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りすく屋のクスリ  作者: TOMMY


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8/13

常識無効薬

気づいたときには、すでに仕事をしていた。

僕の指はキーボードの上を迷いなく走り、画面には意味のあるはずのコードが並んでいる。


息をしていないことに、しばらく気づかなかった。

苦しくない。胸も上下しない。ただ、それが当たり前のように感じられた。


洋服のデザインに関わる仕事。

正確には、その裏側。形ではなく、仕組みを作る。最新技術を縫い込むプログラマー。


頭の中で、自分自身を定義する。

そうしなければ、思考の輪郭が崩れ、何もない空白に落ちてしまう気がした。


普通じゃない。

けれど、そう思い起こすことさえ、今の僕には必要だった。記憶抹消薬を口の中からつまみ出した。その記憶が、今までの記憶を侵食していた。


「部長、デザインプログラムの実装が完了しました。確認をよろしくお願いします」


部長は視線だけで頷くと、忙しそうにヘッドセットを頭につけた。


部長は引き出しから小袋を取り出し、口に含む。そのパッケージにはストレス緩和チョコと書かれていた。


僕は自席に戻り、同僚の机を見た。

そこにはエナジードリンクの空き缶が散乱していた。

遠くの席の知らない人は、黄色い錠剤を手にしていた。


誰もが、何かを、口にしていた。

それが薬かどうかを、気にする者はいなかった。


言われた仕事を遂行するのは、常識。

毎日会社に向かうのは、当たり前。

一年の八割を社会に服従するのは、一般的。

体調が悪いとき薬を飲むのは、普通。


僕は机から箱を取り出して、ひと粒飲んだ。

特に何も感じなかった。


会社帰り、りすく屋がそこにあった。

クスリに対する恐怖は、あっという間に薄れていた。むしろ今は飲むことが”当たり前”とさえ思えた。


「何を飲めば……」

そのつぶやきは棚の中に消えた。


棚の奥に、いつもと雰囲気が違う目玉があった。今日の老人はどこか静かな雰囲気だった。僕の顔は少しだけ緩んだ気がした。


店内のクスリを吟味していると、奥から老人の声が聞こえた。

「探しものは、これだろう?」


老人は一つの箱を僕に差し出した。

その箱に書かれた名前を見る。僕の鼓動は静かに跳ねた。


「常識無効薬」


僕はそれを見た瞬間、目の前が真っ白になった。

時間が止まったかのように頭の中を思考がかけめぐった。


今までの人生。

社会での行動。

朝起きてから夜寝るまで。


僕は、常識の奴隷だった。


「……それ、です」


僕は財布をそのまま、棚に置き、老人に会釈した。

そしてりすく屋の扉を出た。僕は無意識に箱からクスリを取り出していた。白い錠剤が月明かりに溶けた。


──「遅刻して、何の連絡もなしか?」


僕は、淡々と言った。


「昨日夜遅かったので、寝ていました」

それ以上、説明する理由が思い浮かばなかった。


部長は僕の顔を睨みつけていた。

僕は自席につくと、仕事をはじめた。


カタカタとプログラムを作る。

この会社に必要なこと。人を助けることを。

休憩時間も会議の時間も関係ない。


僕がそこにいなくても、会社は回る。

だから問題ない。


僕はプログラムをアップロードした。

洋服のデザインが作りやすくなるシステムではない。

デザインに対して匿名で評価できるシステム。

この会社のデザインだけではない。

世の中のすべての洋服を評価することができるシステム。


その積み重ねが、真にいいデザインが生まれると僕は思った。


僕は、評価に感情を混ぜなかった。

それが一番、公平だと思った。


時計の針はまだ、業務時間を指していた。けれど、僕は会社を後にした。雑務も最低限こなした。帰っても問題ない。


僕は自由を謳歌した。

心が軽い。今日は何にも、縛られることはなかった。


でも……クスリがなければ、この世界は虚無だ。


僕はまた、常識無効薬をひと粒飲み込む。頭が透明になる。さらにカバンから様々なクスリを取り出した。そしてそれをひと粒ずつ飲んだ。


すると、頭の中が、ゆっくりと壊れた。

でも、それでよかった。

感情が溢れてくる。

悲しみ、怒り、焦り、笑い、驚愕。

顔の表情が、定まらなかった。


すると、背後から冷たい声が聞こえた。


「楽しそうで、何よりですわね」


僕は振り返った。

そこには、冷たい表情の女性が立っていた。ブランドの鞄に、華やかなワンピースを着こなしている。僕に構わず、続けて口を開いた。

しかし、身体の向きと顔の表情が違う気がする。まるでその口は、彼女の意思に反して動いているかのように見えた。


「私にも、その顔から溢れ出る感情を分けてもらえないかしら。私、感情を失ってしまったの……」

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