EP 7
空になった五つのカツ丼の器が、光の粒子となってフワリと消滅していく。
ダーナ村のココット家には、かつてないほどの満足感と、ほんのりとした出汁の余韻が漂っていた。
「なるほど……」
食後の薬草茶をすすりながら、サンガが太い腕を組んで深く頷いた。
「ヨシキ殿の『丼マスター』というスキルは、ただ念じれば発動するものではない。先ほど広場でロードの傷を治療した際、ポイントとやらが貯まったと言っていたな?」
「左様でござる。あの頭の中に直接響くシステム音声……『治療を確認、100ポイント加算』と確かに聞こえたでござるよ」
良樹は満腹になったお腹をさすりながら、先ほどの現象を振り返った。
「分かったわ! ヨシキさんのこれからするべき事が!」
ポンッ! とルナが手を打って立ち上がった。その銀色の髪がサラリと揺れる。
「ヨシキさんのスキルを使うには『善行』が必要。そして一番分かりやすくてポイントが高いのが、困っている人や怪我をしている人を『治療』することなのよ!」
「ち、治療でござるか?」
良樹がパチクリと瞬きをする。
「その通りだ、ルナ!」
サンガがガタッと椅子から立ち上がり、良樹の肩をガシィッと掴んだ。あまりの力に良樹の肩の骨がミシッと鳴る。
「善行とはつまり人助け! そのためにヨシキ君は、自ら進んで医療従事者となる必要がある。無私の心で村人や怪我人を救う……つまり、聖人のような生き方になるのだ!!」
「せ……拙者が、聖人に!?」
良樹の脳内に電撃が走った。
『聖人』。それはファンタジー世界において、絶対的な光の象徴であり、民衆から崇められる存在。
(フフフ……宵闇の魔眼を持つこの俺が、あえて光の聖人として振る舞う。いわば『堕天使の贖罪』……! ギャップ萌えというヤツでござるな! 悪くない……いや、最高にクールでござる!)
中二病の妄想が爆発し、良樹の口角がニヤリと吊り上がる。
しかし、現実問題として彼はただの経済学部生である。医学の知識など、コンビニで絆創膏の品出しをした経験くらいしかない。
「でも、拙者は医療の知識なんて……」
良樹が呟くと、今まで静かに微笑んでいたユキナが、スッと手を挙げた。
「まぁ、それでしたら私が治療法を教えてあげるわ」
ユキナはふわりと笑いながら、とんでもないことを言い出した。
「私、若い頃は教会の僧侶様のお手伝いをしていたの。だから、医術や薬草の調合にはそこそこ詳しいのよ? お父さん(サンガ)が最前線で死にかけた時も、私が看病して治してあげたくらいだもの」
「おお! そうであったな。ユキナの医術は帝国軍の軍医にも引けを取らんぞ!」
サンガが豪快に笑う。ルナの薬草栽培の才能も、この母親譲りなのだろう。
「ほな、決まりやな」
縁側で日向ぼっこをしながら爪楊枝(木の枝)を咥えていたロードが、ニシシと笑った。
「ヨシキはんは、ユキナはんのしごき……いや、指導を受けて皆を助ける。ポイントを稼いで極上の丼で腹を満たし、さらに村人からは感謝される。最高に効率のええ、ええトコ取りの人生になりますがな!」
「うむ! 拙者が聖人に……なる! なるでござる!」
良樹はビシィッと天を指差し、高らかに宣言した。
「我が血肉となる究極の丼のため、この身を医療という名の戦場に捧げようぞ!」
こうして、中二病の青年による「不純な動機(牛丼)から始まる聖人伝説」が幕を開けたのである。
――翌日から。
ダーナ村の小さな教会に併設された診療所に、良樹の悲鳴が響き渡るようになった。
「ひぃぃっ! 血! 血が出てるでござるよユキナ先生!」
「はいヨシキちゃん、慌てない。まずは『陽薬草』をすり潰して、患部にしっかり押し当てて。魔力を流し込むイメージよ」
「魔力なんてないでござるぅぅ! 物理で押し込むしかないでござるぅぅ!」
良樹は、真っ白なエプロン(神官服の代わり)を身に纏い、村の木こりや狩人たちが持ち込む擦り傷、切り傷、打撲の処置に追われていた。
牛丼屋のワンオペ夜勤で鍛えられた「作業の正確さとスピード」は、意外にも医療の現場で大いに役立った。言われた薬草を瞬時に調合し、包帯を凄まじい速度で巻いていく。
『ピコン。包帯の交換を確認。善行ポイント【1p】を加算します』
『ピコン。吐瀉物の清掃を確認。善行ポイント【5p】を加算します』
『ピコン。重度の裂傷の止血・治療を確認。善行ポイント【50p】を加算します』
頭の中で鳴り続けるシステム音声。
(くっ……血まみれの包帯を洗うのが1ポイントで、縫合の手伝いが50ポイント……! まるで底辺ブラック労働でござるが、ポイントが貯まっていくこの快感……! ソシャゲの周回プレイに似ているでござる!)
良樹の目は、疲労の中にも異様な輝きを帯びていた。
「次! 次の患者はどこでござるか! 拙者の慈愛を求める迷える子羊は!」
「ヨシキさん、すごい気迫ね……」
薬草を運んできたルナが、汗だくで包帯を巻く良樹を見て感心したように呟く。
「ホンマやで。あの兄ちゃん、丼の事となると修羅のような集中力発揮しまんなぁ」
ロードが呆れたように尻尾を振った。
数日間の過酷な医療(という名の下働き)労働を経て、良樹の善行ポイントはついに「1000p」を突破した。
彼はその夜、師匠であるユキナへの感謝を込めて、新たな丼を召喚した。
「ユキナ先生……連日のご指導、感謝の極みでござる。これは拙者からのほんの気持ち……『ネギ玉牛丼(特盛・つゆだく)』でござる!」
「まぁ……! これがヨシキちゃんがずっと言っていた、ギュウドン……! 甘いお肉の匂いと、このシャキシャキしたネギがたまらないわね。いただくわ」
ユキナが微笑みながら一口食べ、そのあまりの美味しさにポロリと涙をこぼしたのを見て、良樹は心の中でガッツポーズをした。
(フフフ……村の胃袋と医療、両方を支配する日も近い……! 拙者の覇道はここから始まるでござる!)
こうして、「牛丼を出すために必死に人助けをする聖人」という、アナステシア大陸でも類を見ない奇妙な英雄が誕生しつつあった。




