副作用
──頭が痛い。朝日がカーテンから漏れていた。
私は机まで歩き、引き出しから箱を取り出した。
「頭痛成薬」
錠剤の数が減っていないことを見て、納得する。
「これを飲んだわけじゃないのね」
私はそれを箱だらけの机の引き出しに押し込んだ。
部屋のカーテンを開ける。朝日が優しく包み込む。庭の木は生い茂り、鳥たちは今日も自由を謳歌していた。
……何も思わない。
いつもは心が温まるのに。
私は鞄から皮肉吐き薬の箱を取り出した。
注意
他者に不快感を与える可能性がある
大量摂取により、たぶん感情が希薄になる
「……ふうん」
それが何を意味するのか、よく分からなかった。
ただ、今の私の頭に浮かぶのは、どす黒い皮肉ばかりだった。
──コンコンと部屋のドアが鳴った。
「お嬢様、朝のお支度の時間です。お父上様がお呼びです。
気分は……落ち着きましたか?」
私は口を開いた。
「そんなこと分かっているわ。それくらい察してくれないのかしら」
言葉が、するりと出た。
出てしまってから、胸の奥がわずかに軋んだ。
執事の足音は、返事もなく遠ざかっていった。
今の言葉が何を意味したのか、私はまだ分からなかった。
朝の支度を済ませ、パパの書斎へ向かう。
どうせ、昨夜のことで叱られるのだろうと思っていた。
けれど、パパの言葉は予想と違った。
「いやー、素晴らしい。
ちゃんと自分の気持ちを言えるようになったんだね」
私は、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「あんな男と会食させてしまって悪かった。
実はね、パパもあの社長のやり方は間違っていると思っていたんだ」
胸の奥に、冷たいものが落ちた。
「……私が、あんなことを言っても?」
「うん。むしろ、よく言ってくれたよ」
パパは続ける。
「会社からも連絡があってね。
レビュー会での発言がきっかけで、デザイン開発がうまくいったそうだ」
そう言って、眼鏡を外し、目を拭った。
「今までごめんな。
ずっと我慢させていたんだな」
謝られているはずなのに、
胸の奥が、じわじわと締め付けられる。
嬉しいとも、悲しいとも違う。
ただ、心臓のあたりが、確かに痛かった。
私は部屋に戻り、ベッドに座ると枕を抱いた。
時間だけが、形を失って流れていた。
この感覚はどう表現すればいいのだろう。
楽しければ笑い、悲しければ泣き、辛ければ険しい顔を作れる。虚しいときは、何もなかった。
ふと、外の音が聞こえてきた。小鳥の歌声。犬の遠吠え。吹きすさぶ風の音。確かにそれは、かつて私の心に熱を持たせていた。
……今は、何も。枕が、濡れていた。
私は仮病薬を飲み、今日の予定をすべてキャンセルした。
そして、夜中に部屋を抜け出して、りすく屋さんを訪ねた。
お店の扉を開けると同時におじさまに言った。
「私、感情を失ってしまったの……」
その言葉に続いて口は勝手に告げる。
「このお店の薬のせいで」
私は咄嗟に口を押えた。
でも、おじさまの目には何も変化はなかった。
おじさまは冷たい声色で言う。
「ここはりすく屋だ。クスリには代償がある。患うことはできても、治すことはできない。お嬢ちゃんも分かっているだろう?」
皮肉は勝手に口から出なかった。
心は完全に暗い底に落ちた。
おじさまの目は少し下に向いた。
「あれは飲んでみたのかい?」
「あれ、とは……」
私は下を見た。そこには肩にかけた鞄があった。私は気付いた。まだ、飲んでいない。名前のない薬があることを。
私は鞄を床に置き、奥底から真っ白な箱を取り出した。それは、皮肉吐き薬の対価を払ったときに、棚から吐き出された名もなき薬。
箱の中には一粒の錠剤が入っていた。
私はそれを人差し指と親指でつまんで見つめた。
真っ直ぐなおじさまの目がその奥に見えた。
口に入れ、飲み込む。
すると、嬉しさも、楽しさも、感情が戻ってきた。身体の内側がとても温かい。
おじさまは棚から出て、こちらに歩み寄ってくる。はじめて見るおじさまの姿。背が高くスラッとした体躯。満面の笑みを浮かべ、私をお姫様抱っこする。鳥肌が止まらない。なんて素晴らしい薬なんだろう。生きていてよかった。
私はこのときのために、生きていたのだと直感した。もう死んでもいい。
「お嬢ちゃん」
おじさまの美しい声が耳に響く。
私は答える。でも声が思うように出なかった。
「……は……い」
その瞬間、身体に強い衝撃が走った。
「死ぬには、まだ早い」
世界が暗転する。開いた視界はかすれていた。そこには、白髪の老人の姿が見えた気がした。
「これは、臨死薬だ」
そこで意識は、プツンと途切れた。




