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月光花  作者: 杉下
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月光花


 サヤンアス(sunlight Arthurが訛った)国は、魔法の国と呼ばれており、国民は皆、制限はあるものの不思議な力を使うことができた。中でも、ものづくりを得意とし、古くから不思議な機能を持った家具や道具などの貿易で多額の利益を得ていた。そのため、隣接する国々の中でも圧倒的な力を誇っていた。


しかし、その強さから敵もいなければ、畏怖や僻みから味方もいない孤独な国でもあった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



秋と冬の間の時期、ベッドから体を起こして街角の仕立て屋で特注した肌触りの良い綿シャツと腕利きのテーラーが魔法で黒曜石から色を抽出した黒い光沢が美しいベスト、ズボンをクローゼットから取り出して着がえる。ネクタイをしながら窓によってカーテンを開けると眩しい朝日が部屋を金色に彩りながら差し込む。


窓際に置いているプランタースタンドから霧吹きを手に取り、すぐ隣にあるプランターに水を吹きかける。


「早く起きてこいよ」


まだ土しか見えないプランターに優しく微笑みかけて、霧吹きを置く。

昨日買ったフランスパンをスライスし、トースターで焼く。焼き上がるその間に、ポットに水を入れて、蓋を閉めるとあっという間に温かくなってできたお湯で、紅茶を作る。チンっという快活な音を合図に、昨日買ったバターと焼き上がったパンをお皿にのせ、机に座り、早速口に運ぶ。

サクッと音を立てながら、香ばしいパンのやわらかい匂いを堪能し、出来上がりの熱さですぐに溶けてパンに染み込むバターを味わう。そして、自分でブレンドした紅茶をゆっくりと口に入れる。クセのないすっきりとした味は、パンの味を押しつぶすことなくより引き立たせ、きれいな余韻を作り出す。


あぁ、なんといい朝だ、と思っているとドアからノックの音が3回規則正しく鳴った。




「オルー軌頭、上司から呼び出しがありました」


(チッ)


 気持ちのいい朝から一転、その言葉で一気にどす黒い己がでる。


「了解だ。すぐ行くと伝えてくれ」


 ティーカップに残っていた紅茶を一気に飲み干し、一つため息をついて、オルーは気持ちのいい朝から席を立った。




「反乱が起こった」


「また、ですか」


 渋々上司の部屋へ行くと開口1番に最近何度も聞き慣れた言葉が口にされて、上司の前ではあるもののうんざりとした顔をしてしまう。そんな態度であるにもかかわらず、上司、もとい軍の司令官、グレーからの叱りはなかった。何故なら彼も自分と全く同じ顔をしていたからだ。少し燻んだ金髪をオールバックにして、いつもきちんとしている彼も最近は少し疲れているらしい。


(まぁ、無理もないな)


 長きに渡り、圧倒的な支配力を持っているサヤンアス国は、隣接する国々を従えていたが、最近その一つであるコーメア国が反乱を起こすようになったのだ。コーメア国は、サヤンアス国同様に魔法を得意とし、支配する国の中では1番厄介な国だった。しかし同時に、魔法という共通点から1番交友のある国でもあるため、グレーや他の国の関係者達もできれば穏便に済ませたかったのだが、今のコーメア国の総代であるアベルは、その若さからか血気盛んでこちらの言葉は中々伝わらなかった。


「今、外務大臣がアベルとの会談を予定しているが…まぁ、結果は乏しいだろうな」


「…はぁ、周りのやつもなんで止めないもんかね」


「若いからと言ってあの男は侮れんぞ。お前もみたことがあるだろ」


「…」


 軍の司令官であるグレーの次の位に立つオルーは、軍隊の中でも優秀な成績を出した者がなれる司令官の政治的ではなく軍事的な補佐役の軌頭という役職についていた。仕事はあくまで自国の軍の育成であるため、経済政策などの会議の場では主にグレーが出席し、オルーは情報は受け取るものの、もっぱら訓練や指導を行っていた。

 だが今回の反乱から、軍の力である自分も会議に呼ばれるようになり、コーメア国との会談にも立ち合うようになった。そこで、アベルという男にも数回ではあるが会ったことがある。

 初めてみた時はとても驚いたことを覚えている。自分やグレーの燻んだ金髪ではなく、明るい金髪を真ん中で少し上げて、まるで深海のようなブルーの瞳をもった若い男で、しかめっつらした反抗心ましましの老人を想像していたオルーは拍子抜けした。


(おいおい、こんな若いもんを国の代表にするなんて、国民は毎日お菓子ばっか食って、甘い思考しか出来なくなったのか?)


と、最初は思っていた。


「やぁ、サヤンアス国の皆さん。俺はアベル!よろしく頼む」


そう言った奴は随分人懐っこい笑顔を浮かべて握手する。


「さて、まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に言うと、コーメア国はもうサヤンアス国の従属国ではない」


「「「‼︎」」」


その場にいたサヤンアス国の政府関係者全員は息を呑んだ。


「…それは、我が国に宣戦布告しているとみなしてよいのかな?」


外務大臣が鋭い目つきで問う。

しかし、アベルは一才機にすることなく笑いながら答えた。


「まさか⁉︎皆さんには魔法を教えてもらったりお世話になりましたし、なるべく戦いたくないですよ!」


「では此度の反乱は、どう言うことですかな?」


「それは単なる意思表示さ。反乱のつもりはないよ。実際、死者はだしていないだろ?」


「意思表示にしてはやりすぎではないか。武力以外にも、対話という選択は浮かばなかったのかね」


「もちろん考えた。でも、あなた方が対話でどうこうできる相手ではないことも知っています。何せ長い付き合いですから。だから、まずは俺たちの力を見ていただこうと思いまして」


「力?」


「近年、コーメア国はどんどん成長して今やあなた方とほとんど遜色ない力をつけてきました。ですから、あなた方の支えはいらないということを知って欲しかったのです。元々、そういうものだったんですよね?」


(っ…こいつ⁉︎)


そう。元々、サヤンアス国が周りの国々を支配し始めた大義名分は、自国よりも弱い国を他の脅威から守るためであった。それは、反感をできるだけなくすための策略で、実際ほぼ不動の最強の座を持っていたサヤンアス国はうまくやっていた。そのことを奴は今、突いている。確かに、コーメア国の力は目まぐるしく速く、サヤンアス国でも危惧していた。その大義名分が無くなれば、コーメア国を支配することも難しくなる。そうなれば均衡は崩れて、他の国の中でコーメア国につく者が現れるかもしれない。そうなると厄介なことになる。

サヤンアス国がこれまで見せなかった痛いところをアベルはこうも簡単に突いてしまう。


「皆さんには俺たちの国としての独立を認めてほしいだけです。いいですよね?」


アベルは終始笑顔だったが、オルーは落ち着かなかった。


オルーはなんとなくではあるが、アベルがただ独立をしたいだけではないだろうと思った。この数分ではあるが、野心家であるアベルの本当の狙いはそこではないという確信があった。


(…もし、ここで独立を認めたら、今のコーメア国はサヤンアス国と力の遜色がないということを認めたこととなる。そしたら、周りの国々の中でコーメア国につく者も現れるだろう。そしたら、今よりもっと大規模な反乱が予想される…。コーメア国の狙いは、サヤンアス国がこなしてきたこれまでの支配者という立場そのものの乗っ取りにあるんじゃないのか?)


オルーはもう一度アベルを見て、その目が野心に燃えていることに気がつきゾッとした。




「…ー、おい、…ルー」


「おい、オルー!聞いているのか!」


「っ!あ、あぁ」


「まったく、お前が行く階段の話なんだぞ」


「……はぁ?」


「やっぱり聞いてなかったな。3ヶ月後、お前にはリキン国に行ってきてもらう」


「は、はぁ⁉︎なんで俺が!それはあんたの仕事だろ!」


「さっきも言ったが、俺はアベルとの会談、臨時国会で忙しくて無理なんだ。他の大臣もコーメア国の対処で忙しい。そして何より、相手は武の国と呼ばれる国だ。会談相手に我が国でお前ほど適任はいない」


「…というか、何でリキン国なんだ。あんな遠いところ、長い歴史で関わりもないし、名前と地図の上でしか見たことがない」


「リキン国は、小さな海洋国でありながら他の国々と互角、それ以上の力で生き延びてきた国だ。だから、我々と手を組んでもらいそれを国々やアベルに見せつけることで、牽制する目的がある。上手くいけば、戦わずしてこのいざこざを終わらせられるかもしれない」


「……、」


グレーから言われた言葉は、もっともで反論のしようがない。国を守るためであるのなら自分は動かなくてはならないのだ。だが、自慢ではないが俺はあまり外交は得意ではない。そんな素人に、国を左右する会談をさせていいのかと問いたくなったが、「よろしく頼む。俺は午後からの会議に行くからここで失礼する」とグレーが早々に立ち去ったので、言葉は宙ぶらりんになって、代わりにため息として消えていった。




ラピスラズリから抽出した濃紺のダブルブレストの軍服に肩章、白手袋、サービスキャップには金色の月桂冠とこの国のシンボルでもある大蛇の刺繍、黒の皮の長靴、シンプルながらも絢爛な軍服に身を包んだ姿とは相対して、少し燻んだ金髪でペリドットの瞳が鏡越しで訝しげな顔をしている。


グレーからの呼び出しがあった後、すぐに3ヶ月後に控えた会談に向けた準備が進められた。3ヶ月後ではあるものの、移動には2ヶ月かかると予想されており、実質1ヶ月しか準備時間は残されていなかった。国の代表であるオルーは、上層部の部屋をあちこち回って会談の内容の確認と行きつけの仕立て屋に無理を言って新品の軍服を仕立ててもらうなど、慣れないことばかりなことに大忙しでろくに眠れていなかった。


(あーくそっ。外交は俺の専門外だっつーの!)


どこにもぶつけられない怒りを吐き出したくて、壁に拳をぶつける。ドンっという鈍い音に重なってガチャッとドアが開けられる。


「国を代表する者がそんな感情的では目も当てられんな」


「…父上」


扉の前には整えられた短髪で、御用仕立て師が仕立てた絹のような艶のある、オルーが着ているものとは比べものにもならないほどの高さのスーツを着こなした父親、アランドが立っていた。


「これ以上ブリラン家の名を汚すことは許さない。お前は必ず今回の会談で成果を上げろ」


「…」


相変わらず、父親の顔からは何の感情も読み取れない。いや、本当に無感情なのだろう。

今回の会談で、なぜ自分が代表として指名されたのか。グレーの言うように、相手国が武の国だからというのも多少はあるだろうが、もっと大きな理由があるのを薄々オルーは気付いていた。


オルーの父親、アランド・ブリランは国内でも有数の道具屋を経営しているブリラン家の三男として生まれたにもかかわらず、その優秀さから長男次男を押しのけて家督を継ぎ、会社を継いだ後も彼の魔法で生まれた商品は使用者の性格を体現したような精緻な作りと、大胆な発想からアッと驚くような新商品瞬く間に作り出し、今や雑貨や家具、文具など多岐に渡り、この国の貿易の利益を大きく支え、国の財政に貢献しているものとして、重宝されている。

 そんな名家、ブリラン家の一人息子として生まれたオルーは、幼い頃から厳しい教育を強いられた。父と母は社会の名目上、結婚しただけで稀に開かれる社交パーティー以外別居状態。父と二人暮らしだったが、父は子育てを使用人に丸投げでろくに父親らしいことはしなかった。そのくせ、教育熱心ではあったため、有名な家庭教師を何人も屋敷に呼び寄せ、教育に力を入れた。

 1日の勉強が終わり、部屋で出された宿題をしている時、窓から馬車に乗って帰ってきた父親が偶に部屋に訪れることがあった。そんな時は大抵、家庭教師から聞いたオルーの欠点をねちねちと指摘して、最後は決まって「お前は、ブリラン家の者として大成しなければならない」と言うのだ。

 彼がどこか自分を毛嫌いしていることは子供ながら感じていた。それなのに、ある程度の待遇がされるのは、自分が一人息子で、跡取りが必要だからということも、理解せざるをえなかった。

 初めは従順にしていたオルーだったが、思春期になると、父に対する反抗心が散り積もって現れるようになった。

 家庭教師の言うことを無視して、部屋から抜け出し、街を練り歩いた。格好の整ったオルーはよく不良に目をつけられたが、週に一回自衛の力を磨くために習った体術で、返り討ちにした。勿論、そんなことをした日は父が部屋を訪れてこっ酷く叱りつけた。しかし、オルーにはそんなことは気ほども気に留めなかった。やがて、父も怒る時間が無駄だと思ったのか部屋に来なくなった。

 街に出て、売られた喧嘩を買う。そんな毎日を繰り返して行くうちに、戦い方も様になって、自分は勉強よりも体を動かす方が楽しいことに気がついた。

 そしてその夜初めてオルーは自分から父親の部屋に行き、軍の入隊志願書を机に叩きつけた。


「…これが、お前の答えか」


「あぁ、俺はあんたの会社は継がない」


しばらくお互いに目を見て静寂が辺りを包む。父親の冷めた目を見るのは好きなものではないが、ここで目をそらしたら負けだと分かっていた。

結局、口火を切ったのは父親だった。


「いいだろう。ただし、大学は卒業する事が条件だ」


「…分かったよ」


 俺の覚悟から、気持ちは変わらないと踏んだのか父親は頷いた。父は、仕事柄目利きが効くため、勝負時と引き際をよく理解している。そのため今回も、俺の意思を示せば了承すると言うことは予想していた。条件付きではあるものの、家督を継ぐ必要がなくなったことは大きな成果だった。

 それからは、今までサボっていた分みっちりと家庭教師の授業が1日を占めた。俺は、今までサボってきた家庭教師に頭を下げて死に物狂いで勉強し、見事大学に合格。卒業して、軍に入隊してからは、幼い頃から習っていたこともあり、体術などには優秀な成績を収め、皮肉にも父親から言われて入った大学で学んだ月並みではあるが知識で、気づけば軌頭と言う役職に異例の26歳と言う若さで登り着く事ができた。


 しかし、軌頭になってからしばらくして俺の部屋に訪れた父親の姿を見て俺はやっと、父がなぜ俺の入隊を許したのか理解した。

父は俺が大成する場を変えただけだったのだ。目利きが効く父は、俺の才能が商売よりも、軍事力にあると見抜いた。だから、俺が上に行けるように大学という道を作ったのだ。

 詰まるところ、俺はブリラン家から逃れることはできなかった。

 

 金銭的な援助者という事情もあり、政府関係者とも繋がりが深い父は、発言力も強かった。俺が軌頭になったのは、父の存在も強かったのではないだろうかと俺は疑っている。 

 そして、今回の国の未来を動かしかねない会談に俺が選ばれた理由は、今父が目の前にいることで、父の根回しである事が証明された。

「大成を得よ」

それは幼い頃から聞き飽きた、父の口癖だった。この人が求めているのは、ブリラン家の名誉と栄光だ。

俺は父を睨む。


「全部、あなたの差金ですね」


「さぁ、何のことだ」


「会談の代表に俺が選ばれたのは偶然ではないでしょう!貴方は国の未来を、私欲で汚すつもりですか‼︎」


「さっきから、根拠のない事をペラペラと何を言っている。無礼者め。それよりもお前は会談のことに集中することだな」


それだけ言い終わると、もう話しても無駄だと判断したのか、手につけている銀の腕時計をチラッと一瞥して踵を返した。


それと入れ替わるように、部下の1人であるトッツォが顔を出す。前髪をかきあげ、ツンツンとした髪に、無愛想な顔、おまけに低い声から誤解を生みやすいが、優秀な人物でオルーはトッツォをかっていた。

先程の話を聞いていたのかいないのか、それとも興味がないのか、いつもと変わらない様子で、トッツォは淡々と口を開いた。


「オルー軌頭、船の出航準備が出来ました」


「…分かった」


父の態度に、苛々は頂点に達していたが、それで会談を投げ出しては父と同じだ。どんな形であれ、軍の者として国を守る使命がある。父の言うことに従うのは癪だが、オルーは深呼吸して、もう一度鏡を見る。

そこには、先程の疲れた顔ではなく覚悟を決めたペリドットの瞳が映っていた。





いくら魔法の国と言われても、所詮は人間。できることには限りがあった。これだけ研究が進んでも、人間自身の飛行や瞬間移動、ましてや命を奪う魔法などは不可能だった。また、人の精神に介入する魔法、所謂呪術とも言われるものも、それ相応の対価が使用者に降りかかる。

魔法は便利で美しいものだが、完璧なものではないのだ。

そのため、魔法の発展とともに、サヤンアス国は科学の研究にも力を入れていた。その成果が今から乗る船、蒸気船だった。発明された当初は、多くの産業に革命を起こし、時代は瞬く間に大きく動いた。この発明のおかげでサヤンアス国は、一気に力を持ったが、今ではコーメア国もこの技術を使いこなし、列強に肩を並べるようになったのだから皮肉なことだ。


汽車を何回か乗り継いでようやく港に着き、停泊している蒸気船に乗り込む。2ヶ月の船旅というのもあり、どっしりとした存在感を放つ蒸気船には、天を突き刺すような煙突とマストが立ち並び、その先端には大蛇が描かれた国旗がはためいている。金色の装飾が豪華にも施された船首が海から反射した日光に照らされ、重圧がありながらも、どこか優雅な船を演出している。


甲板に出て、外に顔を出すと多くの国民が手に収まる小さな旗を振りながら笑顔で見送りに来ていた。その横には政府が用意したであろう音楽隊が、活気ある音楽を高らかに鳴らした。ひしひしと伝わる国民の期待に、責任が重くのしかかる。どこか引き攣った笑顔を浮かべて手を軽く振るとそれだけで歓声が聞こえてくる。

そのすぐ横に今回の渡航チームに選ばれたトッツォが歩いてくる。


「オルー軌頭」


「用意はできている。…出航だ!」


「出航ーっ!」


「出航!」


オルーの言葉を合図に次々と帆が開かれて、船が港から離れて行く。

小さくなって行く人々を見えなくなるまで見つめながらオルーは複雑な心境を飲み込んだ。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



渡航開始から、一ヶ月後。国にいた間、会談準備を終えたオルーは、今度は外交に対するマナーを勉強していた。自分は軍人だからとグレーに会議は丸投げし、腕っぷししか磨いてこなかったツケが回り、慣れない会食の作法、挨拶の仕方、立ち位置など、朝から晩まで教え込まれたが、貴賓あふれるスマートな動きはどうも体が慣れない。加えて、会談するにあたって相手国のことを知らないと失礼に当たると、少ないながらもかき集めたリキン国の資料を覚える様にと、上司から押し付けられた。国土よりも広大な海にいるのに、船の中は窮屈で仕方なかった。


「気高きリキン国の皆さん、お目にかかれて光栄です。私は、サヤンアス国のオルー・ブリランと申します。此度は…あーっ!やってられっか‼︎」


堅苦しい文がびっちりと敷き詰められた紙切れの束を机に投げつける。軽い紙は机に収まり切らず、ヒラヒラと周辺の床を白く染めた。ドカッと、鈍い音が響くのを気にせず、革でできた無駄に高い椅子に座り、足を組む。


「くそっ、ここのところまともに体を動かしてねぇ。だいたい、子供のお遊戯会じゃねぇんだぞ。こんな薄っぺらい言葉を覚えて、心にもない会話をするのが会談なら、手紙で終わらせろよ。くだらねぇー」


頬杖をつきながら横目で散乱したプリントを睨みつける。やがて、一つため息を吐くと今日はこれ以上やっても無駄だと、ランプを消そうとした時、すぐ隣にある書類に目がつく。

それは、上司が無理やり押し付けたリキン国の資料だった。なんとなく、目についた資料を手に取る。


"サヤンアス国がある大陸から海を跨いで遠く離れた海洋国であるリキン国は、武の国と呼ばれており、国民は様々な道具を巧みに活用することができた。中でも刀は、まるで体の一部のように自在に操り、その刃を最大限に活かして、何でも切ることができた。そのどんな道具も使いこなす力で、他の大陸の国が攻め込んでも忽ち返り討ちにしてしまう姿から畏怖と尊敬の意味を込めて武の国と呼ばれるようになったという"


(…上の連中や国民は、この国に希望を持ってるが、そう上手くことが運ぶとは思えない。相手は国だ。敵にだってなりうるのに)


オルーは、資料を投げ捨てると今度こそランプを消して、オルーは床についた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー









バシャン


船腹を叩く波の音で目が覚める。


体を起こして丸い窓から外を覗くと、まだらな薄紫色の雲が水平線の上に広がっており、日の出を囁いていた。

渡航を初めてから今日で38日。船の生活にも慣れたが、身動きができない状況にいよいよ本格的に疲れも出ていた。


(予定では、あと5日程で着くはずなんだが…)


軍服に着替えて甲板に出ると、夜に冷やされた海風が頬を撫でる。手すりに体重を預けて辺りを見渡すと、ぽつりぽつりと小さな島が見えた。


(リキン国は、小さな島国と聞くが…流石にあそこまで小さくは無い…よな?)


この船旅の間に、リキン国についての資料を他にも読んだが、何分少なく、細かいことはよく分からないという現状だった。


(武の国とはいえ、いきなり襲ってくるということはないと思うが、一体どこまでの強さなのか計り知れない以上、油断は禁物だな)


「…ん?」


ふと、前方を見てみると空が真っ黒な雲に覆われているのが目に入る。バッとマストの方に目を向けると、国旗が大きく揺れて波立っている。


「おいおい…」


危険を察知した時に、上からカンカンと甲高い音が聞こえてきた。


「前方、進路方向に台風発見!繰り返す!前方、進路方向に台風発見!」


その警報に船長が指示を出して船員がバタバタと走り回り、進路や速度を素早く調整した後、船は舵を切ったが、それを嘲笑うかのようにあっという間に強風と雨が船全体を覆い尽くした。


「軌頭、早く中へ!」


珍しく動揺したトッツォの声に我に返って、甲板から扉の方に向かう。と、その時強風による波によって船が大きく傾く。

オルーは咄嗟に近くの手すりに捕まるが、すぐ横で大きな悲鳴が聞こえたのに気づき、ハッと目を向ける。

そこには、先程の揺れでバランスを崩したであろう清掃係の乗組員が船から投げ出され、ギリギリ掴んだ手すりの支柱を握りしめている姿が目に入った。しかし、それも片手でさらに雨に濡れた支柱は滑りやすく、もう既に離れてしまいそうだ。

一刻の猶予もない。


「軌頭!?」


後ろに聞こえるトッツォの声を無視し、駆け寄って、絶えきれず手すりから離れた手を間一髪で掴んだ。手すりの支柱に足をかけて、鍛えられた腕の筋肉の全てを使って男を引き上げる。


「大丈夫か⁉︎」


「は、はい…。あ、ありが、」


「礼は後でいい!早く中に入るぞ‼︎」


男の手をもう一度取って体を起こすと、トッツォが待つ扉に向かう。トッツォは、オルーのために扉を開けたままにして待っていた。しかし、後少しというところで再び大きな揺れが2人を襲った。

先程の踏ん張りでもう体に力が入らない男がバランスを崩したことで、手を握っていたオルーもバランスが崩れる。


「チッ」


オルーは素早く体を捻り、海側にいた男をそのまま扉の方に放り投げた。


ガシャン、という大きな音が聞こえたが多分扉まで届いただろう。そして、残されたオルーの体はそのままの勢いと船の揺れで大きく手すりに体をぶつけて、海に投げ出された。


「軌頭!!」


最後に、トッツォの大声で叫ぶ声を耳に残してオルーは暗い海の中へその身を落とした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



息ができない。軍服に海水が染み込んで体を冷やして、重しに変わる。死を間際にして、頭は何も働かなかった。ただ、自分の死を感じるしかなかった。





「…し、し。もし…も…」


(何だよ。人がせっかく久しぶりに寝てるって言うのに。頼むから、寝かせてくれ。少し、疲れたんだ)


「もしもし、もしもし、しっかりして下さい!」


重い瞼を閉じたままにしていたかったが、頬に走る僅かな痛みに眉を寄せて、薄っすらと瞼を開ける。

ぼんやりとしていた視界が徐々に鮮明になるにつれて、1人の顔が心配そうに覗き込んでいることに気づく。


「っ!」


視界が定まるに従って、思考も取り戻し、慌てて体を起こして、反射的にその人間から距離を取る。


「あぁ、良かった。元気そうで」


「?」


(何だ?聞いたことのない言語だ…。だが、敵意はないのか?…あっ、)


ここで、渡航の際に持ってきた薬を思い出してポケットを探る。海水で随分と重たくなった口元をこじ開けて、二粒取り出すと一気に飲み込む。この薬は、言語が異なる種族でも意思疎通が可能となる魔法薬で、貴族でも中々手に出せないとても高価なものだった。本来であれば、リキン国との会談の際に使用する予定だったのだが、緊急事態であることと、予備があるため、躊躇うことはなかった。

改めて、少し離れた場所に座る人間と周りの状況を確かめる。どうやらここは砂浜で、船から見た小さい島の何処かのようだった。太陽が真上を昇っていることから、あれからだいぶ時間が経ったことが分かる。そして、今も心配そうにこちらの様子を伺っている人間を見た。随分と袖が長い生地で、それ以外はまるでコートの様な服装。そして何より目を引くのはカラスのような黒い髪で、前髪は眉に少しかかるかかからない程度の長さで切り揃えられており、他の後ろ髪は短く切られている。

瞳は、髪と同じく黒色で、一見すると少し幼い女の子の様な見た目をしているが、先程聞こえた声は、落ち着き払った男性の声だったので、おそらく男なのだろう。


(…見たことがない人種だ)


生まれて初めて見る容姿に、オルーは戸惑いを隠せずにいたが、ふと、ここまで来た目的を思い出して、男に質問する。


「いきなりですまない。ここら辺に、リキン国と言う国があるはずなんだが、どこか知らないか?」


「?、えっと…」


オルーの言葉に今度は男が困惑の表情を示した。


(あ、そうか。俺の言葉が分からないのか)


オルーは、少し躊躇したが、やがてポケットから先程の薬を取り出して、男に差し出した。男に言葉が伝わらないことを理解したオルーはジェスチャーで飲み込む動作を示した。差し出さしたものに男はより困惑の表情を深めて薬とオルーを交互に見ていたが、オルーが飲み込んでいたのを見ていたので、怪しいものではないと踏んだのか、恐る恐る手に取って、数秒その薬を観察し、意を決して飲み込んだ。


「……どうだ?俺の言葉が分かるか?」


「!!…わ、分かります。一体どうして…」


「さっき渡した薬だ。魔法薬と言って、8時間は相手と意思疎通が可能となる」


「は、はぁ…魔法薬?初めてお聞きしますね」


「まぁ、それは仕方ない。それより、ここら辺にあるリキン国と言う国を知っているか?知っているなら、図々しいのを承知で案内して欲しい。大事な仕事があるんだ」


「えっ、リキン国ですか?それなら、ここがもうリキン国の領土ですよ」


「!!本当か⁉︎じゃあ、あんたはリキン国の者か⁉︎」


「えぇ。そうです。紹介が遅れましたね。私は…ニンと申します」


「あ、あぁ、こちらこそすまない。俺はオルーと言う」


「オルーさん、ですね。先程の様子ですと、とても急いでいらしているんですね。よろしければ、正確な場所をお聞きしても?」


「確か…アズマショウというところのはずなんだが」


「そうでしたか!でしたら丁度私がご案内できる場所ですね。よろしければ一緒に行きませんか?」


「本当か⁉︎ぜひ、お願いしたい」


「えぇ、ですがその格好では寒いでしょう。まずは、服を買いに行きましょう」


ニンに言われて初めて、オルーは体が冷えていることに気がついた。びしょびしょの軍服に、所々砂がへばりついたみっともない自分の姿に少し顔が赤くなる。


「いやっ、別に寒くはないが…そうだな。こんな格好じゃみっともないだろうし。い、行こう」


手で砂を落としながら、わざとらしく声を荒げて喋る。自分でも、下手くそな照れ隠しだと思ったが、ニンはバカにした様子もなく、やわらかく笑うとこちらに手を差し出した。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



浜辺から少し歩いたところでは、いくつかの出店らしきものがポツポツと並んでおり、老若男女が呼び込みをする声が聞こえる。

オルーは自国では見たことがない装飾品や食べ物に目を奪われた。


(あの模様はなんだ?不思議な形をしている。鳥なのか?お、あの丸いものはパンか?それにしては柔らかそうだ…)


父は好きではないが、父の会社の商品を見るのは、昔から好きだった。小さい頃から、父の作った家具や食器、陶器などに囲まれて、その精巧さに、悔しいがいつも見入ってしまった。

その後、反抗心から軍人という道を選んだが、体術以外にも、自分の手で何かを一から作ることは好きだった。

それもあって時々与えられる休日では、自分で思いついたものを魔法で創造することや手間暇かけた料理、ガーデニングなどを嗜んでいた。


(そういえば、使用人に任せたとはいえ、花は大丈夫だろうか…)


「着きました」


ニンの声に我に返って、いつの間にか一軒の店の前に来ていたこと知る。そこには、ニンが来ているものと似ているものがずらりと並べられていた。


「どうぞこの中から、お好きなものを」


ニンが手で案内した先には、異国人の自分でも分かるほど上等な布に、丁寧にしたためられたであろう刺繍が優雅に彩っている。


「あ、すまないこれはいくらするんだ。手持ちで足りるかどうか…」


「ここは建て替えておきますので、また会社の方と会った時にでも返してくだされば大丈夫ですよ」


「いや、だがそれは…。ニンに迷惑かけてばかりで俺が忍びない」


「いえいえ、実は私異国の方にこんな形で会うのも会話ができるのも初めてでして。とても嬉しいのです。これも、貴方が下さった薬のおかげなのでしょう?でしたら、そのお礼だと思って、させて下さい」


ニンの顔には、大っぴらかに感情は出していないものの、僅かに頬を赤らめていることがわかり、嘘は言っていない様に見えた。

それでも、申し訳ないと思ったオルーとニンの押し問答が続いたが、やがて根負けしたのはオルーだった。


「分かった。じゃあ、少しお言葉に甘えさせてもらう。でも、そんなにいいものじゃなくていい。…せっかくだし、俺が選んでもいいか?」


「っ…はい!」


パッと笑みを浮かべたニンは、相変わらず幼く見えたものの、どこか儚い美しさを秘めている様に見えた。


店内を見渡して、シンプルなデザインの軍服と同じ濃紺の服、ニン曰く着物と呼ばれる服を買い、オルーはそれに着替えた。初めて着た着物は、慣れないながらも肌触りも悪くなく、オルーは気に入った。どうやら、この国にも駅があるらしくそこから今日は、ここから丁度アズマショウの中間地にあるニンの家に泊まらせてもらうこととなった。

着物の着心地をそっと楽しみながら歩いていると、ニンがあっと声を上げる。


「すみません、先程の着物屋で少し忘れ物をしてしまいました。取りに行くので少し待っていただけませんか?」


「おう」


ニンは申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げる仕草をすると、歩いてきた道を駆け足で戻って行った。



サヤンアス国の石畳の地面ではない、土が剥き出しの地面を踏み締めてオルーは一息つく。海に落ちたことと、偶然にもリキン国にきたことで混乱していた頭が冷静になると、オルーは離れ離れになった部下たちを思い浮かべた。


(あいつら、無事にリキン国についたのか?まぁ、俺がいなくてもしっかりできる様に部下は鍛えてきたつもりだが…とにかく、会談場所に行けばあいつらもいるはずだ)


と、オルーの前に手を繋いではしゃぐ母親と子供が通り過ぎる。オルーに気がついた子供は指を刺して母親に「見て!綺麗な髪の色!」

と声を高らかにして叫ぶ。それを聞いて母親もオルーに気付き、「まぁ!本当に綺麗な髪の色ねぇ。もしかして、他の土地から来た方なのかしら?ぜひ楽しんでいって下さいね」そう和かに言うと手を振って去って行った。オルーも手を軽く振って答える。


(ニンもそうだが、この国の者は警戒心が薄くないか?…いや、それにしたって初対面なのに魔法薬をもらったからという理由だけでここまでするニンが1番変だ)


軍人という役職柄、そして生まれながらの環境も相待ってどうしても疑い深い性格のオルーは、まだ完全にニンを信用しているわけではなかった。あの笑顔の裏には何を企んでまいるのか、なぜ出会ったばかりの自分にここまで尽くすのか、それは油断を作るためなのではないのか、一緒に歩いている途中でもオルーは何回か頭の中でその考えを巡らせた。もし、何か不審な動きをしたらそれ相応の対応をする覚悟も、オルーは持っている。あまり、気は進まないが。


「お、お待たせしました」


「いや、あったか?」


「…えっとですね。実はこれを買いに行ってました」


そういうと、葉っぱ手間包まれたものを取り出す。


「?…っ!」


「歩いている時に、気になっていた様に見えたので。余計なお世話かもしれませんが…ですがこれはおはぎと言って、私も大好きなものでして…。少し歯ごたえのある米粒と、きな粉という甘い粉、そして中の粒あんは絶品なんですよ!貴方にはぜひ楽しんでいただ働たいのです!」


「そうか…」


ニンの勢いに押されて、葉っぱの上に乗せられたおはぎとやらを手に取る。それを見た後、ニンは自分もおはぎを手に取り、おはぎを口に入れた。咀嚼を始めると彼は、言葉に出すというわけでもなく、ただ幸せそうな笑みを浮かべた。

その姿に、毒気を抜かれたオルーはもはや疑う気力もなくし、持っていたおはぎを躊躇なく口に入れた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



駅に着いて電車に揺られ、着いた先は先程の海辺の街とは一変して、山々が連なり、見渡す限り田んぼが埋め尽くす静かな場所だった。人が通るからか、短く揃った畦道を歩いた先に、資料で見た小さいながらも立派な棟門、それを潜ると瓦屋根の平屋があった。


「今日は色々あってオルーさんもお疲れでしょう。どうぞ中でお休みになって下さい」


「わ、悪いな」


ニンは、オルーを広い部屋に案内し、柔らかい布団を広げた。


「私は少しでますが、何かありましたらすぐに呼んで下さいね。後、オルーさんが着ていた服は洗って干しておきますから」


そういうと、ニンはお辞儀をして部屋から出て行った。

ニンがいなくなった部屋で、オルーは障子を空ける。外はインクが撒かれた様に黒色で塗りつぶされて、星の光も心なしかいつもより弱々しい。

なんとも無機質な空のキャンパスから目を逸らして部屋を見渡す。絨毯ではなく草を編んだ様な床に、紙と木でできた扉の様なもの、部屋の殆どが木で作られている。

サヤンアス国のコンクリートか煉瓦造りの家を見慣れていたオルーは、木でこんな家ができる技術があるのかと感動した。


(見たことがないデザインだ。街の出店もそうだったが、俺がいた国や周辺諸国とは全く違う技術、芸術、文化。武の国と言われて、戦いしか興味のない種族かと思っていたが大きな間違いだったな)


オルーが部屋に置かれた小さい机やクッションを手に取り、繁々と見ていると、ガタッと玄関から音が聞こえる。


(そう言えば、ニンがさっき少し出るって言ってたな。何しに行ってたんだ?)


そんな考えが頭に浮かんだところで、廊下から足音がギシギシと近づいて来た。


(まぁ、いい。本人に直接聞けばいいだろ)



「お帰り。どこ行ってたんだ?さっき辺りを見ていたらこんなものが…」


後ろを振り向いた瞬間、頬に走る痛みに咄嗟に反応できなかった。


バリッと、荒々しい音共に部屋を仕切っていた襖が破かれ1人の男が現れる。手には資料で見たリキン国特有の武器、刀が握られていた。


(っ!?なんだ!リキン国の者か⁉︎)


男は眉間に深いしわを寄せて、明らかな殺意を持ってオルーに近づき、切り掛かる。長らく忘れていた命をかけた戦闘に鈍っていた体が一気に覚醒して、先程の切り込みで崩れかけた体制を体を翻すことで直して、相手を睨見つける。


「なぜ異国の者が我々の土地に足を踏み入れている。それも、軍隊長の屋敷に入るとはどういうことだ!これは我々に対する戦線布告と受け取る‼︎貴様如きの命で済まされることではないぞ!」


「はぁ?軍隊長?どういうことだ!ここは、ニンの家だろ!」


軍隊長とは、この国でのオルーと同じ軌頭という地位のことだった筈だ。男からその言葉が出て、オルーは戸惑った。しかし、男にはオルーの言葉が伝わらず、そのまま次の攻撃を仕掛けてくる。素手での相手は厳しいと、いつもの癖でサーベルを抜くために腰に手を当てるが、船に残して来たことに気付き、舌打ちをする。魔法で取り出してもこの距離では間に合わないだろう。


(くそっ、訳わかんねぇが、今は武が悪い‼︎)


オルーは、男からの攻撃を避ける勢いで裸足のまま庭に出ると、門をくぐって全速力で逃げ出した。


 



無我夢中で走り抜け、気付くと裏山の開けた丘まで来ていた。


「っ…はぁ、はぁ、あいつは…来てねぇな」


後ろにはただ木々の黒い影が聳えるだけで、人の気配は無かった。オルーはそれを確認してやっと、冷たい草むらに座り込んだ。

逃げた安堵感は一瞬で消え去り、オルーは男の言葉を思い出していた。


(あそこはニンの家じゃない?軍隊長だと?

なんでニンはあそこに俺を案内したんだ?)


頭には疑問符しか浮かばない。しかし、あの男の様子から、異国の自分をよく思っていないことは明らかだった。ニンや今日会った親子の様子から、頭からすっかり抜け落ちていたが、リキン国は島国という特徴から、国交も少ないため、異国の者をよく思わない人も多いという。


(もしかして、俺は騙されたのか?)


一度その考えが浮かぶと全てのことが繋がった。元々、おかしいと思っていた。初対面なのに、親切すぎる対応。屋敷に着いた後も、他人を家に入れているのに、不用心にも目を離して、出て行ったことも。軍隊長の屋敷に勝手に入ったとなれば、殺されても国は文句を言えないだろう。それどころか、スパイを送り込んだとして、会談どころではなく、戦争にまで発展しかねない。いや、現にそうなっている。


(ニンは、今回の会談を阻止するために俺を利用したのか?)


オルーの脳裏に、ニンの笑顔がよぎる。

育ちから疑心暗鬼な性格であるオルーでさえ、あの笑顔を嘘だと思えなかった。

いや、思いたく無かったのかもしれない。

この遠い国に来て、本当に久しぶりに、オルーはなんでもない時間を過ごした。ニンは何も知らないから、オルーはブリラン家でもない、軍人でもない、ただの人間として接してくれていると思っていた。


たった一時でも、嬉しかったんだ。


(まぁ、それも全部演技だったかけだけど…)


怒りか、悲しみか、分からない感情がふつふつと湧き上がる。片手を強く握りしめたことで草を掴んで、力任せに引き抜き、地面に叩きつけた。


(…知ってたはずだ。誰よりも。この世に、信じられるのは己しかいないと。己の人生を持って)


緩んでいた心を叱咤する。自分の怠惰のせいでこんなことになった以上、軍人として、自分で始末をつけなければならない。

立ち上がり、オルーは自分の胸元の高さまで手を挙げると、魔法を唱えた。


「テンシュウ」


あっという間にオルーは元の軍服姿に戻り、腰には船に置いて来たはずのサーベルがさされていた。


(本当は、濡れた服も魔法を使えばあっという間だった…。そんなことも考えないほど俺、浮かれてたんだな)


ははっと、少し前の自分の馬鹿さに乾いた笑い声をかける。


「別に平気だ。1人なのは、いつものことだからな」


そう言って、オルーはサーベルを鞘から抜いた。

後ろからこちらに向かって走る音は、魔法を唱える前から耳に入っていた。


やがて、足音の主が姿を現す。


その時にはすでに、オルーは軍人として、とっくに覚悟はできていた。


「今日ここで会ったことは、全て無かったことにする。…お前たちを殺して」



オルーの冷たい瞳とサーベルの剣先は、唯一点。


丘に姿を現した、ニンに向けられていた。









「オルー、さん…」


ニンは走って来たからか、荒い呼吸を繰り返し、肩が大きく動いている。


(随分と舐められたものだな。まだ俺を騙せると思っているのか)


「気安く名を呼ぶな。今お前は俺の敵だ。次に呼ぶことがあったらお前の喉を潰す」


「まっ、待ってください。誤解です!オルーさん、話を聞いてください!!」


「…忠告はしたはずだ」


オルーは、土を蹴り上げてニンとの間を詰めるとニンの喉を目掛けてついた。


「っ⁉︎」


「チッ」


ニンは間一髪でそれを避けたが、残った着物の袖にサーベルが刺さり、大きく破けた。

それに構わず、オルーは次の一手をニンの心臓に向けて入れる。


ガッ


「⁉︎」


何か音がした後、オルーの手元が狂い横に逸れる。目だけ動かすと、ニンの手には少し太い木の枝が握られていた。


(まさかあれで、俺の攻撃を受け流したのか⁉︎)


反撃に動揺したその一瞬の隙をつき、ニンはオルーの手首を捻りあげた。


「いっ!!」


手首に走る痛みに思わずサーベルを手放す。


(しまったっ!やられる‼︎)


次に来る攻撃に受け身を取ろうとしたオルーの肩をニンは両手で掴む。


「は?」


ゴチンッ‼︎


次の瞬間、頭に鈍い音が響いた。

オルーの目に、見えなかった星がチカチカとと灯った。頭がクラクラとして、平衡感覚が保てなくなった体はすんなりと地面に腰をつける。


「少しは、頭が冷えましたか?」


星が消えて、僅かに目の焦点があって来た頃、頭上から声が聞こえる。


「頭なんか、とっくに冷えてる…」


「いいえ、全然冷えてません。頭が機能してないから、冷戦な判断ができていないのでしょう?」


「?、どういう…」


「とにかく、話をしましょう。いえ、どうか聞いてください。私たちは戦う必要はないはずです」


そう言いながら、ニンはオルーの前に膝をついて座り、捻った手を優しく包んだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー




「確かに、私もあなたに嘘をつきました」


「…」


広い丘で2人は距離を空けて、並んで座った。

オルーは胡座をかき、足に置いた手に顔を乗せて、ニンとは別の方向を見る。オルーが目を合わせるつもりがないのを察したのか、ニンは黒塗りの空を見上げながらポツリと呟く。


「今回の会談で、リキン国でもサヤンアス国の事は勉強していまして、あなた方の魔法の力に私はとてもワクワクしました。それがあって、あなたに名前を伝える時に、私は考えてしまったのです。今私が本当の名前を教えてしまったら、貴方に警戒心を持たれてしまうのではないか、と」


「本当の、名前?」


聞き捨てならない言葉にオルーはニンに顔を向ける。それに合わせて、ニンも顔をオルーに向けた。


「はい。ご紹介が遅れました。私は、リキン国の軍隊長。ヤクと申します」


「なっ⁉︎お前が、軍隊長⁉︎」


「はい」


ニン、改めヤクは申し訳なさそうに眉を下げる。その顔を見て、オルーは全て自分の勘違いだということに気がついた。


「で、でも何で…その後も黙ってたんだよ」


「言うタイミングを逃してしまったこともありますが…それは言い訳で、本当は異国人の貴方と、外交なんて関係なく過ごせる時間が楽しくて、終わるが惜しいと思ったからです。

…すみません。結局私の我儘で、こんなことになってしまって」


「っ…いや、俺も勝手に判断して、お前に刃を向けた。本気で、殺そうとした。お前の言うとおり、全然冷静じゃなかった…」


「じゃあ、お互いもうチャラにしましょう。…仲直りです」


そう言って、ヤクがオルーに手を差し出す。

しかしその手を、オルーは取ることができなかった。


「無理だ…、俺は…」


オルーの目線は、地面に横たわるサーベルに向けられる。オルーの目線から考えていることを理解したヤクは、今度はオルーの両手を包んだ。


「オルーさんは、どうしたいんですか?もう、私のことは嫌いですか?」


「ち、違う!俺は…お前と、ヤクと仲良くしたい。でも、俺にはその資格がない」


「…オルーさん、そんなに抱え込まなくていいんですよ。そんなに自分を殺さないでください」


「自分を、殺す?」


(そんなことはない。俺は、いつだって自分の道を進んできたはずだ。…本当に?ブリラン家である自分を否定したくて、勝手に周りに壁をつくって、同年代や同僚にろくな友人は出来ず、自分しか信用してこなかった。でも、本当は、寂しかった。でも、父親の言いなりになるのは死んでも嫌だったし、軍に入って地位を手に入れてからは特に信頼できる者も減って、苦しくなるばかりだった。本当の自分を晒すことが怖くて、結果薄っぺらい虚勢だけが大きくなっていって、気付けばもう、後戻りできないほど素直に慣れなくなっていた)


いつしか忘れていた感情が、まるで水中から浮かび上がるように溢れ出す。


「話をしましょう。たくさん。本音で。私は、あなた方のように魔法の力は持っていませんが、言葉はもっているのですから」


辺りがだんだんと照らされ始める。

空には先程まで雲で隠されていた満月がゆっくりと顔を出して、オルーとヤクに斜光をもたらした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「このリキン国では、ここ最近他国とも仲良くしようと言う友好派と、武力で押さえつけようとする武攻派とで対立状態が続いているのです。先程貴方を襲ったのは、私の部下の1人で、彼は根っからの武攻派でした」


肩を並べて座ると、ヤンはポツリポツリと話し始めた。


「彼は若く、血気盛んで、異国人というだけですぐに手を上げる気性の荒さから、しばらく暇を与えていたのですが…。どうやら、納得していなかったみたいですね。よりにもよって、今日貴方と鉢合わせするとは…」


申し訳ありませんと言って頭を下げるヤクにオルーは慌てて否定する。


「別にお前のせいじゃねぇだろ」


「いえ、うちの部下の粗相は私の責任です。私も、気をつけるべきでしたし、何より彼を止めなければならなかった」


ヤクは、やるせない気持ちからか拳を強く握る。そこでようやく、オルーは男が追いかけてこないことに気がついた。あの男は、刀を持ってこんな夜にヤクの屋敷に訪れた。その狙いはおそらく…。そして今、ここにヤクがいるという事実から、オルーは全てを察して、それ以上深くは追求しなかった。


「ヤクは、どうなんだ?」


「え?」


「その…俺たちのこと、どう思ってる?」


オルーの質問に、ヤクは少し瞳を大きくしたが、すぐに優しく微笑んだ。


「前にも申し上げましたが、私は、あなた方の国にとても興味があるのです。今日、貴方と会っただけでも、こんなに楽しかったのです。きっと、貴方の国に行けばもっとワクワクするのでしょうね」


「ヤクだったら、興奮しすぎて気絶しそうだな」


「流石にそんなことは…ありえるかもしれません…」


「否定しないのかよ」


オルーとヤクは、顔を合わせて笑い合った。


「私は、軍隊長という地位にありますが、できることなら戦いなどしたくありません。部下が傷つく姿は見たくありませんし、他国には学ぶべきことが沢山ある。戦いに財力を使うことほど無駄なことはありません」


「…そうだな」


オルーはサヤンアス国を思い浮かべる。発展した今はないものの、陸続きで地理的に近い国とはかつて争い事が絶えなかった。それらの戦いで多くの軍人が犠牲になったことは、今でも悲劇として学校の教科書に載せられている。

あれから時が経ち、サヤンアス国の力バランスが崩れている状況で、再び築き上げて来た平和が壊されようとしている。

戦いで、いつも被害を被るのは国民だ。


「今回の会談、俺たちで成功させよう」


「…」


今度は、オルーからヤクの手を取った。


「俺たちで、サヤンアス国とリキン国を、繋ぐんだ」


「…えぇ、必ず」


多くの人にとっては何でもない夜。

2人の国を超えた友情が、満月の光を浴びながら芽を出した。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「軌頭‼︎ご無事でしたか⁉︎」


翌日、始発の電車に乗ってオルーは、会談場所であったアズマショウに到着した。

そこには既にオルー以外の渡航チームが揃っており、オルーに気がついたトッツォが駆け寄って来た。


「まぁ、天は俺を見離さなかったみたいだ。

まだ、やらなきゃいけないことがあるらしい」


「当たり前じゃないですか。貴方には会談に参加してもらわなければ…その頬の傷は?」


「ん?あぁ、海に投げ飛ばされた時に切ったみたいだ。かすり傷だし、問題ない」


「そうですか…というか、どうやって助かったのですか?それに、ここまでどうやって、」


「待て待て、一気に喋るな。…偶々親切な船長に拾ってもらってな。昨日はその人の家に泊まらせてもらって、道だけ聞いてこっち来たんだよ」


「それは、後でその方にお礼をしなければ…」


「いや、それには及ばない。ちゃんとお礼の品は渡したさ。それより、いよいよ会談はどうなった?」


「はい。貴方が海に沈み、会談は中止するべきかとも考えましたが、ここまで来た以上何もしないで帰るわけにもいかず、予定通りにリキン国に漂着しました。最悪貴方が来れないときは、私が代わりにと思っていましたが…。それはもう必要なさそうですね」


「あぁ。トッツォ、俺が留守の間よくやってくれた」


「…光栄です」


「よし。じゃあ行くか。…これからの話をしに」




続く

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