調べましたから」
あっさりと言う。
「羽柴の家は耳聡で生きている家ですから。いろいろ調べているんです」
役に立たないこともたくさんありますけどね、と笑った。
(やはり、羽柴殿の子なのだな……)
「……どうですか?飴」
「……何か、ああ、そうか……これは梅の味だな」
「そうです。苦労したんですよ、梅の味を感じさせつつも飴らしい味になるように」
小姓たちが顔をしかめる。
「なんだ、そんな顔するほどまずかったのか?」
「試作品はすごかったんです」
うえっという顔で吉助殿が言う。
「口が曲がると思いました」
「見た目は大差ないんですけどね」
くすくすと弥勒丸は笑う。
「だが、これは、うまいな」
甘さとすっぱさが入り混じり、何ともいえぬ旨みになっている。
「本当ですか?良かった。ああ、良ければどうぞこれお持ち下さい」
器を手に押し付けられた。
「いやいや、いただくわけには」
「いいじゃないですか、飴くらい。それで、もっといろいろ感想聞かせてください」
この飴は長浜の名物にするんですから!と弥勒丸殿は笑う。
「名物……」
「長浜に来たら、誰もがこれを買う!という名物ですね。柄なしのものは誰でも買える様な安価で売るんです」
「これ、色で甘さが違うんですよ」
「わしは白が好きです。すっぱくて」
「僕は桃色ですね。」
「蓮姫さまは、白はあまりお好きではないらしくて、紅ばかりお召し上がりになるんですよ」
くすくすと笑う。
「……本当に蓮姫をお好きなのだな」
「はい」
しっかりとうなづく。
聡いかと思えば、こんなところが何とも愛嬌がある。
(うちの弟もこれくらい可愛らしければいいのに)
最近とみに生意気になってきた弟を思い出す。
近く弟も城にあがることが決まっているが、やや癇症なところがあるため、今から少し心配だった。
小姓という御役は何かと気づかうことが多いし、妬みもかいやすい。弟に勤まるかが心配だったし、それ以上に不安でもあった。
純粋に弟を心配する気持ちはもちろんあるのだが、兄である己の足を引っ張るようなことをされてはこまるという利己的な気持ちもある。
父亡き後、若くして家督を継いで苦労している兄の為にも自分たちが問題をおこすわけにはいかないのだ。
(兄は羽柴様とあまり馬が合わないようだが……)
でも、この一件は耳にいれておかねばなるまい、と思う。
そして、今夜にでも文を書こう、と、頭の片隅に記した。