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残された時間を知ってしまった私達は  作者: 七瀬乃


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8/19

西浦愛生

 お父さんがお店を辞めてから、買い物行かない? とか、家に遊びに行っていい? とか誘ったけれど、お父さんからは、忙しいから会えない、と言われた。

 お母さんにも、「お父さんに会ってもいいかな」と顔色を伺いながら訊くと、いつものように嫌そうな顔をしていたけれど、「会いたいなら会いに行きなさい」と言ってくれた。

 せっかく堂々と会いに行けるのに、会いに行けなくてもどかしい。お父さんはやりたいことがあるとか言っていたので、それで忙しいのかと思った。でも、一日、いや、一時間でもいいから時間は作れると思う。

 少なくとも一緒に暮らしていた時は、娘のためなら忙しい時でも時間を作ってくれた。もう一緒に暮らしていないし、娘のために時間を作るなんてことはもうしないんだ。離婚して、お母さんもお父さんさんも変わってしまったんだと思うと、胸が針に刺されたみたいに傷んだ。

 もし、私がhand numberのことをお父さんに打ち明けたら、会ってくれるのだろうか。お父さんに打ち明けるなら、お母さんに先に打ち明けようか、三人で会って打ち明けたほうがいいんじゃないか、とずっと考えていた。


 そんな時だった。


 仕事から帰ってきたお母さんから、「今からお父さんの所に行くから支度しなさい」と言われた。

 離婚してから家族三人で会うことなんてなかったのに。

「お父さんに会いに行くなんて、いきなりどうしたの?」

「お父さんの弟さんから連絡があったの、お父さん息を引き取ったって」

「えっ……」

 嘘だ。信じられない。

 息がしにくい。心臓がはち切れそうなぐらい拍動が強くて苦しい。

 だって一ヶ月前は元気だった。体調が悪いのは大丈夫だって言っていたのに。何で……。

 最後にお父さんと会った時、抱きしめてくれたことを思い出すと涙が溢れてきた。


「愛生。大丈夫? 行ける?」

 苦しくて言葉が出ない。体が重い。どんどん沼にハマっていくような感覚で動けない。

「行こうか」

 お母さんが私の体を支えてくれて家を出た。


 マンションの外に出ると、タクシーが待っていた。お母さんが、〇〇病院まで、と言ってタクシーが走り出した。

 お母さんは、窓の外の暗闇を眺めている。いつもと変わらない、涙が出そうにもない表情だ。

 冷静なお母さんを見ると悲しい。もうお父さんのことが好きではないから、そんな冷静でいられるの? 離婚して、他人だからもう関係ないって思っているの? 今の私はこんなネガティブなことしか考えられない。

 お母さんは今何を考えているの?


 お母さんとは、一言も言葉を交わさず病院に到着した。

 病院の中に入ってすぐお父さんの弟さんがいて、お母さんと色々話をしていた。

 聞いていますよね? とか、火葬の手続き、とか、私には理解できないことを話していた。


「では、また連絡待っていますので、今日の所は失礼します」と弟さんが軽く会釈をして去っていった。

「愛生。お父さんここにいるからおいで」

 お母さんが部屋のドアを開けた。

 すぐに寝ているお父さんが見えた。普通にお父さんが寝ているようで、死んだなんて信じられない。

「お父さん……」

 呼びかけても反応がない。

 お父さんの顔に触れると、冷たい。抱きしめてくれた時の暖かさはもうない。

「お父さん……お父さん……」

 涙が止まらない。

 お母さんが私の肩をさすってくれる。何も言わずに優しくさすってくれるその手は、とても暖かかった。

 私の涙が少し止まってから、お母さんが、「愛生、先に一人で家に帰れる?」と言った。

「私だけ? お母さんはどうするの? お父さんは今からどうなるの?」

「お母さんは、手続きとか、色々しないといけないから、それが終わったら家に帰る。お父さんはまだ決まってないけど、ここから移動することにはなると思う。終わったら連絡するから愛生は家にいて、また明日お父さんに会いに行こう」

 お母さんがお父さんの顔を見つめながら言う。お母さんは泣いていない。

「うん……。お父さんと離れたくない……でも、お母さん大変だろうから帰る」

 一人でタクシーに乗り、家に帰ってすぐに自分の部屋に入った。家の中はいつも以上に静まり返り、喪失感に襲われる。

 寒い部屋に一人で座り込んだ。お父さんは、この家からとっくの昔にいなくなっていたのに、お父さんの温もりが消えたみたいに寒い。私の心に空いた穴に冷たい空気が通っていくようで、苦しくて胸を抑えた。

 

 目を瞑ると、お父さんと過ごした時のことを走馬灯のように思い出す。

 私が幼い頃は、朝起きて、横でいびきをかくお父さんを見つめたり、頬を触ったり、鼻をつまんだりした。お父さんは一旦目を開けるが、また目を瞑っていびきをかく。それを私は毎日笑いながら起こしていた。

 お母さんが仕事でいない時は、朝ごはんを用意してくれた。今でも思い出す甘くてふわふわのフレンチトースト、焼いてくれたウインナー、野菜が嫌いだった私でも美味しく食べられる野菜スープ。本当に美味しかった。

 朝ごはんを食べ終わると、私の髪の毛を不器用ながらも結んでくれた。

 家を出て、保育園まで一緒に手を繋いで、一緒に歌って、すごく楽しかったの覚えている。

 家族三人で過ごす日を必ず一ヶ月に一回は作ってくれて、色々な所に出かけた。小学生になっても中学生になっても、離婚するまで続いた。

 家族三人本当に仲が良くて、お母さんを見つめるお父さんを見ると、お母さんのことをすごく愛しているのが伝わってきた。

 お父さんは私のことも沢山愛してくれた。最後に抱きしめてくれたあの時も、お父さんから愛を感じた。強くて暖かい愛を感じた。

 

 それを思い出して、自分で自分を抱きしめるように腕を強く握った。でも、自分で自分を抱きしめても暖かくない。愛を感じない。意味がない。

 涙が流れっぱなしで、服が濡れて冷たくて、寒さが増す。

 お父さん。お父さんもう一度抱きしめて……


 帰ってきてどのくらいたったんだろう。

 ガチャっと玄関の開く音がした。お母さんが帰ってきた。

 部屋から出ると、「ご飯食べた? お風呂入った?」とお母さんがいつものように訊いてくる。

 私が首を横に振ると、「食欲なくても少しは食べて、お風呂にも入って早く寝なさい」とお母さんが冷静に言う。

「明日、お父さんのお葬式なの?」

「……お葬式はしないの。お父さんの遺言で、お葬式はしないで火葬だけしてって言われてたの」

「……言われてた? 言われてたって……お父さん自分が死ぬこと分かってたの?」

 お母さんが俯いて黙り込んだ。

「ねぇ! お母さん! 教えて。お父さんからhand numberのこと聞いてたの?」

 お母さんが俯いたまま頷いた。

「明日、火葬が終わって家に帰ってきたら、全部話すから、それまで待ってもらえる?」

 初めてお母さんが悲しんでいるような苦しんでいるような表情をした。声も震えていた。

 こんなお母さんを見ると、今はこれ以上訊くことはできない。明日話してくれるのを待とう。

「……分かった」

 私も俯いていると、お母さんが、これ、と言って私にマフラーを渡す。よく見ると、私がお父さんにプレゼントしたマフラーだった。

「お父さんが柩にマフラーを入れてほしいって……。でも、もし愛生が持っておきたいなら持っていてもいいよ。明日までにどうするか考えて」

 お父さんがあの時言っていたのは冗談じゃなかったんだ。死んだら柩に入れて、って言ったのは本気だったんだ。

 私はマフラーを抱きしめた。お父さんのタバコの匂いと、かすかに香るコーヒーの匂い。このマフラーを使ってくれていた証拠だ。

 このマフラーは柩に入れてほしい、とお父さんが言っていたから、望み通りにしたい。

 だから、今日はこのマフラーを抱きしめながら寝る。お父さんを少しでも感じながら寝たい。

  

 マフラーを抱きしめてベッドに入った。

 寝ようとしても、お父さんとの思い出を思い出して、なかなか眠れない。

 もっとお父さんと連絡を取れば良かったとか、もっと会いに行けば良かったとか、後悔ばかりが頭の中を巡る。

 お父さんは、何で死ぬことが分かっていたのに、私と会ってくれなかったんだろう。何でhand numberのことを教えてくれなかったんだろう。

 後悔と疑問、悲しさと寂しさ、色んなことに押しつぶされそうで苦しい。涙もずっと止まらない。


 徐々に部屋が明るくなり、朝日が昇ったみたいだ。

 私の死がまた近づいた。

 お父さんもこうやって、死が近づいていく毎日を過ごしていたんだ。

 琉生くんにメッセージを送らないといけない。お父さんが亡くなったことを言ったら、きっと彼もびっくりするよね。


 お母さんはまだ起きていない。私は眠れないからお父さんに会いに行く準備をする。準備を始めると、意外にも自分は冷静で涙も止まっていた。

 そんな冷静な自分が嫌だった。お父さんが亡くなったのに、こんなに冷静になる瞬間があるなんて、お父さんに申し訳ない気持ちになった。

 窓の外を眺めながら歯を磨いていた時、スマホが振動した。


 琉生くんからのメッセージだ。


『突然のことで、正直なんて言っていいのか分からない。ごめん。一ヶ月前まで元気な姿を見ていたから信じられない。

 愛生、大丈夫じゃないよね。悲しいよね。悲しいなんて言葉じゃ言い表せないよね。

 ごめんね。こんなことしか言えなくて。

 俺にできることがあれば何でも言って。

 俺もオーナーに最後会うことできるかな?』


 琉生くんの優しい言葉を見ると涙が溢れてきた。さっきまであんなに冷静だったのに。

 歯ブラシを咥えて、涙を流しながら返信した。

 火葬だけだから会うことはできない、落ち着いたら会って話したい、とメッセージを送った。


 準備が終わる頃、お母さんが起きてきて、「もう起きてたの?」と言った。

 お母さんを見ると、目は腫れて、目の下に濃いくまができていた。お母さんも眠れなかったんだ。お母さんもちゃんと悲しいんだと思うと、少しでも家族の絆がまだあるんだと感じて、泣きそうになった。

 

 お母さんも準備を終えて家を出た。

 お父さんのもとについてからは、眠っているお父さんの顔を見ていた。今にも、愛生、と呼んで起きてきそうな寝顔。

 生きている私は、食欲はなくても喉が渇くので、温かいお茶やコーヒーを飲んだり、時々外の冷たい空気を吸いに行った。

 お母さんは、ほとんどお父さんのそばから離れなかった。

 火葬の時間が近づいて、お父さんの周りに好きだったコーヒー豆を置いて、最後に私があげたマフラーをお父さんにそっとかけた。

 お父さんと会えるのがこれで最後なんだと思うと涙が次から次へと流れる。

 横から嗚咽する音が聞こえた。お母さんだ。お母さんが泣いている。

 私はそっとお母さんの肩に手を置いて、二人で涙を流した。



 お父さんとお別れをして家に帰ってきた。

 お母さんはずっと俯いて黙ったまま。しっかり者で、いつも胸を張って大きく見えるお母さんが、小さく弱く見える。今は私のほうがしっかりと立っている気がする。

 

 お母さんがソファーに腰掛けて、ぼんやりしている。

 私がテレビの電源を入れると、バラエティー番組があっていた。テレビの中の人達の笑い声がリビングに響く。こんな時にバラエティーなんて見ていいのか悩んだが、少しでも家の中が明るくなるように、このままにすることにした。たぶんお母さんはテレビの声なんか聞こえていないのかもしれないけど。


 コップにお茶を注いで、お母さんに渡す。

「はい、お母さん」

「ありがとう」

 お母さんはお茶を一口飲んで、テレビを見つめながら話し始めた。

「愛生、お父さんのことなんだけど……」

「うん……」

「お父さん、愛生が生まれたあとに、hand numberが出てきたらしいの。それをずっとお母さんに言うべきなのかずっと悩んでいたらしくて。愛生が中学生の時に、お父さんがhand numberのことを教えてくれたの。……愛生が大人になった頃に俺は死ぬって」

「……大人? 私、今大人ではないよ? どういうこと?」

 お母さんの目には涙がたまって、今にも溢れ落ちそうで苦しそうな表情をしている。

「ごめんなさい。お母さんのせいなの。お父さんの寿命を縮めたのはお母さんなの」

「どういうこと?」

 私が大人になった頃とか、お母さんのせいとか、意味が分からない。頭が混乱して、頭痛がする。私は自分のこめかみを抑えた。私の知らない所で、何が起こったの……。

 お母さんがため息をついた。

「お父さんがhand numberのことを教えてくれた時は、今のまま最後まで家族三人で過ごそうって話してたの。でも、お母さんが、お父さんと少しでも長く一緒にいたいと思ったから、今の仕事を辞めて、カフェの手伝いをしたいって言ったの。そしたら、お父さんから仕事は辞めるなって言われた。せっかくキャリアを積んできたのに、今辞めてどうするんだ、愛生のためにも辞めるなって言われたの」

 お母さんがお茶を一口飲んで、また話し始めた。

「その時、お母さんはキャリアなんかどうでもいいし、お父さんとの時間を大事にしたかった。それをお父さんに言っても、また、ダメだ愛生のために辞めるなって言われたの。そう言われても、お父さんのそばにいたいって言い続けた。それから、毎日言い合って喧嘩してた……。今思えばお父さんが正しかったのに、お母さんが頑固だったから……」

 お母さんが天井を見上げ、ふぅ、と息を吐いた。私はお母さんの背中に手を添えて、「大丈夫?」と言った。

「うん……。大丈夫。お母さんが頑固なせいで、お父さんをすごく怒らせてしまった。お父さんがこの家を出て行く前の日に、今までで一番言い合いになったの。お父さんが、『お前は今の仕事が大好きなのに俺のために辞めるな、辞めたら絶対後悔する。それでも辞めるって言うなら、俺は今すぐに死んでもいい』って言われて、あの時、お母さんも頭に血が上って、辞めるって言ってしまったの。そしたら、『分かった。よく聞け。俺のhand numberは今"8"だ』って、言われたの。意味分かるよね?」

 何度も調べたから分かる。数字を言ってしまったら……。

「うん。五年、命の時間が減るんだよね……」

「そう。お母さんのせいでお父さんの命を五年減らしてしまった。あと八年、生きることができたのに、三年しか生きられなかった。お父さんは、『お前のことを八年も縛り付けたくない。それなら俺は寿命が短くなったほうがいい。離婚しよう。お前は自由に生きろ。俺も自由に生きる』って言われて、それ以上何も言えなかった。そして、お父さんはこの家から出ていったの……。お父さんの人生の大事な時間を奪った。愛生とお父さんが一緒に過ごせる時間を奪った。本当にごめんなさい」

 お父さんが自分の命を削るほど、お母さんと私のことを考えてくれていたんだ。

 たしかに、お母さんが自分を責める気持ちは分かる。でも、お母さんは悪くない。悪いのはhand numberだ。hand numberは人の人生を壊す。hand numberがないほうが幸せに生きることができるんじゃないかな。きっとhand numberがなかったら、まだ家族三人で幸せに暮らしていたよね。

「お母さんは悪くないよ。悪いのは全部hand numberだよ……。そんなに自分を責めないで……」

「愛生……」

 お母さんが私を強く抱きしめて、しゃくり上げながら泣いている。

 私はもう涙は出なかった。hand numberなんてなければ、今まだお父さんと一緒にいられたのに。何で人の手にhand numberが現れるようになったの。神様のイタズラにしか思えない。

 お母さんは、私のhand numberのことを知ったら、お父さんの時と同じように仕事を辞めるって言うのかな。

「ねぇ、お母さん。もし、私もあと少ししか生きることができないって言ったらどうする? 仕事辞める?」

「当たり前でしょ! 愛生が死ぬなんて想像したくないけど、愛生がもしそうなったらお母さんは仕事辞めて愛生とずっと一緒にいるよ! 仕事なんてどうにでもできるんだから! 愛生との時間のほうが大事だよ! もう冗談でもそんなこと言わないで……」

 お母さんが、またさらに私を強く抱きしめた。

 お母さんが言ってくれたことは嬉しい。でも、嬉しいはずなのに心がざわつく。


 私が幼い頃、お父さんからよくお母さんの話を聞いていた。仕事で夜、お母さんがいなくて寂しがっていた私に、お父さんが、「愛生。お母さんは愛生のこと大好きだし、お仕事も大好きなんだ。どっちも大切なんだよ。今は一生懸命お仕事頑張っているから応援してあげようね。で、お母さんがお仕事お休みの時はいっぱい遊んでもらおうね」と言っていた。

 お母さんは仕事が生きがいなのに、やっぱり築き上げてきたキャリアを捨てるのはもったいない。仕事を辞めて、私がいなくなったあとに絶対後悔すると思う。私を亡くして、仕事も失って、お母さんは何を生きがいに生きていくの? また元通りに仕事ができるとは思えない。大好きな仕事を続けてこれからも生きてほしい。

 

 現実を考えすぎて、お母さんが言ってくれたことに対しても、抱きしめてくれたことに対しても何も返せなかった。

 私はただテレビのバラエティー番組の笑い声を聞いていた。

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