EP 13
社畜、水竜に出会う。~唐突なるエンドコンテンツと究極の薬味~
「ば、馬鹿な……。これは悪い夢でござる。拙者はちょっと、ほんのちょっと医院のブラック労働をサボりたかっただけで……どうして水竜退治なんていう、エンドコンテンツに放り込まれているのでござるかァァァッ!!」
ルミナス帝国の東に広がる、霧に包まれた広大な『セレス湖』。
そのほとりで、佐須賀良樹は鉄の剣を両手で握りしめ、生まれたての小鹿のように膝をガタガタと震わせていた。
一週間ぶっ通しの昼夜ワンオペ労働で、精神はすでに死に体だ。気晴らしの魔物退治(スライムとかコボルト希望)のはずが、なぜか受付嬢の笑顔と共に渡されたのは、難易度:災厄級の『水竜討伐依頼』。
「ガハハ! 何をガタガタ言ってやがる、ヨシキ! 帝都の雑魚狩りじゃあ生温かったんだ。久々に骨のある相手で、アタイは今、最高に“キマって”るぜ!」
良樹の隣では、牛耳族の重戦士モウラが、自身の身長ほどもある鎖付きの片手斧と、禍々しいスパイクが付いたメイスを両手に構え、鼻息を荒くしていた。その褐色の肌からは、爆発寸前の『闘気』が陽炎のように立ち昇り、周囲の空気をピリピリと震わせている。
「左様ですなぁ! ワイも帝都で屋台引くばっかりで、竜族(ルビ:同族)としての威厳がすり減っとりましたんや! 今日こそはワイの『メガ・フレア』で、あいつをこんがり丸焼けの蒲焼きにしたるさかいな!」
ロードも屋台の牽引棒から解放され、強靭な四肢で大地を踏みしめ、喉の奥から炎を漏らしながら咆哮を上げる。
「あぁ、楽しみ! 伝説の『セレス湖の水竜』……その鱗、お父さんへの良いお土産になりそう!」
ルナも愛用の弓に新たな風属性の魔法矢を番え、目を輝かせてやる気満々だ。
「なんで……なんでこの人達は、こんなに殺る気高いんでござるか!? 竜でござるよ!? この世の終わりの象徴でござるよ!? おかしい……異世界人の精神構造は、絶対に何かがおかしいでござるぅぅ!!」
良樹の魂の叫びが、霧深い湖面に虚しく木霊した。
その時だった。
ゴオォォォォォォッ!!!
セレス湖の中心が、爆発したかのように盛り上がった。
凄まじい水しぶきと共に姿を現したのは、全身をサファイアのような蒼い鱗で覆われた、全長数十メートルに及ぶ巨大な水竜だった。
「グルァァァァァァァッ!!!」
水竜が咆哮を上げると、その音圧だけで周囲の木々がなぎ倒され、湖面には巨大な高波が巻き起こる。その圧倒的な質量と存在感に、良樹は心臓が止まるかと思った。
「よしッ! 来やがったなぁッ!!」
だが、モウラは恐怖するどころか、飢えた肉食獣のような笑みを浮かべて地面を蹴った。
「オラァッ!! 魔牛流、捕縛術ッ!!」
モウラは空中で鎖付きの片手斧を鞭のように振るい、凄まじい精度で水竜の長い首に鎖を巻き付けた。
「ギシャァッ!?」
「アタイが先陣だ! 舐めんじゃねぇよ!!」
モウラは鎖を強引に引き、水竜の巨体を足場にするようにして、その背中へと一気に駆け上がった。
彼女は左手に持ったメイスに全身の闘気を一点に集中させ、黄金色に輝くオーラを纏わせる。
「オラッ! くらいなァッ!! ブル・インパクトォォォッ!!!」
ドッゴォォォォォンッ!!!
落雷のような轟音と共に、闘気を纏ったメイスが水竜の胴体にクレーター状の衝撃波を生み出し、その蒼い鱗を粉砕した。
「グギャァァァァッ!?」
水竜が苦悶の悲鳴を上げ、巨体をのたうたせる。
「よっしゃ! 姉御に続けッ! ワイの大火炎、食らいなはれやァッ!!」
ロードがその巨口を開き、モウラがメイスで穿った鱗の剥き出しの傷口を目掛けて、太陽の表面温度に匹敵する灼熱の火炎球を放った。
ゴォォォォォッ!!
炎が傷口に直撃し、水竜の肉が焼ける凄まじい匂いと蒸気が立ち昇る。
「ルナ・ショット!!」
ルナが放った風の魔法矢が、炎によって脆くなった傷口をさらに深く、えぐるように貫通していく。
完璧な連携。圧倒的な暴力。
しかし、水竜はこれほどの猛攻を受けてもまだ、その生命力を失ってはいなかった。
「シャァァァァッ!!」
水竜は怒りに狂い、口から高圧の水流ブレスを吐き出しながら、尻尾で周囲をなぎ払う。
「ひぃぃぃっ! 無理無理無理! 拙者の『丼マスター』じゃあ、あんな化け物に醤油ぶっかけるくらいしかできないでござるぅぅ!」
良樹が岩の陰でガタガタ震えていると、ルナが彼を振り返った。
「さぁさぁ! ヨシキさんも、続いて! 特大の丼で、トドメを刺すのよ!」
「な、何言ってるでござるかルナたん!? 丼で竜を倒すとか、どんなクソゲーの設定でござるかァッ!?」
「甘えちゃダメ! ヨシキさんが稼いだポイント、今使わなくてどうするの!」
「うわああぁぁん! 女神のバカヤローーーッ!! こうなったらヤケでござる! 出でよ、拙者の全ての労働の結晶ォォォッ!! 丼マスターあああああァァァッ!!!」
良樹が絶望と共に右手を天に突き上げた。
カッ!! と、戦場に光が溢れ……。
ポンッ。
「……え?」
良樹の前に出現したのは、これまでの特盛牛丼やカツ丼のような、食欲をそそる匂いのする丼ではなかった。
それは、ご飯の上に、緑色の物体がこんもりと、それはもう親の仇かというほど山盛りに盛られた、異様なオーラを放つ一杯。
『特上・わさび丼(※ご飯:わさび=1:9)』。
(ルチアナ女神作、ブラックリスト社畜専用・究極の目覚まし(制裁)丼)
「…………これで、どうしろと」
良樹は、立ち昇るだけで鼻がツーンと辛味で痛くなるその丼を見つめ、虚無の表情を浮かべた。
「もうっ! 何でも良いから、投げなさいよ!」
ルナが叫ぶ。
「……もう、ヤケでござるぅぅッ! くらいやがれ、女神の制裁ォォォッ!!」
良樹は、持っていたわさび丼を、野球のピッチャーのような無茶苦茶なフォームで、ちょうどロードのブレスを防ごうと口を開けた水竜の口内に目掛けて、全力で投げつけた。
――スッポォォォン。
わさび丼は、吸い込まれるように水竜の巨大な口内へと消えていった。
「「「…………え?」」」
モウラ、ルナ、ロードの動きが、一瞬だけ止まる。
良樹自身も、自分の行動にポカンとしていると、数秒後。
「……………………ッ!!!!!????」
水竜の動きが、劇的に止まった。
その蒼い顔が、さらに真っ青……いや、緑色に変色していく。
「グル……ギャ……ァァァッ!?? 鼻がッ! 鼻がツーンとッ! 目がァァァッ!! 喉がァァァァッ!! ツォォォォォォォォォォォッ!!!!!」
水竜は、これまで受けたどの攻撃よりも苦悶に満ちた、涙と鼻水を撒き散らしながらの、前代未聞の絶叫を上げた。
わさびの成分が竜族の鋭い嗅覚と味覚、そして粘膜をダイレクトに攻撃し、水竜は完全に悶絶。その巨体を無様にのたうち回らせ、湖の底へと顔を突っ込んで苦しみ始めた。
「……な、なんや、あの威力は……。ワイも竜として、同情を禁じ得んわ……」
ロードが、冷や汗を流しながらドン引きしている。
「フフッ……! チャンスよ!」
ルナは、水竜が苦悶のあまり完全に無防備になったその瞬間を、見逃さなかった。
彼女は愛用の弓を極限まで引き絞り、自身の全『闘気』と、風属性の魔法を極限まで矢に纏わせる。矢の周囲の空間が、強烈な魔力で歪み始めた。
「これですべて……終わりにするわ! 必殺!! ルナ・アローォォォォォッ!!!」
ルナの手から放たれた矢は、音速を超え、わさびで悶絶する水竜の、モウラが砕き、ロードが焼いたその傷口の中央へと、光の筋となって真っ直ぐに突き刺さった。
――ドォォォォォォォンッ!!!
水竜の胎内で闘気が爆発し、蒼い巨体が最後の一際大きな悲鳴を上げると、そのまま力なく湖面へと崩れ落ち、静寂が訪れた。
「「やったあああああぁぁぁッ!!! 水竜討伐完了だぜぇッ!!」」
モウラとロードが、沈黙した巨ガニ……ではなく巨竜の前で、ハイタッチを交わし、歓喜の声を上げる。
「ふぅ……。凄まじい手応えだったわ」
ルナも、額の汗を拭い、やり遂げたという笑顔で良樹の元へ駆け寄った。
「ヨシキさん! ありがとう! ヨシキさんのあの、謎の緑色の丼(わさび丼)のおかげで、水竜の動きが止まったわ! あなたこそ、陰の功労者よ!」
「……ひぐっ……ひっく……」
一方の良樹は、岩の陰でペタンと座り込み、泥と恐怖と、自分から漂いわさびの匂いにまみれながら、枯れた涙を流していた。
「……拙者が……まぐれで投げたわさび丼が……竜を……? ……もう嫌でござるぅぅ……。拙者は医院の社畜に戻るでござるぅぅ……。リドガー先生の怒号の方が、まだ慈愛に満ちているでござるよぉぉ……」
良樹の悲痛な叫びは、水竜を討伐した英雄として称賛する仲間の歓声にかき消されていった。
中二病の覚醒も、勇者への進化も、そこにはない。ただの社畜が、異世界の狂気に満ちた生態系に、偶然とわさびの力で勝利してしまったという、凄まじい勘違いと受難の記録だけが、また一つ刻まれたのであった。




