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夢のまた夢  作者: 雛/汐邑雛
第一部
13/25

第五章 松寿丸(2)

「貴様っ、わしを羽柴家家中、杉浦伝左衛門と知っての狼藉かーーーーっ」


 行き交う人で賑わう通りに男の怒声が響いていた。


「……あれ、あれ、かわいそうにあの女人、目をつけられましたね」


 旅装の身分高い女人とその子供たち、共の者らしい侍女が数名いて、脇に縮こまっているのが見える。侍女を共に連れているということは、女性はそれなりに身分のある方なのだろう。

 よほど近くから来たのだろうか。護衛らしい侍の姿はない。対する男の方は羽柴のご家中だと言うが、服装を見ればどう見ても浪人者だ。


「……羽柴のご家中の侍がこんなところにいるはずがないのに」


 思わず儂はつぶやいた。


「……どうしてですか?」


 下の方から声がした。

 武家の子らしい袴と小袖姿の小さな子供がにこにことした顔で尋ねてくる。


「本隊は播磨だし、留守居の者ならばこの時期、長浜のお城に詰めている。たとえ用事があって大津に居たとしてもあんな風に酔っ払ったりはしていないはずだ」


 同僚が戦陣の中にあって酒が飲めるような留守居はいない。


「そうですね。僕もそう思います」


 子供はにっこり笑った。


「……あれ、吉助さま」


 子供と伊介さんは顔なじみらしい。


「あ、伊介さんだ。……じゃあ、こちらが松寿殿?」

「……いかにも。わしは松寿だが……そなたは……」

「ああ。……僕は、吉助といいます。弥勒丸さまのお側御用を勤めています。今日は松寿殿のお迎えにあがったんですよ」

「それは、わざわざご丁寧に」


 儂は、軽く頭を下げた。

 そして、はっと気付く。


「吉助殿は、もしや、半兵衛殿のご子息の……」

「ああ……そうです。松寿殿は父に会ったのですよね?後で父のお話を聞かせてください」

「はい。勿論です」


 半兵衛殿のご子息だという吉助殿は、なるほどよく見れば半兵衛殿のお子だというのがよくわかる繊細な顔立ちをしていた。


「あのー、吉助さま」

「なんですか?伊介さん」

「……吉助さまがこちらにいらっしゃるということは……」


 きょろきょろと伊介さんが周囲を見回す。


「ああ……勿論、弥々さまもご一緒です」

「……弥々さま?」


 儂は伊介さんが何を気にしているかがわからずに首を傾げる。


「このたわけが。羽柴の家中におまえのような痴れ者はおらぬわっ。恥をしれ、恥をっ」

響いた涼やかな声に、儂は思わず顔をあげる。


 天秤棒を手にした身なりのいい若君が、男と女人の一行の間に割り入っていた。


「何だとー、このクソガキがーっ」


 男が刀を抜く。

 小さな悲鳴が遠巻きにした見物人の間にわきおこった。

 戦続きの世とはいえ、こんな人の多いところで刀を振り回すバカはそうそういないものだ。


「……危ない……」


 前に出ようとした儂と慌てて飛び出そうとしている伊介さんを吉助殿が止めた。


「大丈夫ですから」


 にこにこした笑顔は落ち着いている。


「しかし、あの子が……」

「吉助さまっ、何かあったら」


 伊介さんはめまぐるしく顔色を変え、混乱した様子で何を言えば良いかわからずに口をぱくぱくさせる。


「大丈夫ですって。あんな酔っ払い、弥々さまの敵じゃありませんから」

「しかし……もし、本当に羽柴の家中だったら……」

「ありえません」


 儂の懸念を吉助殿ははっきりきっぱりと否定した。


「……なぜですか?」

「羽柴の家の人間が、弥々さまがわからないはずがありませんから」

「…………そうですよね」


 伊介さんは軽く目を見開いて、それから納得したようにうなづいた。

 きゃあ、と女性の悲鳴があがる。

 刀を抜いた男が子供に切りかかったのだ。

 子供はすっとそれを避ける。それは明らかに剣術をかなりやっている者の動きで……儂は正直驚いた。あんな幼い子供がそこまで修練しているなんて思わなかったからだ。


 避けられてたたらを踏んだ男の身体が折り曲がった。

 子供が下から天秤棒を突き出したのだ。


「ほげっ」


 男は奇声を発し、苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちた。


「ふん」


 子供は天秤棒を近くの商店の小僧に返すとぱんぱんと手を叩き、崩れ落ちた男を冷ややかに見下ろした。


「……すまぬが、誰ぞこいつを縛り上げてくれ。……ああ。恐い思いをさせて申し訳ない。大丈夫ですか?」


 少年は、怯えている小さな姫君らに言う。姫君たちはそれぞれに顔を見合わせて小さくうなづいた。


「あれが逆恨みせぬよう、きっちり処罰しておきますゆえご安心なされよ。……ご参詣はもうお済みですか?」


 少年は丁寧な口調で、侍女と小さな姫君らをつれた女人に尚も問う。


「ありがとうございます。参詣の帰り道にございます」


 侍女が女主人に代わり、しとやかに一礼した。


「そうですか、なら良かった」


 少年の目配せに伊助さんがうなづく。


「あの、若君さまのお名前は……」

「我が羽柴の家中などと名乗る痴れ者を捨て置けなかっただけですゆえ、お気遣いなく」


 男が呻いて身をよじる。怯えた姫君たちをかばうように前に立ち、言葉遣いのわりには品の良さげな顔立ちの子供は男に再度けりをいれた。


(……容赦ないな……)


「若君は羽柴のご家中で……?」

「はい。……伊助。早速じゃが、ご案内申し上げ、この方達を安全なところまでお送りせい」

「はい。……こなたさまの護衛をお借りいたしても?」


 伊助さんがわしを見る。


「そやな。もう大丈夫じゃろ」


(……もしや、この方が若君か……)


 人に命じる様子はとても物慣れている。


「……どうやらそちらの御方は、顔色がよろしくない。近くの料理屋に座敷をとってございます。ご利用下さい」

「ありがとうございます」

「あと、この者は、長浜城下の商家の番頭で信頼のおける者。護衛は羽柴の家中の者にございます。不都合なければ、お帰りになるまでのお供をさせますので」

「お手数をおかけして……」

「いえ。お気になさらないで下さい」


 若君はにっこりと笑う。思わず誰もがひきつけられるようないい笑顔だった。

 姫君方が三人とも、侍女とやりとりしている若君をじっと見つめている。

(ああ……)


 そのまなざしに甘い痛みを覚えた。

 別にわしが何かを感じたわけではない。ただ姫君らの感じた気持ちが伝わってくるような気がした。


「……では、失礼します」


 姫君方とその母君であろう方に若君は軽く会釈する。

 吉助殿もぴょこんとお辞儀をするので、わしもまたお辞儀をし、二人の後を追いかけた。そうするべきだという気がしていたのだ。

 にぎやかな通りから少し離れると若君はやっとわしを振り向いた。


「おまえが松寿だろ」

「はい」

「俺のことは弥々か弥々丸と呼べ。長い付き合いになるで堅苦しいのは好かん」

「かしこまりました」


 深々とわしは頭を下げた。吉助殿もだが、若君もわしのことはよう存じているらしい。


「……堅苦しいのぅ」

「へ、は、いや、しかし……」

「そういう時は、『はい』でええ。『はい』で」

「はいっ」

「そうじゃ」


 弥々丸さまは満足げにうなづく。

 その表情が自分に向けられることが嬉しかった。


「……で、なんじゃ、そのナリは」


 わしの格好は、藍の縞の着物に前掛けをつけた丁稚姿。髷もまた町人の結い方だ。


「え、あ、いや、これは、安藤の小僧としてここまで来たので……」

「ほう。おもしろげなことをしてきたんやな。どれ、船が出るまでどこぞで茶でも飲みながらその話を聞かせてくれや」

「はいっ」


 勢い込んでうなづく。


「吉、今日はどこにする?」

「三好屋にしませんか?あそこの団子は絶品です」

「そやな。……そんで、土産は蓬莱屋で飴でも買うてゆくか」

「あそこの飴は、おいしいですよね」

「おっかあやおばあも好きやしな。……そや、小一郎おじの屋敷にも届けてやろう。姫らが喜ぶであろ」

「そうですね」


 弥々丸さまは、物慣れた様子で港までの途中の菓子屋に立ち寄る。それほど大きくはない店だが、柱も黒光りしている。


「……あれ、若さん」


 玄関を掃いていた小僧が弥々丸さまに気づいて手を止める。


「久しいな、三太」


 大きく目を見開いた小僧はこくこくとうなづき、店先に駆け込んだ。


「だんなさまーっ、だんなさまーっ、長浜の若さんがーっ」


 奥から転がり出てきたのは、店の主と思しきでっぷりとした老人だ。


「……若さま、ようおいで下さいました」

「邪魔をする。その九谷の器に入ってる鞠飴を三箱包んでくれ、あとな、笹飴をあるだけ全部や。これは持っていけるようにしてくれたらええ」

「はい」

「すまんな。買占めてしてしもうて……今日は店仕舞いやな」

「はい。いつも有り難うございます」


 店主は小僧らに手伝わせて包み始める。

 ふっくらと丸い白地の飴に赤や緑のラインが入っている鞠飴は、子供でも口に入れられる大きさで、器の中に並んでいるのをみると大変に可愛らしい。いかにも女人が喜びそうな品だ。

「松は甘いの大丈夫か?」

「へ、は、あ、はい」


 どぎまぎした。


「じゃ、やる」


 渡されたのは笹の葉で包んだ茶色の飴だ。ほのかに醤の香りがする。


「ありがたく頂戴します」

「堅苦しいなぁ」

「え、いや、これはもうわしの性分で……」

「わかってるって」


 弥々丸さまはおかしげに笑って、自分も笹を剥いて飴を口になさる。


「ま、おいおいな」

「おいおい、ですね」


 吉助殿と弥々丸さまがささ飴をくわえて顔を合わせ、よく似た笑みでにやりと笑った。

口の中で笹の香りとほのかな醤油の香りが広がった。

 それは儂にとって最高の美味の記憶の一つとなった。

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