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君は薔薇に生き血を捧げた

【氷の願望】の瑠音と天泉の昔話


「ナイチンゲールって知ってる?」

 瑠音は丁寧にタルトを小さく切り分けながら唐突にそう切り出した。相変わらず大広間で行われる独りだけの晩餐の給仕をしながら、天泉は静かに微笑んだ。

「愚かな男のために身を焦がした、哀れな小動物のお話ですか」

 濃い目のアールグレイを真っ白なカップに注ぐ彼の指先を見つめながら、瑠音はそうよ、とつまらなそうに言う。薄暗い広間に生える純白のカップに広がる色はよい香りを放ち、真っ赤に熟れた苺のタルトとよく合いそうだ。銀のフォークで苺を突き刺すと、少女は小さな足をふらふらと遊ばせながら歌うように呟く。

「女に弄ばれた男のくだらない願いを真摯に受け止めたかわいそうな小鳥。自らの命を顧みず、ただ憧れだけの“恋人”という幻想に踊らされてこの世でもっとも美しい花を生み出した存在。」

 ぐちゅり。

 赤い果実をその白い歯ですり潰しながら、瑠音は悲しげに瞳を閉じる。

「この物語の顛末は、何を暗示しているのでしょうね」

 紡ぎだす言葉に含まれるのは、僅かな自嘲。

「幻想のためだけに命を放りだし、その事実を知られないまま朽ちるなんて、人間の愚かしさを絵に描いたような物語だわ」

 愛の唄を歌い続けたナイチンゲールは薔薇に生き血を捧げる。その真っ赤な薔薇を手にして求婚した男は、宝石と薔薇を比べられ、あしらわれて終わる。哀れな小鳥の亡骸に気づくことなく、偶然だと軽い気持ちで男はそのまま行き続ける。愛という幻想に惑わされ、そして何も知らずに朽ちたナイチンゲールは、果たして幸せだったのか。この物語がつらく悲しい色を纏っているのは何故なのか。瑠音は思案する。

 ────ああ、同じだ。

 天泉は困ったように嗤う。恐怖という幻想に惑わされ、すべてを見失った少女と。少女という圧倒的な存在に踊らされ、こうして終わりに向かって進んでいく自分。ナイチンゲールのように美しく儚い命が、少女によって握られている。

「お嬢様。無垢で純粋な小鳥にご自身を重ねているのならばおやめになったほうがよろしいかと。お嬢様は小鳥のように知識を持たぬ存在ではありません」

 瑠音は反応せず、ただカスタードクリームとタルトを口にした。

「ナイチンゲールの物語が幻想的で物悲しいのは、俺たちのようにその物語を観察する存在がいるからです。ナイチンゲールは命を使い果たして男につくし、愛を信じた。男は女に踊らされながらも、庭に<偶然>あった赤い薔薇に一時の幸福を得る。尊い犠牲によるものだと気づかずです。ならばこの物語はそこで完結してしまっている。彼らは一様に不安など感じぬまま、哀れまれる要素に疑問を感じることでしょう」

 饒舌な天泉に瑠音はくすりと笑うと、濃い紅茶に口をつける。深い芳香が体に染み渡り、タルトの甘さが脳を犯していく。満たされた笑みを浮かべ、少女は深く座り直した。

「人は悲しい生き物だわ」

 掠れた声でそう呟くと、そっと瞳を閉じる。天泉はあやす様に少女の髪を梳きながら、月夜に歌う小鳥に思いを馳せる。

「ねぇ、天泉」

 心臓に棘を突き刺し愛の唄を歌い続ける苦しみは、何も紡がずに微笑むことよりもつらいのだろうか。

「私は、間違っているのかしら」

 すべてを了解した上で、男が己に気づくことなどなく、女がどうしようもない愚か者だと知っていたなら、ナイチンゲールは歌うことをやめただろうか。

「お嬢様、貴女に間違いなどあるはずがありません」

 そういって優しく微笑む青年の瞳は深く暖かい光を湛えている。少女は安心したように微笑み、ゆっくりと瞳を閉じた。


 きっと、すべてが終わったとき。少女は後悔し、泣き、そして彼岸へとたどり着くのだろう。彼女がそうなるのは、彼女がすべてを知った上でどうにもならないことを承知しているから。それはナイチンゲールの物語を観察する自分たちのようなもの。少女は観察者でありながら、物語の作者でもある。だからこそ、己の過ちが取り返しのつかないことだと後で気づくのだ。

「その過ちに加担している…俺はいったい、なんなのだろうか」

 青年はまどろみながら思案する。小鳥がどうするかはわからないが、それでも、すべてを知ったとしても、きっと自分は薔薇に生き血を捧げるのだろうと確信している。少女の願いのためならば。少女との世界を護るためならば。

 歪んでいてもいい。間違っているといわれてもいい。それでも、絶対に他人には咲かせられない深く赤黒い薔薇を生み出すのは自分しかないのだと信じたかった。愛情などという言葉では言い表せない、何かが壊れてしまっているような感情。それに突き動かされながら、そして青年は静かに眠りについた。


 君は薔薇に生き血を捧げ、そして物語を終焉へと導く。


                    【氷の願望】side story.

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