EP 12
そして、良樹の帝都での社畜生活は、血と汗と出汁の匂いに塗れながら、丸一週間続いた。
昼間はリドガー医院で、荒くれ者たちの生々しい傷跡に薬草をすり込み、怒号に耐えながら包帯を巻く。
『ピコン。止血を確認。善行ポイント【5p】加算』
というシステム音だけが、彼のすり減った精神を辛うじて繋ぎ止める命綱だった。
そして夜は、モウラに首根っこを掴まれて中央広場へと連行され、『丼亭よしき』の厨房(カウンターの奥)で、目を血走らせながらひたすらに丼を召喚し続ける。
「へいおまち……。特盛つゆだくネギダク、一丁あがりでござる……」
良樹の目には深いクマが刻まれ、その口調からは中二病の覇気が完全に失われていた。
もはや『宵闇を統べる魔眼』などと名乗る気力すらなく、ただ機械的にポイントを消費し、ルチアナ円(現金)へと変換していく悲しき丼製造マシーンと化していたのだ。
ついには、ふかふかの天蓋付きベッドで眠っている時でさえ、
「いらっしゃいませぇぇ……! おかわりは百円引きでござるぅぅ……!」
と、虚ろな目で寝言を叫びながら、見えない丼を両手で差し出す夢まで見る始末だった。
日に日に顔色が悪くなり、暗く沈み込んでいく良樹。
「う〜ん……」
見かねたルナが、屋敷の応接室で円卓を囲みながら、腕を組んで思案顔になった。
「ヨシキさん、このままだと過労で倒れちゃうわね。お医者さんの助手と屋台の掛け持ちは、やっぱり無茶だったのかも」
「せやな。ワイらが昼間、簡単な依頼で稼いどるのが申し訳のうなってくるわ」
ロードも、申し訳なさそうに太い尻尾を丸める。
「……なぁ、ヨシキ」
ルナが、テーブルに突っ伏してピクピクと痙攣している良樹の肩を優しく叩いた。
「ヨシキさんのスキルの源である『善行ポイント』って、別に怪我人の治療だけじゃないよね? 困っている人を助ける……つまり、『魔物退治』だって立派な人助けのはずよ。村の防衛戦や、キングクラブの時みたいに」
「えっ……」
良樹が、ピクッと顔を上げた。
「ずっと医院に引きこもってるから気が滅入るのよ! たまには外の空気を吸って、私たちと一緒に冒険者ギルドの依頼(魔物退治)でポイントを稼ぐ? そうすれば、少しは気晴らしになるんじゃない?」
ルナが、元気よく提案する。
「するする! するでござる!!」
良樹は、弾かれたように円卓から身を乗り出した。
「もう一日中、リドガー先生の怒鳴り声と血の匂いを嗅ぎ続けるのは嫌でござる! 拙者も外に出るでござる! 一人で(ブラック職場に)置いていかれるのは嫌でござるぅぅ!」
良樹はルナの細い両手をガシッと握りしめ、涙ながらに懇願した。
「わ、分かったわ。じゃあ、今日は医院はお休みをもらって、一緒に行きましょ!」
ルナが苦笑いしながら頷いた。
数十分後。
四人は、活気に満ちた『冒険者ギルド・帝都本部』の巨大な扉をくぐっていた。
「おぅ、姉ちゃん。今日はアタイらAランクの腕に見合う、とびきり面白い依頼を出しな!」
モウラが、受付カウンターにドンッと丸太のような腕を突き、受付嬢に凄んだ。彼女も、連日のゴブリンやスライムといった雑魚狩りに、フラストレーションが溜まっていたのだ。
「い、いつもご利用ありがとうございます、モウラ様!」
受付嬢が、慌てて分厚い依頼書の束をパラパラと捲る。
「面白い依頼……あ、それでしたら、先日帝都の東にある『セレス湖』で目撃情報があった、水竜退治なんて如何ですか?」
「…………え?」
良樹の動きが、完全にフリーズした。
「水竜、でござるか?」
良樹が、震える声で聞き返す。
ゴブリンやコボルトといった「ちょっとヤバい野生動物」レベルの討伐を想像(期待)していた彼の耳に、ファンタジーの頂点に君臨する『竜』という単語が飛び込んできたのだ。
「おっしゃ! それはオモロイですな!」
しかし、隣で話を聞いていたロード(賢竜)が、バチンッ! と尻尾で床を叩いて歓喜の咆哮を上げた。
「ワイら竜種の中でも、水竜はなかなか骨のある同族やで! 久々にワイの火炎も本気で吐けそうや!」
「わぁ! 本格的な冒険ね! 帝都の近くにそんな大物がいるなんて、楽しみ!」
ルナも目を輝かせ、愛用の弓の弦をピンッと弾いてやる気満々だ。
「よっしゃ! 腕が鳴るぜ! その水竜退治、アタイらが引き受けるぜ!」
モウラが、受付嬢から高ランクの依頼書をひったくるように受け取り、豪快な笑い声をギルド中に響かせた。
「畏まりました! モウラ様、ロード様、ルナ様、そして……えっと、ヨシキ様ですね。ご武運をお祈り申し上げます!」
受付嬢が、深々と頭を下げる。
「は……」
良樹の口から、乾いた空気が漏れた。
「はあああぁぁぁっ!? 何故、拙者が水竜退治なんていうエンドコンテンツに行かなきゃならんのでござるかああぁぁぁっ!!?」
良樹の魂からの絶叫が、冒険者ギルドの分厚い石壁を震わせた。
「魔物退治でござるよ!? 普通、スライムとか、はぐれコボルトとか、そういう『安全にポイントを稼げる』やつじゃないんでござるか!? 竜って、拙者の『丼マスター』でどうにかできるレベルを超越してるでござるぅぅ!!」
「何をガタガタ言ってやがる、ヨシキ! アタイらが守ってやるから、お前は後ろで大人しく震えながらポイント(経験値)だけ吸ってりゃいいんだよ!」
モウラが、泣き叫ぶ良樹のパーカーの首根っこをガシッと掴み、俵担ぎ(本日二度目)にして、ギルドの出口へと大股で歩き出した。
「いやあああぁっ! 降ろして! 拙者は医院に帰るでござる! リドガー先生の怒号が恋しいでござるぅぅ!!」
「あははっ、ヨシキさんってば、また照れ隠しで冗談言って〜! さぁ、セレス湖へ出発よ!」
ルナが、無邪気な笑顔(と全く噛み合わない状況認識)で、モウラの横をスキップしながらついていく。
かくして。
社畜生活(ブラック医院)からの逃避を試みた良樹は、最悪の難易度を誇る『水竜討伐』という名の、究極の命懸けのレジャーへと引きずり込まれることになったのである。




