EP 3
鬱蒼とした森を抜け、良樹たちが辿り着いたのは、木造の素朴な家々が立ち並び、のどかな土の香りが漂う「ダーナ村」だった。
村の中心近くにある一際大きな家。そこが、自警団長を務めるサンガ・ココットの自宅だった。
「よくぞルナを助けていただいた。改めてお礼を申す、ヨシキ殿!」
「本当に……大事な娘を助けていただいて、ありがとうございますね」
暖炉に火が灯る温かなリビングで、丸太のように太い腕を組んで深く頭を下げるサンガと、その横で優しく微笑む妻のユキナ。元百人隊長という恐ろしい経歴を持つサンガの家だが、ユキナの存在がその空気をとても穏やかなものに中和していた。
(い、いってぇ……!)
良樹はこっそりと自分の頬を強めにつねった。
森の中での一幕に続き、本日二度目の現実確認である。ジンジンと痺れる痛みが、これが夢やVRゲームの類ではないことを容赦なく突きつけてくる。
「ヨシキさんは、どこから来たの?」
ルナが、良樹の色あせたパーカーとジーンズという異質な服装を興味深そうに見つめながら小首を傾げた。
「え、えっと……拙者は『日本』って所から来て、ふざけたジャージ姿の女神から異世界に飛ばされ……あ、そうだ、スキル! スキルを貰ったんでござるよ!」
自分で言いながら、良樹は薄れかけていたコタツ部屋での記憶を必死に反芻した。
(何だっけ……魔眼でも暗黒剣でもなく……丼……そう、『丼マスター』とかいうふざけた名前の……!)
「ほう! ヨシキ殿は『スキル持ち』なのか! それは珍しい!」
サンガが目を丸くして身を乗り出した。アナステシア世界において、生来のユニークスキルを持つ者は非常に稀であり、大抵は英雄や国を動かすほどの人物になるからだ。
「どんなスキルなの!? 見たい見たい!」
ルナも目を輝かせて身を乗り出してくる。
(……いける! ここは『謎の力を持つ凄腕の異邦人』としてマウントを取るチャンスでござる!)
村の英雄であるサンガと、絶世の美少女ルナからの熱い眼差し。良樹の中に眠る中二病の血が、マグマのように沸騰した。
彼はスッと立ち上がると、右手で顔の半分を覆い、低く、あえてドスを効かせた声で高らかに宣言した。
「フハハハ……! 良かろう! 貴様ら、我が内に眠る深淵を覗きたいか! ならば見せてやろう……我が前に出でよ!! 『丼マスター』あああぁぁッ!!!」
良樹は、右手を天高く突き上げた。
眩い光と共に、究極の兵站にして伝説のオーパーツ『ネギ玉牛丼(特盛)』がテーブルの上に顕現する――はずだった。
…………。
…………シーン。
暖炉の薪が、パチッと爆ぜる音だけが室内に響いた。
「……あれ?」
良樹は突き上げた手を見つめた。何も起きていない。牛丼の匂いすらしない。
「『丼マスター』ぁ? 拙者の丼マスターは? お〜い、もしも〜し?」
ブンブンと手を振ってみるが、空気は微塵も揺れない。
その時だった。良樹の目の前にだけ、深夜の牛丼チェーン店で見慣れた「券売機のタッチパネル」のような半透明のウィンドウがフワリと浮かび上がった。
そこには、無機質な明朝体でこう書かれていた。
【システム:ポイントが足りません】
「……ポイント? 何それ?」
良樹が間抜けな声を漏らすと、脳内に直接、あの芋ジャージ女神の録音音声らしき気怠いアナウンスが響いた。
『あー、テステス。丼を召喚するにはポイントが必要になります。ポイントを貯めるには、世界のため、人のために良い事をして下さい。怠けたら餓死するからねー。じゃ、そういうことで』
プツン、と通信が切れるような音がした。
ウィンドウの右上には、絶望的な数字が輝いている。
【現在の善行ポイント:0 p】
(※牛丼並盛:100 p)
「良い事……」
良樹は突き上げていた手を力なく下ろし、膝から崩れ落ちた。異世界に来てまで、無給で労働を強いられるというのか。
「だ、大丈夫よ! ヨシキさん!」
沈黙に耐えかねたルナが、慌ててフォローに入る。
「不発だっただけで、きっとすごい力が眠ってるのよ! 気を落とさないで!」
「そうだとも! ヨシキ君!」
いつの間にか「ヨシキ殿」から「ヨシキ君」へと呼び方が格下げされたサンガが、哀れむような目で良樹の肩をポンッと叩いた。
「ポイント? とやらを貯めれば良いんじゃないか! 明日からワシが自警団の訓練で、たっぷり体を鍛え直してやるからな! ハッハッハ!」
「そうよぉ。ほら、特製の『陽薬草茶』でも出しますから。そんなに落ち込まないでね、ヨシキちゃん」
ユキナに至っては完全に「迷子の可哀想な子供」を見る目になり、温かいお茶と、ほんのり甘い「太陽芋」の蒸し芋をそっと差し出してくれた。
(あ、圧倒的な善意……! 哀れみ……! 拙者、完全に『ちょっと頭が可哀想な村の居候』扱いでござる……!)
魔眼の経済学者のプライドは完全にへし折られた。
良樹は正座の姿勢に戻ると、湯気の立つ薬草茶を両手で包み込み、牛丼屋の深夜シフトで見せる、一番腰の低いトーンで深く頭を下げた。
「はい……。ありがとうございまする……」
こうして、伝説のスキルを持ちながら初日は「0ポイント」で何も出せなかった佐須賀良樹の、ダーナ村での居候(という名の下働き)生活が幕を開けたのである。




