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夢のまた夢  作者: 雛/汐邑雛
第一部
16/25

第六章 小一郎秀長(2)

「なあ、小一郎」

「はい」

「せっかく戻ってきたのに、わしはなぜにこげなところでおまえと顔つきあわせて寂しゅうメシくっとるんやろな?」


 こげなところと兄者は言うが、長浜城の広間はあちらこちらに手が入れられ優美の風が漂っている。襖絵などがいれられているのも大きいが、釘隠しや金具などに細かな意匠が凝らされているからだ。

 神隠しに遭ったときに城のことを学んでいたという弥々の趣味といってもいいのが、城に手を入れることだ。大きな造作から内装にいたるまで、穴太衆やら黒鍬者やら職人やらを自分の配下としてこの長浜では常に何やら工事をしている。

 姫路の城の為にと大半を播磨へと送ってくれたのだが、それでも、細かな工事はいろいろと進めていたらしい。


「こげなところと言うが、立派なもんやないか」

「確かに美しいが、それだけでは腹はふくれぬわ。それに、こちらより姫路の城の方が立派じゃろう」

「さて、どうであろうな」


 姫路の城は戦の為の城であることが最優先だ。もちろん、城であるからして、この長浜の城も同じなのだが、長浜の城と姫路の城では城に求めているものが違う。わかりやすく言うのならば、より強く戦を意識しているのが姫路の城だった。

 弥々丸の最大の工夫は姫路の城を古木で建てたことにある。廃棄された寺やら何やらを解体した際に出た木材や石材などを使っており、建築する際の費用はかなり減額されている。見た目以上に安価なのだ。

 今後、羽柴の本拠となるやもしれぬ城ゆえに費えは惜しまぬというわしの言葉に、『でも、そっちに領地替えやと上様にはっきり言われたわけじゃないのやろ?まあ、元は官兵衛殿のもんやけど、どうなるかわからへんし……それに、ここは本拠にするには西によりすぎとるから』と弥々丸は言うて、必要以上に手を入れることを反対した。

 そして、あの時はまだ幕下に従っていた半兵衛も、そして、官兵衛もまたそれにうなづいたのだ。

 寺社の材を使うことを罰当たりなという声もちらほら聞こえたが、その頃には、わしも兄者も、もちろんお弥々も気にすることはなかった。わしらは、あるかわからん仏罰よりも、ふくれあがっていく戦費用の方がよほど怖かったのだ。


「ええい、わしが言うておるのはそんなことやない!なぜにお弥々が一緒に食べへんのかと言うことや」

「……それは、弥々丸が小姓らと夕餉をとる約束をしてしまったからですな」

「昨夜もあれらと一緒であったではないか」

「昨夜は、佐吉達が遅くて夕餉には間に合わなかったとか」

「したが、明日には発つのじゃぞ。家族水入らずで食事をしても良いじゃろうに」

「義姉上とは常日頃一緒じゃ。兄者かて、一緒に安土にのぼるのじゃからええやないか」


 したが、兄者の表情は冴えない。


「……なら、わしも混ぜてくれればええやないか」


 たぶん、というか、結局はそこに尽きるのだろう。


「いや、兄者がおってはいくら無礼講とて、小姓達が心おきのう酔うこともできへんやろから……」

「小姓共が酒を飲むなぞ十年早いわ」


 駄々っ子のような言い草だが、兄者がそれを口にすると妙な愛嬌がある。


「おまえさま、小一郎殿にそげに絡むもんじゃなか」

「おね」

「義姉上」


 静かに襖が開く。

 侍女と共に手ずから汁物を運んできたのは兄者の正室であるおね殿だった。

 若い頃の美貌のままに美しく年齢を重ねている。兄者の正室として奥向きのいっさいを取り仕切っており、この方がいるからこそ、女遊びが激しい兄者も安心して遊んでいられるともいう。


「したが、おね、うどんも用意したに……」

「うどんは皆で一緒にたんといただいてますよ。さ、小一郎殿、どうぞ」

「ありがたく」


 差し出された椀には、湯気のたつ澄んだ汁の中にうどんが沈んでいる。具は、鯛の切り身と鮮やかな緑の三つ葉だ。


「あちらでは生醤油でいただくと聞きましたけど、お弥々が澄まし汁で食べたいと言うので」

「ほう。うまそうやないか」


 兄者も気がそそられたように自分の椀を覗き込む。

 

「ん、うまい。柚子の香りがええの」

「ほんに。庭に柚子を植えようと言っていたのはこのためだったのかと思うとちょっとおかしい思うところですけど」

「そうか。おねや、あれの望みは何でもかなえてやるのじゃぞ」

「はい」

 

 義姉上は満面の笑みでうなづく。

 お弥々は、わがままを言う子ではない。羽柴の家の嫡子として求められる像を裏切らぬよう振舞うことをちゃんと知っており、ふさわしいようにと常に心がけていて、自分の好悪は別としているようなところがある。

 そんなお弥々だからして、望みを口にすれば誰もが我先に叶えてやりたいと動く。

 本人が自制がきいている性格をしているのは、とても幸いなことであるとわしはいつも思っている。


(数え八つの子供であるのに)


 正直を言って、わしらは身近に子供がいなかった為、その年齢の普通の子供というのがどういうものかよくわかっていないところがある。

 わしらにとってそこまで身近に接する子供はお弥々が初めてであり、そして、その後、接するようになった吉助もまたたいした子供だったので、よくできた子供だろうという認識はあっても、それがどれほどのものなのか真に理解していなかったといってもいい。


「なんでも、このうどん言うのは、昔のえらい坊さまがあちらに広めた食べ物だそうですねぇ」

「えらい坊主とな?」

「ええ。あの子はそういう話にもくわしくて。佐吉たちと話が合うのもそのあたりなんでしょう」


 義姉上は思い出したように、ふふふ、と笑う。


「あの子が一番年下なのに、あの子が居ると皆が子供のようにあの子の関心をひきたがってしょうがありません。松寿などは、市と虎にさんざん脅されて……吉助はいつものように飄々としてるんですけどね」

「で、松寿はどうしたのじゃ」

「武芸では敵わんかもしれませんが、盾にはなれますから!と言って、お弥々を抱きしめたものですから、お弥々に思いっきり蹴り飛ばされて……それで、暑苦しいとか汗臭いとさんざん怒鳴られて……それでも、にこにこ笑ってけろっとしてるものですから、逆に市と虎が感心しましてね。機嫌を損ねたお弥々は吉助や佐吉に宥められてました」


 その様子が目に見えるような気がする。


「したが、あれらも随分と仲良うなったのう」


 今の羽柴の家での一番の問題は、古くからの配下の者と新しく配下となった者達との間にある軋轢だ。

 古くからの家来達は無骨な者が多い。

 成り上がりの秀吉の部下になるような者達だから、もちろんさしたる身分も持たぬ者がほとんどだ。戦の中で生き残り、槍働きによって今に至る彼らには、自分達が羽柴の家をここまでにしたという自負があり、官僚である新付の者達に指図されることがおもしろくない。

 そして、秀吉が織田家中においてそれなりの身分を得てから……長浜に来てから得た新付きの家来達はそれなりの家柄の者が多い。身分も教養もある彼らは、能吏であり、計数にも明るく、戦働きでなりあがってきた者達をやや軽んじる傾向がある。

 新旧家来の対立、あるいは、武官と文官の対立、もしくは、尾張派と近江派の対立と言ってもいいかもしれない。

 羽柴の家の問題点を反映した、そのもっとも顕著な縮図が小姓達の対立だだ。


「仲良くなったわけではありませんよ、兄者。ただ、互いに認めてるだけです」


 仲は良いとは言えない。

 特に佐吉とお虎などは顔を合わせると互いに顔を顰めあうような仲だ。

 だが……。


(お弥々がそれを変えた……)


 別に互いを嫌いでもいいのだと、だが、嫌いだからと言って相手の能力を否定するなと。

 好き嫌いと信じる信じないというのは別の話なのだと。


「別にそれでええ。お弥々を好きなことはみんな一緒なのや。それでええ」


 そうも単純なものではないとも思ったが、実際のところ、それは大きなことであると思い直した。

 いずれ、羽柴の家はお弥々のものになり、その時に中核となって働くのはあれらであろう。お弥々であれば何の問題もなくあれらを使いこなせるに違いない。


「で、その後はどうしたのだ?」

「いえね、食後にお茶と一緒に豆を甘く煮たのを出したら、あの子がだまってしまいましてね……」

「どうしたのだ?それで?」

「……何も言いはしませんでしたが、夢の姫のことを思い出したのでしょう。あの子がああいう瞳をする時はいつもそうです」


 神隠しから戻ったときに、夢の中にいたのだとお弥々は言った。

 そして、その夢の中では大人の男で妻がいたのだと……夢の中であったはずなのに、その妻が愛しくて恋しくてならないのだと泣いた。

 その様子があまりにも真摯で、誰も夢の中のことだと笑い飛ばすことができなかった。


「なんとか探してやる手はないのかのう」

「そうなのですが、本人は、絶対に会えると信じているようで……。ですから、おまえさまはお弥々の縁談を勝手に決めたりなさらないこと、それから、お弥々が誰かを連れてきたら、それが誰であっても認めてあげれば、それでよいと思いますよ」

「もし、身分のない娘だったらどうするのじゃ」

「おまえさまが身分云々言うのですか?」


 義姉上の眉が軽く潜められる。

 兄者の身分が低くて、姉上との婚姻はいろいろと大変だったと聞く。そもそも、成り上がりのこの家では確かに身分云々を言えた義理ではない。

 だが、兄者の言葉にも理がないわけではない。成り上がりだからこそ、こだわらねばならない部分も確かにあるのだ。


「わしゃ、もう一介の足軽でも草履取りでもなか」


 吐き捨てるように言われたその言葉に義姉上の柳眉が逆立つ。だが、義姉上が口を開く前に、わしはできるだけゆったりと聞こえるように言った。


「……その時はわしの養女にすればええじゃろ、兄者」

「小一郎……」

「わしのとこの双子は妻の死んだ姉の娘を養女にとったもんじゃ。もう一人増えても全然かまわん。それに、見つかる前からそげな心配してどうする。もしかしたらとんでもない身分の姫君かもしれんぞ」


 兄者も義姉上も、まだおこってもいないことで諍おうとしていた自分達に気付き、咳払いをしたり、困ったような笑みを浮かべたりしている。


「なんにせよ、あの子の縁談は絶対にあの子の意思なしで進めちゃならん。ええな、兄者」

「もちろんじゃ」

「ええか、側室にすればええとかそんなこと言ったら、絶対に縁切られるぞ。あの子は、兄者と違うてそのあたりは淡白じゃし、それにあれは相当頑固じゃぞ」

「わかっとる」


 穏やかな性格をしているからわかりにくいかもしれないが、お弥々には、こうと決めたことは絶対になしとげる意思がある。



 お弥々が決意したことを誰かが覆すことができた例を、わしは一度も見聞きしたことがなかった。

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